726 使いどころがない
みんなの瞳は、朝露のように煌めいてその一挙一動を追っている。
いいよ、いいよ! いっぱい期待して大丈夫。だってカロルス様だもの!
オレはにまにましながら揃ったみんなを見回していた。
「本当に、本当に見られるんだよな?! カロルス様の剣技!」
誰よりも興奮しているタクトが、あーとかうーとか呻きながら落ち着きなく悶えている。
「僕も楽しみ~! メイメイ様のとはまた違った感じなのかな~? この辺り一帯の無残な様子についても聞きたいところだけど~」
そこは、そっとしておいてほしい。ほら、引率にやってきている執事さんが、ちょっとばかり気まずげな顔で視線を逸らしたから。
「では、皆さまこちらでお待ち下さい。これより前には行かないように」
執事さんはこほん、と咳払いして、オレたちの前に立って手を広げてみせた。
「ユータ様、では的をお願いします」
「うん! みんなの時と同じ的を、大きくして作るからね!」
カロルス様の時だけやたら頑強な的にしても感動が薄いだろう。だから、強度自体は同じもので。そうすれば厚みや大きさの違いも分かりやすい。
「お、おいユータ、さすがにそれは盛りすぎじゃ……お前が張り切ってどうすんだよ!」
「お前の期待値は分かったから、もし、その、万が一、な? いや俺だって大丈夫とは思うけど、期待値の半分くらいにしとけ」
待機場所まで戻ると、なぜかみんながちらちらカロルス様を窺いながら、オレをつついてくる。
きょとんと首を傾げ、ああ、と納得した。そりゃあ、みんなの的と比べたら、ピザ生地と一斤パンくらいの差があるもの。至極まっとうな心配かもしれない。
「大丈夫だよ! カロルス様だから!」
絶対の信頼を込めてふり仰ぐと、ブルーの瞳がにっと笑って片手を挙げた。
いよいよだ。
悠々と的の前まで歩く長い脚。
自然と垂らした大きな手。
そこにいるだけで、周囲が背景と化して絵になっていくみたいだ。
「――なあ、見ろよあの物々しい岩山……。なんでこんな離れた場所まで来るのかと思ったら」
「目立ってるよなあ、周囲に何もないだけに。的を貫通した場合の物理シールドだろ? きっと、ここロクサレンの訓練場だぜ」
「つまり、この馬鹿みたいな的を貫いて、あの岩山まで剣技が到達する可能性が……?!」
ひそひそ言う声など気にしない。どうせ、言葉を失うことになる。
ぐっと一度伸びをしたカロルス様が、オレたちを振り返って不敵な笑みを浮かべる。
「行くぞ? ……一回しかやらねえからな」
低い低い声は、挑むような響きをもって否応なくオレたちの鼓動を弾ませていく。
前を見据え、剣に手を添え、すうっと気配を変えた。
ああ、すごい。
まるでカロルス様に惹かれるように、周囲の魔素が一斉に引っ張られるのが分かる。
研がれていく集中と共に、魔素が集束していく。
これが魔法でなくて、なんなのか。
金の髪が、衣服が、濃密に集まった魔素でゆらゆら揺らめき始めた。
貼り付いたように、視線が動かせない。
金の頭がわずかにずらされ、肩越しにブルーの瞳がオレたちを射た。
にやり、とその顔に笑かんだ笑み。
「……目ぇ、閉じんなよ?」
どくり、と胸が鳴った。
「――ふっ!」
瞬間、音が歪んだ気がした。
そして、空間が。
オレたちへの衝撃なんてない。破片のひとつすらやって来ない。
ただ、剣筋を追うように背後から吹きつける風を感じていた。
振り抜いた剣を、ゆっくりと下げる肩のライン。踏み込んだ姿勢を戻す、大きな背中。
くるりと回った剣が、すんなりと鞘へ収まるまで。
オレたちは、まだ目を離せずにその光景を眺めていた。
周囲にはまだ、轟音が響いている。
「……相変わらず、使いどころのない威力で」
オレの隣から、小さくそんな声が漏れた。ぱちり、と瞬いて視線を上げると、執事さんは微かに苦笑して肩をすくめて見せる。
知らず、オレの口角が上がっていた。
気迫に当てられたんだろうか、小刻みに身体が震えている。
まだ、声は出ない。
――なかなかの威力なの。ラピスとまさるととおるなの。
重々しいラピスの台詞は、絶対に間違っている。抑えていた呼気が、はあっと吐き出されて力が抜けた。まさるととおるは一体誰なのか。多分だけど、その人たちはラピスに勝るとも劣らないんだろうな。
動くようになった身体で、改めて破壊の痕跡を眺めた。
『ば、馬っっ鹿じゃねえの! こんな攻撃あってたまるかっちゅーの!』
『ちゅーの!』
アゲハを抱きしめたチュー助が、いつになく興奮に身体を震わせている。恐怖とは違うそれは、武者震いみたいなものだろうか。
「……ははっ!」
タクトがいかにも可笑しそうに笑う声がする。
「ええ……」
ラキが思いっきり引いているのが分かる。
そろそろと呼吸を再開させたみんなが、互いに視線を交わして、目の前の光景に呆然としていた。
「また、海岸線が変わりましたね……ユータ様、戻せますか?」
オレたちの前に、海が見える。
視界は、随分拓けていた。
「う、うーん。元通りには無理だけど……ある程度は」
戻せるのかよ?! なんて声が聞こえた気がする。
「……おう、どうだよ?」
いつの間にか歩み寄ってきていたカロルス様が、にや、と笑みを浮かべて小首を傾げてみせる。
一も二もなく飛びついて、オレは渾身の力で分厚い身体を抱きしめた。
「格好いいだろうが?」
自信に満ちた低い声。背中を支える大きな手。
ん? とオレに返事を催促するその顔。
言葉に出来ない感動を腕に込めていたのに、ふはっと力が抜ける。答えなくたって、これ以上ないくらい伝わっているでしょう。オレの、この小さな全身から。
「それは、言わない方が格好いいんだよ!」
きゃらきゃらと笑いながら、上気した頬で真正面からブルーの双眸を見つめた。
精悍な顔。格好いいな。オレ、こんな風になれるだろうか。
「オレは、きっともっと格好良くなるよ!」
「ほう? 俺よりか?」
愛しげに細くなったブルーの中に、今はオレだけ。
「そうだよ!!」
胸を張って宣言すると、ふっと柔らかな笑みが広がった。
「そうか!」
大きな手が、わしわしオレの頭をかき回す。
ああ、オレの天井は今、吹き抜けの青空になってしまった。
胸がいっぱいで、溢れてはじけ飛んでしまった。
だって、カロルス様がそんなに誇らしそうな顔をするから。
こんなに小さな身体なのに、オレの中身は随分と大きく、広く、果てなく広がっている。
だけどオレ、カロルス様より格好良くならなくちゃいけないから。このくらいは、きっと必要なんだよ。
オレはもう一度真正面からカロルス様を眺め、ふわりと笑ってその頭を抱きしめたのだった。
続き入れるとめちゃ長くなるので短めで切りました!
*閑話の方更新してます~!ちょっとしたSSだけど。