652 特別なお食事アイディア
たぷ、たぷ……
誰かの身じろぎに伴って身体が揺れて、柔らかな水音がする。
サイア爺とマーガレットが調整してくれた湯温は体温よりわずかに高く、誰かの腕の中でたゆたっているみたい。きっと、お母さんのお腹の中はこんな感じなんだろう。
ぼんやりと仰のいた視界には、何ひとつ遮るものなく遥か空が広がっていた。
視界に空しかないせいで、空に浸って浮いているみたいだ。
しばらくはしゃいでいたオレたちは、誰からともなくこうして四肢を広げて空を見上げている。
脱力した身体は些細な波でふわふわ揺れて、水に浮かぶ木の葉みたい。ぼうっと意識を広げすぎて、自分が本当に呼吸しているのかどうか、これが本当に現実なのか、ゆるゆると忍び寄ってくる不思議な不安感。
意識して大きく深呼吸して、ぱちりと目を瞬いた。
大丈夫、ちゃんと生きているし、世界が消えたりしない。
ほのかに安堵の笑みを浮かべた時、ぬっと何かが青空を遮った。同時に、大きく立った波にひっくり返されそうに身体が揺れる。
「なんだ、起きてるな」
緩みきった顔を引き締めて目の前に焦点を合わせれば、そこには期待が外れた様子のタクトの顔。
「……寝るわけないよ?!」
お風呂ならいざ知らず、ここはそれなりの広さと深さがある天然温泉だもの。岸辺はこうして身体を預けられる場所があるけれど、中央は結構深くなっている。
「だけど、これ本当気持ちいいね~。お布団がほしいよ~」
なんてシュールな……温泉で布団を被っている図を想像して、つい吹き出した。
「起きてるならさ、飯どうする? 休日のトクベツ飯ってことは、肉だよな!」
タクトはいっつも肉でしょう。だけどお肉、野外、休日とくれば――
「……やっぱりバーベキュー? でもそれっていつも通りのような……」
特別感なんて欠片もない気がする。むしろ、冒険者の野外飯ではスタンダードな方だろう。
「賛成賛成~。休日飯なんだから、ユータが忙しくてもダメなんだよ~? それなら僕たちも手伝えるし~」
「肉いっぱい食えるしな! そうだ、屋台みたいにしねえ? 俺、串焼き肉焼くぜ!」
タクトが勢いよく立ち上がったせいで、ビタビタと滝のようにオレの顔面にお湯が降り注ぐ。
けんけんとむせながら抗議の声をあげ、オレも温かいお湯から身体を引き上げた。
長く浸かっていたせいで、ぬるいお湯だったのに身体はほこほこと温かい。山頂を通り過ぎる風が心地良く感じる。
「面白そうだね~。僕、何屋さんしようかな~? タクトは絶対お肉ばっかりだから、野菜系~?」
「え、じゃあオレは何したらいいの? お肉と野菜があるならごはん? スープ?」
楽しそうだと身を乗り出したものの、オレの担当、地味じゃない?
「お前はもっといいもん作ってくれよ! ごはんは白いのがいいからお店屋さんはいらねえ!」
「スープは余った材料を放り込んで作っちゃおうよ~。ユータは何かメインでも野菜でもない、つまめるような美味しいものを作って~!」
ええー? 屋台飯でつまめるようなもの? お肉じゃないやつで? たこ焼きのプレートはそのうち作ろうと思って手つかずだし、屋台飯って結構メインやお肉系、もしくはお菓子系な気がする。
2人にせがまれて次々食材を取り出しつつ首を捻る。
「じゃあ、ポテト系……?」
ようやく出てきた答えに、2人はにっこり笑って――首を振った。
「それも美味いけど、もっと違うやつ食いてえ!」
「ユータならきっと他にもアイディアあるでしょ~? せっかくだから違うのが食べたい~」
何が『せっかく』なのかサッパリだけど、とりあえず却下らしい。オレだけ難しくない?!
