1066 天上の香り
そよぐ花々の中、耳をすませば微かな笑い声が聞こえる。
『ふふふ、熱いね、熱いよ』
『花びらが、ばちばちするよ』
幻のような声が、近くなり、遠くなり。
ひら、ひらと時折舞う花びらが、桃源郷のような景色を彩っていた。
……そう、見た目だけは。
「こらー! 花びら入れちゃダメ! 危ないからね?!」
なかなか視界に捉えられない風の精霊さんを追って、きょろきょろ見回した。
『入れてないー』
『ちがうよ、シャラスフィードがやった』
「え?」
サッと隣を見上げれば、サッと視線が逸らされた。
ちょっと?! 王都を守る風の精霊様?!
「もう……! 油が跳ねて危ないでしょ、焦げちゃうし」
「我は危なくない」
「オレは危ないですけど?!」
フンとそっぽを向く精霊様は、本当に年経た上級精霊なんだろうか。
……まあ、今はとてもそうは見えないけれど。
頭には三角巾、そしてエプロンを装着して菜箸を持つ姿は、絶対に王都の人たちには見せられない。王様に見つかった日には、問答無用で打ち首になるんじゃないだろうか。
妙に、恰好だけは様になっているシャラを見上げて苦笑した。
オレはただ、ミックがあれだけ喜んでいたから、シャラも一緒にお菓子を作ったらもっと楽しいんじゃないかと思っただけで。
決してエプロン姿にしようと思ったわけじゃないのだけど。
「精霊様とか神獣とか、ちょっと変わった思考を持ってるよね」
上位存在の思考回路はよくわからない。だって、オレのエプロン姿を見て、自分も着ると駄々をこねるのだから。ついでに三角巾も装着したのはオレだけど。
もしかしてシャラなら、オレが着ていれば何の疑問も違和感もなく、ドレスでもメイド服でも着るんじゃないだろうか。
「こっちは美味くない。そっちを寄越せ」
大精霊を前に、すごく失礼なことを考えていたら、不満そうな顔で手を伸ばしてくる。
「そっちって何。まだ生だけど――あっ! もしかしてシャラ、生で食べた?!」
「生?」
「揚げるってことは、まだ生なの! 食べちゃダメなの!!」
「食い物なのに?」
「お肉だって生では食べないでしょう?!」
ふうん、と分かったような分からないような顔をするシャラに、食の認識の怪しさを感じる。シャラは、お肉も生で出されれば生で食べそう。いや絶対食べる。何なら討伐したてほやほやだって、困惑しながら齧ってみようとするかも。
これは由々しき問題。シャラへの供物は、きちんと調理済みの状態で出していただかねば……! 採れたてお野菜とか、絞めたての贄とか禁忌だ。
「精霊様は、お腹壊したりしないよね……?」
まさか生の小麦粉に負けはしないと思うのだけど。効果があるのかどうなのかサッパリ分からないけど、一応、回復と解毒魔法をかけておく。
「生のクッキーを、今揚げてるでしょう? その揚がったやつが完成品だから」
「こっちは熱すぎる」
「揚げたて直食いした?! 口の中見せて!」
肝をつぶしてシャラの口を覗いたけれど、そういえば今、回復魔法もかけたんだった。
大丈夫だな、と安堵して汗を拭う。
これは……大人と認識してはダメなやつだ。オレは今、5歳児と料理している。
「こっちはいらん。そっちを寄越せ」
「これは生! そしてこっちは熱々!! あのね、揚げたてはどれも熱々だから。少し冷ましてから食べなきゃ」
シャラが担当している揚げクッキーは、まだ完成品がひとつしかないんだけど。きっともう一つはお腹の中だ。
「そうか。なら、風で――」
「ストーーーップ!!」
突風を起こして全てを灰燼に帰す勢いを感じ、素晴らしい速度で割り込んだ。
「あのねっ! 冷ます間にどんどん揚げていけば、全部出来上がった頃には山盛りだよ! しかも、最初に揚げた分はすっかり食べごろ! 山盛りたくさん食べたいでしょう?」
こういう時、ダメと言っても、5歳児はやる。そういう生き物だ。
しばし考えたシャラがこくりと頷いたのを見て、ホッと胸をなでおろした。
良かった……周囲に油をぶちまけて、城の最上階で火災とか、洒落にならない。しかも、精霊様の神殿? で……なんて。
打ち首が生ぬるく思える重罪なんかになったら、王都が危ないところだった。主に、ロクサレンのせいで。
揚げクッキーのせいで、王都陥落の危機を招くところだったオレは、冷や汗を拭って油からドーナツを取り出した。
シャラは揚げクッキー担当、オレはチビ丸ドーナツ担当だ。こっちは中身を入れたものもあるから、ちょっと難しい。
「これはチーズ、こっちはバナナ、こっちはプレーン……?」
中身が漏れていない限り、見た目では中々わからない。揚げていくうち、段々ごちゃまぜになってきた。
ま、まあいいか。どうせ美味しい。
たこ焼きみたいなサイズ感の小さく丸いドーナツを、油の中でくるり、くるりと回す。少々いびつなのも、それはそれだ。粉砂糖をかけてしまえば、きっと気にならない。
ちょうど管狐色になったあたりで取り出せば、自然とこんがり感が進んでいい感じだ。
箸に感じるカリっと感に、喉が鳴る。
……美味しいだろうな。カリカリの外側、ふわもちっとした熱々の中身、湯気と共に出てくるのは……とろーりチーズか、ごろっとバナナか、はたまたあまぁいクリームか。
口から溢れそうになった唾液を、慌てて拭った。
これ、みんなが揚げクッキーにも慣れたら、色んな中身を入れて挑戦すると人気が出るんじゃないだろうか。お酒のお店だもの、甘くない中身もきっと需要がある。
黒コショウを効かせたチーズとか。スパイスを入れた玉ねぎとか。腸詰めなんかもいいかもしれない。
ひょいと小さなおつまみをつまんで、くっとお酒を飲む。
……いいんじゃないだろうか。オレは飲めないけど。
『ひとの子、ひとの子、こっちを見て』
『シャラスフィード、それ、ひとの子と違う』
うっとりちび丸ドーナツの可能性を考えていたら、くいくい髪を引かれた。
風の精霊さんが、慌ただしくヒュウヒュウ音を立てて飛び交っている。
「どうし……焦げ臭っ?! ちょっとシャラ?!」
「なんだ」
「入れ過ぎ!! そして焦げてる!!」
きっと早く食べたいあまりに、どんどん投入したのだろう。完全に底へ沈んで一塊になった生地から、煙が上がり始めている。
「そうか」
ひとまず取り出さねば――と思ったところで、シャラが勢いよく油をかき混ぜた。
高い空の下、一面の花が揺れる桃源郷。
舞い踊る花びら、沸き立つ油、上がる黒煙。
溶け崩れた生地がばらばら広がって、あたかも陰陽のごとく見事に黒い焦げと交じり合う。
かぐわしい花の香はとうになりを潜め、天上の空間にはもったり重い油と、焦げの匂いが充満していた。
「美味そうにない」
やっぱりそっちがいい、そんな視線を感じながら、オレは乾いた笑みでひっそり溜め息を吐く。
難しい……5歳児との料理。
ひとまず、すばらしく頑丈な5歳児であることには、感謝したのだった。






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