689 隅から隅まで
意外だ……シュランさんはお酒飲んで寝ているだけかと思ったのに、案外情報通だったなんて。
少し警戒したオレをぐっと引き寄せ、悪い顔をした彼はますます声を潜ませる。
「……なァ、お前らまだDランクなんだろ? けど実力はもっと上。なのにギルドでは大した依頼は受けさせてもらえねェ。勿体ないと思わねェか、力は有り余ってんのにナァ」
だろ? とにんまりした顔がさらに続けようとした途端、思い切りのけ反った。
それ、首の可動域的に大丈夫な範囲だろうか。
「な、な?! いってェ……」
大丈夫だったらしい。
涙目でさするおでこは、ばっちり赤くなっていたけれど。
何事かと視線を彷徨わせたシュランさんが、ギョッと動きを止めた。
「なあ、何話してんの?」
目の前に立った人影は決して大きくないし、剣に手を掛けているわけでもない。けれど、ビシバシとよろしくないオーラがオレの方にまで漂ってくる気がする。
「ユータ、大丈夫~?」
シュランさんのおでこが赤くなった原因が、気怠そうに歩み寄ってきた。
まだ疲れているだろうに、そんなにひんやりした気配を醸し出さなくても。
「ちょ、待て待て! 別に取って食おうなんざァ……だから違う! お前らにも話すから! 座れ!!」
大汗をかいたシュランさんは、せっかく整えた髪が乱れるほどに首を振って弁解している。
もう少しそっとしておいてもいいけど、気の毒だったのでくすっと笑って2人を見上げた。
「大丈夫だよ! タクトとラキこそどうしたの?」
さりげなくラキの後ろに誘導されつつ、シュランさんへの警戒っぷりに笑ってしまう。だって悪人顔だもんね! 実際真っ当な人間ではなさそうだし。
「なら良かった~。何こそこそユータに吹き込もうとしてるのかな~と思って~」
ラキ、冷たいよ! 空気が冷たい! にっこり笑顔のブリザードがシュランさんを凍えさせている。
「い、いや、だからっ! ……お前、ちょっとは助け船出せよ?! 何も言ってなかったろ? まだ!!」
「まだ、かよ」
緩んでいたタクトの瞳が、再び鋭くじろりとシュランさんを見やる。
「えーと、実力はあるのに大した依頼が受けられなくて勿体ないねってお話だよね? 結局、何が言いたかったの?」
仕方無い、と肩をすくめて口を挟めば、縮こまっていたシュランさんがぱっと顔を輝かせた。
「そう! 何も悪い話じゃねェ、お前らの実力を買ってんだ! 俺はよ、情報屋みてェなことして――殺気込めんな! ちげぇ、ソッチじゃねェ、魔物や冒険者関連のだよ!!」
情報屋って言えば、こう……秘密の合い言葉とかで敵味方関係なく金額次第で貴重な情報を渡す、ロマン溢れる職業じゃないの? 闇の世界って感じで最高に格好いい――と思っていたんだけど。
「お前、俺を見てあからさまにガッカリするんじゃねェよ!」
せめて、深くフードを被って顔を隠すくらいしてくれないだろうか。コレじゃない感が強すぎる。そしてこんな口が軽そうな情報屋イヤだ。
3人揃って胡乱げな視線を寄越され、シュランさんが『ちーがーう!』と駄々っ子のように地団駄を踏んだ。
「――ふうん? ギルドの受付さんと似たような感じってこと?」
シュランさんの説明を聞くに、依頼をしたい人へピッタリの冒険者を紹介して指名依頼の斡旋をしたり、現在の魔物・依頼の傾向や予測をするらしい。冒険者にとって美味しい情報をやり取りしてくれる、後ろ暗くない情報屋だとか。
だけど、それなら受付さんと何が違うんだろう。わざわざお金を払う価値があるんだろうか。
首を傾げるオレに、調子を取り戻した彼がまた悪い顔をした。
「へ、ギルドじゃお利口なやり方しか教えてくれねえし、欲しい情報を隠されたりするだろうが。実力がどうとか、経験がどうとか、な? それにな、情報ってェのは分析できてこそだ」
ああ、依頼を『読む』ってやつかな。オレがもの凄く苦手な分野。なるほど、情報収集と分析には相応の時間もかかる。商人さんや高レベルの冒険者さんたちは情報を買うことで時間を買っているのかもしれないね。
「それって危険を避けるための、ギルドの配慮だと思うんだけど~? 本当に『後ろ暗くない』の~?」
シュランさんがギクリと肩を震わせる。
