418 兄弟
「ユータは相変わらずだねぇ」
「そう? だってハイカリクにはないものがいっぱいあるよ?!」
一応返事は返すものの、小さな背中は振り向きもせず棚を見つめている。
これは失敗だったかなぁ。まさかこのまま夕方まで動かない、なんてことは……。
きらきらした瞳に、僕の胸には一抹の不安がよぎった。小さな手はしっかりとマントの裾を握り、逃がしてもらえそうもない。
まだ街へ来て一店舗目なんだけどなあ。せめて昼食の時間は店から連れ出そう。僕はそう決めて苦笑した。
かわいい弟が一緒に街にお出かけしよう、なんて言ってくれたら喜んで行くよね。他に選択肢はないよね。
ユータが村にいる頃はお出かけと言っても庭先だし、ハイカリクに行っちゃってからはそうそう遊びに行けなかったからねえ。
「今日は一日お出かけできるの?」
「まあ、僕はあんまり仕事はないからね」
お湯に浸けたスライムみたいにふやふや柔らかな手が、案外がっちりと僕の手をつかんで引っ張っていた。この小さな手に引かれて歩いているだけで、周囲の日差しさえ柔らかく変わった気がする。
とりとめもないおしゃべりをしてはいちいち僕を見上げて笑う、あどけない笑顔。いつもとろけているマリーさんや母上の気持ちがよく分かってしまうな。ビックリするくらいしっかり者で大人っぽいと思うこともあるのに、普段は無邪気で危なっかしい僕の弟だ。
「………」
突然立ち止まったユータは、しばしきょろきょろした。そのつむじを眺めて、そう言えば僕ユータしか見てなかったと釣られるように周囲を見回す。いつの間にか僕たちは商店街を抜け、住宅街に入り込んでいた。
はて、ユータはどこへ行きたかったんだろうか。
「……ねえ、セデス兄さんが案内して! オレ、どこに何があるのかまだ分からないの」
散々僕を引っ張って歩いていたくせに、急に振り返るとぱふっと僕の腰にしがみついて見上げた。決して迷ったと言わない不安そうな瞳に、つい吹き出して抱き上げる。
「どうして笑ったの! 違うよ、セデス兄さんといるから、だから……シロと歩いてないでしょ、いつもシロが……。ええと、そうじゃなくて地図魔法があるんだ。でも地形しか分からないでしょ、それで……」
だから自分は道が分からない。どう説明してもそういう結論に行き着いてしまって、ユータの言葉が段々尻すぼみになった。
必死に笑いを堪える体が震えてしまって、間近な黒い瞳がむすっと潤んだ。きゅっと首に腕を回し、無言で肩口に顔を伏せた小さな体。
「泣かない泣かない」
よしよし、と丸まった背中を撫でると、ガバッと顔を上げて睨まれた。
「泣いてない!! オレもう赤ちゃんじゃない!」
どうして僕怒られてるんだろう。これはまさしく八つ当たりってやつじゃないだろうか。
「そう? そうだね~もう大きくなったもんね」
仏頂面で頷きながら、自然と腕の中で腰を落ち着けているユータに笑いが止まらない。
大きくなったね、でも、もう少し子ども扱いさせてよ。
下ろしてと言われないことにこれ幸いと、僕は大きく一歩を踏み出した。
「それで? ユータはどこへ行きたい? お兄ちゃんが案内してあげよう!」
「どこでも! 楽しそうなお店!」
コロッと機嫌を直したユータが、満面の笑みを浮かべた。これは難易度の高いことを……。
「じゃあ、以前僕が路地裏で見つけた面白グッズの……」
「あ! やっぱりいい! えーとえーと……お料理関係の大きなお店とかない?」
全く、子どもはコロコロ気分が変わるんだから。面白グッズのお店も今度案内してあげようと思いつつ、進行方向を変えた。
一歩を踏み出す度に揺れる小さな体が、ことんことんと胸元にぶつかる。首筋をくすぐる柔い髪と、時々ほにゃっと触れるほっぺが心地よかった。うん、どうせバレないから遠回りしていこう。
「ほら、ここなんかどう? ――そう言えばジフに何か頼まれてたなあ」
