1029 想定外の迷惑
汗まみれの顔を上げた男は、空を確認して舌打ちすると、パーティメンバーに声をかける。
「おーい、急いで引き上げるぞ! マズイ時間だ!」
「えっ……うわ、マジか」
慌てた声が続き、ガサガサと藪をかき分けて数人の冒険者が集合した。
「街道まで戻る前に、日が暮れるな……」
「馬車に間に合わねえんじゃ……どうする?」
「どうするったって、野営しかないだろよ。休憩所まで歩いて、野営コースだな」
ブツブツ言いながら採取したものを袋へ入れ、慌ただしく帰路へ着く。
森の中で採取できるだけの腕はある。日が暮れたからといって、そう慌てる必要もない。
そうは思うものの。
「最近、魔物の動きが不安定って聞くしな」
「らしいぜ、ある意味書き入れ時だって言うヤツもいるけどさ」
冒険者間でまことしやかに囁かれる噂を口にして、彼らは森から出るべく足取りを速めた。
日が暮れると、冒険者の数は極端に減る。冒険者の多いこの森も、例外ではない。
小道に出ても誰とも遭遇しないことと比例するように、魔物との遭遇率が上がる。まだ、対処できる範囲ではあるが……。
焦燥を浮かべた彼らの耳に、ふいに妙な声が聞こえた。
「……おい」
「ああ、人がいるな。よし、同行できれば儲けものだ」
たとえ同行料を求められたとしても、この時間に残っている実力者のはず。
そろそろ恐怖を感じ始めた彼らは、頷き合って声のする方へ走った。
「――うーん、どうしようかなあ」
薄暗くなる森の中、あまりに間延びした声に、駆け寄った彼らは思わず足を止めた。
小道の先に、別の冒険者グループがいる。
そして、彼らが取り囲んでいる人物が、明らかに異質だった。
「どうしようじゃないんです! これ以上は僕らも守り切れませんよ?!」
「早く戻って下さい! 子どもがいるんですよ?!」
詰め寄る冒険者は、見立ての通り実力者とみえる。ははあ、と察した男たちは視線を交わして少し安堵する。
恐らく、道楽貴族と、その護衛に雇われた冒険者たち。きっとCランク以上だろう。
「あ~うん……。いい人たちだけに何とも……」
苦笑する貴族をまじまじと見て、彼らも思わず声を上げた。
「は?! あんた何やってんだ?!」
「こ、子ども?!」
目を剥いた彼らに、雇われらしい冒険者たちが振り返って大きく頷いている。
「そうだろう! 君らからも、説得してくれ!」
「このままでは、子どもが危ない!」
その言い方はギリギリだな、と思う。聞き分けのない青年の方は、もうどうなっても仕方ないと言わんばかりだ。そう、なんと貴族らしい青年の腕には、幼児が抱えられていた。
「しょうがないよ、セデス兄さん。悪党ならいいかと思ったけど、いい人に迷惑かけられないよ」
困った顔をした幼児が、思いのほかしっかりした口調で兄らしき人物を見上げる。
「でもさ、あと2種類だよ? せっかくここまで出て来たのに……」
「また来ればいいでしょう」
なんと、幼子の方がよほどしっかりしている。
固唾を飲む彼らの前で、青年が渋々納得したらしい。しょうがないなあ、と方向を変えた。
「ちなみにさ、付いてこなくていいんだけど」
何となく2つの冒険者グループが付きそう形になり、各々に視線をやった青年が困惑顔をする。
おや、雇われじゃないのかと注視すると、彼らは今にも怒りを爆発させそうな顔で青年に対応した。
「……そういう、わけにもいかないでしょう。見かけてしまったので」
「見捨てたとなれば、後からどうなるか。そもそも、私たちも後味が悪いですし」
……なるほど、この貴族たちはえらく幸運だったらしい。そして自分たちも、必然的に彼らの護衛をしながら森を出る必要がありそうだ。
「この時間、無事に街道まで出られても、乗合馬車はありません。どうやって帰るつもりですか」
「なんで僕、怒られるのかなあ……。えーっと、まあ、それは僕ら専用のアレコレがあるというか……」
「つまり、帰りの足はあるのですね。なぜ、護衛も連れずに?」
「だから必要ないからって何度も言ってるのに……」
どうやら、気さくなタイプの貴族らしい。ピリピリしている冒険者が失礼な態度になっているけれど、そこを咎めるつもりはなさそうだ。
