434 目印
「お腹、すいてる?」
「別に……ヒトの食べ物など、長く口にしていないからな」
ああそっか、チュー助たちが食べるのはオレが作るからだもんね。それで好きなものが分からないのかな。
「お供えに美味しいお菓子とかないの?」
「ない」
きっぱりと否定されて、少し目を見開いた。大切にされてるんじゃないの? それともこの国にはお供えっていう文化がないのかな。そもそもシャラは食べ物を好きじゃないのかもしれない。
「じゃあ、一緒に食べよっか」
「ふむ」
全部好きじゃないと困るので、一緒に食べることにした。オレだけでも食べきれるようほんの少しずつ、残りも……作り置いていたお料理を並べてみる。
けれど、シャラの視線はさっきからきれいな黄色のオムレツに釘づけだ。
「これ食べる? 半分こしよう」
皿を引き寄せてスプーンを渡すと、シャラはじっとオレを見た。先に食べてみろってことかな?
それなら、遠慮なく。オレはオムレツの端っこをすくい取って、ぱくっとひとくち。
「うん! いい出来だよ。とろっとしていてね、やさしい卵とほんのりバターの香りがして、そこへチーズが入ったらもう最高! 途端に卵が甘くなってね、とろとろがとろーんになってね――」
ほっぺを押さえて解説していると、こくりと喉を鳴らしたシャラが、急いでオムレツを口へ運んだ。
少しぎこちなくもぐもぐとやったかと思うと、パッと頬に紅が差したようだ。
「おいしい?」
シャラは口内のものを飲み込むか飲み込まないかのうちに、既に次の一口を頬ばって、こくりと頷いた。にこっと笑ってオレもスプーンを伸ばすと、その手が払われた。ずずっとオムレツの皿を自分の方へ寄せる様子に、思わず声を上げて笑う。
「いいよ、全部食べて大丈夫だよ」
かき込むように食べる様に、側にいると落ち着かないかなと少し身を離した。
「ここにいろ」
途端に伸びてきた左手が、再びオレを引きずり寄せる。どうやら食べてはいけないけれど、側にはいないといけないらしい。
「大丈夫、ちゃんとここにいるし、取らないよ」
きっと、随分と年経た精霊なんだと思うけれど、時々本当に幼子のようだ。風の精霊がそうなんだろうか、それともシャラがそうなんだろうか。
そばで見つめられたら食べにくいだろうと思うのだけど、シャラは時々ちらりとオレを確認しては食べ進めていた。
結局、出したお料理全部を平らげて、シャラは満足そうに一息ついた。
「お料理好きなんだね。また持ってくるね」
どうやって持ってくればいいかなと頭を悩ませつつ笑うと、シャラはじろりとこちらを向いた。
「またってどういうことだ。お前はここにいろ」
「ここにいろって……ずっとってこと? ずっとはいられないよ……?」
「……ここにいろ」
むすっと口をつぐんだシャラは、オレの手を掴んでごろりと横になった。精霊も、おなかいっぱいだと眠くなるのかな。
まるで顔を隠すようにぎゅっと体を丸めた姿は、広々とした花園の中で随分と小さいな、と思った。
寝ちゃったのかな? 横になってしばし動きのなくなった体に、収納から毛布を取り出して掛けた。そっと小さな背中に手を置くと、どうやらまだ眠っていなかったらしい。ピクリと反応して、振り払うような仕草をみせた。
なんだかオレの方がお兄さんみたいだね。エリーシャ様がするように、ぽん、ぽんと背中を叩いていると、縮まって動かなかった体が、徐々に柔らかくなった。すう、すうと上下するようになった背中に、オレも片手を握られたままの不自然な体勢を整えた。
「あ……」
スルリとシャラの手が滑り落ち、オレの片手が自由になる。
どうしよう、今のうちに帰っても大丈夫かな。この場所って転移で戻って来られるのかな。
身じろぎしたシャラは、ぼんやりと自分の手を見つめると、ハッと目を見開いて立ち上がった。
ほんの少し首を巡らせ、じっと花と空の境を見つめて立ち尽くす。
固く毛布を握った手が、だらりと下がった。
かぶせられた毛布に、花が重たげに頭を垂れた。
ゆっくりと膝を抱えて座り込んだシャラは、毛布に顔を伏せてぎゅっと小さくなった。
シャラ……どうして探さないの?
