664 ルーの災難
じん、と舌が痺れる。
鼻の奥へ抜けるアルコールでむせそうになるのをこらえ、こくりと飲み下した。滑り落ちていく液体が通り過ぎると、まるで明かりが灯っていくように熱くなっていく。
うわぁ、変。お酒ってこんなだったかな? それともワインだからこんな風なのかな。
ブドウはあんなに甘かったのに、ちっとも甘くない。ううん、大人が飲めば、ほのかな甘みと言うのかもしれないけれど。ただ、以前舐めてみたお酒よりはずっと我慢のきく味だろう。これを美味しいと言っていいのかどうかは、分からないけど。だって、ブドウの時の方がおいしかったんだもの。
ちろりと舌で唇をなめ、まだ杯に残る液体を眺めた。
なんて綺麗なんだろう。ガーネットを溶かし込んだような深い紅。
以前何かで見たように、くゆらせるように杯を揺らしてみる。なるほど、立ち上る香りが華やかに広がって贅沢だ。やっぱりブドウの香りには負けるけれど、鼻がツンとすることを除けば、いい匂いと言えないこともない。
このワインは、きっと生命魔法水みたいに身体に悪くはないだろう。つまり、これはオレが飲んでも大丈夫な唯一のお酒。そう、御神酒を残しちゃダメだもの。いやはや、仕方の無いことだ。
オレは残った深紅を一気に呷ると、ぐっと息を詰めてむせをやり過ごした。
「ふふ、ワイン飲んじゃった」
ほう、と吐いた息も喉も熱い。ほんのりと口に残る渋みがお子様の味覚には不快だけれど、まあまあ飲めるんじゃないかな。オレが飲めるくらいだもの、きっと大人は美味しく飲めるに違いない。
生命の魔力のせいなのか、それともアルコールのせいなのか、はたまた相乗効果があるものか。とても身体が熱い。喉と胃の腑から始まった熱の波が、あっという間にオレを包み込んでいく。
「ねえ、オレの唇、どうなってる?」
ほっぺは言うまでもなく赤いって分かってる。だけど、唇がじんじん熱くて腫れぼったいのは大丈夫だろうか。
『あかいよー? チル爺みたい』『お口も他も、どんどん赤くなるよー』『おめめが、きらきらしてるよー?』
妖精トリオが、やや心配そうにオレの周りを飛び回る。
あ、それやめてほしいかも……すごく目が回る。
熱の塊が胸元まで上がってくるのが苦しくて、はたと気が付いた。
「そうだ、オレごはん食べてないもの! 何か食べなきゃ」
空きっ腹にお酒は良くないんだよね? だからこんなにカッカとするのかも。
「わあ、お手々が真っ赤だ」
小さなもみじが紅葉してしまったのが可笑しくて、くすくす笑う。両のほっぺへ手を添えると、びっくりするくらいに熱い。
『ゆーた、ごはんもってきたー』『これおいしかったよー』『食べられるー?』
そうそう、ごはんを食べなきゃと思ったんだった。
ぺたんと座り込んだ地面が冷たくて心地いい。
横になりたいのを我慢して、妖精トリオがえっちらおっちら持ってきてくれたお料理にかぶりついた。
何を食べているのか分からないけど、ひとまず美味しい。
「そうだ、オレの作ったワイン、いくらか持って帰れるかなあ?」
チル爺には最初から伝えていたはずだけど、覚えて居てくれただろうか。ふわふわする頭で、これだけはと伝えると、頷いた妖精トリオが確認に行ってくれたようだ。
頬ばった何かしらの野菜が冷たくて、口の中が心地いい。オレ、今ならドラゴンブレスできる気がする。
『ゆーた、これー!』『もってかえっていいよー』『どうぞー』
ほどなくして3人が運んで来てくれたのは、小さな袋。首を傾げて受け取ると、魔力の気配がした。
「収納、袋? 本当だ、ワイン入ってるねえ」
何本入っているか分からないけど、ひとまず足りるだろう。なくさないようにベルトに取り付けて、オレはついに地面へひっくり返った。慌てる妖精トリオにけらけらと笑って手を振ってみせる。
「だいじょぶ、違うの、熱くって。こうするとひんやりで、気持ちいい~」
お食事はもう結構、それよりも熱いからこうしていたい。
『デザートは~?』『いろいろあるよー?』『これ、おいしかったよー』
ミルミルが差し出した一口大のケーキは、しっとりと冷たくて、ナッツとフルーツの香りがした。
せっかくだから、と頂くと、思ったよりもずっしりと重い。
「良い香りだねえ、甘いねえ」
ラムレーズンだろうか、薫り高い大人の味がする。
『それ、たべてないー』『どこにあったのー』『こっちこっちー』
