583 マッサージ?
「ここにスジが通ってるだろ、だからここに刃を入れるといい。ああ、今の場合は調味料を揉み込むように……こんな感じだ」
ジフの大きな手が、ぐいぐいと押しつぶすような力を加えつつ揉み込んでいく。
「へえ、結構力を入れるんだね。脚の方は?」
「四肢や末端は基本、末梢側から中枢へ向けて揉み込んでやる。解体の時にゃ大体ここでこう……分断してるだろう?」
スッと太い指で切るように四肢の付け根が撫でられ、それは心なしか身を固くしたようだった。
「だから、残った血抜きも兼ねてこう……絞り上げるように調味料を馴染ませて――」
ふむふむと身を乗り出すと、オレは熟練の技を盗もうと目を皿のようにする。
「な、なあ! それ本当にマッサージなんだよな?!」
うつ伏せから身を捻ったタクトがオレたちを見上げ、ジフはいかつい顔でにいっと笑った。
「そうだが? 俺が冒険者時代はこっちを本職にしようかっつうぐらい頼まれたもんだ。ああ、ある意味本職になったか。美味い肉にするには必須の――いや、筋肉を解すにも重宝するマッサージだ」
「タクトは筋肉がある割にまだ柔らかくて、すごくおいしそ……勉強になるんだよ!」
これが例えばカロルス様だと、とてもじゃないけどオレの手と力では揉み込めなくて、練習にならない。
あれだけ鍛えてあると、お肉としてはやっぱり固くなっちゃうんだろうか。いや、でもじっくりと煮込むにはあのくらいの肉質の方がきっと向いている。煮込んだお肉の繊維がほろりとほぐれる様と言ったら……!
「怖ぇえんだけど……」
思わず滴りそうになったよだれを拭うと、タクトが不安そうにこっちを見つめていた。なんだかしっぽを股へ巻き込んだ犬みたい。
「だって、そもそもタクトのせいでしょう」
まったく、心外な。
今朝方ルーのところから戻って来てみると、タクトが見当たらなかった。しまったと思った時既に遅し。既に朝の猛訓練に突入し、こうしてぼろ雑巾になっていた次第だ。
先日の戦闘では出番がなかった上に、上位の戦闘を見ちゃったから。どうもやる気が振り切れちゃったみたいだ。
おかげで案の定筋肉痛に悩まされる羽目になり……たまたま厨房で文句を言っていたら、ジフがマッサージしてくれるってことになった。ジフは昔冒険者をやっていたから、仲間にマッサージしてやることもよくあったんだって。
食材を扱う腕は、生ものの扱いだって当然長けているってわけだ。
『ナマモノと生き物は違うような気がするわ……』
モモの視線がどこか同情を含んでタクトを見つめた。
そりゃあ、ちょっとばかり解体前の新鮮な肉体で練習できるいい機会だと思ったけれど。だけど、そもそもはタクトのためにマッサージを覚えてあげようって心づもりなんだから。
ついでに解体や調理のことまで学べるなんて一石二鳥どころじゃないよね! そうだ、塩スクラブとかオイルマッサージなんてものもあるんだから、油や塩を使えばもっと効果的に学べるんじゃないだろうか。ただ、一度調理に使った油は……やっぱりダメかなぁ。いやいや、素揚げしたものくらいなら……。
だってタクトはマリネしても食べられないもの、未使用の油を使うのは勿体ない。
『主ぃ、それ、ホントにタクトのためなのか~?』
……ホントだよ。美味しいものを作るのだってタクトたちのためになるし!