そっと花をかき分け歩み寄ると、小さな肩がピクリと震えた。
「………なんで、いる」
「だって、いろって言ったよ」
帰っていいよって言えないから、自分で手を離せないから、眠ったの?
「……お前は、すぐに忘れる。ヒトはすぐにいなくなる」
シャラは、顔を伏せたまま、くぐもった声で言った。隣へ腰を下ろして、そっと背中を撫でる。
「我が守った城だ。我が守ってきた街だ。なのに、ヒトは我を忘れる。……どうしてそんなすぐにいなくなるのだ。もっと長くいると思ったから約束したのに」
「……シャラが、ここを守るって約束した人のこと?」
伏せた頭がこくりと頷いた。
「我はもうこんなに小さくなった。きっと、いなくなっても誰も気付かない。我が守っていたことも知らないままに」
『シャラスフィード、余所へ行こう。いなくなったら、いや』
『だから、戻ろうよ、風の領域に。ねえ、シャラスフィード』
哀しいささやき声に、背を撫でるオレの手がピタリと止まった。
いなくなる……? そうだ、精霊はどこにでもいるわけじゃない。火の精霊は火の魔素が豊富な場所に、風の精霊は、きっと風の魔素が豊富な所に。そうでなければいけない理由があるからだ。
「シャラ、どうして?! ここを離れたらいいじゃない! そんな、忘れちゃう人たちのために……」
小さな体は今にも消えてしまいそうな気がして、思わず肩を掴んだ。
静かに顔を上げたシャラは、泣いてはいなかった。伏せていた睫毛が上がり、澄んだ瞳がオレの目を射る。
「――だって、我は覚えている」
覗き込んだ瞳の深さに、くらりとしそうだった。
シャラは――どのくらい前から約束を守っているの?
上級精霊なんでしょう、そうそう消えてしまうなんてないはずだ。
「……ごめん、ね」
ずっとずっと、きっと、約束した人の生涯の何倍も。
オレたちが忘れても、シャラは忘れない。
ぐっと喉が詰まって、小さな体を抱きしめた。
「……泣き虫め」
「そう、だね……オレ、オレは、泣き虫だね」
どうしてオレたちは忘れてしまうんだろう。オレは、忘れずにいられるだろうか。
シャラは、縋り付くオレを振り払うでもなく、ただじっとしていた。
シャラは、いっぱい泣いたんだろうか。もう泣かなくてもいいくらいに。
ここでひとり、泣いたんだろうか。
これがシャラの思いなのかなんて分からない。でも、ただ哀しくて、胸が押しつぶされそう。
「……まだ止まらないのか。お前は本当に泣き虫だ」
しびれを切らしたシャラが、乱暴にオレを引きはがすと、美しいマントでオレの顔をごしごしこすった。
「い、いたい……」
それに、きれいなマントにオレの鼻水がついちゃう! 慌てて自分の袖で顔を拭うと、大きく深呼吸してみる。上を向いて何度かすうはあとやっていると、足下から柔らかな風がオレを抱え込み、色とりどりの花びらがくるくるとオレを包んだ。
「わっ! すごい! きれい~!」
「お前は……それしか言えないのか。もう少し言葉を尽くして表現したらどうだ」
「これ、シャラが? すご……あ、えーと……いっぱいの花がオレの周りで踊ってるみたいで……そのー、きれい!」
呆れた視線を感じつつ、手を広げてオレも回った。だって、きれいだよ。それ以外の言葉はあとで考えるよ。
ぎゅうっと締まっていた喉の痛みは、いつの間にか消えていた。
花の竜巻を追いかけてきゃっきゃとはしゃいでいると、ふわりと甘い香りが鼻腔をくすぐった。
「あ……そうだった!」
慌てて駆け戻ると、管狐簡易オーブンの前へスタンバイ。きっと、そろそろだ。
