1047 何も、なかった
「――!」
ふわ、と動いた空気。
背後へ跳びかけて、傍らの木を蹴る。
今、いた場所に落下してきた黒い物。
今、着地しようとした場所へ叩き込まれた無数の蔓。
逆さまの視界でちら、と後ろを振り返って確認する。
蜘蛛と花、だね。
乗用車ほどの黒い蜘蛛が、多脚をクッションに着地して、オレを仕留め損ねたことを知る。
そして、多分、オレが仕留めたことは知らないまま。
「完全犯罪!」
どっ、と響いた音の結果を確認しないまま、宙で身体を捻る。
花なのに、見つかったと分かるんだろうか。植物らしく大人しい緑色の中に、一気に毒々しい肉色が咲いた。じゃくじゃく開閉する無数の顎。……花、じゃないかも。
やっと地面を捉えた足を踏みしめるより早く、飛来した蔓をいなした。
ひょう、と刃物じみた音はきっと、当たったら痛いではすまないもの。
視線より早く跳ねた腕が、次を、その次を。
蔓は全部で……6本。残念だね、オレは2本しかないのに。
にこ、と笑って突っ込んだ。
蔓の舞うただ中に。
躱して、捌いて、いなして、くぐって――跳んだ。
くるっと背中を向けて、そして。
爆発的な遠心力を両の短剣に込める。
さくり、と思ったよりも軽い手応え。
「必要な花って、これだっけ? これって花……?」
上下の分かたれた花? が、ゆっくりと蔓をのたうたせながら、萎れていく。
その背後では、黒々とした蜘蛛が氷柱に貫かれて息絶えていた。
返って来ない返答に首を傾げ、シロに咥えられた彼を覗き込む。
何か、小さく呟いているような気がして、耳を澄ませ――
「……帰る。僕、おうちに……。おうち、帰る……」
あ……これはダメなやつ。
「え、ええと、そうだよね。ちょっと、ココ博士も疲れちゃったよね! そろそろお昼にしなきゃね?」
あんまりサクサク魔物が出て来てくれるもんだから、ちょっとばかり調子に乗ってしまった。
だって、探しに行く必要がないんだもの。
「ちょっと二人とも! 集合~~!!」
ピッピー! と笛を吹くと、2対の視線がこちらを向いた。
『あ、危ないよ』
ふいっと攻撃を避けたシロの口元で、脱力した体が大きく揺れていた。
「僕、ここで暮らしたい~」
まだそんなことを言うラキは、タクトに抱えてもらった。
「ココ博士、どうしたんだ?」
爽やかに汗を光らせたタクトが、朗らかな声をかける。
ちゃんとシロに座ってはいるけれど、彼の目には何も映っていない。
「えっと、疲れちゃったかな……きっと、ごはんを食べる頃には元気になるよ!」
「飯、いっぱいあるもんな!」
にっと弾ける笑顔が眩しい。
でも、なんだかよくわからないものもたくさん採れたから、ココ博士が現実に戻って来てくれないと……。
そうだ、回復だ! と柔らかな光で包み込めば、ココ博士は憑き物が落ちたような顔で瞬いた。
「あ、れ……? ここは? 僕、恐ろしい夢を見た気が……」
さら、とシロの毛並みを撫でて、長々と息を吐きだしている。
も、もうちょっと森の外で回復した方が、よかったかもしれない。
「気のせいじゃない~? 僕は、すっごくいい夢を見てたんだけど~?」
「そ、そう、気のせいだよ! ココ博士、疲れちゃったみたいで」
「えっ、僕寝ちゃって……?! え、ここ森の中ですよね?! そんな所で?! まさかそんな!」
驚愕に目を見開き、頭を押さえたココ博士の呼吸が、だんだん荒くなってくる。
だ、だめだよ! このままでは封じられた記憶が……!!
