1005 足取りをたどって
「匂いを辿るにしても、一気に行っちゃうとダメだよね」
「思い出さなきゃ意味がないからね~。ゆっくり歩こうか~」
「ついでに、依頼の食材が出てきたらいいよな」
ひとまず朝ごはんでも、と言ってはみたものの、焦燥感溢れる彼が頷くはずもなく。オレたちはおにぎり片手に森を歩く羽目になっていた。
どう見ても空腹だろう彼とトガリにも、もちろん渡してある。
もりもりおにぎりを食べる男性が、難しい顔をして額に手を当てた
「こんな美味いもの……今まで食っていたのか? 何も思い出せない……」
「あっ、違うぞ。これはフツーじゃねえから!」
「そうそう、それで合ってるから~。絶対食べたことないと思う~」
「そ、そうなのか?!」
あっ……そっか。もっとこう、一般的な食べ物を出すべきだった。
ごろごろお肉のカレー煮おにぎり、大変好評のようで良かったけど。
「ところでさ~、持ち物とか身に着けている物にヒントはないの~? まずそういう所からじゃない~? 冒険者なら、少なくともランクは分かるよね~?」
「確かに! もしかして収納袋とか持ってたら……!」
「そうか……!」
全身をまさぐった男性が、身に着けていたもの、ポケットに入っていたもの、全部取り出した。
Dランクカード、ナイフ、手帳、小額のお金。
「Dランクか~。これがあれば、ギルドに戻れば一発で色々分かるんだけど~?」
「そうか……なら、すべきことが終われば行く」
頑なだなあ……。まあ、ひとまずギルドに戻れば、どこの誰かは分かると判明しただけでも良かった。
それが分かったところで記憶が戻るわけじゃないなら、彼の用事をすませてからでもいいのかな。
「なんか……持ち物がすごく少ないね?」
「重症だったんだろ? なら、その怪我したあたりに落ちてんじゃねえ?」
なるほど。だってこんな装備で外に出るのは、ロクサレンな人たちくらいだもの。
唯一情報になりそうなのは、手帳かな。
「これ、多分依頼について書いたりしてるんじゃないかな~?」
「あーそうだな。結構几帳面なヤツなんだな、あんた」
生息地、特徴、部位、付近の村……これは討伐依頼についてのまとめかな? こっちは道程やら何やら……護衛か調査依頼かも。色々書きつけてあるけど、あんまり丁寧に書かれていないし、いつ書かれたものかもわからない。
「ああ、そうだ。依頼を受けたら一旦ギルド内資料で調べるから……」
「じゃあ、一番最近のメモがどれか分かれば、一気に目的が分かりそう!」
「けど、『やらなきゃいけねえこと』が依頼とは限らねえだろ」
そっか……外で急ぐ理由って、大体依頼かなと思ったんだけど。結局、それは記憶が戻らないとどうにも、だね。
『主ぃ、従魔札は? ルルだって持ってるんだぜ!』
「え? 従魔札?」
チュー助の声に、ラキがぽんと手を打った。
「あ~従魔札があったね~。名前くらいなら分かるかな~?」
「鑑札みたいなものがあるの? トガリ、ちょっと触らせてね?」
びくっとしたトガリだけれど、ピンと緊張しながらじっとしてくれている。
怖がらせないように目の前からゆっくり、頬へ手を当て、そっと滑らせていく。
思いのほか柔らかい毛並みを慎重に撫でると、首元で何かが触れた。
オレの小さな手が探り出したのは、細いネックレスのようなもの。
「これが、従魔札?」
細い鎖の先に、ドッグタグのようなものがついている。
「そう~。登録している従魔は必ずどこかに身に着けなきゃいけないやつ~。主人の名前は入ってると思うよ~」
オレたちが額をくっつけるように覗き込んだタグには、種族名と何やらいくつかの数字と記号、あと……
「「「ノール」」」
訝し気な顔をしている男性を振り返った。