「何の匂いだ? お前、何を作ってたんだ」
「「きゅー!」」
よし、出来上がり! 今日の焼き担当はキリスとクリスだったようだ。オレはシャラを振り返ってうふっと笑うと、両手にミトンをはめてオーブンを開けた。
ナッツの焼ける香ばしい匂いと、バターの香り。あと、なんだか分からないけど甘い香りのするスパイスとドライフルーツを入れてみたので、中々複雑な香りが広がった。
『熱いね、熱いよ? 冷ましてあげる』
『シャラスフィード、いい香り』
涼やかな風が優しく熱を奪っていく。あら熱を取るのに風の精霊って便利だね。
「食わないのか?」
「まだ食べないんだよ」
せっせとバターを塗って、粉砂糖をたっぷりこってり。
「はい、出来上がり!」
「これはなんだ。パンか?」
うーん、パンのようなケーキのような。オレはその塊を真っ二つに切った。
「これ、シャラの分」
片方を差し出すと、シャラの視線はもう半分に向いた。そっちも寄越せと言わんばかりだ。片方だけでカロルス様の手ほどもあるのに、食べきれないでしょ?
「これはオレの分。今日食べるのは――これだけ」
オレはお互いの取り分から薄く1枚スライスして皿に載せる。ものすごく不満そうな視線に、くすくす笑ってお皿を差し出した。
「これはね、シュトーレンって言うんだよ。こうやって少しずつ食べるんだ」
1日1枚、スライスしては、クリスマスまでの日を指折り楽しみに待つための食べ物。
「明日もこのくらい切って食べてね。それでね、これがなくなるまでには、絶対会いに来るから」
もぐもぐと動いていたお口が、一瞬止まった。
「……フーン、明日に食べきったらどうするのだ」
咀嚼を再開したシャラが、口内のシュトーレンを飲み込んで、小馬鹿にした笑みを向けた。
「だ、だめだよ! ルール違反なの! ちゃんとこのくらいで食べてね。オレもそうやって食べるから」
「フン、甘いからな。そんなに一度には食えなさそうだ」
ハの字眉になったオレに、シャラはそう言って笑った。
「ここ、転移できるかな? オレ、戻って来られる?」
「我がここにいれば許可しよう」
そろそろ暗くなりそうな周囲に、そわそわと立ち上がった。
「泣かなくなったらまた来い」
偉そうに腕組みしたシャラに、オレはきゅっと拳を握った。シャラはもう、止めたりしない。
「ごめんね、ありがとう……シャラ」
また目尻が熱くなって、慌てて手を振った。
オレも、いつか忘れてしまうのかも知れない。
だから、何か目印をつけよう。シュトーレンを焼いたらクリスマスを思い浮かべるように、大切な思い出に目印をつけよう。
泣き虫とまた言われないように、オレは思い切り笑顔を作って光に包まれた。
シャラ:……行ったか。こんな、菓子ひとつで。どうせ戻ってなど……まあいい。
精霊:シャラ、嬉しそう。どうしてケーキを抱っこしてるの。
精霊:そんなにこにこ、見たことない。
ユータ:忘れてた! お皿とか置いていくね!
シャラ:っ?!?!
ユータ:?どうしたの??
シャラ:ななななんでもないわ!!戻ってくるのが早すぎるだろう?!
ついに10/10 5巻発売ですよ!!
Twitterでお知らせしたネットプリントでプレゼント企画、第二弾開始しました!
セブンイレブンで予約番号27973923 です。
5巻入手の際についでにプリントしていただけるといいなと思って!






https://books.tugikuru.jp/20190709-03342/