160 子どもの顔で
「着いたよ!もう目を開けて大丈夫。」
瞳を閉じていたら、くすくすと声がかけられた。閉じたまぶた越しにも、周囲が明るいことが分かる。そうっと瞳を開ければ、木漏れ日の中でにっこり笑うユータがいた。
「まぶしくない?もうちょっと明るいところに出るよ?」
「別に…明るくても大丈夫だ。」
大丈夫でないのは俺の顔。きっとぐしゃぐしゃになっているだろう。しつこく流れ出ようとする涙に四苦八苦しながら手を引かれ、木立が途切れたところで目を細めた。
「ここ、オレの好きな場所なんだ。向こうはもっと広いんだけどね、ルーがふて腐れるかもしれないから。」
「……すごい。」
あれだけ止めようと苦労していた涙がスッと引っ込んだ。
きらきらとした日差しを写して輝く、宝石のような小さな泉。わき出る清水で水面がゆらゆらと揺れ、色とりどりの草花は、命の喜びと輝きに満ちているようだった。
「ね、綺麗な場所でしょう?」
「………ああ。こんなにも美しい…。」
「エルベル様、ここでごはん食べよう!おやつも持ってきたよ!こうやって……。」
「お前…はしたないぞ!」
「エルベル様もするの!行儀悪くってもいいの、誰もいないから!」
あはは、と笑うユータは、靴を脱ぐとズボンの裾を腿までまくり上げて座り、素足を泉に浸すとばしゃばしゃと清水を蹴り上げた。
「おい、お前っ衣装が濡れる!大人しくしろ!」
「いいんだって~そのうち乾くから!ほら、エルベル様も!」
泉から足を上げたユータは、びしゃびしゃと水しぶきを散らせながらオレの方へ駆け寄った。
「こうして裾を上げておくといいよ!濡れても乾かしてあげるから大丈夫。」
勝手にオレのズボンの裾もまくり上げると、有無を言わさず泉の方へ引っ張っていく。こいつ、見た目に似合わず本当に強引なやつだな。
素足で歩くと思いの外柔らかく、みずみずしい草は少し冷たく感じた。地面を覆うように生えた草は、俺とユータの足型通りにぺたんとなってはゆっくりと起き上がる。
「冷たいけどすっごく気持ちいいよ!やってみて!」
見よう見まねで泉のへりに腰を下ろすと、笑顔に促されて、そうっと足を浸す。
「うわ、冷たっ!」
「あははっ!そうでしょう!でも気持ちいいよ~!」
底まで見通せる澄んだ泉。俺の真っ白な足には、ゆらゆらと光の網がかかった。
「……きれいだ。」
「そうでしょう?ほら、これも!」
ばしゃっ!ユータが豪快に足を蹴り上げると、波が光の軌跡を描き、飛び散った珠は七色に輝いた。ぱちゃぱちゃと水面に落ちる音すら心地いい。
「本当だ……。」
「ね、オレしかいないんだから、好きにしていいんだよ!…こんな風に!」
「あっ!?ユータ!?」
ざぼん!と派手な水しぶきを上げて、ユータが泉に全身を投じた。
「冷たーい!!」
きゃっきゃとはしゃぐ様は、冷たさなど微塵も感じさせない。
「エルベル様も入りやすくしてあげる!」
「わぶっ……!?げほっ…なんだ?!魔法?!」
楽しそうだな、とぼうっと見ていたら、大量の水が降ってきた…!!ばしゃ、なんてもんじゃない、風呂をひっくり返したような水量だ。
「ほーらもう水に入っても入らなくても一緒だよー!」
「お、お前ー!!」
この野郎!ざぼん、と飛び込むと水中で回し蹴りを放つ。
「うわー!わぷっ!」
どおっと押し寄せた巨大な波に呑まれて、けんけんとむせるユータ。わははっどうだ、ざまあ見ろ!
