657 もふもふのユータ
「カロルスさ――あれ?」
てっきりいつものように執務室に閉じ込められているだろうと思ったのに、そこはもぬけの殻だった。
また脱走しているんだろうか? ちょっとガッカリしたけれど、まあ仕方ない。
「見て、アリス! オレも管狐部隊だよ!」
「きゅう!」
くるりと回ってみせると、アリスが嬉しげにぽんぽん跳ねた。よし、とオレも真似してその場で弾んでみると、大きなしっぽがお尻の向こうでまっふまっふと揺れるのが分かる。
なんだこれ、結構楽しいじゃないか。子どもっぽいことをするのは普段恥ずかしいけれど、この格好ならオレだってバレない! 好きにしていいんだ!
なんだか着ぐるみで町中に繰り出すのが楽しみになってきた! こうなったら、なりきってしまおう。着ぐるみはしゃべっちゃいけないからね、身振りで全て伝えるようにしなくては!
頷きや首振りはもちろん、なるべく大きな動作でボディランゲージを最大限に……
「捕獲したぞっ!」
「わあっ?!」
突如ぐわんと視界が動いて目が回る。気付けば鋼の腕にがっしりと抱え込まれ、絞め殺されそうになっていた。
「うお、クセになりそうだな! はっは、何だこれ? 新たな神獣かあ?」
そのままぐりぐりと顔を擦りつけられ、オレは白目を剥く寸前だ。
「う、で! つよい、よ!」
何とか四肢を暴れさせて声を絞り出せば、ようやく拘束が緩んだ。
ぜえはあと肩で息をしていると、悪びれない声が降ってくる。
「おう、悪いな! ぬいぐるみみたいで、加減が分からん!」
ぬいぐるみだって、もう少し優しく抱っこしてあげてほしい。だけど、確かに着ぐるみを被っていたら表情も見えないもんね。
「……ぷはっ! これ、管狐みたいでしょう? だけど頼む前から着ぐるみがいっぱいあって、ビックリしたよ」
着ぐるみ頭を外すと、にっこり笑って両手を差し出した。カロルス様は思惑通りひょいと抱き上げてくれ、そのまま椅子に腰掛ける。
「まあな、あいつらのことだから、使いもしねえのに衣装だけはいっぱいあるんじゃねえか?」
言いつつ、ぐうっとまた抱きしめる。一応、加減はしているらしい。もふもふの両腕をその首に回せば、んん、と唸って頬が寄せられた。
「あー、いいな。お前、ずっとこの格好でいいんじゃねえか? 滅茶苦茶気持ちいいぞ。でも顔は見える方がいいな」
満足の吐息は、オレがルーの毛並みに飛び込んだ時みたい。分かる、このもふもふはかなり良い手触りだったもの。着てしまえばオレには感じられないのが残念だ。
ブルーの瞳が、じっとオレを見つめて顔を綻ばせた。ワイルドに笑う顔はもちろん好きだけど、時々見せるこの顔も大好きだ。甘くて、柔らかくて、オレの胸がほわりと温かくなる。
「ずっとは困るけど、でも楽しいよ! 見て、肉球もあるんだよ」
だから、オレもとびきり飾らない顔で、えへっと笑った。
ほら、と手の平でカロルス様のほっぺをぷにっとしてみせ、その不思議そうな顔にまた笑う。
柔らかいでしょう、これ一体何で出来てるんだろうね? さすがこだわり派のメイドさんたちだ。
「だけどお前、そもそもなんでこんな格好なんだ?」
「これを着てね、お店の呼び込みをしようと思って!」
にこっとした途端、カロルス様の顔が引きつった。
「お前な、進んで騒動起こしに行くんじゃねえよ……無事にすむワケねえ!」
ぎゅっ! とまた腕が締まってアヒルみたいな声が漏れた。
「……もうっ、力加減! 騒動なんて起こさないよ。着ぐるみだから、ちゃんと頭も被って声も出さないようにするんだ! 黙ってプラカード持って案内するだけだよ!」
せっかく作ってもらったんだから、ダメと言われてもやるつもり満々だ。騒動が起きるくらい目立つなら、それはそれで呼び込みとしては優秀だし。これを機会に、町中に着ぐるみの呼び込みが溢れたりしてね!
