34 全力全開
くそっ・・・俺としたことが。
かすむ頭を振り、一歩一歩ふらつく足を踏みしめて森を進む。もう少し、もう少し・・体をだましだまし進む俺の目の前が、ようやく拓けた。さあっと俺を照らす温かな太陽の光、心地よい魔素の流れ、清らかに煌めく水面。
もう、長くはない・・そう思ったらここに来たくなった。矢も楯もたまらず、なんとか命をつないでここまで来られた。俺は以前と変わらぬ美しい光景に満足し、身を横たえると、もう一度この光景を瞳に焼き付けた。
(ここなら、いい・・。)
俺は温かな日差しを浴びて静かに、目を閉じた。
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どのくらい経ったのか、体中を巡る心地よい魔力に目を覚ます。清浄な魔力が俺の体内で、まるで氷を溶かすように温かく浸透し、充ち満ちている。もう二度と開けることはないと思っていた瞳をうっすらと開き、あまりの心地よさに、うっとりと再び目を閉じかけて、ハッと頭を上げた。
「わわっ!起きちゃった!?待って待って、食べないでね!!」
まだ幾分ぼんやりとした瞳に、小さな影が映り、慌てた声がする。上体を起こして見ると、まだ幼い人の子が俺の体に触れながらこちらを見つめている。なんだてめぇ・・思わず眉間にしわを寄せたが、心地よい魔力はどうやらこの幼子から流れてくるようだ。
「もうちょっと、もうちょっとで終わるから!」
そう言いながら俺から離れない幼子。はて、人の子はこんなものだったか?このくらいのサイズの人の子は、動物と大差ない存在だと思っていたけどな・・明らかに魔力を操り、人語を話す様子に首を傾げる。まあいい、毛色も違うしこういう種類もいるんだろう・・こんな小さき者、危険はないだろう。
「・・何をしてやがる。」
威圧を込めた低い声で問うと、幼子が飛び上がった。
「しゃ・・しゃっ・・・しゃべった!!!」
「・・・・なにがおかしい?」
フンと不機嫌に鼻を鳴らす。
「あっ・・ご、ごめんね。オレ、魔物はおはなししないと思ってたから。」
グゥルル・・思わず喉の奥で唸った。
「魔物だと!ものを知らんくそガキが・・」
「魔物じゃないの?」
心底驚いた様子で幼子が俺を見つめる。なんだこいつ・・・魔物だと思いながらこんな近くに寄ってきやがったのか?普通に人語を話せることから、小さい種類の人間かと思ったが、やはりガキなのか。
「ふざけんな・・・・で、人間、俺に何をしている。」
「魔物じゃないんだ・・・そういう生き物もいるんだね。ああ、あのね・・とても辛そうだったから勝手になおしちゃったの、ダメだったらごめんね。」
そう言って俺から手を離した。心地よい魔力が途切れて、少し残念に思う。しかし、聞き捨てならない台詞があった。
「治す・・だと?お前が?・・これは治るものじゃ・・・・。」
言いながら俺は身を起こして愕然とした。・・・・体が、軽い。久々に感じられた、全身にみなぎる魔力。おぼつかなかった足は逞しく地面を踏みしめ、まるで野良猫のようだった毛並みは、元の輝きを取り戻し艶めいて柔らかな光を放っていた。
「なぜ・・・?そんな・・・・・そんな、まさか・・・。」
信じられない思いで全身を確認する。一体、何が起こったというのか・・・。
「えっと、オレはこういう魔法がとくいみたいだよ?それでね・・・あの、きみって人を食べる?」
「食うか!!」
俺は思わず叫ぶ。じりじりと少し俺から距離をとっていた幼子がホッとした顔をした。こいつは本当にものを知らんらしい・・。あまりの発言に、治癒の不思議が俺の頭から吹っ飛んでしまった。
しかし、見れば見るほど幼いガキだ。ここはかなり人里離れた場所のはずだが・・・他の人間や親がいるなら面倒だ。
「・・・お前はなんでこんなところにいる?」
「なんでって・・・・・うーん、迷子?」
「・・・・・は?」