「わあ! 大きい~これ全部お料理関係?!」
興奮したユータが、早く下ろせとピチピチし出した。まるで大きなお魚みたいだ。
この大きな建物は、黄色の街で一番有名な調理人御用達の店だ。店内には似たような器具がずらりと並び、似たような瓶が棚を埋め尽くしていた。
「うわぁ……」
僕にはサッパリ分からないけれど、ユータはその品揃えに圧倒されて立ち尽くしている。すっかり僕を視界の外へ追いやってキラキラしているのは少し不満だけれど、喜んでいるならまあいいか。
「ねえ、こっち! ああ、ジフの言伝ってなんだったの?」
「思い出せないなあ。ユータ今度聞きに行ってきて。どうせまたこの店来るでしょ?」
「もう、仕方ないなあ」
短い腕を組んで得意そうに顎を上げる様子に、つい笑みがこぼれた。
店内はどこを見ても大して興味は湧かないけれど、くるくる変わる弟の表情を見ているのは楽しいかもしれない。僕が見る必要はないだろうに、あっちこっちと引っ張り回されるのも、それはそれで優越感があるものだね。
「わあ、この大きな台は……そっか、これコンロだ! オーブン機能もついてるんだね!」
でーんと中央に据えられていた四角い台の周りをうろちょろすると、ちらりとお値段を見て飛び退いた。そりゃあ高いだろうね、最新式だろうし。
「ユータは必要ないでしょ? いつも自分で台作ってるじゃない」
「そうだけど……カッコイイでしょう?」
「そ、そう……?? まあ、どうしても欲しいなら、もう少し大きくなってから買ってあげようか?」
僕には全く理解しがたい感覚だけど、ユータのおかげでウチの領地は潤っているし、これで美味しいものがまたたくさん食べられるなら父上たちも反対しないだろう。
「ううん! 買うなら自分でいっぱい稼いでから買うの! 欲しい~って思ったものを頑張って手に入れるから楽しいんだよ!」
「また~! ユータは全然欲しがらないんだもの。たまには僕たちにもプレゼントさせてよ」
ぷにっと頬をつつくと、ユータは少し眉を下げて微笑んだ。
そんなときのユータは、妙に大人びて見えて、つい――両手で頬をつぶした。手のひらにはもちもちときめ細かな肌を感じ、小さな手はぱちぱちと僕を叩いて抗議していた。
「しっかり甘えておかないと、すぐに大きくなっちゃうよ?」
それは、ユータに向けた言葉だったんだろうか。零れ出た言葉を反芻して、少し苦笑した。
「これ以上甘えたら、小さくなっちゃうよ!」
ぴょん、と弾みを付けて飛びついた体を受け止めると、首にまわされた腕にぎゅうと力が込められた。きゃっきゃと耳元で笑う声に心がふわりと軽くなる。
「オレは、大きくなりたいからいいの! セデス兄さんはもう少し小さくなったらいいよ!」
少し体を離して僕を見つめると、ぺたぺたした小さな手が頭を撫でた。
「違うんだけど~! 僕が甘えられたいの!」
ユータの真似をして頬を膨らませると、僕の鼻先でぱあっと笑顔が咲いた。
ああ、こんな風に感じるものなんだな。父上も母上も過保護で困ると思っていたけれど、弟でさえ、こんなにも守りたい。
僕が小さかった頃、二人も同じ思いをしたのだろうか。
だったら、僕も自分を守らなきゃいけないなぁ。
間近な黒い瞳は、じいっとオレを見つめて、また大人っぽい顔で微笑んだ。
セデス:もう行くよ!昼食べ損ねるよ!
ユータ:待って!もうちょっと……もうちょっとだけー!
セデス:悩むなら両方買えば?!それ大した値段じゃないでしょ
ユータ:これだから貴族ってのは…カゴいっぱいに買ったときのお値段に差が出るんだよ!
それに――
セデス:あーかえって長くなっちゃった…
閑話っぽいお話。
たまにはセデス視点もいいかなあと!






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