「――もういいって~~なんかそのうち食われそう。さんきゅ、なんだかんだ楽にはなったぜ」
ジフが一通り終えた後も一人で実践すべく熱心に練習していたんだけど、苦笑したタクトがベッドから身体を起こしてしまった。
「もういいの?」
割とコツを掴んできたところだったので、少々名残惜しく手を離す。仕方ない、ちょっとばかり形が違うし毛皮があるけどシロで練習を……と思って見回したところで、静かに背中を向けて作業する人影を発見した。
「ここが、肩ロース……いや、ネックになるのかな? このラインで切り分けて……」
「僕、そんなマッサージしてもらうほど根つめてないんだけ……うく、くすぐった~い!」
小さな手の下でピチピチするラキに、むうっと頬を膨らませる。
「じっとして!」
「無茶言わないで~! じゃあ、そんなさわさわしないでもうちょっと力を入れて揉んでくれる~?」
いいよ! と意気込むと、体重を掛けてネックと肩ロース部分を集中的にマッサージする。
「うう~まだぞわぞわする~」
「ラキ、筋肉が少ないからじゃない? オレ、ラキだと解体する部位分からないかも」
ヒトの厚みって結構違うもんなんだな。ラキも冒険者だからそれなりに鍛えられているはずだけど、意識的にトレーニングしているタクトとは比べるべくもない。
「それ、ユータには言われたくないなあ~。ちなみに、僕を解体する予定があるわけ~?」
ギブアップ、と逃げ出したラキが、ほんのり同情と苦笑を含んだ眼差しを向ける。
ないけど。そんな想像されるとオレの方が怖いんですけど。
ころりとベッドへ転がると、マッサージをやめた両腕はじんじんと重怠い。
「ふう、これって結構重労働だね。そっか、だからジフはあんなに筋肉もりもりで……よし、タクト! オレ、これから毎日してあげよっか!!」
「おう……そりゃまあ、嫌じゃねえけど。でもな、お前じゃあんな風には……まあいいか」
今度はタクトから同情を含んだ視線を受け、首を傾げて腕をさする。
途端に、目の前の顔がにっと満面の笑みを浮かべた。
「よし、交代だ!」
「ええ~? 嫌だよ、タクト教えてもらってないでしょう」
「誰の身体使ってたと思ってんだ。しっかり身体に刻まれてるっつうの!」
ほらほらと嬉しげなタクトに、渋々うつ伏せて横になる。だって、タクトがするマッサージって痛そうじゃないか。
「んー、俺が斬るなら……ここか、こうだな!」
意趣返しのつもりなのか、すいっと首筋に一筋、袈裟懸けに一筋、なぞられて首をすくめる。
「だめだめ、首一択だよ! オレ、解体上手じゃないからそんな思いっきり斬られたらどうやって解体したらいいか分かんなくなっちゃう」
首を捻ってここ、と首を指し示すと、タクトはなんとも言えない顔をした。
「お前、改めてちっせえな……うぉ」
失礼な言動と共にぐいと背中にあてがわれた手は、思ったほど強くなくてホッとする。ピタリと止まった手が、怖々と動かされるのが分かった。な、なる、ほど……これは……!!
「~~~ぶはっ!」
堪えきれずに吹き出すと、添えられた手がビクッと遠のいた。もうじっとしていられず、笑い転げてごしごし背中をこする。
「なんで! タクトのくせに力が弱すぎるんですけど!! くすぐったすぎる!」
「うううるせーな! 潰しても知らねえぞ!」
次こそはと添えられた手は、慎重に、ゆっくりと力を増しつつ一応マッサージの形態を成してきたようだ。
「……なんでお前、背中も肩も腕も全部柔らけーの? うにうにすんだけど……」
困惑声がまた失礼なことを言う。まあそうだろうって知ってるけど、幼児だから仕方ないの。
段々心地良くてうとうとし始めた時、ふいにあったかい手が離れてしまった。
「あれ? もう終わり?」
きょとんと見上げると、タクトはぐっと唇を結んでそっぽを向いた。
「…………俺。なんか、悪いことしてる気がすんだよ」
言うなり立ち上がったタクトが、一直線に作業中のラキの方へ向かった。
「いっ?! いたたた~! ちょっと、何~?! 痛いんですけど~!」
「あー、安心する。そう、俺らってこんなもんだよ。素手で握りつぶせそうなフラッフィースライムじゃねえんだよ」
何やってるの……? 妙にほっこりした顔のタクトが、悲鳴をあげるラキの肩を揉んでいる。
オレのマッサージはもう終わりなの?
――だけどそれ以来、タクトは頼んでも決してオレにマッサージをしてくれなくなったのだった。
2/21 コミカライズ版発売日ですよ!! 皆さん大丈夫ですか?!
(すみません!ウッカリ「更新日」って書いてました!!)
あと電子書籍版の3,4巻が安くなってましたよ!確認したのはAmazonさんだけですが他ももしかしたら…?
カクヨムさんの方も登録されている方は、ギフトで読める限定SS(4000字超)を書いたのでよろしければどうぞ!近況ノートの方に書いているヤツです。






https://books.tugikuru.jp/20190709-03342/