こんな広大な森の真ん中に迷子が出現してたまるか・・空からでも落ちてきたって言うのか?胡乱げな俺の目に幼子は慌てて言い募った。
「えっと、悪いやつらにさらわれてね、森の中で逃げたんだよ。それで、おうちに帰る途中なの」
「・・・・・・」
聞きたいことは色々あるが・・・・まあいい。
「それで?てめーは俺を助けてどうしようってんだ?」
「え?どうって・・・?えっと、食べられないように意識がないうちに治して逃げようと思ったの。」
困った顔に嘘はない。ああ、そもそも俺を魔物だと思っていたんだったな。・・なんで死にかけた魔物を治そうと思うのか・・理解に苦しむ。ガキの考えは俺には分からんな。まぁ、こんなガキが治療したというのは眉唾ものだが、本人は自分が治したと思っているようだ。
「・・・そうかよ。」
どうでもよくなった俺は再びごろりと横になった。なぜかガキが俺のそばで座り込む。
「ここ、とってもキレイな所だね」
気持ちのいい日差し、居心地のいい魔力にウトウトしかかって慌てた。ガキとは言え、人の前で眠るなど・・・
俺の焦りなど露知らず、側に座るガキはそわそわとしながら俺の顔を見ている。
「ね、ねえ・・触ってもいい?」
ついに口にしたガキをじろりと睨むが、こいつはちっとも怯まない。
「それで俺を治療したとやらをチャラにするなら・・勝手にしろ。」
フンと鼻を鳴らしてニヤリとする・・俺に恩を売る機会をお前はみすみす逃すのか?と。ところがそれを聞いたガキは目を輝かせて俺に飛びついて来やがった。
「ホント?!やったー!・・・・うわぁ・・・気持ちいい・・・すべすべする!すごいキレイな毛並みだね!」
俺の漆黒の毛並みを撫でるわ頬ずりするわ・・本当に勝手にしてやがる・・。
まずいことに、俺を撫でさするその小さな手は、とても心地よかった。幼子から溢れる清浄な魔力も非常に居心地がよく・・・だんだんと下がる瞼に抗えなくなってきた。・・・ええい、ままよ!何があったとて今の俺に害なせるヤツなどおらんだろう、俺はささやかな抵抗をやめて力を抜くと、心地よい微睡みに身を任せた。
大きな漆黒の獣が目を閉じた。まだ回復したばかりで疲れてるのかも知れない。起こさないようそうっとそうっと撫でる。すべすべ、ふかふかした艶やかな毛並みが、今は太陽の光を吸収してぽかぽかと温かい。がっしりとした逞しい体に美しい毛並み。体長は・・4mくらいだろうか?ライオンや虎よりひとまわり以上は大きい・・四つ足で立った状態で大人より大きいんじゃないかな?・・すごい迫力だ。力強い四肢はオレの胴ほどの太さがある。見た目は・・・そうだなぁ毛の長いクロヒョウ?いや、むしろ黒いユキヒョウかな?ややこしいけどそんな感じだ。
どこからどう見ても獣だけど、流暢に話していた・・不思議だ。なんだか、見た目は威厳ある獣なのに話す言葉はそのへんのお兄さんみたいだった。魔物じゃないから怖くなかったのかな?でも、魔物じゃないとは言ったけど、何者なのかは言ってくれなかった。もしかして、この世界だとこういう獣も『人』のくくりなのかな??ラピスが戻ってきたら聞いてみよう・・。
優しく撫でている密度の高いふかふかした毛並みは、するすると滑らかな指通りで、オレの手にも毛皮の温かさが伝わってぽかぽかしてくる。獣を治療できて安心したオレに、どっと疲れがやってきた。あんなに全力で魔法を使い続けたのは初めてだ・・ぐらぐらする頭に耐えられなくなって、つい柔らかな毛並みに突っ伏した。大きな獣の規則正しい呼吸で、ゆっくりとオレの体が上下する。こうして温かな体に身を寄せていると、耳には力強い鼓動が伝わってきて、オレは嬉しくなった。
(ああ・・生きているんだな。)
なんとも言えない満足感と達成感に包まれて、オレはそっと意識を手放した。
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