338 チュー助
チュー助は、みるみる遠ざかる空にきゅっと目を閉じた。どこへ手を伸ばしても、ざらざらと崩れる脆い砂ばかり。
ずるずると引きずられ、遠慮無くぶつけられる体の痛みよりも、周囲の熱にちりちりと毛の先から燃えていく気がして、怖くて耳を塞いだ。
『主ぃ……』
俺様、こわい。
ほんのわずかな時間が、随分ゆっくりと感じる。
大丈夫、きっと、食べられるより痛くない。
大丈夫、きっとちゃぽんと落ちるだけ。
『…主ぃ……』
ぐるぐるまわる体に、目を閉じていても感じるオレンジの光。さらにきつく目を閉じた時、何かがチュー助の体に触れた。
* * * * *
きらきらした人、私も一緒に連れて行ってほしくて。
気付いてほしくて。
姿なき下級精霊は、強く願った。
高まった火山の力を取り込んで、切望は形と成った。
行かないで、待って。
私も一緒に。
ねえ、あなたは聞こえているでしょう?
ないはずの腕を伸ばして、自分と同じ精霊にすがろうとした。
『えっ……?』
その瞬間、生まれて初めての感触に、火の精霊はただ驚いた。掴んだ腕が、どんな結果を生むかなんて、考えもしなかった。
『えっ………』
おぼろげな炎から伸びた不格好な腕は、確かに短剣の中の精霊を掴んでいた。
私の、手……?
短剣から引っ張り出され、外界へ放り出された小さな体。こぼれそうにまん丸になった瞳が、こちらを見た気がした。
私を見た?
嬉しいと思ったのもつかの間、精霊は悲鳴を上げた。ダメ、そっちへ行ったら死んじゃう!
何の抵抗もなくただ転げ落ちていくのは、小さなねずみ。
私が、落とした……?
精霊は、熱い体が凍るような恐怖を感じた。
いや、嫌!
ただ無我夢中で追いすがった。
死んじゃう、……嫌!
炎からずるりと抜け出すように腕が伸び、続いて体が形を成した。子どもの作った泥人形に、炎の翅が生えた姿。不格好であっても、それは確かに形としてそこにあった。
* * * * *
下から自分を支えるものを感じ、うっすらと開けたチュー助の瞳に、のっぺらぼうの泥人形が映った。
『……あんた、形ができたんだ』
高温の中、半ばぼんやりとした思考で、チュー助はただ、良かったね、と思った。
ゆるゆると落ちていきながら、精霊はそれでも必死に力を振り絞っていた。儚い火の精霊の羽ばたきでは、落下は止められない。
『……いいよ』
それでも、のっぺらぼうの顔で、精霊は首を振った。
火の下級精霊は、上昇する圧倒的な熱量の前に、ぐにゃりと形を崩した。せめて、と思い切りチュー助を突き飛ばして、それから、ただの炎になった。
どうして、せっかく形ができたのに……。
一瞬浮き上がったチュー助の体が、真下を向いた。
視界いっぱいに広がったオレンジの光の中で、チュー助は主を思い浮かべてにこっと笑った。ほら、主、俺様はかっこいい。
ただ、熱いよ。
「バカーー!!!」
その時、聞いたことのない声がチュー助の耳を貫いた。
* * * * *
「ユータ、行くよ!」
「あ、うん!」
返事をして足を踏み出したものの、何かが引っかかる。胸がどきどきする。
『……主ぃ……』
ほんのささやかな、チュー助の声を感じた気がした。
「チュー助?」
そっと短剣を撫でて、さあっと青ざめる。
「いない!!チュー助っ?!」
あそこだ!!
猛然と駆けだしたオレに、カロルス様たちの焦った声が聞こえた。
さっき感じた違和感、絶対にあそこにいる。
「チュー助が!!!」
「ユータあぁっ!!!」
口を開けた裂け目に身を躍らせた瞬間、すくいあげるようにシロが現われてオレを乗せた。
視界に捉えたのは、火の精霊ともつれ合うように落ちていく小さな姿。
「バカーー!!!」
自由落下よりなお早く、風を蹴って弾丸のようにシロが駆けた。
でも、でも……とてもじゃないけど間に合わない!
