729 単純でかわいい
「今日も美味そうだな!」
「朝ご飯が毎日違う宿なんて最高だよね~」
ぼうっとしていたオレの耳に、タクトとラキの弾んだ声が聞こえた。
今日は洋食らしい。目の前の皿にはボリュームあるサンドウィッチと、カラフルなスープ。
みちっと窮屈そうに詰まったサンドウィッチの断面が、色鮮やかに視線を引き寄せる。ほのかに漂う香辛料の香りで、まだ半分眠っていた胃袋が目覚めたみたい。
「あれ? 毎日違ったっけ? この間もサンドウィッチじゃない?」
別に毎日サンドウィッチでもいいのだけど、不思議に思って左右を見上げた。
「いやいや、同じ中身だったことねえじゃん!」
「普通、宿の朝ってただのパンとスープが定番だよね~」
言われてみれば。カロルス様たちと泊まる宿はそれなりに朝も豪華だったりするけれど、冒険者として泊まる宿はそんなものだ。
せっかくだから、最後に何が美味しかったかみんなにアンケートを取ってもいいのかも。
またぼうっとしだしたオレをよそに、慌てて階段を駆け下りる音が響いた。どたどた鳴る木板の音が、どこか懐かしい。そろそろ席も全部埋まりそうだ。
待ちきれない腹ぺこ鳥たちが賑やかにさえずり始め、段々と食堂が騒々しくなってくる。
「ラナベルさん、今日のパンは何が入ってるの?」
「今日は薄切りブルのスパイシー炒めだそうですよ。こちらはお豆のスープです」
テキパキとお料理を運びながら、ラナベルさんはタレ目がちの赤い瞳をさらに下げて笑った。
眩しく光を反射する白髪はスカーフでまとめられ、鮮やかな色が白に映えている。
「お豆なの? 色とりどりで綺麗ねえ」
「やった、今日もお肉だ!」
最初こそ多少の戸惑いもあったけれど、子どもの適応力は凄まじい。瞬く間に馴染んでしまった。
ヴァンパイアのラナベルさんたちも、魔族のアンヌちゃんも。
ラナベルさんは、ヤクス村に試験的に移住した一家の一人。夫婦と成人した子ども2人の家族だそう。
オレたちの目には30代くらいに見えるけれど、子どもさんたちも同じくらいに見えるということは、もっと上なのかな。
「今日の号令係誰だよ!」
「はやくはやく!」
急かす声と、慌てて椅子を引く音。締まり無くズレた合掌の音、そして案外綺麗に揃ったかけ声は――
「「「いただきます!!」」」
我先にと伸ばされた手がそこかしこでお行儀悪く食器を鳴らし、大きくかぶりついたサンドウィッチの端からはぼろぼろと中身が落ちて。
ミルクのグラスには汚れた手形がばっちりついていた。
「スパイシーってこんな味なの? おいしいわ!」
「そうでしょう? スパイシーっていうのはこんな風に刺激的な味のことだそうですよ」
ふふ、と微笑んだラナベルさんがせっせと皆の口元を拭ってくれている。
何の気負いもなく会話する光景は、きっとこの先他の場所でも見られるはず。
だって、今ここにいるのはドラゴン世代。紛れもない子ドラゴンたち。
きっと、大きく強くなって絶大な影響力をもつだろう。
当初はそんなつもり、全くなかったのに。だけど、これは絶対にいいことだ。
世界を動かすだろう14人が、今、ここにいる。
ぴかぴかのお顔でほっぺを膨らませ、満ち足りて笑う子どもの顔。
パンを鷲づかみにしているまだ小さな手が握るのは、武器だろうか、ペンだろうか、はたまた人の心だろうか。
少し考えて、サンドウィッチを頬ばった。
「……おいしい」
ふわっと口角が上がる。
少々ピリリと独特な香辛料を使ったお肉。一緒に炒め合わされた野菜は、なんとかぼちゃや甘いお芋。ぱりりと生の葉野菜と共にパンに挟み込まれれば、途端に複雑な辛みと甘みを織り成してくる。
固めのパンに噛みつけば、むちりと噛みしめるお肉、とろりと絡み合う甘み、そしてざくりと歯切れ良い葉野菜。