「あ、あの、いっぱい獲物が獲れたから、帰るところだから! 今ね、帰ってるところ!!」
「いっぱい……獲物……?」
あああ、これはマズイ。
「はいオヤツね!!」
咄嗟に取り出した飴を、ココ博士の口へ突っ込んだ。
「……甘っ、おいし……えっ? オヤツ? 今?」
ぱちっと瞬いた瞳に、再び光が宿ったのを見て、額の汗を拭う。
「そう! おなか空いたでしょう? 今から森を出て、ごはんにしようと思って!」
「ごはんなのにオヤツ……?」
「前菜だからっ!」
「さすがに飴は前菜じゃないかな~」
「俺もくれよ! 前菜!」
2人は食べる必要ないんだけど! 渋々飴を差し出し、ここからが勝負だと気合を入れた。
仕方ない、使うしかないか……最終兵器を。
「ラピス、オレたちが森を出るまで、視界に魔物が入らないようにして!」
――わかったの! 楽勝なの!
あ、やっぱり選択を間違えたかな、と冷や汗が伝うほどにはきらきらした瞳と華やかな声で、小さな破壊神が消えた。
――皆のもの、素晴らしい任務なの! ユータたち以外の生きとし生けるものを半径いっぱいに渡って殲滅するの!!
「待って待って待って待って?! 言ってない、言ってないよそんなこと?! 魔物を! 魔物を近づけないようにしてほしいだけ!!」
――森にいるユータ以外の生き物は、大体魔物なの。
大体じゃ困るんだよね?! 中には人間もいるわけでね?!
下手すると、見覚えのないココ博士まで討伐範囲に入りそうなんだけど。
「人間は! 人間はどっちかというと守ってほしいというか!!」
――任務の難易度が跳ねあがったの。
渋い顔で耳を垂らしたラピスが、重々しく告げた。
そうでもないと思うよ?! そろそろオレ以外の人間にも興味を持ってほしいというか!
多分大丈夫、と傍らで頷くアリスを拝んでおいた。副隊長、隊長の暴走――は、止められないと思うから、暴走の前に止めてね?!
殺る気……じゃなかった、やる気に満ち溢れたラピス部隊が散っていったのをガラス玉の目で見送って、あとはもう、野となれ山となれというやつだ。
『あなたが達観したらダメじゃないかしら』
『アリスじゃなくて、主が止めなきゃなんだぜ』
それができれば苦労はしないんだよね。
ひとまず、オレたちの行く先から魔物と言う脅威は取り除かれた。
新たな脅威については、考えまい。
「あ、あのう……」
おずおず問いかけるココ博士の声に、努めてにっこり微笑んでみせる。
「ココ博士は、何も気にしなくていいよ。そうだ、獲った魔物のことで色々聞きたいな!」
「え、ええ。それはもちろん……でもですね」
「ちなみに、お昼に何を食べたい?」
ぐっと、笑みに圧を乗せてにこっとする。
「肉!」
「美味しいもの~!」
どうでもいい方面から帰ってきた返事を聞き流し、もう一度尋ねようとしたのだけど。
「そ、そうじゃなくて! あのっ、おかしくないですか?!」
「……何も、何一つ、おかしいことなどないよ」
「さすがに無理があるんだよなあ」
「ユータじゃあるまいし~気にならない方がおかしいよね~」
呑気なことを言う二人をじろっと睨んで、しいっとやる。
「おかしい、ですよ……。この音。一体、この森で何が……? なにか、恐ろしいことが起こっている気がする……」
気付いてしまったか……。
『天変地異かと思うわよ』
『異常しかないんだぜ!』
ろくでもないツッコミは、いつものように聞き流しておく。
気のせいに違いない。オレもそう思ってるから。
魔物一匹出ない森の中、響き渡るは悲鳴と、爆撃音。
木は裂け、藪が燃え上がり、大地が割れる。
ひっきりなしに聞こえる断末魔が奏でるメロディーは、まさに魔王の君臨と名付けるに相応しい……。
蒼白な顔をしているココ博士に、オレは華やかに笑った。
「工事でもしてるんじゃないかな! 何も問題はないよ」
「問題、ない……?」
うすら寒そうに両腕をさするココ博士に、オレは深々と頷いたのだった。






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