656 こんなこともあろうかと
「お返しなら、僕の方がしなきゃいけないと思うんだけど……」
眉尻を下げて情けない顔をしたプレリィさんに、力強く首を振った。
「ううん! ……本当のことを言うとね、オレ今日は夜まできっちり時間を潰さなきゃいけないの。だから、お手伝いしたかったんだ」
正直に打ち明けて苦笑してみせると、お願いを込めて淡いグリーンの瞳を見上げた。
見つめ返す慈愛の籠もった瞳は、どうしてか『お母さん』みたいな印象を受けてしまう。
「ふふ、ありがとう。君の大事な時間を『潰す』だなんて、僕にはちょっと想像できないことだけれど。でもお手伝いしてくれるのは嬉しいよ、何をしてくれるのかな?」
プレリィさんが小首を傾げ、微かに食材の香りがする指先をそっとオレのほっぺに添える。
オレは満面の笑みを浮かべ、勢い込んでそのひんやりした指先を掴んだ。
「あのね、オレお店の呼び込みとかしたことあるんだ! お客さんいっぱい連れてくるよ! それとも、忙しくなったらダメかな?」
何せここにはプレリィさんとキルフェさんしかいないんだから。細々やりたいっていうなら……ええと、お掃除とかお鍋磨きならできるかな?
あれ、そう言えばキルフェさんはいないのかなと思ったところで、思い切りよくお店の扉が開いた。
「話は聞かせてもらったよ! いいね、いいね! ユータくんが呼び込みしてくれるなら絶対にお客さん来るに違いないよ! そんな忙しさなら、大歓迎さ!!」
買い物かごを抱えたキルフェさんが、のしのし入って来て鼻息も荒くオレの両肩を掴む。
「ぜひ! 頼めるかい? 報酬ははずむからさ!!」
「う、うん! でもお仕事じゃないよ、お手伝いなんだから報酬はいらないんだよ」
なんだろう、キルフェさんとプレリィさんの温度差がすごい。いや、濃度差だろうか。
「よし、そうと決まればこうしちゃおれないね! ほら、急ぐよ! これじゃあ全然足りないからね! たっぷり仕込み準備しなきゃあ!」
腕まくりして張り切るキルフェさんの背中で、1本にまとめたおさげが元気に跳ね回る。
一方のオレは話が大きくなっちゃって青ざめた。
「あ、あの! そんなにいっぱい仕込んで、全然お客さん来てくれなかったら……。オレ、頑張るけど、だけどそんなにうまくいくか分からなくて!」
ぐいぐいと背中を押されつつ、プレリィさんは苦笑してオレを振り返った。
「気にしなくていいよ~。だって普段は割とゼロなんだからねえ。余った分は保管してくれるんだろう? それなら数日仕込み準備しなくてすむんだから、儲けものだよ」
「そうそう! この機会に作りおいて保存しておけば、私も安心して食材調達に行けるし。だけどまあ、そうはならないと思うね! じゃ、しばらく仕込みにかかるよ。呼び込みは昼前あたりからお願いできるかい?」
「う、うん……」
歯切れ悪く頷いて、オレは一旦お店を出た。
2人の戦場に部外者が乱入しても邪魔になるだけだもの。オレは呼び込みの準備をしておけばいいかな。
以前服屋さんの呼び込みをした時はちょっとアレな格好だったけれど、今回は何もスカートを穿く必要はない。だけど、目立つ格好をする必要はあるよね。プラカードみたいなものもあればいいかも。
「目立つ格好って言うとピエロとか……あ、そうだ!」
こういうことならきっと協力してくれるだろう人たちを思い浮かべ、オレはロクサレンへと引き返したのだった。
「――分かりました。では、こちらへどうぞ!」
「ユータちゃんがこんな素敵な話を持って帰ってきてくれるなんて、私は明日からの運が心配だわ」
やっぱり人選を間違えたかな、と思うくらいには大騒ぎした後、やっと感情の舵を取り戻したらしいマリーさんとエリーシャ様が微笑んだ。
「あのね、女の子の服はいらないからね? ひらひらとかふりふりとか、リボンはいらないからね?」
しっかり説明はしたはずだけど、念のためにもう一度強調しておく。
