320 怖い場所
暗いダンジョンの通路に、凍える寒さ。
カタカタと震える身体を抱きしめて、慎重に慎重に歩を進めた。幸い、レーダーが捉える範囲に魔物はいない。
どうしてこんな所に転移したのか分からないし、あの時の引っ張られる感覚が気にかかる。単なる事故でなく、誰かに連れてこられたのなら、できればシロ達は奥の手として残しておきたい。本当は心細くて堪らない……みんなと連れ立って歩きたいけれど。
ああ、ラピスもいれば……。
心配してるだろうな……きっと、オレを探し回っているに違いない。きっと辛い思いをしているに違いない。一生懸命オレを探しているだろうラピスを思って胸が痛んだ。
ダンジョンにいるせいなのか、それとも転移を邪魔した存在のせいなのか、オレはここへ来てからラピスと繋がることができないでいた。
とにかく、早くここを出なくては。ダンジョンにオレ一人だなんて、無謀がすぎる。
それに、この雰囲気には覚えがあった。そうだとすると、もう少し進めば……。
じゃり……じゃり……と心細い足音を響かせながら歩いた先は、ぽっかりと広い空間になっていた。
さらに冷えた空気に、ぶるりと凍えて身体をさする。
「ああ……ここ、なんだね」
あまり嬉しくはない予想が当たって、憂鬱な気分で目の前に広がる光景を眺めた。
ここは、冷たく、シンと深い地底湖のあるダンジョン。雷鳴の大太鼓、ゼローニャのダンジョンだ。
「……ここ、やっぱり怖い」
オレの足は湖の手前で止まってしまった。
思わず後ずさろうとする身体をなだめ、しびれるほどに冷えた指先で、大事な肩掛けかばんをきゅっと握る。
『戻るには、ここを通らなきゃいけないのね……』
『大丈夫、ぼくが走り抜けるよ』
『スオーがいる。きっと運が味方する』
ふわ、と温かくなる胸の内に、オレはこくりと頷いて、再び足を踏み出した。
湖のほとりに立って、なるべく下を見ないように前を向く。あまりに透明な深い地底湖は、まるで暗い空の上に立っているようだ。うっすらと、蠢くものの気配を感じるのがたまらなく不安だ。
ここは、シロの助けを借りた方がいいだろう。
ちゃぽん……
シロに声をかけようとして、ピタリと挙動を止めた。
あの時と同じ、どこからか見られているような気配。
ちゃぽん………
ぞわっと総毛立つような感覚に、バッとオレからみんなが飛び出した。
「――もっと、怖がらせてやろうと思ったのに」
突然聞こえた声に、オレは文字通り飛び上がった。
ピリピリと重くなっていく空気は、抑えてもなお溢れる敵意。目を凝らして見つめると、湖の奥からゆっくりとこちらへ近づく影があった。
「……誰?君がオレをここに連れてきたの?」
ぴちゃん、ぴちゃん……静かな水音を響かせながら、徐々に近づく影は、どうやら人の姿をしていて……そして、水面を歩いていた。
「1人だけ助かろうなどと……」
オレの問いかけなど完全に無視した言葉に、首を傾げる。オレには何のことか全く分からない。ただ間違いなく分かるのは、この人が怒っているということ。
ほんの数メートルまで迫った冷たく鈍い稲穂色の瞳に、真っ青な髪。少女とも少年とも見える小柄な人影は、美しい顔に冷たい無表情で、オレを睨み付けていた。
* * * * *
ルーは、何度目かのため息をついた。
「……確かに、加護は与えた。監視の必要があると感じたからな」
「そんなことを聞いているのではない!既に死んでいるはずの、お前の加護を持ったガキがいた!もしやと思えば……こんなところでのうのうと!なぜ穢れがなくなっている!」
巨大な漆黒の獣の前で、恐れもせずに怒りをぶつけるのは、ごく小柄な人物。年の頃なら14、5だろうか。青い髪を振り乱して詰め寄る姿は、いっそ痛々しいほどに必死だった。
