992 魔物研究家
「――というわけで……カレーはもったいないことになっちゃって」
今さらながら、100人カレーを想って涙が浮かびそう。
あれがあったら、しばらくはカレーに困らなかったのに……。夜中に頑張って作ったのに……。
「使い方はもったいねえが、さすがに郷の人命かかってちゃあ、粗末にしやがってとは言えねえ」
渋い顔をしつつ、そうは言うけれど。
それなら、オレの頬を引っ張る手をなんとかしてほしい。
「それにしても、スパイスによっては惹かれる魔物もいるってことか……不思議なもんだな」
そうなのかな? 猫にマタタビみたいなもんかと思ったけど、そもそもスパイスって、植物が生き物に食べられないようにするためのものだもんね。
毒であることの方が多いだろうに、組み合わせで何かしらの変化でもあったんだろうか。食物で爆弾を生成できるエリーシャ様のように。
「スパイスを研究したらさ、もしかして魔物対策に有効だったりしないのかな?」
そうすれば、森人たちも毎回カレーをぶちまけに行かなくてもいいのに。
何気なく呟いた時。
「その話、詳しく聞かせてもらおうか?!」
「えっ……?」
威勢のいい声に振り返れば、戸口に立っていたのは、次代領主様。
そんな興味深い話だったかな? と首を傾げて思い出した。
そう言えばセデス兄さんって、魔物関連の専攻で、変なものばっかり好きだったよね……。
いつもやる気の感じられない瞳が、今は活き活きしている。
どうやら、変な琴線に触れてしまったよう。
「詳しくって、一体何のこと?」
面倒くさそうだと思って一応とぼけてみたけれど、がっしり両肩を掴まれてしまった。
「僕、今ちゃんとこの耳で聞いたよ? 素晴らしいじゃない、魔物が好きなスパイスについての研究……! それぞれの好みだとか、傾向があるかもしれない!」
そんな話だったかな……? あくまで、魔物対策の話だった気がするのだけど。
「どっちかというと、嫌うものを探す方が簡単そう……」
だって、刺激臭って人間以外は大体嫌うじゃない?
「ふむ、それはそれで面白そうだね!」
口元がにまにま緩んでいる。嫌だなあ、こんな領主。魔物のどうでもいい研究ばっかり熱心な……。
「いや坊ちゃん、そりゃ結構いい線いってますぜ? うまいスパイスの配合が見つかりゃ、新たな魔物避けや魔物寄せになるかもしれませんぜ?!」
胡乱な目で見ていたのに、少し考えたジフがそう言って身を乗り出してきた。
「あー……それってもしかして、またロクサレン発の『新商品』って感じ……?」
途端にセデス兄さんがトーンダウンしているけれど、本来領主が食いつくのはそっちだと思うんだけど。
「そうでさ! 今までの実績がありゃ、今回だってバカ売れ間違いないですぜ!」
ジフが言うと、悪だくみにしか聞こえないんだけど、もし本当にスパイスで魔物避けや寄せが作れるなら、今あるものよりずっと安価にできるかもしれない。
魔物『避け』はそこまで高くない消耗品だけれど、魔物『寄せ』だと明確に効果があるのは呪晶石の魔道具になる。それ以外は、普通にエサになる動物を置いたりするくらいで――
「あ! そういえば、プレリィさんが何かを煮て、魔物を寄せていたことがあったような……」
あれも、結構な臭いがしていた。
「やっぱり、魔物も動物に近い生き物だもんね。匂いには敏感なはず……まずはその森人から情報を聞きたいね!」
「でも今、プレリィさんは森人郷にいるよ」
意気込んでいたセデス兄さんが、がくりと肩を落とした。どうやら、本当に研究を始めるつもりだろうか。
「うう……ユータ代わりに聞いてきてよ! 情報料は支払うって伝えて!」
「それだけなら、別に構わないけど……。でも、プレリィさんお金だと受け取らなさそうだから、何か別のお礼がいるんじゃない?」
