481 風の次代
だって、触っていい? って聞いてもきっと触るなって言うでしょう?
ふかっと顔を埋めて、全身でルーを堪能する。
ぐりぐりと顔を擦りつけると、首筋や耳を柔らかな毛がくすぐった。完全に体をもたせかけていると、伏せていたルーがくたりと姿勢を崩した。
ぱふん、とルーの上に伏せる形になったオレは、めいっぱい撫で回しながら金の瞳を探す。
「………」
思いの外近くにあった瞳は、珍しく覗き込むようにこちらを見つめていた。
両の瞳がオレを映していることを見て取って、思わずふわっと微笑むと、途端に瞳が眇められ、フンと鼻を鳴らして雄々しい顔が離れてしまった。ゆら、ゆら、と揺れ出したしっぽを見つめて、オレはもう一度笑った。
「ルー」
頬に感じる柔らかな毛並みを惜しみつつ顔を上げると、金の瞳がこちらを向いた。呼んだものの、特に用事はない。ちょっと考えて、収納からお菓子を取り出した。今日は特別なものを用意してないけれど、クッキーくらいなら大体入れてあるんだ。
はい、と伸ばした手から、大きな口が器用にクッキーを咥え取った。大きめクッキーのはずなのに、冗談のようなサイズ感になってしまうね。
じゃあ、とまとめて3枚差し出すと、入れろとばかりに大きな口が開いた。
「大きなお口だね」
鋭い牙を眺めながらクッキーを入れると、大きな舌がついでとばかりにオレの手を舐めた。手ごと持って行かれそうなざりり、とした感触にきゃっきゃと笑う。
そっと閉じたお口は、オレの手が入っていないことを確認するようにゆっくりと咀嚼を始めた。人の姿で食べればいいんじゃないかと思ったけれど、これはこれでオレが楽しいので言わない。
素直に手ずから渡されるクッキーを貪るルーを見つめ、ちょっと息を吸い込んで、言ってみた。
「あのね、オレはルーが好きだよ。ルーも……オレが好きだよね?」
シロみたいに胸を張っては聞けなかった。
ちょっぴり自信のなくなった後半に差し掛かった途端、バフーっとルーの口からクッキーのかけらが飛び出した。思わぬ反応にビクッと飛び上がる。
「なんっ……!!」
跳ね起きたしなやかな体に弾かれるようにオレも立ち上がると、ガッフガフと激しくむせる体をさすった。いいよいいよ、落ち着いてから言ってよ。
「………」
しばらくむせた後、呼吸を整えたルーは、スンと澄ました顔で再び伏せた。なぜかオレと反対側に顔を向けている。不審に思ってトテトテと回り込むと、さりげなく反対を向く。
……なかったことにしようとしてる! だけど、落ち着きなくそわそわする尻尾と、ぴこぴこ動く耳がしっかりとさっきの台詞を覚えていると示していた。
ふうん、それなら――
どうしても目を合わさないルーにしびれを切らして、頭の上によじ登って囁いた。
「ねえ、オレはルーが好きだよ? ルーは……」
「うるせーー!!」
オレの声をかき消すようなうなり声をあげて、ルーががばっと顔を伏せた。頭の上に乗っていたオレはでんぐり返して前へと落ちる。
振り返ると、地面に顔を埋めるように前肢の間に伏せ、神獣は完全に顔を隠していた。猫のような仕草に思わず吹き出してしまう。これ、ごめん寝ってやつだよね。
「あははっ、もう~『うん』って言うだけでいいのに!」
「………」
オレは大きな頭をぎゅっと抱えた。だんまりを決め込んだルーがおかしくて仕方ない。
だって――
「てめーなんて嫌いだ、って言うと思った。好きなわけねーっ、て!」
くすくすと呟くと、抱え込んだ頭の上で、黒い耳がピクッと反応した。
腕の中から引っこ抜くように頭が持ち上がり、ぶるっと首を振る。
ちら、と金の瞳がオレを見たと思った瞬間、押し倒すように大きな頭がのし掛かってきた。
「わっ?!」
次いでぱしりと足下を払われ、小さな体は簡単にひっくり返る。訪れるだろう衝撃にぎゅっと目を閉じたけれど、下敷きにしたのはふかふかの尻尾だったようだ。
「……?」
ふわふわの被毛に包まれて横たわると、首を傾げて目の前の鼻面に手を添えた。長くて立派なヒゲは、思ったよりも固い。
オレは捕食される獲物の距離で、金の瞳を見つめ返した。
「……そんなわけねー」
フフン、とどこか得意げに瞳が細められた。言われた台詞にきょとんと瞬き、慌てて起き上がる。
「えっ? それ、どっちの返事?」
さっきのオレの台詞? それとも最初の質問?