意気揚々とそれぞれの担当に取りかかり始めた2人を恨めしく見つめ、頭を抱えたのだった。
「どーよ! うまっ、すげえ美味いぞ! へいらっしゃい!!」
タクトのお店からはもうもうと煙が上がって、胃袋をわしづかみにする香りが漂ってくる。欲望のままに串に突き刺された、でっかい肉の塊たちがてらてらと脂を光らせて網に並ぶ。豪快に振られた塩や、激しく白煙を上げつつ塗り込めたたれ。焼き上がったそばから店主の腹に消えていくのが玉に瑕だけれど、汗だくになりながらかぶりつく様は、凶悪なほどに食欲をそそる。
「こっちも美味しいよ~! ちゃんと野菜も食べようね~」
ラキは暑いから焼きたくない、なんて言って一人涼しい顔で色とりどりの品物を並べている。
これは魔族の国で入手してきたペリンダの皮を使ったトルティーヤ風。スティック状にカットされた鮮やかな彩りの野菜とソース、そこへ種々のチーズを包み込んであった。
タクトの茶色い屋台とは対極を行くような、センス溢れる品揃えと陳列だ。食欲っていうのは彩りや見た目も大事なんだなとしみじみ思わせる。
「お腹の隙間にぴったりだよ! パリッと美味しいよ!」
オレも負けじと汗を拭って声を張り上げた。
わくわくとオレの手元を眺めるふたつの視線に笑みを浮かべる。どう、これなら許される?
「なんだそれ? ペラッペラだな、美味いのか?」
「うわあ、食べ物なの~? 楽しみ~!」
えへっと笑って1枚手に取り、パリッとかじった。オレが作ったのは素朴なおせんべいモドキ。ごはんとちょっぴりの小麦粉を混ぜ、ぎゅうっと薄く伸ばしてある。魔法でちょっと乾燥させれば、あとはもう味付けしてパリパリに焼くだけ。
実はサイア爺にどうかなと思ったのがきっかけだ。だから、この際たくさん焼いて持って行けるようにしておかなきゃね。
3人の屋台(?)が額を付き合わせるように輪になり、それぞれ自慢の商品を紹介したところで、顔を見合わせて笑った。
よし、お店やさんはやったから、あとはお客さんになって食べるだけ!
歓声を上げて飛び出したオレたちは、それぞれ両手に抱えられるだけ食糧を抱えて中央に設置したテーブルへ集まった。
「美味しいっ! だけどタクト、オレ用の小さい串焼き肉も作ってよ」
「うまー! 肉食ってコレ食うとさらに美味い! 待てよ、ここに肉も一緒に巻けばもっと美味いんじゃねえ?!」
「美味しいね~! だけどタクト焼きすぎだから~! お客さんは僕たちだけだよ~?!」
「いいだろ、俺が全部食えばいいじゃねえか」
まずは腹ごしらえ。串焼き食べ放題にする! と張り切ったタクトの屋台は、いろんなお肉が積み上がっていて壮観だ。休日の特別なお食事だから、お肉はウーバルセットを始め中々良いランクのものを使っている。たれはジフ直伝だし、これが美味しくないはずがない! 口の周りをたれと脂だらけにしながら、下着1枚で頬ばった。
「ちょっとユータ、次はユータが美味しく焼かれちゃうよ~?」
視線を下げれば、滴ったたれや肉汁まみれだ。そこに温泉があるんだから汚れたっていいだろうと思ったのだけど、ダメらしい。苦笑したラキにタオルを差し出され、忙しく口を動かしながらぐいぐい胸元を拭った。
うん、たれの濃い味ばっかりだとしんどくなる所へ、このトルティーヤのシャッキリした歯触りと爽やかさがいい! 味や食感の変化って大切だ。右手のお肉、左手の野菜、これはもう、無限のループが完成してしまったね!
「うわ、おもしれえ! 美味いな!」
「本当~! これ好き~!」
ひとまずメインをクリアしたらしく、二人は早々におせんべいに取りかかっている。
色々あるんだよ! お醤油やお味噌、カレー風味、ちょっと脆いけれど目玉焼きを挟んだものやチーズを挟んだものだって。チーズそのものをカリカリに焼いたものもあるんだよ!
『スオー、これ』
『ぼくね、ぼくねえ、この大きいお肉!』
『店主がいないんですけどぉー! 俺様とアゲハサイズのくるくる作って!』
どうやら、のんびり食べてはいられないようだ。おかしいな、みんなにもそれぞれ食糧は確保していたはずなんだけど。
――ラピスも、『おみせやさん』のを食べたいの! お客が少ないみたいだから、みんなも呼ぶの!
「「「きゅーっ!」」」
うわあ、大変だ。一気に詰めかけたお客さんたちが押し合いへし合い、各お店屋さんの前に行列を作っている。
『器用にまとめてあるのねえ。あら、ティアも食べる?』
『ピピッ!』
『そっちの肉。串はいらん』
「きゅう!」「きゅきゅう!」
慌てて店主に戻ったオレたちは、一生懸命働いたせいで、またお腹が空いてイチから食べなおす羽目になったのだった。






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