60 優しい記憶
「えーと、お嬢ちゃん大丈夫かい?」
差し出された手をぽかんと見つめる。あれ・・・なんだろう、この人がこんな丁寧な物腰なのはすごく違和感がある・・・。見たことない人なのにどうして違和感があるんだろう・・?
じいっと見つめると青年がちょっと慌てた。
「あ、えっと、僕は怪しいモノじゃないよ?その、痛くないかい?立てる?えっと・・キミはどなたかな?」
困った顔でわしわし、と頭を撫でて顔を覗き込んでくる。・・・・これは・・今度はオレが慌てて膝をついた。
「たいへんしつれいいたしました、こちらでおせわになっております、ユータ・・ともうします。」
深々と頭を下げて挨拶をする。
「なにぶん、ふべんきょうなもので・・ロクサレン家ごしそくさまとお見受けいたしますが・・?」
「・・・・」
返ってこない返答に不思議に思ってちらりとうかがい見ると、オレの方に手を伸ばしたまま固まっている青年。えーっと・・・オレどうしたらいいの・・?
「ぶふふぅっ!!!さっそくやりやがった!どーだよ、言ったとおりだったろ?はっはー!!」
「・・・父上!こ・・これは・・・聞きしに勝るとはこのことですよ!!信じられません・・。」
カロルス様が廊下の角で大爆笑している・・どうやらオレと息子さんのやりとりをのぞき見ていたようだ。
「・・あらあら、あなたがユータくん?はじめまして、どうしてそんなところでしゃがみ込んでいるの?」
おっとりとした優しい声。続いて現われたのは・・茶色いロングヘアに緑の瞳・・とても綺麗な人だ。まさかこの人が・・?!慌てて頭を下げる。
「はい、ユータともうします。不肖の身でありながら、こちらでおせわになるぶれいをおゆるしください。」
「・・・まあ・・」
ふわり、と柔らかな香りが漂ったかと思うと、そうっ・・と柔らかい腕がオレを包んだ。
「まあまあ、なんてかわいらしい。どうしてそんな物言いなのかしら?わたし、寂しいわ。もっとリラックスしていると聞いていたのだけど・・・。」
「まっ・・待て!本当だ!!こいつ最近俺には敬語すら使ってねえぞ!嘘じゃない!!」
カロルス様の慌てた声が遠くに聞こえる気がした。
オレを包んだ優しい腕は壊れ物を扱うように、そっと頭を撫でると視線を合わせた。緑の瞳が心配気に揺れている。
「ごめんなさいね・・辛かったでしょう?知らない場所で知らない人に囲まれて。この人はお世話することなんてできないもの・・。よく頑張ったわね、えらいわ。」
再びそうっと腕の中に囲われて胸元に抱き寄せられる。ふわり・・戸惑うほどにどこもかしこも柔らかくて、温かくて、どこまでもどこまでも、ただ溢れる優しさと・・・懐かしさを感じた。ここは、安全地帯。幼児の体がそう判断するのを感じる。
ーゆうた、偉かったね~よく頑張ったね!ー
脳裏によみがえった優しい声。遥か過去の懐かしい声。ずっと思い出の中にしまっておいたのに、今溢れ出すなんて、ずるいよ。
「・・・かあ・・さん。」
思わず小さな声で呟くと、堰を切ったように涙があふれ出した。
過去に流さなかった分まで貯めておいたかのように、しゃくり上げて泣くオレを、柔らかい手が優しく撫でる。
「大丈夫よ・・大丈夫、いい子ね。」
繰り返し囁かれる言葉に、大した意味はないのだろう。けれど、その響きは魔法のようにオレを慰めていく。
夕闇の中目を覚ましたら、なんだか気怠い感じだ。目が熱くてしょぼしょぼするし喉も痛い・・多分、泣きすぎたんだな。急にあんなに泣くなんて、恥ずかしい・・・。
わんわんと泣いたオレは、見ず知らずの女性に抱えられたまま、泣き疲れて眠ってしまったようだ。どうしてだろう・・すごく安心して眠ってしまったんだ。
ユータ、大丈夫?
泣きそうな顔でラピスが顔をこすりつけた。
「ごめんね・・心配かけて。あのね、多分、オレの家族のことを思い出しちゃったんだ。もう随分前にいないんだけどね。」
カロルス様とはまた違った親のぬくもりに、母親を重ねてしまった。元々父親は早くに亡くなって覚えていなかったから、カロルス様はカロルス様だったけど・・。
母さん・・オレ、もっと親孝行したかったのに・・早すぎたよ。でも、母さんより長生きはできたから、許してくれるかな?あっちの世界ではオレも死んじゃったみたいだけど、今はこんなに楽しく過ごしてるんだよ・・。ふふ、こどもに戻っちゃったけどね。
ユータ、つらいの?ラピス、どうしたらいい?
今にも涙がこぼれそうな濃紺の瞳が揺れる。
「ううん、ラピス、オレは大丈夫。切ないけどね、辛いのとは違うんだよ。きっと、母さんは今の俺を見て喜んでるから、オレも嬉しいんだよ。」
優しいラピスにふわりと微笑むと、手のひらに包み込んでそっと撫でる。本当に大丈夫なのかとじっと見つめていた瞳が、安心して緩んだ。心配かけてごめんね・・撫でていると、ラピスがうとうとしだしたので起こさないようオレも横になる。
オレは優しい人たちに囲まれて、なんて恵まれているんだろうな・・・・この気持ちは、オレの財産だ。
エリーシャの腕の中で泣きじゃくったユータが、やがてすうすうと寝息をたてるのを見て、ホッと息をついた。あいつは多少むちゃくちゃでもいい、泣いているのはダメだ。
だがあんなに泣くなんてなぁ・・やはり、母親が恋しかったんだろうか?こんなことならもっと早く呼べば良かった。あいつ、あんな風だが本来2歳だからな・・平気なはずはない、か。
「・・・さて。あなた、聞きたいことがあります。」
「・・あっ、僕この子寝かしてくるよ!」
セデスがユータを抱えて逃げた。お前・・あいつの部屋知らんだろうが。
「では、積もる話もありましょう。ごゆっくりおくつろぎ下さい。」
そそくさとグレイも逃げやがった。ジフなどとうにいない。
「あー・・俺も仕事を片付けるかな・・。」
「私が戻ってきたのよ?すぐに終わります。さ、お部屋でゆっくりお話してくれるわね?・・聞いていた話と違うのだけど?自由奔放でこちらにもすっかり馴染んでいると・・そうじゃなかったかしら?」
「まっ待て待て待て!!本当にそうなんだって!俺だってちゃんと面倒を・・・」
ほら、アレだ風呂に入って・・・・背中を流してもらったり?・・美味いもん作ってもらったり?・・・おや?どうしたことだ・・俺があいつの世話をした場面を思い出せない。だらだらと冷や汗が伝う。
「・・・面倒を?」
「・・・・・・みてもらったり?」
はは、と乾いた笑いを浮かべる俺に、エリーシャはニッコリと微笑んだ。周囲の温度がぐっと下がった気がする。
・・・ユータ!まずい、起きてくれー!!