721 時としてそれは心を抉る
雲1つ無い空はすっきりと青く、心地良い日差しは草原を匂い立たせている。
「……なあ」
「ああ……学校、か……」
きららかな陽光降り注ぐ中、動きを止めた馬車内では膝を抱えた二人の男が、遠い目をしていた。
きゃあきゃあと響く高い歓声は、まるで遠足の場にでも紛れこんだよう。
こどもたちの弾ける笑顔は、いかにもこの晴れやかな天候に相応しい。
けれど、ふふ、と男に浮かんだ笑みは乾燥豆よりも乾いていた。
「俺も、行ったら変わるのかな……?」
「……」
動かない男たちに、ちらちらと御者の視線が痛い。
何度目かになろうとするため息が足下に淀みを作ろうとした時、何かが目前に飛び込んできて、男たちは思い切りのけ反った。
「ねえ! お兄さんたちはいいの?」
血色の良くなった唇は紅を引いたように赤く、上気した頬は匂い立つよう。晴天を写した瞳が興奮に煌めいて男たちを見上げている。
しかし、男たちは見ていた。今、この美童がどうやって馬車の上までやって来たか。
反応がない男たちにことりと首が傾げられ、しっとりした黒髪が白い頬にかかった。
「え、あ、い、いいって、何が?」
困惑を感じ取った男が、慌てて口を開く。
「馬車番してくれているんでしょう? 交代、するよ?」
ふわ、と微笑む顔にはまだ慣れない。
馬車番? 交代? 耳を素通りしそうになった言葉を拾ってもう一周させた男は、慌てて首を振った。
「い、いいい、いやいや、護衛は俺たちだからな! 全然、全然気にしなくていい!」
「そ、そうとも! おおお俺たちが馬車番するのが道理だ!」
つい都合のいい解釈に乗ってしまってから、罪悪感が押し寄せる。
何やってんだろうな、俺たち。
情けなく眉を下げて互いに視線を交わしたところで、ぱちりと瞬いた黒の瞳に尊敬の光が宿った。
「本当? ありがとう! じゃあオレが二人の分も獲っておくからね!」
……お礼を、言われてしまった。
眩しい笑みとともに草原へ戻っていく姿を見送って、男たちは力なく肩を落としたのだった。
*****
「よっしゃ獲物三匹目ぇ!!」
「うわ、待ってこっち4体来た! 無理無理、助けて!」
みんな、割と余裕がある。ランク的にはDに満たないけれど、そろそろそのくらいの実力はあるんじゃないだろうか。
からりと晴れた気持ちの良い空の下、沸き立つ子どもの歓声、獲物となったピビットの鳴き声、ゴブリンの悲鳴。
うん、平和……ではないかな。
オレは手近なゴブリンを屠って、ちょっと苦笑したのだった。
――その日、朝からしっかりと焼き魚を堪能したオレたちは、居合わせた冒険者さんたちにもお魚を分けてあげた。御者さんにも朝食を振る舞ったら、ヤクス村は近いから乗せて行ってやると言ってもらった。
正直、シロ車の方が早いけれど、せっかくのご厚意なので甘えることにしたんだ。みんなで乗り合い馬車、っていうのも楽しいもんね!
だけど出発してしばらく、ふと遠くからたくさんの反応が近づいてくることに気が付いて、御者さんに声をかけた。
「ねえ、あっちからいっぱい来るの、なに? 魔物じゃなさそうだよ」
「うん? ありゃあ……多分ピビットだ! 仕方ねえ、止まりやす!」
大声でそう告げた御者さんが、すぐさま馬車を街道脇の木へ寄せて止めた。
「なんだ、どうしたんだ?」
護衛を兼ねているらしい冒険者さんたちが、異常事態に表情を険しくして前へやって来た。
「ピビットの移動経路に当たっちまったみたいで。馬が暴れやす、通り過ぎるまで待つしかないでさあ」
ピビットは、群れで移動しながら生活するウサギくらいの動物らしい。どちらかというとウサギよりも、足の長いブタと言った方が近いかな。
割に気性は荒いけれど魔物ではなく小さいので、馬車の上でやり過ごせばそれまでだ。馬が噛まれたりしないよう御者さんは大変みたいだけれど。
「なあ、なんか変だぞ?」
足音が響いてきた頃、興味津々で伸び上がって見ていたタクトが、首を傾げた。
「変って……あれ?」
突如、規則正しく響いていた足音が乱れた。同時に、ピビットのものらしき鳴き声が響き渡る。
「え、なになに?! どうしたの?」
