1008 変わったことがあれば
夕食がステーキだったら、もうやることがない。
明日の朝食はどうしようか考えながらぼうっとしていると、向かいのテントに動きがあった。
そっと窺うように入口から顔を出したノールさんが、オレと視線を合わせて気まずげにする。
体調はよくなったんだろうか。
だけど駆け寄って見上げたその顔は、あまり具合が良さそうには見えない。
「まだ気分が悪い?」
「いや、別に体調が悪いわけでは……」
「そう? あの、今日の夕食はステーキになっちゃうと思うんだけど、食べられそう?」
「ステーキ? 随分、豪華な……俺も食っていいのか?」
もちろん、と笑うと、こくりと生唾を飲んだのが分かる。うん、食べられそうだね!
ふいにノールさんの視線が野営地を彷徨って、不思議そうにする。
「君しかいないのか? 野営は、危険だったはずだろう? しかもここは、俺が大怪我をした場所だ。俺が戦えるかもわからないのに……君らは、安全な所へ行った方が良い」
ああ、ラキはテント内で加工作業しているから。
落ち着いたら、野営のリスクについて思い至ったんだろうか。だけど多分、普通の人なら大騒ぎしてオレたちを帰そうとするだろうから、その辺りの記憶もまだしっかりはしていないよう。
そう言えば、聞かれなかったし言ってなかったなとにっこり笑う。
「ノールさんが戦えなくても、オレたちは戦えるよ! オレたち、Cランクだよ」
「君たちが? CランクはDより上じゃなかったのか?」
困惑顔のノールさんに、くすっと笑った。
「そう、Cの方が上だよ。あのね、オレたち結構強いから」
全然分かってなさそうな顔だけど、まあいい。事実は事実。
「せめて、戦えそうな子がいないと危険だろう。どこへ行ったんだ」
「夕食をとりに行ってるよ。タクトはもちろん戦えるけど、オレもラキも戦えるよ?」
なんでタクトだけ戦える認定されるんだろう。
そりゃどう見ても鍛錬している身体だけど、この世界にはノールさんみたいな従魔術師、魔法使いや召喚士だっているのに。
「とりあえず、ここはシールドがあるし、安心して! ノールさんは、何か用事だった?」
顔を出した時の様子を思い出して、小首を傾げる。
「あ……いや、何ということはない。ああ、でも……今のうちに少し用を足してきてもいいか? ついでに、少し辺りを歩きたい」
「いいけど……危ないよ? ついて行く?」
でも、自分の安全に配慮するようにと、ラキに釘を刺されていたなと思い出した。
「いや、多分、大丈夫だ。そのくらいの戦闘はできるように思う」
「Dランクだもんね。トガリもいるなら、大丈夫かな?」
「ぴい」
任せろと言いたげに鳴いたトガリ。頼もしい限り……だけど、トガリは戦えないよね。
ただ、探知系幻獣だから魔物を避けることには長けてるだろう。
二人が離れていくのを見守りながら、レーダーで追えるようにしておく。
身体の使い方、歩き方、雰囲気。伝わる印象から、ノールさんはそれなりの経験を積んだDランクだと思う。1人で行動することに疑問や不安を感じていなさそうなところも、そう感じる要因かも。だって、記憶がなくても、本能的に不安がったりしそうだもの。
「……動き始めたね~?」
すぐそばで聞こえた声に飛び上がって、向き直る。
「ど、どういうこと?」
「ついて行ってみる~? もしかして、少し記憶が戻っているのかもよ~?」
気配を殺してそっとついて行くと、姿を確認できるかできないかの所で、サッとトガリが振り返った。
あ……そうだよ、トガリがいたら無理じゃない? オレだけならともかく、ラキの隠密具合では、多分トガリの感覚に負ける。
苦笑してトガリに手を振ると、不思議そうにしつつ大丈夫と判断してくれたらしい。
「近づくのは無理じゃない? ラピスたちにお願いしておこうかな」
「そうだね~。何か目立った行動があったら報告かな~」
……果たして事件とお祭りの区別もつかないラピスに、そんな高度なことができるだろうかと思いつつ、お願いしておく。
――任せるの! しっかり監視しておくの!
