366 会談の合間に
「ユータちゃん、遊んできていいのよ?」
エリーシャ様が気遣うようにそっとオレの髪を梳いた。華奢な指がするりと滑るのがとても心地良い。
応接室ではしばらくの談話の後、何やら書類を交わし、今後の予定について双方の摺り合わせが行われていた。心配無用の雰囲気に拍子抜けしたと同時に、オレは小難しい話にまぶたが下がりそうになっている。
「はっはっは! 待ってな、後で飛竜船を見せてやろうな」
「本当?! やったぁ! おねがいします!」
眠気も吹っ飛ぶ満面の笑みで見上げると、悪者の顔でガウロ様が笑った。顔と体は悪者だけど、まるで親戚のおじさんみたいにオレを気に掛けてくれて、中身はきっととてもいい人だ。どし、とオレの頭に置かれた手は、随分重くて足が沈みそうな気がした。
でもオレ、ここを離れてもいいだろうか。ナーラさんに視線をやると、大丈夫ですよ、と微かに微笑んでくれた。
庭に出ると、一目散に飛竜船の方へと走った。後で見せてくれるって言ってたけど、別に先に見ていてもいいよね!
「ユータ様、あまり近づきすぎてはいけません!」
くそぅ……可能な限り近くまで行きたかったのに、先手を打たれていた。ワイバーンを背に、腰に手を当てて「メッ!」としているのは言わずと知れたマリーさん。
その位置だとむしろマリーさんがパクッとされそうだけれど、当のワイバーンはもそもそと尻と翼でいざって可能な限り離れようとしていた。危険な生き物だって分かるんだね……せっかく休憩していたのにごめんよ。
ワイバーンの非常に迷惑そうな視線を受けて、オレは手を引かれるまま、渋々その場を離れた。
「お話、まだ終わらないかな」
「今日は顔合わせのようなものですから、お昼には間に合うと思いますよ。ジフが腕によりをかけていますからね。ユータ様もおうちの中にいて下さいね」
にっこりしたマリーさんに、これは外で遊ぶのは無理だと、すごすごと館内へ引き返す羽目になった。
「できたか?! 寄越せ! 次、こっちだ!」
くそう、こんなことなら部屋に籠もって本でも読んでいるんだった……。
館を離れている間にお話が終わったら困るし、さて何をしようかとたまたま厨房に顔を出した途端、戦闘状態に入っていた厨房部隊にまんまと捕獲された。当然のように割り振られる作業は、こなせばこなすほど業務量が増えていく。これが世に言うブラック企業……!
「アリスチームは煮込み! ラピスチームはみじん切りと粉砕! ウリスチームは火の番! 残りは片付け! いくよっ!」
「「「「きゅうっ!!」」」」
ジフたちがせっかくだから色々楽しんでもらおうって張り切るから……厨房はまさに戦場だ。どんどん追加される作業に、オレも次々ラピス部隊を投入してこなしていく。もう怒号と管狐が飛び交う大騒ぎだ。コンロが足りねえってジフがわめくので、オレと管狐部隊で仮設コンロを増設し、そうすると今度は人が足りなくてさらに管狐を増員、もう一体何が何品できるのかサッパリだ。
『仕方ないわねぇ、汚れ物は私に任せて!』
『スオー、手伝う』
汚れた食器類をモモが取り込んで汚れを落とし、こだわり派のスオーがピカピカに洗い上げる。これはなかなかいいコンビだ。スオーのしっぽが油まみれの皿に浸っているのは後でなんとかしよう。
「つ、疲れた……」
『スオー……しっぽ……』
嵐のような一時が過ぎ去って、一応の落ち着きを取り戻した厨房と、今はじめて自分のしっぽの惨状に気付いたスオー。オレは呆然とするスオーを抱えて、今だとばかりに脱走した。
自室に戻ってほっと一息つくと、スオーを膝に乗せ、たらいにお湯を張ってもみ洗い開始だ。
『スオー、自分でできる』
どうやらもみ洗いはお気に召さなかったらしい。小さな手で、丁寧に丁寧に洗われるしっぽに、これは時間がかかりそうだと苦笑した。
『きたよー!』『こわいのがいるー』『ひさしぶりー?』
開いた窓から賑やかな声が響き、くるくると舞う花びらのように光が3つ飛び込んで来た。
「わ! 妖精さん、こっちで会うのは久し振りだね!」
招待してからはたまに秘密基地で会うのだけど、その分このお部屋で会う機会はめっきり減っていた。
『今日は使者が来ると聞いたでな』
遅れてゆっくりと入って来たチル爺も久し振りだ。
「うん、下でまだお話してるよ? 見てくる? あのね、見た目は怖いけどいい人みたいだったよ」
ちょっと妖精トリオには刺激の強い見た目かも知れないけど。
『おにわにいくー』『こわいの、みたい!』『ようせいも、たべる?』
『ダメじゃ、お主らなんぞ食いでがないからの、好んで食いはせんが、うるさくすればバクッとやられるじゃろ』
どうやら妖精さんたちもワイバーンを見に行きたいようだ。そうだよね! だって野生で出会ったらじっくり観察なんてできないんだよ。こんな間近く眺めることができる機会なんてそうそうあるもんじゃないよね!