慌ててケーキを確保しに行こうとする妖精トリオを前に、オレもなんとか立ち上がる。
「じゃあオレ、行くね~。寝ちゃいそうだからぁ」
半分あくび混じりの台詞を零して、手を振った。ケーキにすっかり気を取られた妖精トリオも、おざなりに手を振ってお別れする。
「なんか、あれ……? すごくドクドクしてきたような」
オレ、酔っ払ってるねえ。頭はふわふわしているけれど、心臓が辛いほどにトクトクとフルスピードで頑張っている。上がりすぎた心拍で呼吸まで苦しくて、お魚みたいにはふはふした。
とりあえず、ここで寝転がっちゃダメだ。
最後の理性を総動員して、オレは思いついた場所へ転移した。
ばふりと目の前の魅惑的な毛並みに飛び込んで、にへらと表情を緩める。
「気持ちいい~。ひんやりするねえ」
撫で回して頬ずりすれば、火照った肌がひやひやすべすべして最高だ。
「……お前、酒を飲んだのか」
スン、と鼻を鳴らしたルーが、金の瞳を細めてオレを見た。
「あのねえ、御神酒をちょびっとだけ。大丈夫そうだったんだけどねえ、大丈夫そうじゃなくなってきたかもねえ」
えへ、と笑うオレの顔は、きっと真っ赤なんだろうな。
ねえ、今のルー、心配そうな顔してると思うんだ。オレ、酔っ払ってるけど大丈夫だよ。
「心配しないで、しんどくないよう。あのねえ、ルーにも持ってきたから、一緒に飲もねえ」
金の瞳は、ちらりとワインに視線をやったきり、じっとオレの方へ注がれている。あれ? ワインの方に夢中になると思ったのに。だけど、左右に揺れるオレを追いかける視線が嬉しくて、オレの顔はだらしなく緩みっぱなしだ。
「綺麗だねえ、ルー。オレ、その目好き。こっち向いて。それ、好き」
うっとりと手を伸ばすと、金の瞳は途端に逸らされ尻尾がオレの顔を覆った。
「うるせー、酔っ払い。とっとと帰って寝てろ」
視界を遮るしっぽを抱え、ぎゅっと抱きしめる。オレ、これも好きだ。すりすりと頬を寄せ、はむりと口へ含んだ。
「なっ……にしやがる?!」
ばっしと勢いよくしっぽを振りほどかれ、こてんと尻餅をついた。ぶんぶんと警戒に揺れるしっぽと、落ち着かない金の瞳。
ルー、慌ててる。戸惑ってる。オレの一挙一動を注視する様が、可笑しいったらない。
「なにもしないよお? 悪いことしない~」
よたよた、と歩み寄ってその背によじ登ると、その大きな頭を抱きしめた。
「ルーがね、好きだなって。今、言っておこうと思って~」
「お前は、いつもそんなものだ。言わなくていい」
そう? じゃあ、いつも通りだね。気まずげに伏せられた耳が、忙しなく動いている。ぼうっとそれを見つめて、ついそれもはむっと口へ入れた。
「――っ?!」
声なき声をあげて、ルーが大きく立ち上がった。ふわっと金の光がふくらんで、簡単に転げ落ちるオレの身体が受け止められる。
「大人しく、してろ!!」
漆黒の髪に鋭い金の瞳。真正面からにらみ据える美丈夫に、ふわっと微笑んだ。
「ルー、格好いいね。あのねえ、オレ、このルーも好き」
「……そうか。とにかく、何でも口へ入れるな!」
しっかりとオレの両手を掴んだまま、ルーがぐいっと唇を引き結ぶ。そんな、赤ちゃんみたいなこと言わないでよ。そういうつもりじゃないの、ただ、なんとなく口へ入れたくなっただけ。
「ねえ、抱っこ」
「は?!」
両手を離してくれないもんだから、身動きとれなくて譲歩案を持ちだした。そんなに驚くことだろうか、ただの抱っこなのに。みんな、してくれるのに。
「抱っこ」
もう一度言って、じっと見上げる。視線を逸らしたルーの顔は、まるであの苦いショクラを飲んだみたい。……オレ、嫌がられると思っていなかった。
急に悲しくなってきて、のど元がぎゅうっと締め付けられる。
ちら、と金の瞳が一瞬こちらを見て、まん丸になった。
オレも声が出ないけど、ルーも出なくなったみたいにパクパクする。その姿が、水の中に歪んでいた。
「こっの、酔っ払いが!!」
くそ、と悪態をつかれた気がする。
だけど、オレは満足だ。息苦しさは余計に増したけれど、だけど、満足だ。
オレはぐらぐらと覚束ない思考の中で、たっぷりと満たされて目を閉じたのだった。
酔っ払いユータくん。ルーは災難なのか幸運なのか……
お待たせしていますが、12巻発売記念のプレゼント企画用作品、コツコツ作っていますよ~!!






https://books.tugikuru.jp/20190709-03342/