681 それは、楽しみのひとつ
全く、朝から酷い目にあってしまった。
オレはまだ苦い口の中をべっこう飴で誤魔化しながら、ロクサレンへとやって来ていた。
もちろん、タクトにはあげていない。
「ねえジフ、今日王都に行こうと思ってるんだけど、お酒どうする?」
オレにとってまだ起き抜けだけど、もうすっかり朝食の片付けも終わっているらしい。ジフはエプロンを脱いでテーブルに向かっている。何か書き付けているのは、新しいメニューかお買い物予定だろうか。
「おう、便利だなお前は。普通、気軽に行ける場所じゃねえんだぞ」
言いつつ、ちょっと待ってろ、と1枚破いたノートに走り書きして寄越した。
「ろる……こくちぃ? めめっとりー……??」
案外綺麗な字で書かれている割に、全然読めない。何これ、暗号?
「ロ・ルコックティ、メメット・リーン、な? 全部酒の銘だ、お前は知らんでいいぞ」
へえ、なんだかお洒落な名前がついてるんだね。そこにずらりと並んだお酒の種類と本数は、明らかにちょっとしたお買い物じゃない。
「……これ、量多くない?」
明らかに業者へ発注するそれだと思うんだけど。
「お前が行くならついでだろうが。旅費も運搬費もかからねえしな! 『シュラン』って店でいつも仕入れてるから、そこで頼め」
にやりと笑う山賊顔は、幼児に仕入れを任せる気満々だ。
「だけど、オレこれ瓶ひとつくらいしか持てないよ?! どうやって店から運ぶの?」
もちろん、店から出ればまるっとまとめて収納に入れる気満々だけど、まず店から出られないよ?!
「シロがいんだろ、店のヤツもロクサレンのジフだって言やあ店の表までくらい運ぶだろ」
「そっか! じゃあ、行ってくるね!」
「待て待て、せっかく行くんだ、他にも――」
結局、ジフのお買い物メモという名の仕入れリストをどっさり渡され、オレはきっと1日では終わらないだろうなと遠い目をしながら王都へと転移したのだった。
「さて、まずは……」
オレは空を仰いでくすっと笑った。
「来たよ! 久しぶり? かな?」
どう? 今回は王都に着いてすぐにやって来たんだから、文句はあるまい。
「……」
風色の髪が揺れ、振り返った瞳はオレを見て何かを探るように細くなった。
『ほら、ほら、来たよ』『ヒトの子、久しぶり、久しぶり!』
シュルシュルと渦を巻く風が、オレの周囲の花を揺らして花弁を舞い上げた。
相変わらずへの字口をしている青年にふわりと微笑み、花畑の中歩み寄る。
『大丈夫、シャラスフィード』『ほうら、ヒトの子、ちゃんと覚えてる』
時折触れては離れる風の精たちから、そんな呟きが漏れて心がきゅっとする。
「フン、誰がそんなことを気にするか。迂闊なこやつが忘れることなど想定の範囲内だ」
小馬鹿にした顔でつんと顎を上げる仕草は、小さな姿の時から何も変わらない。
「だから! そんなに時間経ってないからね?! 忘れないってば!」
どんなに迂闊でもそんな短時間で忘れたりしないから!
『そうか……?』
『そうとは……言えないわよねえ』
『すぐ忘れる?』
――いいの! それがユータなの。何もかもバッチリだと、ユータじゃないの。
『大丈夫だぜ主! 俺様だって忘れることはあるからさ!』
『らいじょーぶ!』
『うん、ゆーたはまだちっちゃいからね!』
……なんでみんな、そんな一斉に反応したの? アゲハ以外、どれも批判されている気がしてならないんだけど。
『ま、私たちはあなたのそういう所も、消したくはないってことよ』
ふよっと揺れたモモは訳知り顔でそんなことを言うけれど、オレはそんな所消し去りたいけど?! 忘れっぽいとか全くいらないよ?!