「知らねー」
縋り付くオレを知らぬげにごろんごろんと腹を見せて転がったルーは、役目は果たしたと言わんばかりに満足気だ。機嫌良く揺れるしっぽが腹立たしい。
むすっと頬を膨らませ、完全にあお向いた無防備な胸元に飛び込んだ。
「オレ、ちゃんと言ったのに」
「てめーはいつも言ってる」
そうだっけ? でも、それなら尚更ルーだってちゃんと言って欲しいんだけど! ぬめるほどに柔らかな毛をかき分け、太い首回りに腕を回して抱きしめた。
こうするとグルルルと小さな低い振動がダイレクトに伝わって、くすぐったいような気分になる。
「ねえ、それ、人の姿でも鳴るの?」
「なんの話だ」
「その、喉がゴロゴロ言う音」
低い振動が、ハッとしたようにピタリと止まった。
「鳴ってねー」
「今は鳴ってないけど」
それって止められるんだ。
なんで止めたんだろうと思いつつ、ぎゅーっと両腕に力を込めて抱きしめる。
「いたい?」
「てめーの力で痛いわけねー」
割と力を入れたつもりだけど、鼻で笑われてしまった。
ふかふかに埋もれたまま、ぼんやりと弛緩していく四肢を眺めていると、再びグルグルと低い振動が始まった。
やめちゃうと勿体ないので、もう指摘はしない。のけ反るようにあお向いた顎を眺め、規則的な呼吸に揺られていると、オレも引きずられるようにうつらうつらとしてくる。
「……ルー、オレはルーの次代なの?」
瞳を閉じて、小さな声で呟いた。今なら、何を聞いてもきっと忘れてしまうから。風の当代って、きっとルーのことだよね。
ふかふかのベッドがぴくりと反応した。
「――誰がそんなことを言った?」
「うーん? おさかな……」
とろとろしていると、おい、としっぽでぱふぱふと叩かれて渋々目を開ける。
「大きな、お魚だよ。ウーラなんとかっていう、古い幻獣さん」
舌打ちの音が聞こえた。あ、お魚さんが怒られるかな。
「水の次代と間違っただけだよ。誤解だったから大丈夫!」
慌てて言うと、ルーはますます機嫌が悪そうだ。
「なんで水と間違う。ちっぽけな加護しかねーだろうが」
それはまあ、あのお魚さんだから仕方ないんじゃないかな。ちょっと抜けた所がありそうだから。
ルーは不機嫌に唸ってむくりと体を起こし、力の入っていなかったオレの腕がするりと落ちた。次いでゆるゆると滑り落ちた体は、ちょうどよく前肢にもたれかかるような姿勢で落ち着いた。
「俺は、次代なんか作らねー」
「そうなの? 次代がいなくてもいいの?」
「知らねー」
ええ? 神獣ってきっと大事な役割があるんじゃないの? そんな適当なことでいいんだろうか。そう思いつつ、安堵したような、物足りないような。じゃあ、オレって何なんだろう?
「言ったはずだ。てめーを見張っていると。それ以上でも以下でもねー」
強いルーには何もメリットがないだろう、オレとの繋がり。従魔契約とも違う、従えず、従わない不可侵の繋がり。
「そっか……じゃあ、ただの仲良し?」
まるで桃園の誓いみたいだね。そう思ったのに、半分夢の中で零れた言葉は、随分と分かりやすく翻訳されていた。
「なんでそうなる……」
大きなため息と共に、しなやかな体が脱力して姿勢を変えた。ごそごそと小さな体を寄せると、ふわふわの毛並みに頬ずりして、満足の吐息をついた。
* * * * *
「――覚えてねーのか」
ルーは、規則正しい寝息を聞きながら、あどけない寝顔に目をやった。
「お前がいなければ、俺は今、ここにいない」
あの時点で次代が必要だっただろうが。こいつはいつもどこか抜けている。
ルーは神獣の柔らかな毛並みとはまた違う、艶やかな髪に鼻を寄せて1人呟いた。
「次代なんていらねー。終わればいいじゃねーか」
寄せた顔が近すぎたか、ユータはむずがって身じろぎすると、大きな顔に手を突っ張った。
「……てめーは、終わらせたくない、と言うか?」
にや、と笑ったルーは突っ張る手を鼻先で払って、遠慮なく首筋に突っ込んだ。小さな体がぎゅっと首をすくめるのに構わず、大きく息を吸い込む。
幼い命の匂いは、使い古された神獣の魂を潤すような気さえした。
今日は閑話の方更新したので本編は取っておこうかと散々…散々悩んだ末に投稿。
だけど次の投稿が空いたらごめんね(=_=)
シロ閑話、かわいいですよ!ぜひご覧下さい!






https://books.tugikuru.jp/20190709-03342/