「ま、まー、その、ほんのりグレーなとこも無きにしも非ずってトコ! だけどよ、冒険者ってェのは大なり小なりそんなモンだろうが!」
「そうだそうだ!! リスクを背負ってこそ得るものも大きいんだぞ! なあ、それじゃあちょいランクが上の魔物の出現情報とかも教えてくれんの?!」
「分かってんなァ! おうよ、そういうコト! まだ依頼も出てねェ情報だぜ? たまたまそこへゴブリン討伐に向かったDランク冒険者たち……出会っちまえば応戦するっきゃねえよなァ?!」
「おお! すげえ、被害も減って全てがWin-Winじゃねえか!」
あー。タクトが完全にそっち側へ行ってしまった。だけど、まあ……倒せる魔物なら確かに早々に討伐された方が被害は減る。
「で~? 今後ご利用下さいってこと~?」
「お、おう。それとお前らに向いてる依頼があれば、指名依頼の斡旋をしてやろうってことだ。お前ら向きの依頼しか紹介しねえよ、双方ハッピーでねえと評判が下がんだからな。それにはお前らのことをもっと知る必要があんだけどよ……」
つまり、オレたちに指名依頼を振ってもいいかってのと、情報を寄越せってことかな。
「うーん……どうする?」
オレたちはぐっと額を寄せ合った。
「何もデメリットなくねえ? ガンガン大物討伐に利用しようぜ!」
「タクトはポイント貯めなきゃいけないんだから、依頼が出る前の討伐は避けた方がいいでしょ~。けどまあ、いい素材が手に入るならそれもアリかな~」
「で、でも、オレたちの情報もきっと他へ漏れるってことだよね?」
シュランさんはオレたちに言わないけれど、事と次第によっちゃあ結構なグレー部分もありそうだ。
秘密が多すぎるオレにとって、情報漏洩は結構なリスクになってしまう。
「けどさ、別に戦闘に付いてくるワケじゃねえだろ? お前が知られたくないことは言わなきゃいいんじゃねえ?」
「僕たちの実力と、どういう依頼を好む傾向があるとか~、ダメな依頼とかの情報でいいんじゃない~? そもそも、指名依頼も理由があれば断れないわけじゃないし~」
そっか。ギルドに渡している情報程度なら問題ないだろうか……そもそも、情報屋ならそのくらい調べられてしまいそうだし。
頷き合ったオレたちは、シュランさんに向き直った。
「お、まとまったか? じゃあ、質問してくぞ?」
――へえ。ヘラついたシュランさんだけど、割と仕事はきちんとしているのかもしれない。何やらメモを取りつつ細かく質問を繰り返していく顔は真剣そのもの。それなりに格好良いと言えるんじゃないだろうか。
「……お前ら、あんまり欲ねェのな、つまんねェ。もっとブチ上がろうとか思わねえのかよ」
長いやり取りが概ね終わったらしい。シュランさんがとても不服そうだ。
欲があるとかないとか、そんなことが含まれる質問あった? まるで心理テストみたいだな、と思う。
「だって、あんまり目立ってもいいことないでしょう?」
「うん、ウチにはユータがいるからね~」
「まーな、いつかドラゴン倒してえけど、もうちょっとユータが大きくなってからでいいぜ」
えっ? オレのせい?! 驚いて見上げると、2人の可笑しそうな視線とかち合った。
「それに、せっかくの冒険者生活、でしょ~? たっぷり楽しもうよ~」
「おう! 3人でゆっくり味わいたいもんな!」
そっか。有名になっちゃったら何をしても注目の的かもしれない。以前のギルドみたいなことになったら、気ままに楽しむなんてできないかもしれない。
「うん! 冒険は、まだまだこれからだもんね!」
急いでクリアしちゃったらつまらない。隅から隅までしっかり楽しんでからクリアしよう。
「上級の素材を先に使っちゃうと、下級の素材がつまらなくなっちゃうんだよ~」
「急いで食って、もし食べ残してたら勿体ねえもんな!」
2人の言いぐさが可笑しくて、声を上げて笑った。
うん、そう。
だってオレたちの時間はまだまだある。いっぱい欲張って、全部楽しんでしまおう。いいじゃない、たまには美味しくないものがあったって、きっと残さず食べた方が栄養になるんだから。
顔を見合わせて笑うオレたちに、シュランさんは肩をすくめてそっぽを向いたのだった。