615 幻の香り
このまま食べられるのかビーバーさんに確認して、オレは黒い実をちょびっと囓ってみた。絶対、苦いと思ったからほんのちょっと。
「あ……苦いけど、思ったほどじゃない」
甘くないので美味しくはないけれど、これはこれで好きな大人もいそうだ。以前食べた99%カカオよりは食べやすい。そして、広がる香りはまさにカカオそっくり。
チョコは作れなくても、これならカカオクッキーやチョコケーキは作れる!! もしかするとチョコっぽいものだってできるかもしれない。
「ありがとう~! 本当に、すごく嬉しい!」
芋虫一匹で、こんな宝物が手に入るなんて、本当に良かったんだろうか。オレは感極まって再びビバハラしかけ、直前でピタリと止まった。危ない、恩人にまた無体を働くところだった。
名残惜しくその茶色い毛並みを見つめていると、ビーバーさんがため息をついて手を広げてみせた。
「……キウ」
小さく鳴いて、やれやれ仕方ないな、とでも言いそうな様子だ。
「え? え? あの、それは、そういう……?」
さっとオレの頬が上気する。今度は間違ってないよね? 合意ってことだよね?!
身体の割に小さな黒い瞳がオレを見下ろし、招くように手をくいくいとしてみせた。ビーバーさん……男前!!
歓喜に包まれ思い切り飛びつくと、今度はふわりとビーバーさんの両腕がオレを包み込んでくれた。
なんだろうこれ、至福……もふもふに抱きしめられている。オレが抱きしめる側なのは日常茶飯事だけど、抱きしめ返されるってなんて素晴らしい。
緩んだオレの口からは、『ふへぇ』とも『はふぅ』ともつかない気の抜ける声が漏れた。
こすりつけた頬には時折、ざらりと土の塊が当たる。
だけどあったかい……柔らかい。
生きている、生き物の匂いがする。
「はぁ~~さい、こう……いたっ?!」
ビーバーさんの包容力に心身共にとろけていたら、突如べしっと頭をはたかれた。
「チャト~?」
見なくとも分かる。これはチャトのねこパンチだ。バリバリ付きじゃなくて良かったけども。
振り返れば、案の定チャトがそっぽを向いて不機嫌そうにしっぽを振っていた。拗ねたときのルーそっくりだと言えば、きっとお互い怒るんだろうな。
仕方ないなぁ……。オレはもう一度だけぎゅっとして、名残惜しくもその抱擁から身を離した。
「ビーバーさん、ありがとう!」
にっこり微笑むと、男前ビーバーさんは微かに頷いてみせた。
「はい、どうぞ!」
今度はチャトに向き直ってオレが両手を広げてみせる。
「きゅっ!」「ピピッ!」
『わあい!』
『スオーが先』
どっとばかりに押し寄せたもふもふたちに、いや主にシロに押し倒されて簡単に尻餅をついた。
まとめてぎゅうっとした中に、肝心のチャトがいない。
『アゲハ! 出遅れたぞ! どうしよう、俺様、俺様も……』
『あうじ、あえはも~! おやぶ、いこ!』
『ふふっ、もみくちゃねえ』
追加のおかわりもふたちも飛び込み、地面にひっくり返ったオレは、本当にもみくちゃの大笑いだ。だけど、そこにもへそ曲がりはいない。
「チャトぉ~、オレ動けないからこっち来て~!」
ついに背中を向けてしまったチャトに哀れっぽく呼びかけると、三角のお耳がくるりとこちらを向いた。次いで緑の目がちらっとこちらをうかがい、ため息をつかんばかりの様子でのそのそと歩み寄ってくる。
そして顔のすぐ横に腰を下ろした。どうしてそう絶妙にオレに触れない位置にいるかな。身体は触れはしないものの、揺れるしっぽは顔を、首筋を撫でるように当たる。
「よーし、つかまえたっ!」
サッと手を伸ばして柔らかい身体を引き寄せると、いつもふてぶてしい顔がさらに迷惑そうに目を細めた。
みんなと同様、腕の中に閉じ込めたオレンジ色の猫からは、ゴロゴロと振動が伝わってくる。
部屋の主が困惑しきりの顔で『キウゥ……』と鳴くまで、オレたちは地面を転がりながら大笑いしていたのだった。
「――じゃあね、本当にありがとう! またね~!」
あれからビーバーさんに地上まで送って貰って、オレたちは森の中にいた。
元いた場所からさほど離れていないはずだけど……。
――案内してあげるの!