「なんか、ゴブリンの声がするような……」
クラスメイトたちも、ただならぬ様子に腰を上げた。
「おお~いるぜ、ゴブリン。めっちゃいる! 俺ら、巻き込まれてねえ?」
どこか楽しそうなタクトはさておき、オレのレーダーでも続々とゴブリンが集まっているのが分かる。
「あ~もしかしてゴブリンの狩り場になっちゃった感じ~? それって僕らも獲物の範囲だよね~」
やれやれと肩をすくめたラキの台詞で、御者さんと冒険者さんがぎょっと目を剥いた。
「なっ?! 狩り場?! まさか、数匹だろう?!」
縋るような視線をぶった切って、タクトがにっと笑う。
「全然! だってピビットの群れを襲おうとしてんだぜ? すげえいるよ! ……まあ、統率者の時と比べたら超少ねえけど」
後半ぼそりと呟かれたそれに、大体の規模を察する。この辺りでゴブリンの大量発生も聞いていないし、普通の規模なんだろう。なら、せいぜい数十匹だ。
「ど、どうしやす?! 馬は無理だ、暴れて使いモンになんねえ!」
「しかし! 一か八かで走り抜けるしかないだろう!」
「無理だ! ここで息を潜めていた方がまだ……」
口角から泡を飛ばす勢いで口論を始めた御者と冒険者さんたちを眺め、オレたちは視線を交わす。
『ねえ! ぼく、あれ獲ってきてもいい? ゴブリンに全部食べられちゃう!』
シロがオレの中でそわそわしている。と、言うことは……?
「あの、つかぬ事をうかがいますが……」
無理だ、ダメだと言い争う3人が、血走った目でこちらを振り返った。
「ピビットって、おいしい?」
にこっと微笑んだオレの背後には、たくさんのつぶらな瞳がぎらぎらと熱を持って輝いていた。
「あんまり獲りすぎちゃダメだから! オレたちは5体も獲れば十分だと思う!」
だって、貯肉もあるし! ピビットの群れは100体前後、散り散りに逃げ惑って皆は中々捕まえるのに苦心しているらしい。だって、ゴブリンの邪魔が入るから。
「じゃあ、俺らはゴブリン討伐だな!」
「うん、みんなが危なくないか、見ておかないと!」
たくさんの獲物を前にゴブリンたちは気もそぞろで、てんでバラバラに行動しているからあまり脅威を感じない。だけど、油断は禁物だ。だって、みんなもピビットを確保しようとゴブリンと大差ない状態になっているから。
「僕、混戦の場だと魔法使いづらいな~。タクト、その辺りの木の上まで運んでくれない~?」
「いや自分で登れよ?!」
ブツクサ言いつつラキを担ぎ上げるタクトを眺め、そう言えばと馬車へ視線をやった。冒険者のお兄さんたちも、きっとピビットを狩りたいはずだ。
馬車へ走りながら手近なゴブリンを片付け、なぜかオレを追いかけて来た1匹を振り返り様に切り伏せる。倒れ行くその肩を借りてとんぼを切ると、空中で両の短剣をしまって馬車へと降り立った。
「ねえ! お兄さんたちはいいの?」
息を弾ませて見上げると、二人は揃ってのけ反ったのだった。
「いや~まさか、学生さんに助けてもらうたあ想定外! 学校に感謝しなきゃなあ!」
やたら大きな声で、上機嫌な御者さんが話している。かくいうオレたちも獲物は確保できたし、身体も動かせたし、気分は上々だ。
あらかたのゴブリンを片付けた頃には、ピビットは概ね逃げ去っていた。ヤクス村で報告はするけれど、今回はたまたまゴブリンの狩り場に遭遇しちゃっただけなので、異常事態というわけじゃあない。
運が……悪かったんだろうか? 良かったんだろうか?
『良かった。獲物、いっぱい』
満足そうな蘇芳がそう言うなら、それでいいんだろう。みんなも似たような顔をしているし。
ただ、唯一冒険者さんたちだけが暗く沈んでいる。
やっぱり、自分たちで獲りたかったんじゃないだろうか。ちゃんと二人の分を差し出したのだけど、受け取ってはくれなかった。
オレたちが獲った獲物は、オレたちのものだって。
そして、最後までちゃんと馬車番として持ち場を離れなかった。高潔で、責任感の強い人たちだ。
そっと尊敬の眼差しを送ると、ふいに視界が手の平で覆われた。
「その目で見るのはやめてあげて~」
「あんまり抉ってやるなよ」
オレは苦笑する二人を見上げ、その意味をはかりかねて首を捻ったのだった。