580 知っていますよ
「――ウチでいいのか? 魔族領の方が安心するんじゃねえか?」
「そりゃそうだろうけど、まず事情を説明に行かなきゃいけないわけ。俺が攫ったみたいになるのはごめんだしさ」
カロルス様と、アッゼさんだ。閉じたまぶたの裏で、元気そうなアッゼさんの声にホッとする。さすが、一晩ですっかり調子を取り戻したみたいだ。
2人の話し声に引っぱられ、徐々に意識がクリアになっていく。こんな状況だもの、オレもちゃんと起きなきゃ。
ぐいぐいと拳でまぶたをこすり、うっすら目を開けた。目の前にあった何かがぐっとオレに近寄り、ちっとも焦点が合わなくて二度三度瞬いた。応じるように、眼前の紫もひとつ瞬いた。
「……わあっ?!」
思わずのけ反って、背中から柔らかなものに埋まる。このやわやわした感触は、きっと大きいチャトだ。
「お、起きたか。その嬢ちゃんがお前をいたく気に入って、離れやしねえんだよ」
振り向いたカロルス様とアッゼさんが苦笑する。
「だって、あんまり可愛いのだもの。本当に黒い瞳なのね、私の顔まで写っているわ」
のけ反ったオレを追って簡易寝台に乗り上げ、女の子は嬉しげに微笑んでオレの頬をつついた。
「ええっと、ミラゼア様? 元気になったんだね!」
オレの瞳が珍しいらしい。しきりと覗き込まれて困ってしまう。
「ミラゼア様、さすがにはしたないと思います」
憮然とした声はリンゼだろうか。どうやらもうみんな起きているみたい。
「ありがとう、元気にしてもらったのよ。アッゼ様が回復薬を持ってきてくださったから。あなたたちのことも聞いたわ、本当に何と言っていいか」
ようやく離れてくれたミラゼア様が微笑んだ。あの時みたいに壮絶な色をしていないけれど、紫の瞳は最初に見た時と変わらぬ澄んだ色をしていた。
薄汚れていても、高潔さって感じられるものなんだな、なんて思う。
「そっか。良かったね! それならオレも、村の人を守ってくれてありがとう!」
ふわっと微笑み返すと、途端に圧迫感に襲われ、視界が真っ暗になった。
「やぁだもう~! リンゼ、私持って帰りたい! 欲しいわ!! 弟にするの!」
「ミラゼア様……今は小さいですが、多少大きくなりますから。それに躾やこまめなお世話が必要になるのです。生半可な気持ちでは――」
「多少じゃないよ?!」
ぶはっとミラゼア様の腕から抜け出して頬を膨らませると、ぬるい視線が突き刺さった。
「突っ込むのはソコでいいのか……?」
「いいねえ。俺、マリーちゃんになら飼われたい!」
オレはむすっと唇を結んで乱れた髪を直し、素早く安全地帯へ移動する。お膝の上に陣取って固い腹へ頬を寄せれば、もうこれで何があっても大丈夫。ミラゼア様の羨ましげな視線は見なかったことにしよう。
「そうだ、ねえカロルス様、村の人たちは? 放っておいて大丈夫?」
ふと気になって金の無精ひげを見上げた。
「ああ、お前が寝ている間に大方の所は終わったぞ」
大きな手がぽんぽんと頭を叩き、これまでの経緯を教えてくれた。
まずアッゼさんが回復したので、村人たちを元の村まで転移させたそう。ずっと幻惑と眠った状態で危機的状況の記憶などない彼らのこと、大騒ぎになると言うよりも狐につままれたような様子だったらしい。それよりもカロルス様の顔を知っている人たちがいたせいで、違う意味で大騒ぎになって大変だったそうな。
結局、詳細は後日、なんて誤魔化して逃げてきたらしい。きっとガウロ様あたりに丸投げされることだろう。
次いで回復薬を運んでミラゼア様を起こし、さっきまで今後についての相談中だったみたい。アッゼさん、回復したてで大活躍だね。
「で、ここは魔族領のはずれらしいんで、そのまま転移で帰るなり応援を呼ぶなりすりゃいいじゃねえかと思ったんだが」
「俺一人に何もかも押しつけられると困るんですけど?! ちびっ子たちも小汚いし、も少し見た目整えて返してやらねえと色々マズいでしょ」
どうやら本当に寝ている間に物事が進んでいたらしい。一度皆でロクサレンに戻って、今後の相談をしようって方向になりそうだ。
こんなにたくさん子どもを連れて帰ったら、随分と大変だろうなぁ……具体的には、マリーさんたちが狂喜乱舞して。
ミラゼア様なんてお人形さんみたいだから、目の色を変えて磨きにかかりそうだ。
ひとまず方針が決まったなら、善は急げだ。お腹も空くだろうから、ジフにたくさんお料理を用意してもらわなきゃいけないし。
「じゃあ、とりあえずみんなに知らせに行くね! アッゼさんはラキとタクトも一緒に連れてきてね」
「あ? おま――」
にこっと見上げてそのままお腹にしがみつくと、固いお腹がさらにぐっと盛り上がった気がした。
「――だって、一人でも連れて帰った方がアッゼさんの負担が減るでしょう?」
文句を付けられる前に先手必勝と、うずくまったカロルス様に説明する。だって、オレも転移できるもの。カロルス様と一緒に帰るのはオレだっていいはずでしょう。
「ユータ様っ! おかえりなさいませ!!」
間髪入れずに扉を開け放ち、マリーさんが飛び込んで来た。
「ただいま! あのね、これからいっぱい子どもがやってくるけど大丈夫かな? お風呂とか、お洋服とか……」
まあ、と頬を紅潮させたところを見るに、きっと大歓迎以外の何物でもないんだろう。
エリーシャ様や執事さんが揃ったところで、カロルス様からコトの顛末を話して貰っていると、賑やかな声がした。
「おわ! すげえ、もう着いた?!」
「便利だね~」
どうやらアッゼさんがさっそくタクトとラキを連れてきてくれたらしい。
肝心のアッゼさんはと言うと――。
「マリーちゃ……えっ??」
いつものごとくマリーさんの背後に出現した彼が、ピタリと動きを止めて硬直した。
紫の目をまん丸に見開いた腕の中で、マリーさんが首を捻ってじろりと紫の瞳を睨み上げる。
「――――?!」
口をぱくぱくとさせたアッゼさんが、いきなり消えた。
窓の外で派手な音がしたから、壁の向こうまで転移して落ちたんじゃないだろうか。まあ、アッゼさんなら大丈夫だろう。
「あのね! マリーさん、アッゼさんすっごく頑張ったよ。すっごく格好良かったよ!」
あの勇姿を伝えようと、マリーさんの腰へしがみついた。きっとアッゼさんはマリーさんから褒められるのが一番嬉しいから。
「ねえ、アッゼさんってあんなに強かったんだね! オレたちのために命がけだったんだよ!」
マリーさんは一生懸命説明するオレを抱き上げて、くすりと笑った。
「……ええ、あれはそういう男ですから」
アッゼさん、この場にいないなんて勿体ない。
だってその微笑みは、艶めいてとてもきれいだったから。
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ひつじのはね、修羅場につき更新遅れ気味ですみません!
皆さまくれぐれも、くれぐれもお身体にはお気をつけて…病院が瀕死です……






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