「顔……は隠した方がいいな。だがなあ、さすがに可愛いぞ」
渋い顔で妙な物言いをするカロルス様に、つい吹き出した。そんな言葉ある? 褒め言葉でけなされたのは初めてだ。
「大丈夫! オレだってバレないし、多少何かあっても誤魔化せるでしょう?」
「お前だってバレてもバレなくても、あんまり関係ない気はするが……。しかしお前もDランクだからな、そう滅多なことにはならんか。ただし、触らせるなよ? それだけ守れ」
なるほど、お触り厳禁の着ぐるみだね。なぜってほら、一度触ってしまえばこのように。ひっきりなしにオレを撫でくり回すカロルス様みたいになっちゃうから。
「うん! それはオレも嫌だから大丈夫だよ」
今は、カロルス様だからリラックスしているだけだよ。さすがに他人でこれはない、と苦笑したのだった。
「プラカードは簡単に……こんなものでいいかな!」
でかでかとお店の名前と場所を書き、美味しいよって伝われば十分だろう。
あとはおしゃべり出来ないから、万が一の筆談準備もあれば完璧だ。
一旦秘密基地で準備していると、いつの間にやら時刻はもう既にお昼になりそう。
「遅くなってごめんねっ! どう――わあ! いい香り~」
息せき切ってお店に飛び込んだ途端、いい香りの大渋滞だ。
「早いくらいだよ! そろそろこっちも準備できるから、呼び込み頼んでいいかい?」
ずっと動き詰めだったんだろう。いつも陶器のようなキルフェさんの頬は、少女めいた華やかさを感じる色になっていた。プレリィさんも、珍しく流れる汗を拭いながら作業を続けている。普段の気が抜けたふにゃりとした顔は、今は生き生きとして力強い。中性的だった雰囲気が、ガラリと変わって見えた。
ああ、こんなに一生懸命作ってくれているんだもの、美味しいはずだ。
食べて貰いたいな、たくさんの人に。だってこんなに嬉しそうなんだもの。
オレだって料理を作る人の端くれ、作るのは楽しい。だけど、それを食べてもらうこと。そして、喜んで貰うこと。これが揃ってやっと、『料理が楽しい』は完成するんだ。
「それには……オレの働きがかかってるってこと!!」
オレは両手に抱えた着ぐるみ衣装を見つめ、気合いを入れたのだった。
「よし、行くよ……ユータ、変身!!」
――それ、格好いいの! ラピスも! ラピスも変身したいの!!
興奮したラピスがしきりと空中を転げ回っている。ええと、格好いいかな……? 変身宣言しつつ着替えているだけなんだけど。
せっかくだから、シャキーンと仕上げのポーズを取れば、変身完了!
伸び上がってトントンとカウンターを叩くと、厨房を駆け回っていた二人がオレを二度見した。大丈夫、これはオレだよ!
ひらひらと手を振って『いってきます』、そして拳でトンと胸を叩いて『任せろ』と胸を張った。ここまで来たら、オレも腹を括ろう。万が一お客さんが少なかったら、シロ車に強制的に乗せて実力行使で連れてきてやる!
膝と腰まで入れた気合いの入ったエイエイオー! をやって、オレは勇ましく店を飛び出していったのだった。
ぱたり、と扉の閉まった音が聞こえてしばらく。動きを止めていた二人がハッと我に返った。
「――え。ちょっと待って?! 今、あたしの目にはユータくんがあのSランクキュートな格好で出ていったように見えたんだけど?!」
「うーん。残念ながら僕の目にもそう見えたねえ……」
厨房の二人は、たらりと流れる汗を自覚しながら顔を見合わせた。
「「仕込み、追加っ!!!」」
これから巻き起こる事態を察して、吹き出す汗が止まらない。
だけど、とキルフェはちらりと厨房の主を盗み見る。まるで、花を咲かせ終わった木のようだった彼が、また蕾を膨らませている。湧き上がる生命の光は、眩しいほどに。
「……ほうら見たことか。あんたは、その方がいいよ」
追いかけていた背中は、やっぱりそこにある。この胸を熱くしているのは、きっと誇らしさだろう。
キルフェは、けっして見られないようにふわりと微笑んで、真剣な眼差しに戻ったのだった。






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