少なくとも、何かあっても彼らの安全は確保……ええと……命だけは助かるかもしれない。
『むしろ、何もなくても命の危機があるんだぜ!』
うんうんと頷くチュー助に、乾いた笑みを浮かべた。
そ、そんなことは……ないことを祈る。
再び暇になってしまったオレは、野営地で蘇芳のブラッシングなどしつつ、暗くなっていく空を見上げた。
ノールさんはラピスたちに任せてあるけれど、報告を聞く限り記憶の元を探すというより、まっすぐどこかへ向かっているように思える。
「何か、思い出したことがあるのかな」
ラキのセリフを思い出し、少し視線を下げた。
山賊……なんかじゃないと思うんだけど。
「ねえラピス、今はどのあたり?」
――谷に近いの。シロなら、ここからすぐなの。
うん、シロならどこでも大体すぐだね。
谷なんて見かけなかったから、結構離れているんじゃないかな。
彼らはちゃんと戻って来られるだろうか。これだけ暗くなると、魔物との戦闘も苦労するだろうに。
――大丈夫だと思うの。それなりに頑張って倒してたの。
「えっ?! 魔物と戦闘したの?!」
――さっきしてたの。もうしてないの。
あの……それって確かに日常だけども、それも報告が欲しかったな、なんて……。
「他には? 何か変わったこと、えーと……ただ歩いている以外のことがあったり、ありそうだったりする? 周りの様子も、えーーと、木とか自然物以外に魔物がいるとか、変化があったら教えてね」
伝えるって、難しい。しみじみ感じていると、元気な声が返って来た。
――それなら、谷に人がいるのは変わったことなの? 人は大体どこにでもいるの。
「うーん、それだけだとなんとも。冒険者もいるかもだし」
――冒険者じゃないと思うの。住んでると思うの。
「え?! 住んでる? どこに?」
――谷の、穴の中なの。結構いっぱいいるの。
虫か何かみたいな言い草に、がくりと項垂れる。それは……結構変わったこと、だね……。
「たくさんの人が谷の洞穴に住んでるの?」
――そうなの。ゴブリンみたいだけど、ラピス人だって分かったの! 緑じゃないの!
うん……確かに一番の違いはそこだね。得意げなラピスに、オレたちもゴブリンと大差ない認識なのかと、ちょっぴり切なくなる。
「そ、そっか、ありがとう。でも、ここらに村はないって言ってたよね? どうしてそんな所に人が?」
と、オレの声を聞いていたラキが、尻を払って立ち上がった。
「どうしてだろうね~? ①とっても山が好きだから ②山中BBQを目論んでるから ③山賊だから」
「あっ……」
③が来るまでどっちもあり得ると思っていたオレは、ハッとラキのぬるい笑みを見上げた。
そうか、山賊なら確かに見た感じも、ゴブリンに毛が生えたようなものだ。
『偏見がひどすぎるぜ主ぃ!』
『あうじ、ひどいんらぜ!』
どうでもいいところに突っ込むチュー助たちをよそに、もう一度気が付いた。
「えっ……?! じゃあ、その付近にいるノールさんが危なくない?! 行かなきゃ!」
「一番危ないのは目下のところそっちじゃないかもね~? ラピスがいるんでしょ~?」
きょとんと一拍の後、オレはさっと青くなった。
「は、早く! 行かなきゃ!!」
大変だ。この暗さだもの、万が一にも不審者と思われてノールさんに攻撃したりなんかした場合、山賊(仮)が一番危ないかもしれない。いや、それが山賊だったらそれでいいんだけど!
「でも、もしただの山好きやBBQ好きだった場合に……!!」
チャトで行ければ早いけれど、ラキを置いて行けない。
オレたちは野営地をほっぽり出して、ノールさんたちの元へ駆けつけたのだった。