989 魅力的な生き餌
「――可能性はあるね。匂いとしては相当強烈なわけだし」
顎に手を当て、考えこむようにプレリィさんが呟いた。
「うん! まずは、ヨルムスケイルが好きかどうか、試してみなきゃ……!」
「そうさね、だけどその『まず』、が一番の難関だと思うんだけどねえ?! 普通はね??」
半ば諦めたような顔で、キルフェさんが言う。
大丈夫、オレならシロがいるし、シールドだって使える。ちっちゃすぎて丸のみ不可避だから、万が一ごっくんされても、きっと無傷で転移して出られる。
「僕、ここに残ってもいいかな~?」
「俺らも比較対象だから、行かなきゃいけないんじゃね?」
「うん、オレと二人だったら、どっちに行くかなってのも大事な比較材料だから!」
普通は、食いでのない『オレ一人』対『ラキ&タクト』なら、二人の方へ行くはず……多分。ヨルムスケイルのサイズ感からしたら、誤差範囲という気がしないでもないけれど。
「とりあえず、比較しないよりマシってことで!」
「その程度の理由で、僕、命を危険に晒したくないんだけど~」
「大丈夫! モモをつけるから! 万が一食べられて助けられなかったとしても、最終的にお尻からは出られるよ! 収納袋に食料とか入れてあるから!」
にっこりサムズアップすると、ものすごくじっとりした視線が寄越された。
「それはさすがに嫌だぞ……蛇、めっちゃ長いだろ。何日も腹の中で過ごす羽目になるじゃねえか! 尻から出るのも嫌だ!」
「そういう問題じゃないんだよね~」
じゃあ、どういう問題なのか。安全対策はばっちりだと思うのだけど。
とにかく、ものは試し! ダメなら別の手を考えよう。
ひとまず3人でシロに乗り、ヨルムスケイルよりも森の奥側へ出るよう、大きく回り込む。
「ヨルムスケイルの近くで、素早くオレと二人を下ろしてもらうから、なるべく目立ってね!」
「すごく嫌~~意義を感じない~」
「いいじゃねえか! あの蛇、めっちゃ近くで見られるぞ!」
そうこうする間にも、ぞくぞくする気配に近づいているのがわかる。
圧倒的に大きな存在の気配。
『もうすぐだよ! ぼくはユータの中に戻った方がいいんだよね?』
「うん、シロがいると用心されるかもだし! モモ、蘇芳もOK?」
『スタンバイ、OKよ!』
『スオー、ちゃんといる』
モモと蘇芳が二人についていれば、大抵のことは大丈夫。万が一のための管狐連絡部隊も配置して、あとはヨルムスケイルがどう出るか。
『下ろすよ!』
駆け抜けるシロの背中から、まずオレが飛び降りる。
そして、ヨルムスケイル的に少し離れた場所に、ラキとタクト。
「すっげー……でか……!!」
「絶対おかしいでしょ~! 僕今からでも帰りたい~!」
……目の前にそびえ立つ、鱗を持った壁。
滑らかな体表は、それでいて大理石の彫刻のような無機質感を。
ず、ず、と振動するようなわずかな身じろぎと、湾曲部のシワに生命を感じる。
神々しさと禍々しさの両方が存在するような、圧倒的な巨体。
オレたちに気付いていないのか、それとも気付いているけれど無視しているのか、遥か高みにある頭は、しっかり郷の方を向いている。
「よしっ! じゃあこっちに注目!! ええと、ヨルムスケイルもきっと蛇と感覚器官は同じかな?」
だったら、大きな音より振動だろう。
「タクト! 地面が振動するようなことして!」
「は?! 何でもいいのか?」
ちょっと考えたタクトが、手近な巨木を蹴った。
ヨルムスケイルよりも大きな木が、ぐわんとたわむほどの力で揺らされる。
振動はともかく、頭上からいろんなものが落ちてくるわ、息を潜めていた魔物や動物たちが大騒ぎするわ、中々派手なことになった。
「うわ、こっち向いた~!」
ゆっくり首を巡らせたヨルムスケイルの、感情の見えない瞳が、オレたちの姿を捉える。
「よしっ! じゃあ、出すよ!」
どん! と収納から取り出した途端、あたりに独特の香りが充満する。
お風呂の半分ほどある大鍋に、溢れんばかりのカレー! ジフが馬鹿みたいに作るから、こんな量になったんだけど。
これが、もしヨルムスケイルの好む香りになるんだったら、大儲けなんだけ――
「うわわわわっ?!」
カレー鍋を収納にしまうのが早いか、シロがオレを掻っ攫うのが早いか――間一髪。本当に阿吽の呼吸だった。
「おー、蛇もカレー好きなんだな!」
「そんなことないと思うけど~? とりあえず、助かった~! じゃあ帰ろうか~」
待って?! いや帰ってもいいのかもしれないけど、でもオレ一人?!