『ゆうた!!シールドでは無理よ?!』
分かってる……!瞬時にオレが発動しようとする魔法に、モモが悲鳴をあげた。
『ゆうた!!氷は…!…』
分かってる!!でも今これしかない!!
「氷っ!!」
「ユータ様っ!いけません!」
追いすがってきたマリーさんがオレを庇おうと手を伸ばしたのを感じる。
オレはカッと目を見開いた。
「溶けなければ、いいんでしょうっ!!」
溶岩の熱に、負けなければいい!オレは、チュー助を包んだ氷に、爆発的な魔力を込めた。
失敗したら、チュー助が助からない。集中するオレに、シロはモモのシールドを足場に体を安定させてくれる。
どぷりと溶岩に落下した氷の球体は、一瞬の均衡を保って浮き上がった。
負けるもんか……!!食いしばった歯が、ぎりぎりと音をたてた。背後のマリーさんが息を呑むのが伝わる。
チュー助、間に合っていると信じてる。
助けて、あげるからね……!!
不気味な静寂をもって、氷は静かに溶岩のただ中に存在していた。
そして、その静かな攻防は、突如変化した。
びし、びしり
「ユータ様……」
「うん……」
球体の周囲が、時間が止まったかのように静止した。
次の瞬間、みるみるうちに黒くなっていく溶岩に、思わずホッと気が緩んでしまう。
勝っ……た?
地下の空間に広がった明るい光が、チュー助の氷を中心に、ずしりと暗くなっていく。
――これならラピスも手伝えるの!
ある程度冷えてしまえば、大魔法はラピスのお手のもの。小さな鳴き声と共に、周囲の温度がみるみる下がっていく。
「ああ……」
胸をなで下ろしたマリーさんが、へたりと座り込んだ。
「チュー助!」
『ゆーた、ぼくが行く』
まだそこここでひび割れからのぞくオレンジの光の中、シロはひょいひょいと足場を選びながら、チュー助をオレの元へ運んだ。
震える手で氷を解除すれば、オレの手の中にくたりと力なく横たわった小さな体。方々が焼け焦げた毛皮に、ぼろぼろと涙が溢れた。
「どうして、一人でがんばったの……オレを呼んでよ……」
祈るように額をつけると、ありったけの生命の魔力を注いで回復を唱えた。
柔らかな光がオレを中心に広がり、ふわふわと質量を持って髪を揺らす。
やがて、閉じていた瞳を開くと、チュー助は元の柔らかなグレーの毛並みに覆われ、そのお腹は心地よさそうにすうすうと上下していた。
安堵したオレがふわっと笑うと、ゆらゆらと揺らめいていた髪と光が、徐々におさまっていく。
「……すげーな」
いつの間にここまで来たのか、背後でカロルス様が苦笑していた。
「こ、これはほとんどラピスがやったんだよ」
周囲の黒く冷えた溶岩に、オレは慌てて言い募った。
「そうじゃねーよ」
カロルス様は、少し躊躇うように手を伸ばすと、オレの頭を強くわしわしとした。
揺れる身体に伴って、ぐらぐら揺さぶられたチュー助が、ぱちりと目を開けた。
『……あれ?俺様……あれ??』
小さな手がぺたぺたと全身くまなく触って、おひげや尻尾を確認するうちに、まるい目がオレを見つけてみるみると水滴をたたえた。
『ある、じ……主ぃ……』
ほら、そんなにひっぱったら小さなお耳がちぎれちゃう。
「ごめんね、遅くて……チュー助の、おばか……」
震える声でごめんね、ともう一度繰り返して微笑むと、ついとオレの頬を熱い涙が伝った。
『ふうっ……う、うわあああん』
いっぱいに涙をためて、じっとオレを見たチュー助は、ついになりふり構わず大声で泣いて、両手を広げた。
温かく脆い体を、大切に、大切に胸に抱きとめて、オレもわんわん泣いた。
随分と心配をおかけしてすみません!
そんなに心配していただけるとは…チュー助は幸せ者です。ありがとうございます。
あのまま1日空けるのは忍びなかったので連日更新しました






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