空中をころころ転がるように、上機嫌で進むラピスを追って歩き始める。
だけど何せ森のど真ん中だから、優雅に飛んでいるラピスと違ってオレは胸元まである草を掻き分け進まなくちゃいけない。
「……疲れた! ハッ、そう言えばオレ、舞いの後だった! 疲れてるはずだよ……」
幼児ってすごい。疲れていることを忘れたら普通に行動できるのか。
ここは素直にシロかチャトを頼ろう。そう思いつつまた1歩草を掻き分け進んだ時、その香りはオレの行動を止めた。
「……え? うそだよね?」
一瞬鼻先を掠めた香りは、疲れから来る幻だったんだろうか。だってまさか、こんな所で香るはずがない。
だけど、もしかして。もしかするんだったら。
オレはスンスンと鼻を鳴らしながら、思い切りガサガサと手足をばたつかせて暴れてみる。
「……! する! ちゃんと匂いがする!! シロ、分かる? この匂い! これ、どこから?!」
『匂い、キツイねえ。ちょっと待ってね』
ふわっとオレから飛び出たシロが、へぷしゅ、とくしゃみをしながら真剣な顔をした。
『うん、これだね! ゆーた、見つけたよ!』
いとも簡単に示されたのは、黄色い蕾をつけた草丈20㎝ほどのシルバーリーフ。特に目を引く何かがあるわけでもない、普通のシルバーリーフだ。
だけど、そっと触れて鼻を近づければ……胸苦しいほどに懐かしい、あの香り。
「いい匂い……ああ、お腹空いた! これ、食用になるのかな? ねえティア、これって他にも生えてる?」
「ピッ!」
パタタッと軽い羽音を響かせて、ティアはここ、そこにも、と次々所在を示してくれる。どうやら珍しいものでもなさそうなので、遠慮無く摘ませて貰おう。例えこれが食用じゃなかったとしても、この香りだけでも楽しみたいから。
「だけど、何とかならないかなあ。食べたいなぁ」
ジフに渡せば、匂いからなんとかしてくれないだろうか。だって、魔族の国へ来て思ったんだ。
こんなにスパイスが豊富なら、もしかしてって。
「カレーライス……オレ、和食よりもずっと懐かしいよ」
だって、多分肉じゃがよりもよく食べていたもの。好きだった。何ひとつ凝っていない、市販のルーを使ったカレーライス。白いつやつやごはんにとろりと馴染ませ、大きな銀のスプーンで思い切り頬ばるあの味。
ごくりと鳴った喉を慰めるように、カレーの香り漂う花束へ顔を埋めた。
「あははっ! すごい、本当にカレーだ!」
飛び上がりたくなるような幸福感を胸に、大切に収納にしまってシロへ飛び乗った。
チョコレート、そしてカレー。両方の可能性に胸が躍る。
早く、早く帰ろう。
アッゼさんにも教えてあげなきゃ……ううん、尋ねてみなきゃ! もしこのカレー風味スパイスがあるのなら、オレ的大発見だもの!
シロに乗って大急ぎで戻ったオレは、アッゼさんを見つけて満面の笑みを浮かべた。
「アッゼさーん! あのねえ! すごいもの見つけ……」
嬉々として手を振るオレは、微笑むアッゼさんを目にしてはたと我に返った。
笑ってないねぇ、あれは。
だって青筋が4つくらい浮かんでいるもの。
アッゼさんと別れてからのあれこれが走馬燈のように流れていく。
ひやりと冷たい汗が背中を流れ、急制動をかけたシロがお尻をついて止まった。
「……えっと、もう用事はすんだ? あの、オレ先に帰ってるね!」
曖昧に笑みを浮かべてくるりと身を翻す。ちょっと、時間を置こう。そう、アンガーマネジメントにはそういうのもあったはずだ。
『それって、自分の怒りに適応すべきものじゃないかしら……』
他人事みたいに言うモモが、まふんと跳ねてオレの中に戻った。直後、モモがいた場所――つまりはオレの右肩は、大きな手にぎりりと締め上げられる羽目になったのだった。
ご存知の方も多いと思いますが、「カレープラント」は実際にありますよ!知らずにそばを通ったらあまりの違和感に立ち止まること必須です!!
これがカレープラントだ! って思って嗅ぐとそうも思わないですが、花畑的なところでいきなり香ると脳が混乱するくらいカレーです(笑)
もちろん、このお話の植物と同一ではないのでご注意を!






https://books.tugikuru.jp/20190709-03342/