「いやねえ、ちゃーんと聞いていたわよ。それはまたの機会ってことね」
「うふふ、次回のお楽しみですね! 大丈夫ですよユータ様、こんなこともあろうかと、このマリーたち一同はぬかりなく準備をしてありますので!!」
そんな機会はもうありません。ちゃんと聞いていたとは思えない返答だけど、一体何を準備しているというのか。
今回オレが思いついた衣装は、ビラ配りや宣伝で大活躍間違いなしの着ぐるみってやつだ! これなら絶対に人目を引くでしょう。しかも、顔まで隠してしまえば恥ずかしさだって激減だ。
「さっ、ユータ様、どちらになさいます?!」
フンス、と興奮しきりのマリーさんが並べてみせたのは、紛う事なき着ぐるみ衣装たち。
「……どうして既にあるの? それも、こんなに……」
じっとりした視線など何のその、マリーさんは得意げに胸を張った。
「もちろん、こういう時のためです! 万が一の機会を逃さないために、各種取りそろえておりますよ! 当然、ドレスやネグリジェなんかもバッチリなので、そういう機会が――なければひねり出してでもお声かけくださいねっ!!」
なければ素直に諦めていただきたい。オレは引きつった笑みを浮かべつつ、ずらりと並ぶ着ぐるみを見渡した。
「これ、管狐っぽいね! オレが着るとアゲハみたいになるかも」
「まあっ! まあぁ! 素敵よユータちゃん! ぜっったいの絶対に似合うわ!」
着ぐるみが似合うと言われても……。苦笑しつつ掲げたのは、淡い桃色を基調とした大きなお耳としっぽの着ぐるみ。色は違うけど、形としては管狐たちが近いだろう。うん、これでいいかな!
――ラピスの色じゃないの。ラピスの色がいいの!
「ラピスの色はいつも使わせてもらってるから、たまには違う色なんかどうかな? ラピス部隊の特別メンバーだよ!」
――特別、メンバー……。いいの! それなら隊に加えてやらんこともないの!
大きな耳としっぽが一気に上を向き、ツンと鼻先を上げたラピスがご機嫌に入隊を許可してくれた。
「じゃあ、コレにする! だけど、これじゃあ顔が見えちゃうから、ぬいぐるみの顔みたいにできないかな? かぽっと上から被れるような」
「ええっ?! でもそのようなことをしては、天使のお顔を見ることが叶いません……」
いやいやと首を振って後ずさる彼女に、ここは譲れないと詰め寄った。
「今回のは、そういうものなの! ええと、ほら、全身すっぽり覆ったらそれはそれでぬいぐるみみたいで、マリーさん好きなんじゃないかな?」
「ぬいぐるみ……ユータ様のぬいぐるみ……」
しばらくブツブツ呟いていたマリーさんだったけれど、ようやく決心がついたらしい。さっそく他のメイドさんも集めて改造に取りかかってくれた。
「わあ、すごいね! ばっちり着ぐるみだ! 動きにくくもないし、思ったよりずっといいよ!」
出来上がった桃色管狐をまとい、姿見の前でくるりとまわってみせる。ばんざいすると、ティディベアみたいな管狐も両手を上げて肉球を見せた。首を傾げると、同じように傾いている。
オレなのに、まるきりオレじゃない生き物が姿見の中にいて、面白くて仕方ない。少々頭は重いけれど、想定の範囲内。暑さ対策は魔法でバッチリだ。
「ありがとう! とっても素敵で――」
満足して振り返り、ビクッと肩を揺らす。
そこには折り重なるように倒れ伏した歴戦のメイドたちの姿が。どの顔も美しい微笑みを浮かべ、心残りなどないかのような満足気な顔をして……。
「む、無理させちゃったかな……急だったし、ごめんなさい。ありがとう!」
ロクサレン家のメイドさんたちはよく倒れるので、このままそっとしておいていいだろう。
オレはせっかくなのでカロルス様にも見て貰おうと、衣装部屋を抜け出したのだった。






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