「……不可抗力だ。既に死んでいたはずだった、それは違いない。だが、意識のないうちに穢れは祓われていた」
「だから!その方法を教えろと言っている!!」
「知らん」
素っ気ない台詞に、青髪の人物がいきり立った。
「貴様!!」
突如響いた断続的な金属音と共に、黒い小さな刃と、青い円形の刃物が転がった。
柔らかな下草の中で、鈍く光る金属に目をやって、ルーは金の瞳を細めた。
「ぐっ……くそ……」
肩に突き立ったごく小さな刃を抜き取って、青髪の人物は歯がみしてルーを睨み付けた。
「半人前が……勝てるかよ。一度は大目に見てやる。ジジイに免じてな……帰れ!!」
射殺すような視線を残して消えた人物を見送ると、ルーは再び深くため息をついた。
まさか、あんな面倒なヤツに目を付けられるとは。あいつは、きっとユータの所へ行くだろう。せめて、助言なら許されるだろうか。
「俺だって、祓えるものなら、とは思うが、な。しかし、ジジイはそんなこと言わねー。幼い命を引き替えにはしねーよ」
だから、おそらく大丈夫だ。そう思うが……あいつの濁った瞳が気にかかる。
「ち……こんな時に限って……あの野郎、最近全然来やがらねー」
ルーは、仕方ね-、と呟くと金色の光を纏った。すっと光が消えた場所に立っていたのは、不機嫌な顔をした黒髪の美丈夫。
しかし、あいつは自分の身に頓着せずに無謀なことをしがちだ。事情は話さない方がいいだろう。ルーは腕組みをして眉間にしわを寄せた。
* * * * *
「……どうして怒ってるの?」
身体の底から冷えるような心地を抑え、ひとつ息を吐くと、ぐっと顔を上げて冷たい瞳を見つめた。
「なぜ、ルーディスだけ助けた」
「?!」
オレはキッと視線を強くして身構えた。シロが寄り添うように半歩前へ出て、モモが徐々にシールドの強度を上げた。
ルーの真名……どうしてこの人が知っているのか。
「助けたって何のこと?オレはいっぱい助けて貰ったけど……」
途端にざわりと湖が波立った。
「うるさい!お前が祓ったのだろう?!来て貰うぞ!」
『ゆーた!!』
「シロ!」
どおっと滝のような水流が、掠めるようにオレ達のいた場所を襲った。すんでで飛び退きつつ、シロに跨がると、空中でひらりひらりと身をかわす白銀のフェンリルに身体を預けた。
「待ってよ!どうして攻撃するの!理由があるなら説明して!ちゃんとついていくから」
「嘘をつけ!この……!!」
青髪の人は随分と焦っているようだ。ものすごい力を持っているのに、心が安定していない。だから、攻撃も当たらない。
どうやら、オレに用事があるらしい。致命的なことはすまいとしているから、オレたちには余裕が生まれ、相手には焦りが募る。
「何かオレにできることがあるの?!ちゃんと、説明して!」
ちっともきちんと答えてくれない人に、これが最後と諦めつつも再び声を張り上げた。事情も知らずに、敵意を向けてくる人について行くことはできないよ。
このまま逃げられるかもしれないと、オレはシロと視線を交わした。
「だって……早く……爺様が……」
その時、小さな呟きに引っ張られるように、オレは青髪の人の顔を見てしまった。
さっきまでの冷たい表情が嘘のように、泣きそうに歪んだその顔は、まるで、救いを求める子どものようにオレを見て……。
『シロ!!』
モモの悲鳴のような声にハッとしたのが先か、激流に飲まれたのが先か。思わず足を止めてしまったオレとシロを、湖の冷たい水が攫って飲み込んだ。
「フン……」
再び波1つなくなった地底湖に、青髪の人物はずぶずぶと沈み込んでいった。
仕事納めは多分昨日ですが、普通に今日も仕事ありますよねー。なんなら正月も仕事です。
世間の年末ムードについていけないひつじのはねです。