「エルベル様それ何ー!?すごいね、魔法?」
「俺らは魔法使えないぞ、今のは蹴りだ、蹴り!」
「え?でも転移は魔法じゃないの?コウモリさんになるのは?」
「魔法じゃないだろ?生まれつき使える能力だ。」
「そうなんだ!すごいね!!どうして蹴りがあんな風になるの?」
「知らん!お前達と比べたらずっとずっと力が強いからな。」
「ええっ!そうなの?そんなに細いのに!」
「うるさい!お前だって細いだろうが!」
「オレはまだ4歳だもん!これからもっとごつごつ逞しくて大きくなるんだよ!」
「……いや、無理だろ。」
怒るユータの水魔法(?)と俺の身体能力を使った水バトル。一応、泉を壊さないよう気を使って行われたそれは、腹の虫の声で終わりを告げた。
「あーお腹空いた!エルベル様のせいで!」
「お前のせいだろうが!そもそも飯食いに来たんじゃなかったのかよ!」
ずっしりと重みを増した衣装に、ぼたぼたと滴る水滴。こんな格好なのに、どうも口角が上がるのを抑えられない。衣装は重いが、何かが軽くなったような気がする。
「そうそう、美味しいごはん持ってきたんだよ!じゃあ一旦乾かして…。」
ひょいと振られた手に、一斉に水滴が持って行かれてふわりと衣装が軽くなる。
「ドライヤー!」
不思議な言葉と共に、温かい風が心地よく俺を包んだ。思ったよりも冷えていたらしい手足がぬくぬくと温まって、ほうっと息をついた。魔法って便利だな…こんな幼子でもここまで使いこなせる物なのか。
「よいしょっと!はい、座って!」
目の前に用意されたテーブルセットに戸惑いつつ腰掛けると、ユータが収納袋から次々と料理を取りだしていく。熱い物は熱く、冷たい物は冷たく、その収納袋、随分高性能だな。次々と取り出される料理はどれも美味そうだ。
そう、次々、次々と……。
「……なあ、ヒトの子はこのくらい食うのか?」
「えっ?オレはあんまり食べないよ!お皿ふたつぐらいで十分!エルベル様はどのぐらい食べるの?足りる?」
「……どうして足りるかを聞くんだ…。お前一体何人前用意した?」
「さあ……?」
大きなテーブルにいっぱいに並べられた料理の数々…一口ずつ食っても腹一杯になりそうだ。
「だってカロルス様たちはいっぱい食べるよ?エルベル様ももっと食べないと逞しくならないよ?」
「うるさい!俺たちはそういう体型にはなりにくいんだよ!」
「…そうなんだ…。」
なんだその哀れむ視線は!言っとくがお前も絶対逞しくならないからな!
なんだかんだ言いつつ、結局二人で競って3分の1ほど平らげてしまった。どれも美味かった…美味かったがもう食えん。
「ふあああ~。お腹いっぱいになると眠いね。ちょっと寝ていく…?」
やはり幼子だな、体を動かして腹を満たせばあとは寝るだけだ。だが俺はそうもいかないだろう。
「寝入ったら困る。城で寝るか?」
「ふふ、エルベル様、お城に戻りたい?」
言われて初めて気付いた。そろそろ城に戻らなくては、と自然と考えていることに。だって、きっと心配している……。心配?誰が?残ったのは俺しかいないのに?
なぜか揺れ始めた心に、思わず傍らのユータを見つめる。
「どうしたの?」
何もかも見通したような顔で優しく微笑む姿は、いっそ腹が立つほど俺を安心させた。
「そう、だな。心配…かけてるな……。俺、なんで一人だと思ってたんだろうな。あんなにたくさんの人が俺を心配していたのに。」
最初こそ王族の血筋への愛情だったかも知れない。でも、それだけでもないんだ。俺を心配して、伴侶が見つかったと心から喜んだ人々。伴侶は、血を絶やさないために必要だったから。でも、それだけでもないんだ。俺がユータを忘れたくて、忘れたくなかったように…人の心はひとつじゃない、そこには、それだけではない想いがちゃんとあったのに。
「……戻ろうか。俺は、もらってばかりだ。ちゃんと返さなきゃな。」
「もういいの?」
「いいさ、だって…お前、また来るんだろ?連れ出してくれるんだろ?」
ユータは明るい日差しの中で、にっこりと笑った。
「もちろんだよ!お姫様!」
…この野郎。眉間にしわを寄せてつかつかと近寄る俺、逃げるユータ。
ふわりと柔らかな風が水面を揺らし、きらきらと周囲を彩る光は、まるで極彩色の世界だと思った。
どうしても彼を楽しませたくて・・






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