うーんと腕組みしたセデス兄さんに、ジフが耳打ちした。
「そこはほら、後々結果の共有するとかなんとか、上手いこと言っちまえば……」
「なるほどね! 僕のコレクションでもいいかと思ったけれど、きっと食材関連のことがいいんだよね? じゃあ、スパイスと魔物の研究結果を提示すれば……!」
どう考えても、セデス兄さんのコレクションはいらない。あれは、世間一般ではゴ……不用品と言うんだよ。
『あんまりオブラートに包まれてないわ』
ふよっと揺れたモモが、ぬるい視線を注いでいる。その視線の範囲内にオレを含めないでほしい。
「じゃあそもそも、その研究にプレリィさんも入れちゃったらいいんじゃない?」
何気なく言うと、ハッとした顔でオレを見た。
「そ、そうか……! その手があった! じゃあ僕、ちょっと書をしたためてくるから!」
急に貴族っぽいことを言ったかと思うと、セデス兄さんは髪をなびかせて駆けて行ってしまった。
プレリィさん、忙しそうだけどこういう研究なら、喜んでやってくれそうな気がする。そして、あのまま森人郷に籠もり続けられても困るので、帰宅願望を強めるにはちょうどいいかもしれない。
「へへ……これでまたひとつ、金になる話が増えたな」
「……うん」
にやり、と笑った笑みはやっぱりどう見ても悪事を企む山賊だけど、言ってること自体は――あれ? 言ってる内容も悪事だな。
で、でも込められた思いは、領地の発展を願う純然たるもの……のはず。
『金にはなるけど、トラブルにもなりそうなんだぜ!』
『ロクサレン、ユータ、金もうけ、となると……やっぱり大騒動にはなるわよねえ。また王都あたりで大ブームが起きそうよ』
訳知り顔で頷き合うモモとチュー助に頬を膨らませ、そんなことはない、今回は! と小さく言っておく。だって美味しいものでもなく、美容系でもないもの、そう派手なことにはならないだろう。
『と、言いつつも……?』
つんつん、とオレの頬をつつくチュー助に、顔を引きつらせた。
そういうのを! フラグって言うんだよ!
『フラグならもうとっくに立ってるわよ』
モモのセリフはそっと聞こえなかったことにして、さっそくスパイスを引っ張り出しているジフをそのまま、厨房を出た。
仕方がないよね、セデス兄さんがお手紙を書き終わるまでは、ロクサレン滞在だ。
ふふっと笑みを浮かべて伸びをした。
ここへ来ると、すっかり気を抜いている実感がある。
自分が小さくなったような森の中では、どうしたって緊張感があるんだろう。
のほほんと2階廊下を歩いていたら、突如襲い来る感覚――危機察知!
はっとその場を飛び退き、咄嗟に手すりを越え、階下へ逃れ――られなかった。
ぴたりとオレの動きに追随した影が、見事に空中でオレを抱きしめる。
「……うふふっ、捕まえました」
くるり、体を捻って難なく着地すると、すべすべした頬がすり寄せられた。
「マリーさん……ただならぬ気配で迫って来ないでよ……」
急な危機感に、かわいそうな心臓がバクバクしている。
「ですが、ユータ様は転移されてしまうので……。今おられるうちに、どうしてもと思いまして」
アッゼさんの転移に反応できるマリーさんなら、オレのゆったり転移なんて余裕で捕まえられると思うのだけど。
「そ、そう……何かあったっけ? あ! もしかして」
「そう! もしかしてです! ぜひお見せしたく!!」
ウキウキキラキラするマリーさんが眩しい。よっぽどいい出来だったんだな。
そして、現れないエリーシャ様がどこにいるかも察した。
投稿日を間違えて投稿したのを気付いた8/2の朝。本来今日23時投稿でした……
ああ……仕事帰ってあんなに眠くて気を失いそうになりながら書いたのに……ごはんも食べずにそのまま寝たのに……( ノД`)シクシク…