990 最善策
『速いね! 楽しいね!! 蛇さんこちらー!』
引き離しすぎず、捕らえられず、ヨルムスケイルの鼻先で絶妙な速度を調整するシロが、生き生きしている。なかなかシロを追いかける魔物っていないから、心底楽しんでいるようで何よりだ。
「これだと、あっと言う間に三樹外に行くけど~」
「その後、どうすんだ?」
振り返り振り返り走るシロを微笑ましく見ていると、結局いい感じに巻き込めた二人がそう言った。
「後って? 三樹外に連れて行けばいいんじゃないの?」
首を傾げると、二人も首を傾げた。
「で? 三樹外まで行っても、折り返して戻って来ねえ? 匂いも辿れるんだろ?」
「ただただ、蛇連れて往復することになるよね~?」
あっ……そうか。
既にオレたちも、結構カレー臭はするだろうし。
蘇芳がぷすーっと笑ったけど、オレは親父ギャグを言ったんじゃないからね?!
「そもそも、四樹内って僕たち大丈夫なの~?」
「えーと、あんまり大丈夫じゃないよね……多分」
だって、この蛇クラスが生きている森だ。何がいるかわからない。
「でもさ、お前も結構『森のお気に入り』なんだろ? じゃあ大丈夫なんじゃね?」
「ユータはそもそも大丈夫じゃない~? 一番危ないのって、常に僕なんだよね~」
……オレの中で、『森のお気に入り』が別の意味を持ち始めていて、複雑だ。決して、いやなことではないはずなんだけど……だけど。
否定するのも、森に悪い気がして、微妙な顔をするしかない。
「オレだけってわけじゃないでしょう? タクトとラキも多分入ってるよ!」
「入ってねえだろ」
「違うと思う~」
即否定?! だったらオレも否定してよかったんじゃ?!
なんとなく納得いかない会話をしながらも、もうすぐ四樹内に入ってしまう。
『どうしよう? あんまり行かない方がいいんだよね?』
困った顔で木を蹴ったシロが、アクロバティックにヨルムスケイルの攻撃を避けた。
「どっちにしろ、ある程度四樹内まで押し返さないといけないから……四樹内真ん中あたりまでは行こう! 気を付けて!」
『分かった!』
「モモ、シールドは常にお願いできる~? うっかり死にたくない~」
『任せなさい! 最強の甲羅を見せてあげるわ!』
決してラキたちには聞こえないけれど、キマったモモの台詞に、チュー助が頬を染めて喝采をあげている。
「蘇芳がいるから、とりあえず一旦は死なないんじゃねえ?」
「一旦じゃ嫌だ~」
それはそう。蘇芳には全力で頑張っていただきたい。
そうこうする間に、周囲の環境は既に巨大化していた。
振り返って確認したヨルムスケイルが、普通の蛇サイズに思える不思議。
ヨルムスケイルにとっては、こっちの方が身動きとりやすいんだろうな。巨木は変わらないけれど、不思議と三樹内よりも密集度が減っているから。
代わりに巨草というべきか、木々クラスの草が生えているから、オレたちにとってはむしろ見通しは非常に悪いけれど。
「で、来たはいいけど……どうしようかなあ」
『スピードアップして、置いて行く?』
「でも、そのうち匂いを辿って来ない~?」
「蛇ってそんなに鼻が利くのか?」
どうなんだろう……? ヨルムスケイルの生態なんて知らないからなあ。だけど、普通の蛇と似たようなものなら、犬とは比較にならない程度のはず。ある程度離れたら、大丈夫……と信じるしかない。
「うまく撒けたら、そこで洗浄魔法をかけるよ! そうしたら、さすがに追っては来られないだろうから」
真剣な顔で視線を交わし、頷き合った時、チュー助の呟きが聞こえた。
『もしかして、ヨルムスケイルが郷に執着してたのって、主のカレーのせいだったり……?』
ハッとした二人が、オレとカレー容器を見比べる。
「ち、違うよ?! だって、カレーを作る前から、ヨルムスケイルが三樹内あたりまで出て来てたじゃない?! しかも、さすがにこんなに離れた場所から匂いを感じたりしないよ!」
それだと、シロクラスの超絶嗅覚になってしまう。