それぞれ違うものが合わさって、美味しいんだよ。
みんなが、どんな風に大人になったってきっと大丈夫。
だってこんなに色んな味があって、組み合わせがある。辛いものだって、苦いものだって、美味しく食べられちゃうんだから。
それが、こんなに誰かを満たしてくれるって知っているんだから。
「――ユータ、ちゃんと食ってんのか? もういらねえの?」
「ふふ、ユータはいつだって戻って来られるのに~」
つい、またぼうっと感傷的に(?)なってしまう。気付かれていたのかと、慌てて俯いて熱心にスープをかき混ぜた。色とりどりの具材が、ほの赤いスープの中でくるくる踊る。湯気と共に、鼻先を温かい香りが掠めていった。
「ちゃんと食べてるよ! うん、オレは戻って来られるけど……」
言い淀んでますますスープに集中してしまう。
だって、賑やかな食卓がこれで終わってしまう。今日、この後、ロクサレンを出発するのだから。
寮だって、学校だって、一緒にいるのだけど。
だけど……ええと、そう、多分ロクサレンだからだ。オレのお家にみんなを招待したような気分だったから。
寂しいんだな、オレ。本当、どうしようもない。
誤魔化すように囓ったサンドウィッチ、ついた歯形は笑えるくらい小さい。ボリュームあるそれをようやっと支えられる小さな手だって、なんとも不器用にべったりソースがついている。
「あー帰りたくなーい!」
満足の苦しい吐息が聞こえ始めた時、誰かが堪えきれないように大きく零した。途端に周囲から同意の声が次々響いてくる。
「ここに居てえよなあ。もう住みたい! あ、そうだ!! 俺、将来ロクサレンに住むぜ!」
「いいな! 私もそうする! ラナベルさんと一緒に働く!」
そうだそうだと呼応するみんなは、すっかりその気のようだ。
うわあ、そんなのどうしよう。わっと湧き上がる高揚感が、頬を染めたのが分かる。
ドラゴン世代がみんなこの村に居着いてしまったら……それこそ国と一悶着ありそう!
「だめだめ、みんな世界で大活躍してもらわなきゃいけないんだから!」
くすくす笑うオレに、不満げで、そして得意げな視線が集まった。
「いっぱい活躍して、遊びに来てよ! 毎日でもいいよ!」
「んーまあ、それもありか……いっぱい稼げるようにならないと、好きなもん食えないしな!」
「確かに……他所で稼いでここで使う、がいいような気がしてきた!」
各々納得した顔でふむ、と頷く様が可笑しい。
オレは笑いを堪えてこっそり両脇を見やった。
「みんな、強くなっても子どもだね。まったく、単純すぎてかわいいんだから」
小さく言って肩をすくめてみせるやいなや、タクトとラキはぐふっと妙な音をたてて吹き出した。
「お、お前が言う……!」
「よかった、ね、ご機嫌直ったみたいで僕も嬉しいよ~」
両サイドからがしゃがしゃと髪をかき混ぜられ、すっかり寝起きのセデス兄さんみたいになってしまった。
「ちょっと! オレ今手が放せないのに!」
手はねちょねちょだし、この食べかけサンドウィッチは、今放すとパンと具になってしまう!
「それってそういう時に使う台詞じゃないよね~? お手々拭きなよ~」
「ちびちび囓らねえで、早く食っちまえよ!」
オレが悪いみたいな言いぐさ?!
「オレは今食べてるでしょう! ちゃんと綺麗にして!」
憤慨してばくっと大きくサンドウィッチを頬張り、じろりと2人を睨めつけた。
「はいはい」
「お姫様の仰せの通りに~」
決して上手じゃない手つきで髪を撫でつけられ、当てこするような言いようにぷりぷりしてサンドウィッチに噛みつく。
今度の実地訓練では、全員同じテーブルでこうして食べるのもいいかもしれない。
みんなの満足げな顔を眺めて考えていたオレは、今朝から淀んでいた胸の凝りがすっかりどこかへ行ってしまったことには気付かなかったのだった。