588 独りぼっちの精霊
一文字に引き結ばれた唇は、中々開かなかった。
シャラは、言い淀んだりしない。きっと、何がいやなのか分からないんだろう。
「…………お前が来ないのは、いやだ」
やっと出てきた答えに、首を傾げる。
「オレが来たら、それでいいの?」
「……お前が、ずっと来ればそれでいい」
ずっとは、無理だよ。
シャラの言う『ずっと』はオレには叶えられない願いだもの。だけどきっと、それも分かっているんだろう。
黙って見つめるオレを、透明な瞳が見つめ返した。
「できないなら……今たくさん来るべきだろう。お前、が……いない間の方が長いんだからな」
そう。オレが世界に存在する時間は、シャラにとって短い。だけど、それって変えられないから。
オレはその両頬に手を添え、にこっと笑う。
「だったら、考えよっか!」
風色の瞳は、きょとんと瞬いた。
悲しいことが訪れるのを指折り数えて待つなんて、そんなの辛いでしょう。
「一緒に、考えよ! だって、考える時間なら、まだまだいっぱいあるよ!」
「考え、る……。何を、考えるんだ?」
偉大なる風の精霊は、ろうそくみたいに頼りなく揺れる瞳でじっとオレを見つめた。ねえシャラ、そんなんじゃ綿毛すら吹き飛ばせないよ?
「シャラが、楽しいこと! 毎日が楽しみになること!」
浮かべた満面の笑みに、見開いた瞳は狼狽えて視線を下げた。
「そんなもの、あるならとっくにやっている」
「そうだね。だってシャラができることなんて、ほとんどないもの!」
くすっと笑うと、シャラは訝しげに睫毛を上げた。
だってシャラ、知らないでしょう。
「オムライス、美味しかった? シュトーレンは? クッキーはどう?」
「美味かった。また作れ」
「風のお祭り、凄かったね! 一緒に舞ったね!」
「ああ。ここまでやるとはな」
「シャラの名前のお菓子ができたんだよ。みんな、おいしいって言ってたね!」
「美味かった。随分と大それた名前の菓子だぞ」
「風の精霊様と、天使様が仲良しなんだって噂になっちゃったんだよ!」
「お前の、どこが天使だ」
「一緒に街を歩いたね! 賑やかだったでしょう」
「そうだな。壊さなくて良かったぞ」
「シャラってば、ミックにイタズラするんだもの」
「イタズラじゃない。あいつが気に食わなかったからだ」
「屋台でお買い物もしたね、いっぱい食べたね!」
「我はまだ、食えたぞ」
「楽しかったね!」
「楽しかった」
ぱあっと笑ってみせると、硬質な美貌もふわりと緩んだ。つぼみが芽吹く、春の風だ。
悲しい気持ちも、寂しい気持ちも、消えないと思う。だけど、いっぱい悲しんで、寂しがって、それから、もう一度会うときのためにいっぱい楽しいお土産話を作ってほしい。
ねえ、オレがいなくなって、次に会うときはビックリするくらいキラキラしたシャラでいてよ。いっぱい楽しかった話を聞かせてよ。
「じゃあ、次は何をしよっか! 何したい?」
「何を……?」
途端に困惑したシャラが、視線を彷徨わせる。
ほらね、シャラ、知らないでしょう。何が楽しいかってこと。
だって、食べ物の美味しさも知らなかったもの。だって、街歩きの楽しさも知らなかったもの。
友だちと遊ぶ楽しささえも、忘れていたんだもの。
「温かくなったら水遊びなんてどう? シャラ、本は読んだことある? ねえ、今度は一緒にお料理してみる? そうだ、こんなお花畑なんだから、美味しい実のなる植物を育ててみない? それに――」
矢継ぎ早にまくし立てると、シャラは目を白黒させながらこくり、こくりと全部に頷いた。その頬がほんのりと上気しているのを確認して、くすっと笑う。
「シャラの考える楽しいことなんて、こーんなちょっとだよ。オレが考えるだけでも、こんなにあるのに!」
親指と人差し指でほんのちょびっとを示してみせると、案の定むっとしたシャラが不服そうに腕組みした。
「だとしても、お前が考えること程度で我の長い時間が楽しめるわけないだろう」
うん、そう。だから、オレだけじゃダメなんだよ。
「だから、一緒に考えよ! それでね、色んな人に相談しよう。オレが考えるだけで、こんなにあるんだよ? じゃあ、たくさんの人に聞いたら、シャラの時間を全部使っても足りないくらいになるよ!」
「相談……? 誰に?」
「誰にでも! シャラが話せる人全部! オレも、オレが相談できる人全部に相談するよ!」
「お前はそうでも……我が話せるのはお前と王しかいない」
思案するように眉間にシワを寄せたシャラは、少々拗ねた口調でそう零した。
「王様! すごいね、そしたら、国中の人に相談するのと同じ事だね。王様が他の人に相談して、他の人がまた相談して……ほらね?」
ゆらゆら揺れていたろうそくは、ひとつ瞬いて小さな星になった。
「はっ、子どもの浅知恵だな、そんな簡単にいくものか」
鼻で笑って偉そうにふんぞり返ったシャラは、いつものシャラだ。
「そんな簡単にいくかは分からないけど、相談するのは簡単だよ!」
オレも腕組みしてふんぞり返ってみせる。やってみたらいいんだよ。だってほら、時間はいっぱいあるんだから。
「それもそうだ」
ふむ、と頷いたシャラがスタスタと歩き出した。
「えっ? どこ行くの?」
「相談」
事も無げに言って扉に手を掛ける。だけど待って、それって王様に相談に行こうとしてるよね?!
「シャラ! 王様って忙しいんだから、都合のいい時を見計らわないとダメだよ?! 迷惑になっちゃうよ!」
「そんなこと、お前に言われるまでもない」
振り返った顔はいかにも心外そうだけど、ほんとに大丈夫?!
余計なことを言ってしまったかも知れないと冷や汗をかきつつ、オレは意気揚々と出ていく背中を見送ったのだった。
* * * * *
――寂しい精霊のために、
天使はたくさんのひとに話をしました。
王様は独りぼっちの精霊のお話を伝えました。
ひとに、精霊に、妖精に、神獣に、幻獣に、話は伝わりました。
精霊のお話は、詩になって語られ、劇になって紡がれ、
こうして本になって語り継がれました。
そうして、独りぼっちの精霊は、ひとつ、後悔しました。
「しまった、もっと『独り』を楽しんでおけば良かった」と。
――『独りぼっちの精霊様』より――
書きましたよ!
童話「ひとりぼっちの精霊さま」(N3056HN)
3分で読めるお話…






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