1007 ラキの懸念
「ねえ、牛を呼ぶって言ってたけど~。あの音で牛が来るの~?」
「それ、すげえ便利――あ……いや、安全な場所だったらなってこと!」
無邪気に言いかけたタクトが、ノールさんに気付いて一生懸命方向転換している。
ラキの真剣な瞳に促されて、視線を彷徨わせるノールさんが額の汗を拭く。
「いや……あの音では、来ない、はず。牛寄せの報せが……あるはず」
「へえ~? 決まった合図があるってことだよね~?でも、この笛はノールさんのじゃないの~?」
「違う……と思う」
ぽたり、と滴る汗を見かねて、割って入った。
「もしかして、ノールさんはこの辺りで住んでいたのかな? 牛使いの人とか、いたのかもしれないね」
「牛使いって……魔物だけどな? あんな大群、従魔のわけねえし」
うん……? じゃあ、牛寄せってどういうこと? だって、単に笛の音に惹かれてくるわけじゃない、合図があるんでしょう?
つまり魔物がその合図を覚えるよう、訓練したってことだ。……野生なのに?
あれ? と首をかしげて、ノールさんを見る。
「ノールさんは、何か思い出したことがあるの?」
どうして、彼はこんな苦しげな顔をしているんだろう。てっきり、大怪我をした場所だからだと……そう思っていたのだけど。
「いや……断片しか。まだ、何も分からない」
どうして、その断片をオレたちには言ってくれないんだろう。
ラキは、どうしてノールさんから常に距離を取るんだろう。
「そっか。ゆっくり食べて寝たら、朝に思い出しているかもよ! そうだ、テント用意するね」
少し、腑に落ちないものを無理に飲み込んで、にこっと笑う。
「いや、大丈夫だ。外で寝られる」
「え、じゃあ小屋を作ろうか? でもテント、余ってるから大丈夫だよ?」
「テントが、余る……? 小屋を作る……? どういうことだ、俺の記憶がおかしいのか……?」
保たれていたと思っていた常識までが覆されそうで、ノールさんが頭を抱えてしまった。
あ、あの、ごめんね。そういうつもりじゃ……。
「ユータがいると、余計に混乱をきたしそうだよなあ」
「ちょっぴり気の毒だよね~」
他人事みたいに! オレたちは、パーティ。そうだよね?!
タクトにテントを押し付け、たき火を囲んで反対側に設置してもらう。
当然、モモシールドは完備だけど、言わなくていいだろう。
『ねえ、ぼく牛さん取ってきていい? タクトも行く?』
「おう! 美味そうなヤツにしようぜ!」
「いいけど、1頭いれば十分だからね?! また貯肉が増えるだけだから!」
「けどさ、牛ってあんま狩ってねえだろ?」
それはそうだけど。彼らの張り切り具合に任せたら、20頭くらい狩ってきそうで怖い。釘を刺すくらいでちょうどいいと思う。
「夕食にするなら、早く帰ってこなきゃいけないんだよ? 処理もできればそっちでやっておいてね! モモ、処理の手伝いとストッパー役をお願い」
『ストッパーは期待しないでほしいわ』
「分かった!」
『ぼく、速く行ってくるね!』
うん、速度の問題ではなかったんだけど。まあいいか。
うっしうっしお肉~なんて気の抜けたルンルンの歌声が、一瞬でかき消えてしまった。
えーと。モモがいるから……多分、シールドは間に合っただろう。タクトだし、万が一間に合ってなくても、四散するようなことはない。
「さて。記憶をたどるために、今日はシンプル料理にするよ! 焼いただけステーキだから……他は何にしょうかな」
「ステーキって、普通焼いただけじゃない~?」
どうでもいい所にツッコミを入れられつつ、サラダにスープ、あとはどうしようかと頭を悩ませる。
ステーキなら、パン? それともごはん? 日本人的にはご飯なんだけどねえ。
付け合わせもシンプルに……マッシュポテトくらい?
そのかわり、お肉は塩で味わった後は色んなソースを使えるようにしようか。
明日以降用のローストや煮込みは、夜の間に管狐部隊にお任せで。
テントを設置したら、中に引きこもってしまったノールさん。
具合が悪そうだったけれど、大丈夫だろうか。そんな人にステーキを用意してしまって、非常に申し訳ない。でも、定番の野外飯と言えば、焼いた肉ではある。
テントの方を見つめていたら、側で素材を確認していたラキが顔を上げた。
「用心、してね~? 特に、僕の安全に~」
「どういうこと?」
「悪人じゃないって保証がないでしょ~? 僕、Dランクの相手に接近戦で勝てる気がしないよ~?」
「そうだけど……悪人って感じはしないよ?」
トガリを撫でていたノールさんを思い浮かべ、大丈夫だと頷いた。
「だけど、おかしいでしょ~。あの笛~」
「うーん、自分のだって思い出せないだけじゃない?」
「だとしたら、悪人決定だけどね~」
「え、決定なの?!」
驚いてラキを見ると、苦笑が返って来た。
「だって、つまりは魔物寄せと同じことだよ~?」
「そうだけど! でもそれは、おいしいお肉を食べるためなんじゃない?!」
「それはユータとタクトだけだね~」
なぜ?! 万人共通の欲求のはずなのに。
「100歩譲って、魔物を寄せる訓練をする理由があったとして~。それを、あの場で使う意味は~?」
「あ……そっか」
わざわざ、山道を踏み荒らす必要はないし、もっと安全な場所で寄せればいい話だ。
「あそこで使う意味が、何かあるってこと?」
「『拾い物』目当てだとしたら、結構黒だよね~?」
ノールさんが零した言葉。それが、何を意味するか分かっているようなラキに、首を傾げた。
「山道を通る商人なんかがいたとして~。そこに牛の大群が来たら~?」
「あ……。でも、荷物だってぐちゃぐちゃになるよね」
「どんな荷物かにもよるよね~。あと、金目の物なら残りやすいし~?」
なんだか、もう黒だと決まっているような口ぶりに、ちょっと眉尻が下がった。
淡々と説明したラキが、オレの顔を見て少し肩を竦める。
「……とはいえ、今のところ何も証拠がないし~? 唯一の笛は自分のじゃないって言うし~?」
そうか、だからラキはまだ様子をみてるのか。
「そうだよ! もしかして、他の人のかも――あれ? そうだとしたら、この辺りって結構危なくない?」
だって、もしここらの牛に合図を教え込んだとして、相手は魔物。別にそれ以外に言うことを聞いたりしないし、どこに行くか分からない。
人間の方が、ここらで滞在して通る人を調べ、計画的に動く必要がある。
多分、一人では無理なんじゃ。
「つまり……山賊的なやつがいるってことじゃ?!」
「当たり~」
にっこり微笑んだラキに、思わずよし、と拳を握ってから首を振る。
「そ、そうじゃないよね?! 大変! 危険じゃない!」
「誰が~? ここらに村はないし~」
「……オレとか?」
「……」
にこ、と無言で笑ったラキにえへ、と誤魔化しの笑みを浮かべた。
ちょっと、言ってみただけじゃない……。
「つまり、目下のところ危ないのは僕だけだから~存分に注意してくれる~?」
「はい……」
絶対大丈夫だと思うけど。でも、賢明なオレは殊勝な顔で返事をするにとどめたのだった。