「確かに~? だけど、偶然郷の方までエサを求めてやってきたとして~」
「襲撃はどっちにしろあったとして、中々離れようとしなかったのは、もしかするともしかするのか?」
たらり、と汗が伝う。
そんなことは……そんなことはない、はずだ。
だって、その時カレーを食べていたわけじゃないし……。
だけど、あのカレー鍋、残りは『草原の牙』面々が持って行ったような……。
ほとんど残ってなかったのに、それを翌朝食べるんだと言って……。こびりついた分はスープにすればさらにもう一回楽しめるとか……。
可哀そうなものを見る目をしていたキルフェさんを思い出す。
うん、そうか。
「つまり、カレーのせいでそんな影響があったとして、オレじゃなくて『草原の牙』が原因だね!」
スッキリした顔で頷いたのに、二人の視線が限りなくぬるい。
逆に言えば、今こうしてヨルムスケイルを確実に引き離す術をもって現れたオレが、救世主ってことに他ならない。
『そうか……?』
『スオー、とりあえず考えるべきは今それじゃないと思う』
……ごもっともです。
今、まさにデッドヒートよろしく、攻撃を避けながら駆けているシロに申し訳ない。
『あっ、ねえゆーた、おっきいねずみさんがいるよ!』
……と思ったけど、全然余裕だね。
「どこ? そっかここだと、ねずみもでっかいん――でっか?!」
にこにこするシロの視線を辿ったオレたちは、ぱかっと口を開けた。
「ねずみ……じゃないと思うけど……どっちかと言うと、イタチ系……」
「そういう問題じゃねえよな?!」
「ええ~?! 常軌を逸してるよ~!」
そびえ立つ、チャコールグレイの毛並みをもった壁。
嘘でしょう、哺乳類ってこんな大きなサイズで生存できないでしょう?!
『何言ってんだ主ぃ、ドラゴンとか、Sランクの魔物とか、でっかいの色々いるんだぜ!』
くっ……確かに。魔法って理不尽だ。
巨大哺乳類は、どうにもこっちを窺っているように見える。
肉食かな?! 肉食っぽいよね?! やめて、こんな小さな生き物、腹の足しにもならないよ?! カレーだって刺激物だよ?!
ヨルムスケイルに加え、こんなデカ哺乳類にまで狙われてしまったら……。
そこまで考えて、はたと思いついた。
「シロ、一気にあのねずみに近づいて! タクトは、これ!」
「え、どうすんだ?」
「ああ、なるほど~? いいかもね~」
ラキには伝わったらしい。説明する間もなく、肉薄する哺乳類。
ちら、とこちらを見たけれど、それよりヨルムスケイルの方に気を取られているよう。
サイズ的にはヨルムスケイルに軍配が上がるけれど……ヨルムスケイルの餌というには大きいように思う。
「シロ、跳んで! ねずみより高く!」
『わかった!』
素晴らしい速度で草と木を駆け上がり、高々飛び上がったシロが、ねずみの頭上を飛び越えようとする。
「タクト、今! ぶちまけて!!」
「えっ?! あ、おう!!」
「ピギュ?!」
急に強烈な匂いがする何かが降ってきて、さすがにビックリしたか、ねずみが上を向く。
だけど、その時点ではもうオレたちは地面に降り立っていた。
「さあ、ねずみのカレー和え!! 召し上がれ!!」
「もったいない~」
言い終わるか終わらないかのうちに、バキベキと壮絶な音が周囲に響き渡る。
うねるヨルムスケイルの巨体が、方々の草をなぎ倒している。
既にそこでは、大怪獣バトルが勃発していた。
「どっちが勝つ?」
「さあ~? でも、ヨルムスケイルには『森の守り』があるんじゃない~?」
「ねずみも結構いい感じだよ? もしかして引き分けるかな……」
「そうなるとさ、あのねずみ、匂いが消えるまでずーっと蛇に狙われるんじゃね?」
あの、それはその、申し訳ないと思うけど……でも、これが最善策じゃない?!
「さすが、森のお気に入りだな」
「発想が違うよね~」
絶対、それ悪口だ。二人のじっとりした視線を受けながら、オレは不貞腐れていたのだった。