「ノールさん。これが、冒険者さんの名前みたいだよ! ね、ノールさん!」
「ノール……」
「何も思い出さねえ?」
眉根を寄せている所を見るに、名前から何か思い出すものはなさそうだ。
「でも、名前で呼んでるうちに、何かこうピンくるかもしれないよ!」
一歩前進、と拳を握ったところで、先を歩いていたシロが振り返った。
『あのね、この先に川があるから……ちょっと難しくなっちゃうかも』
「川を渡ったんだったら、匂いが途切れちゃうね……」
『うん。でも、渡ったなら向こう岸の匂いを探せばいいよ!』
頼もしいシロの声に励まされ、歩くことしばし。
やっぱり行く手を遮るような川が現れた。
『うーん、匂いが途切れてるから、川には入ってるみたい。ぼく、向こうの匂いを探すね!』
シロがそう言って川を飛び越えようとした時、トガリがぴいと鳴いた。
『ええと、何だろ? 川、そっちじゃない、のかな?』
苦労してトガリの訴えを聞き取ろうとするシロが、右へ左へ首をかしげて耳を立てる。
『あっちから?』
シロの鼻づらが、上流の方を向く。
「もしかして、流されてきたか、川の流れに乗って来たかってことかな?」
「ぴい!」
今のは分かる。その通りだと言ってるんだろう。
「じゃあ、川に沿って上流に向かってみる? ねえトガリ、来た道を覚えているなら教えてくれる?」
「ぴ……」
「大丈夫、シロもいるから。合ってるかどうかは、答え合わせができるよ!」
丸みを帯びた耳としっぽが、きゅっと持ち上がった。『それなら頑張る』と言っているよう。
「うん、お願い!」
『一緒に、頑張ろうね!』
にこっと笑うオレに、二人+もう一人の視線が突き刺さる。
「やっぱ会話できるじゃねえか」
「完全に会話してるよね~」
「俺には何も聞こえないのに……」
やめて?! 分かるでしょ、ボディランゲージ的なソレで。
ノールさんまで……! オレだって何も聞こえてないからね?!
ぴこぴこ、と耳を動かしたトガリが、素早くノールさんの左足に寄り添った。
「ああ。トガリ、『探せ』『先行』」
「ぴい」
すすっと身体一つ分前へ出たトガリが、細長い鼻先をふすふす動かしながら歩き出す。
そして、導かれるように歩き出したノールさん。
「……思い出したの?」
「そう……だな。思い出したというか、知っているというか……。そうだな、こうだった。トガリは優秀な斥候だから」
トガリを見て、一緒に行動して、それでこうして記憶が戻ってくるなら、やっぱり過去を辿ることに意味があるかもしれない。
「あ、もうひとつ発見~」
本を見ながら歩いていたラキが、ページを開いてみせた。
「角がある黒い牛って、これじゃない~?」
「おー、ホントだ黒い牛!」
「ブラックバックホーン? 結構凶暴そうな牛だね」
ノールさんにも挿絵を見せたところ、思い切り顔を顰められた。
「そうだ、コイツ……! これが大群で」
微かに震える指を見て、あの怪我の原因がこの牛なのかなと顔を見合わせる。
水牛のような大きなツノが4本、いかにも猛々しい顔の牛っぽい魔物。これが大群でいるところへ遭遇したなら、助かったこと自体が奇跡だと思う。
「でも基本、積極的に襲ってはこないみたいだけどね~」
獰猛な見た目のわりに、動物に近い性質のよう。
真っ黒な牛をまじまじと見て、ハッと気が付いた。
そうか! この牛が大量にいた、というのがノールさんの一番新しい記憶ということは……!
「もしかして……! ノールさんも牛肉大量確保を目論んで……?!」
「『も』ってどういうことかな~?」
「そんなわけねえだろ。賛成だけど」
『黒毛和牛じゃないのよね』
割と核心を突いたのでは、と思ったオレの意見は、即座に否定されてしまったのだった。