「そそそ、そんな好きだったの?! シロ、ありがとう」
『どういたしまして! 蛇さんもカレー好きなんだね! ぼくも好きだよ!』
一気に飛び掛かってきたヨルムスケイルは、丹念に舌を出し入れしながら、さっきまでカレー鍋があったはずの場所を観察しているらしい。
「これ、もうこのままオレたちが3樹外まで連れて行く方がいいよね?!」
「オレたちっていうか、ユータが~?」
「俺らいらなくねえ?」
いってらっしゃい、と手を振る二人に憤慨して駆け寄った。
「一緒に行ってくれないと、オレ、あの大鍋を持って移動できないよ! 鍋を持つ係、引率係が必要でしょう?! あっ、そうしたら、オレじゃなくてむしろタクトとラキでもいけるんじゃない?!」
あんまりにも他人事な態度にむっとして、なんとか二人を巻き込もうとする。
「大鍋じゃなくてもいけそうだろ! カレーは小分けして持ち運べよ……」
「引率は僕である必要ないよね~」
『……キャンプの相談でもしてるのかしら』
『やっぱ主も、危機感が逃げて行く仕様なんだぜ!』
『も』とか言わないで?! とりあえず、オレに残った匂いを感じたか、ヨルムスケイルがオレたちの方に首を巡らせたから、慌てて3人でシロに飛び乗った。
「いい? 一瞬でカレーを取り出して小分けにするからね?! ラキ、この小鍋を持って! タクトはオレたちのシートベルト代わりね!」
「カレーの小分けに命かけたくない~~」
そうこうする間にも、ヨルムスケイルがこちらに狙いを定めている。匂いは薄いけど、とりあえず口に入れてみようかという雰囲気を感じる。
「もう迷ってる暇はないよ?! 覚悟を決めて!」
視界一杯に、鎌首を引いた大蛇が見える。
「すげえ緊張感あるはずなんだけどな……」
ぼやくタクトの声をよそに、お玉を構える。
「カレー、行くよ!!」
気合一発、大鍋を取り出した瞬間にお玉でひと掬い、ふた掬い――
ヨルムスケイルがぴくっと反応した瞬間、大鍋を収納、タクトの腕に力が入る。
ドオン、という音は、背後から聞こえた。
『ぼく、蛇さんに捕まらないようにするね! しっかり掴まってて!』
口の中に獲物が入っていないことを察したヨルムスケイルが、素早くこちらを捉え、猛然と迫る。
あまりにも巨体だからこそ、並大抵の速度ではどうにもならない。
「引き付けながら、お願い!」
『分かった! 追いかけっこだね!』
蛇は動くものを狙うから……だから、カレーを置いてもきっと効果がないだろう。
オレたちが逃げ回ってこそ!
楽し気に弾む足取りで、オレたちはカレーの匂いを引きつれて森を駆け抜けたのだった。
19巻書影、ご覧になりましたか?!
めっちゃかわいいのは言うに及ばず、帯の下部にもご注目!!