570 お互いの溝
「待て、危険だ!」
走り出そうとしたオレの腕が、がっちりと捕まえられてしまう。
「だから早く連れ戻さなきゃ! あっちには魔物がいるの!」
「そうよ、ダートどうしたの? 行くわよ!」
大きな身体を見上げると、ダートさんはイヤイヤするように首を振った。
「違う! そうじゃねえ、危ねえのはあいつだ!」
「そう言ってるじゃない! あの子が魔物に襲われる前に止めなきゃ」
だけど、それにも首を振ってもどかしそうにする。どこか不安げに揺れる表情に、ハッとしてその目を見つめた。
「……もしかして、見たの?」
フードを被っていたのに。少年も気をつけていたようだったのに。オレの台詞に、ダートさんが目を見開いて食ってかかった。
「お前っ! 知ってたのか?! やっぱりあいつらが元凶なのか? どういうことなんだ!」
「何も知らないよ。だけど、きっと村の人を傷つけたりはしないんじゃないかな」
だって、あんなに限界まで力を振り絞っているんだもの。彼女が張ったシールドがなければ、村人はひとたまりもなかったはず。意識がもうろうとするまで魔力を使う感覚、オレには分かる。
オレの脳裏には、歯を食いしばって踏ん張った姿が焼き付いていた。そして、その高潔な瞳が、美しい紫色であったことも。
「なんでそんなことが分かる? お前も見たのか? 目が、目が紫だったぞ! 魔族だ!」
混乱した様子のダートさんは、どこか縋るようにオレを見た。
「それは、知ってる」
にこっと微笑むと、虚を突かれたように腕の力が弱まった。すかさず振り切り、ラキたちの後を追って走り出す。いいよ、代わりにオレが行くから大丈夫! 魔族が怖いのはしょうがないもの。だって会ったことないんでしょう?
チャトに乗って間もなく、走る2人の背中が見えた。
「あれ、シロは? あの子は?」
息を切らして振り返った2人が、ばつの悪そうな顔をする。
「悪い、幻惑じゃねえかな。急にシロとあいつを見失った」
「甘いニオイがしたよ~。慌ててムゥちゃんの葉っぱを口に入れたんだけど、ちょっと遅かったみたい~」
シロがいるなら、きっと彼を引き留めてくれているだろう。魔物の心配も無い、だけど、幻惑……?
「急ごうぜ! こっちでいいんだろ?」
「うん……!」
事情も分からないし、まずはあの少年から話を聞くのが先決だろうか。だけど……彼女のシールドはまだ保つだろうか。
追うべきか、先へ行くべきか逡巡していると、ぽんと頭に手が乗った。
「あの子を追いかけるだけなら、僕たちにできるよ~。今度はほら、ムゥちゃんの葉っぱもね~」
葉っぱを咥えたラキが微笑み、振り返ったタクトもにやっとしてみせる。
「じゃあ、お願いできる? でも、あのね、もしかするとあの子……魔族かも」
「分かった! 敵だったら気ぃつけるぜ!」
「なるほどね、了解~」
呆気ないほど簡単に受け入れた2人に、一瞬きょとんとする。ヤクス村に魔族の人もいることは知っているけれど、2人が会ったことはなかったはず。
「ユータが、魔族もヴァンパイアも人と同じって言ったよ~」
ラキがくすっと笑う。
……言ったけど。だけど。
何を言う間もなく、2人は片手を挙げて走り去っていく。
「………ありがとう」
曇天の空へヒュウヒュウと舞い上がりながら、オレの小さな胸の内がほこほこと温かいのを感じていた。
「モモ、あそこ!」
『本当だわ、シールドがある。けれど、大して強くないわよ』
再び魔物の群れを越え、シールドがまだ保たれていることに安堵した。
「うん、魔物があまりシールドを壊そうとはしないみたいなんだ」
もし、たとえゴブリンであってもたくさん集まってシールドに攻撃を加えたら、きっと保たないだろう儚いシールド。だけど、確かに今、匿うみんなを守っている砦。
「これ、どうやって中に入ろう……」
上空を旋回しながら途方に暮れた。シールドがある以上、こっそりなんて無理だ。受け入れてもらえば入れるのだろうけど……そもそも彼女たちが本当の意味で味方なのかどうか分からない。今分かるのは、自分たちだけでなく村人も守っているということだけ。
『脆いんだから、もう壊しちゃったら? すぐ外側に私がシールドを張っておけば――まずいわねっ!』
「モモっ!」
――何の前触れもなく、儚い砦はまるでシャボン玉のように消えた。
『内側から一気に広げるわよ!』
悲鳴が聞こえる。
真下を向いたチャトが、翼を畳んで落下よりも速く急降下する。垂直から水平へ姿勢が安定した瞬間、両手を挙げる。
「シールド!」