憮然とした顔でシャラの前まで行くと、ちょっと唇を尖らせた。
「オレが忘れると思う?」
シャラは、何も言わずに鼻を鳴らして片手を挙げた。
「わあっ?!」
柔らかく立ち上がった風が、ふわふわと浮かべるように緩やかに花を舞い上げていく。竜巻のようでいて、優しく穏やかで。一体どれほどの精度で風を操っているんだろう。
「うわあ……すごい!! シャラ、すごいね、綺麗だね!」
瞳を輝かせて見上げると、花々を映した瞳がオレを見つめ返してにやりと笑った。
「言ったろう、お前が覚えているかどうかなど、気にはしない」
ふわりと目の前に漂い落ちてきた花を受けると、小さな手の平に次々と花が積み上げられていく。
「わ、わ、わ!」
「お前は、いつだって同じ反応をするだろう。お前は、忘れていても、きっと同じお前だ」
受け取りきれずに溢れた花が、再び空へ舞い上がってくるくると落ちてくる。
「きっと、いつのお前でも我に食い物を持ってくる。我に向けて笑うし、我がすることを綺麗だと言う」
への字だった口元は、いつしか楽しげに持ち上がり、華やかな笑みが浮かんでいた。
知っている、シャラの言っているのが、長い長い時の話だってこと。オレが、違うオレになるかもしれないってこと。だけど、それは、もしかすると――。
「そう! オレはいつだってそうだよ。だから、楽しみにしていて! 忘れていたら、これをやって見せて! ……だけど、『オレ』は忘れないけどね?」
「ああ、してやる……約束だ。お前はどんな顔をするものか。どうせ、今と同じ間抜け面をする」
「嬉しそうな顔でしょう?! どこが間抜けなの!」
「それが、だ」
オレは憤慨しつつ、ご機嫌な精霊を見つめた。
そう、楽しみにしていて。
たくさんある楽しみの、ひとつだよ。
「そんなこと言うなら、とっておき、あげないよ!」
サッと取り出した小瓶を見つめ、シャラは訝しげな顔をする。
「食い物じゃないなら、いらん」
「食い物じゃないけど、美味しいものだよ!」
「なら、寄越せ」
オレが今言ったこと聞いてた?! オレがどうしたいと思っているのかは、全く問題にはならないらしい。
小瓶を持った手をぐいと引き寄せられ、どかりと座り込んだシャラの上に思い切り倒れこんだ。
「酒か……お前の匂いがする」
不満たらたらの顔で膝の上から見上げても、端正な顔は気にも留めない。オレのことなんて、猫か何かだと思っているんじゃないだろうか。
「オレが作ったんだよ!」
取り上げられた御神酒を恨めしく見つめながら、身体を起こした。すぐさま呑むと思ったのに、シャラはそうっとそれを懐へ仕舞った。
「呑まないの?」
「そのうちな」
珍しいな、と思いつつチーズせんべいも取り出してみる。
「じゃあ、おつまみはいらない?」
「寄越せ」
だと思った。ちゃんと渡してあげるから、オレごと引っぱろうとするのをやめようか!
「そう言えば、シャラのお話はどうなったの?」
並んでチーズせんべいをかじりながら他愛もない話をしていて、ふと思い出した。シャラのお話を劇や本にするって計画は、どこまで進んでいるんだろう。
「あいつめ、ずっと我とばかり話せないと言って、色んな者を呼んでいる」
「あいつ? 色んな者?」
「我と話せる者、我が見える者、話を作る者、色々だ」
おや、それでいくとその『あいつ』っていうのは……
「王だ。忙しいなどと言う」
「あははっ! もう、あいつだなんて!」
涙が出そう、いっぱい笑ったから。
なんて、気安いやり取りをしているんだろう、2人とも。
目尻を拭って、不満そうな顔に微笑んだ。
「そっか、順調に進んでるんだね。いろんな人とも会ってるんだね」
「エルフの爺は好かん、口うるさく言う。だが我が見えないくせに、話を作る男は割と良い。面白いことを思いつく」
王様も、他の人もビックリしたんじゃないだろうか、代々伝わる精霊様がこんな風だって知って。
「お話を作るのに、シャラがそんな風に関わるなんて思わなかったよ」
「我は、聞かれたことに答えるだけだ」
「うん、よかったね」
「別に」
湧き上がる嬉しさで、どうにも目尻が熱くなる。
「よかったよ」
もう一度言って、チーズせんべいを口へ押し込んだ。
シャラがオレを眺め下ろして、意味ありげに笑った。
「お前の話を、たくさんした。我しか知らんからな、たくさん話した。だから、お前があいつらに会う必要はない」
「えっ……?」
もちろん会わないよ?! え、でも、それってオレ(天使様)がお話の中に大々的に出てくるってことじゃ……?!
「我と、お前の話になるだろう」
「なっ、ななな……?!」
「見ろ、間抜け面、だ!」
顔色を変えて言葉にならないオレを見て、シャラは弾けるように大笑いしたのだった。