「オレも行きたい! でもダメって言われるの。あとでガウロ様が見せてくれるって言ってたよ、一緒に見に行く?」
『そのガウロとやらはお主は守っても妖精を守りはせんじゃろ。遠目で眺めるだけにせい』
妖精トリオはブーブー言いつつ、危険性は理解できているようだ。
「ねえチル爺、エルベル様たち、一緒に街を歩いたりできるようになるかな」
『ワシらからすると、一体ヴァンパイア族とお主達の何が違うんじゃと言いたいがのう』
うん、色が違うだけだよね。それなら森人だってエルフの人だって、小人族だって、みんな違うもんね。だからきっと、エルベル様たちも受け入れられるはず。
「そうしたら、一緒に冒険したり、お買い物したり……楽しそうだね! エルベル様はたとえ何色だってカッコイイから目立つだろうな!」
無駄にキラキラしてるから、薬草採りやお掃除の依頼なんて不釣り合いすぎるね。つい、きらびやかな衣装でモップをかける姿を想像してくすくすと笑った。
『お忘れのようだけど彼は王様だからね? そうそう街に繰り出したりできるご身分じゃないわよ?』
そ、そっか。お城の人がみんな気安いから忘れがちだけど、本物の王様だもんね……。
『ヴァンパイアのおうさま!』『みたーい!』『どんなの?!』
妖精トリオがわくわくと瞳を輝かせた。エルベル様は妖精が見えるだろうか? いつか紹介できたらいいね。オレは妖精トリオにせがまれるままに、エルベル様のこと、最近の冒険のことを語って聞かせた。
『終わった』
聞き上手な妖精トリオとすっかり話し込んでいた時、くいくいと袖を引かれた。視線を下げると、どうやら今までずっとしっぽを洗っていたらしい蘇芳が、大きな瞳でオレを見上げていた。桶の中で揺れるしっぽは、水中でふんわり広がってすっかり元通りだ。
「本当だ、きれいになったね」
『スオー、洗うの上手』
むふーっと満足気に鼻息をもらした蘇芳を撫で、ドライヤー魔法で乾かすと、ついでにブラシもかけておく。心地よさそうな様子に、妖精トリオがブラッシングに興味津々だ。
「ふふっ。シロ、構わない?」
『もちろん! ねえ、妖精さん、ぼくもブラシをかけてほしいな』
のしっとベッドに横になったシロに、妖精さんたちが歓声をあげて群がった。妖精さんたちにも使えそうな小さい子用のブラシはひとつしかないから、順番ね。
くすぐったそうにクスクスしながら、シロは辛抱強くじっとしている。妖精さんたちの小さな体じゃ、シロを丸ごとブラッシングするには何日もかかりそうだ。
『フェ、フェンリルのブラッシング……』
「チル爺も、ちゃんと順番ね」
『う、うむ……』
どうやらやってみたかったらしい。大人しく並んだチル爺は、そわそわと自分のひげを整えた。
コンコン
扉を叩く音に返事をして振り返ると、少し疲れた顔のセデス兄さんが入って来た。
「ユータ、話が一段落ついたみたいだよ」
「ホント?! 飛竜船見に行ってもいい?!」
パッとベッドから飛び降りた拍子に、ころりと膝から蘇芳が転げ落ちた。
「はは、ガウロ様も体を伸ばしてくるって出ていったから………あ、いけない。ユータ、ひとっ走り訓練場に行って来てくれない? 使者はガウロ様で、今話し合いが終わったと言えば分かるから」
「そうなの? シロ、行こう!」
『うん!』
よく分からないけど、ひとまず伝言を済ませてお庭に行こう。オレはセデス兄さんの声を置き去りに、窓から外へ飛び出した。
「………わしの番……」
お説教じみたセデス兄さんの声に混じって、チル爺の微かな声が聞こえた気がした。
「チル爺、またつぎあるから、ね」「だいじょぶ、きっとおぼえてるから」「チル爺のおひげ、してあげるから」
「……うむ…うむ……(しょんぼり)」






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