オレたちを中心に、波紋が広がるようにシールドが拡大していく。完成したシールドは、先ほどまでよりやや内側へ浸食を許したものの、迫る魔物たちを見事はじき返した。阻まれた魔物たちの怒りの咆吼は、幾重にも重なって聞こえた。
『城壁』に学んだオレとモモのシールドだ。そんじょそこらの魔物に負けたりしない。
濃くなった『嫌な気配』に眉をしかめつつ、ひとまず間に合ったことにホッと肩の力を抜いた。
「……お前、誰だっ?!」
鋭い声に振り向くと、数人の子どもたちがこちらを睨んでいた。しゃがみ込む1人が抱えているのは、あの少女だろう。咄嗟に駆け寄ろうとした時、1人がパッと何かを撒いた。途端に漂う覚えのある香りに、思わず足を止める。
「それ……何? どうして撒いたの? ねえ、話を聞かせてくれない?」
「なっ?! お前、何者だ?! なぜ効かない?!」
慌てふためいた少年が後ずさり、代わって他の数名が杖を構えた。あの少年と似たような出で立ち、そして――魔族の瞳。彼ら自身が十分に戦闘をこなせるからだろうか。オレが幼いからといって油断はしてくれないようだ。
「シールドを張ったよ。しばらくは大丈夫。オレ、回復できるからその子を見せてくれない?」
再び問いかけてみるけれど、返答はない。むしろ少女を隠すように周囲を固められてしまった。とてもじゃないけれど、友好的にとはいかないようだ。おそらく魔力切れと疲労で意識を失ったのだろうから、すぐさま命がどうこうというわけではないだろう。ひとまずそっとしておくしかない。
「じゃあ、オレあっちで浄化するからね。何も悪い事しないよ」
そろり、そろりと離れると、たくさんの視線が追ってくる。オレがシールドを張ったと言ってあるし、いきなり攻撃されることはないだろう。
気が滅入るような、もはや馴染みになったあの嫌な気配。オレはふう、と息を吐いてその発生源へと歩を進めた。
「やっぱり、呪晶石」
魔物がいる場所で、呪晶石が転がっているなんておかしな話だ。すぐさま取り込もうとするだろうに。魔物たちがここまで集まって来るのは、間違いなくこれのせい。浄化してしまえば、ヒトを狙う一部を除き散開していくだろう。
「あいつの仲間か! やめろ、何をする!」
おお、さすが魔族。躱した石つぶては、学校の生徒とは比較にならない精度と威力だ。それでも石つぶてを選んだあたりに彼らの迷いを感じる。
「浄化するって言ったよ! 見てて!」
シュシュシュ、シュッシュ! 浄化浄化~!
見てて、と言ったのはオレだけど、失敗だったかもしれない。浄化スプレーを振りまくちょっぴりシュールな光景に少々頬が熱くなる。
「魔素が……澄んでいく」
おや、分かる子もいるみたい。なるほど、そういう表現になるんだな。
「ね? これでちょっと魔物も減るんじゃないかな。お話、聞かせてくれる?」
にこっと微笑んで見せると、戦闘の構えは解いてくれたみたい。ただ、こちらを見る瞳は相変わらず厳しいままだ。
「……ミラゼア様の判断次第だ」
ちら、と視線を走らせた先は、力なく横たわる少女。ミラゼア『様』? もしかして、少女は魔族のお嬢様なのかもしれない。
「だったら、回復を――」
「寄るな!」
にべもなく言い切られ、途方に暮れる。このまま延々と彼女の目覚めを待つしかないのだろうか。
「ねえ、その下にいるのは村の人? そっちに行っ――」
「寄るなと言った!」
じゃあ、そこ退いてよ! 何もかも遮られ、憤慨して頬を膨らませた。地下壕への入り口を阻むように彼らがたむろっているせいで、そちらへも行けない。多分、守っているつもりなのだろうけど。
うう、八方塞がり。これがオレたちと魔族の間の溝だろうか。
『だけど、そもそも幼児に事情を伝えようとは思わないんじゃないかしら』
……それは、まあ。
そうか、じゃあ大人の適任者を呼んでくればいいんだ。
浮かんだ人物に、これ以上の適任はいないと膝を打った。だってこれから魔物が散開したとて、ゼロにはならないもの。森の中を子どもと村人を引き連れて安全に移動なんて無理だ。
あの人なら諸々の問題をきっとクリアしてくれる……はず。
「ねえ、オレちょっと出てくるね。シールドはこのモモが維持してくれるから大丈夫だよ」
彼らが何か言うのも構わず、オレはモモとラピス部隊を残して空の上へと飛び立った。
皆様、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
年始早々、8日が10巻の発売日ですね!諸々の特別イベントをお見逃し無く!
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