何も分かっていない幼児が、弱り切った兄を見てくすくす笑っている。
さすが、貴族と言うべき容貌の兄弟だ。大変愛らしい幼子の様子に、先の冒険者たちが怒りを隠せないのも頷ける。
自然と前を彼ら、後方を自分たちが護衛し、既に明かりの必要となりつつある森の中を歩く。
まだ『う~ん』と言いながら、中心で警戒もしていない貴族の前で、見事な手際で魔物が屠られる。
これは、自分たちにもメリットで違いない。
ひとまず、実力者に同行できた幸運を感じていると、兄弟のひそやかな会話が聞こえてくる。
『どうしたもんかなあ。ユータと一緒で大丈夫かなあ……迷惑がかかっちゃうよ』
『どういう意味?! 迷惑かけてるのはセデス兄さんでしょう! だから早くって言ったのに……』
『だって、コソコソ草の生態を生で見られる機会なんてないから……。どうしよう、手伝う?』
『オレの経験上、手伝うとこう……目立つから……。万が一の時って感じで』
危機感が欠片もない会話に、つい苛立ちが募る。目の前で戦闘している彼らが見えないのだろうか。
一体、何を手伝うというのか。
ふいに幼子が兄へ耳打ちして、頷いた青年が咳払いした。
「あー、せっかく送ってもらってることだし、回復しておくね。はい、回復~!」
適当すぎる! と弟に小突かれながら、青年が手の平をこちらへ向ける。
途端、ふわり……穏やかな光と共に体が軽くなった。まさか……?!
「なっ?! 回復術師……!」
「一度に、こんな……?!」
目を丸くした銘々に、青年はただにっこり微笑んで再び歩き出す。
心なしか、先を行く冒険者たちの目に畏怖が見える。それはそうだろう、貴族で、高度な回復術師。相当貴重な人材のはず。自分たちが想定していたより、ずっと立場が上の可能性がある。
正体を聞こうか、聞くまいか。悶々とする空気の中、ふいに、青年と幼子が後ろを振り向いた。
そして顔を見合わせて、互いに何かを擦り付け合っている。
「ほぉらやっぱり! 巻き込んじゃったじゃない」
「オレのせいみたいに言わないで?! そもそも、巻き込んだのはセデス兄さんだから!」
急に立ち止まった彼らに困惑を浮かべていると、青年が後方援護の彼らの方へ歩み寄って来る。
「どうしたんです?! 戻ってはダメです!」
慌てる前方の冒険者をちらりと見て、薄闇に輝くような美貌の青年が肩をすくめた。
「彼ら、Cランクらしいけど、君たちは?」
「え、あ……D、です」
「そっか~。じゃあ、下がろうか」
何を、と言おうとして口をつぐんだ。
ひやり、と鋭い気配が触れた気がして。
駆け戻って来た冒険者グループが、足を止める――別の理由で。
「しまった……! に、逃げ――」
顔色を変えた彼らを見て、慌てて青年の向こう側へ視線をやって。
ひゅっと息を飲む。
バレたか、とでも言うように藪から姿を現した、禍々しい魔物の姿。
「エンギャク……」
いくら夜に近いといえ、こんな魔物が出てくるなんて。
猿に似た頭に、蜘蛛のような身体。大人の男を越えるほどの大きさのそれは、多脚をゆっくり動かして間合いを測る。
「ひ、怯むな、こちらは数がいる……!」
Cランクたちが、鼓舞するように身構えた。
そしてその『数』に自分たちが含まれているのか、と気付いた一方が震えあがる。
ゆらり、エンギャクが大きくゆらめいた時。
ギィン、と響いた音。
Cランクたちが分かったのは、弾かれて落ちた刃物のような爪と、さらりと香ったいい匂い。
そして、いつの間にか自分たちの前にいた青年。
「アレ、一体じゃないからさ。簡単に引っかかりすぎだよ? もうちょっと周りを見ようか」
にこりと笑った青年が、再び悠々と最前線へ戻ると、振り返って手をかざす。
「シールド! はい、これで君たちは大丈夫だから。決してそこから動かないこと」
エンギャクに向き直った青年の代わりに、ひょこっとこちらを振り返った幼児が、にっこり場違いな微笑みを浮かべたのが見えた。
前々回の皆様の熱いツッコミが楽しかったです!
皆さんはちゃんと気付いてたんですね……?! さすがです!!!






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