8・秋の終わり、冬の始まり
眠い目をこすって夜明けの町に出る。
『ひとつ終わらせてから寝るとしよう。時期を逃すな』
「はい」
今日は燃えるゴミの日。ゴミが回収される前にゴミの集積所に行く。
いた。
一羽のカラスがゴミ袋を破いて漁っている。どうやったのかゴミにかかっていたはずの緑のネットは外れて転がっていた。
上を見れば電線に二羽のカラスがいる。飛び立ってゴミを漁ろうとして、先にいた一羽に追い払われてまたもとの電線の上に止まる。
『最近はカラスは少なくなった。代わりにハトが増えたが』
ゴミを漁るのに夢中になってるカラスにうしろから近づく。
音をたてないようにこっそりこっそり。
『止まれ、これ以上近づくと逃げられる』
足を止めてパチンコを出して構える。ポケットからパチンコ玉を右手に持つ。
ゴムを引いて狙いをつける。左目をつむって右目でパチンコ玉とパチンコのY字の中心を結ぶ線の上にカラスを重ねる。
カラスの動きが止まるのを待って、右手を離す。
ゲアァッ
当たった。カラスは鳴いて倒れた。ゴミ袋の脇のアスファルトの上でじたばたともがく。
逃げられないように走って近づいて頭を踏みつける。首のあたりに体重が乗るようにして足を捻ると、カラスは静かになった。
『上出来だ』
カラスを拾ってビニール袋に入れる。
上を見れば二羽のカラスは逃げたのか、もういなくなっていた。
『次の集積所に行ってみるか』
ゴミの集積所を回ってカラスを撃ってみたものの、上手くいったのは最初の一羽だけであとは外して逃げられてしまった。
「難しいです」
『要練習、だな』
いつもの川の橋の下で、カラスの首を切る。カラスの足をロープで縛って流されないようにして、川にカラスを落とす。ロープの橋を流されないように石に縛っておく。
『これで血抜きができる。一眠りしたらとりに来るか』
「はい」
川の中でカラスが食べられなければいいんだけど、この川にはカラスを食べる魚はいないのかな?
カラスは大きいからネズミより食べるところが多そうだ。
カラスの肉はどんな味だろう?
川の水で手を洗って、僕とお父さんの家に帰る。出勤の時間なのか道で人とすれ違う。
いまのところ僕を汚い浮浪者と通報したりは無いのだろうか?
人に見られないように気をつけて家に入る。二階に上がって布団に入って眠る。
おやすみなさい。
することはいっぱいあった。だけど終わるとすっきりする。
自分が上手くできれば食糧が増える。ひとつできることが増えるたびにひとつずつ豊かになる。
終わったらぐったりすることもあるけれど、人殺しや誘拐とは違って心が重くなって気持ちが疲れることはない。
新しいことに挑戦して学んで憶える。
お父さんはいろんなことを教えてくれる。
なんで学校では本当に大事なことを教えてくれなかったんだろう?
人として生きることより前に生き物として生きる方法を教えてくれたら良かったのに。
ネズミの捕り方やヘビの捕まえ方。
ネズミを調理して食べる方法。
カラスの捌き方や肉を保存するための方法。
食べられる野草の見分け方。
文字の読み書きよりも九九よりもおぼえなければいけない大切なこと。
生きること。
それを知っていれば、僕は誰も殺さなくても良かったかもしれない。子供を誘拐しなくても良かったかもしれない。幻覚剤を梱包して売る手伝いをしなくても良かったかもしれない。
生きるためにはお金が必用で、そのお金を稼ぐためには人殺しも誘拐も仕方の無いこと。
それはやっぱり間違っていると思う。
だけど世の中はお金を稼ぐためにはなにをしてもいい。
悪くても見つからなければいい。
これが当たり前で、それを違うという僕の方が間違っているらしい。
それでも、やっぱり。
そんなことをいつまでもぐるぐると考えてしまうのだから、やっぱり僕は頭が悪い。
ネズミ捕りの罠を修理してネズミを捕まえる。パチンコを練習してカラスを捕る。解体するときに内臓を引き出すための道具をハンガーを改造してつくる。下着をクエン酸を溶かしたお湯で洗って部屋の中に干す。魚を釣って捌いて干物にする。畑から盗んだ作物を壺に酢を入れて浸ける。使えるゴミを拾ってくる。寒くなったときのために毛布とか拾ってくる。
盗むことも多いけれど、いつかは盗まなくても生きていけるようになりたい。
誰にも頼らず一人でも生きていけるように。
空き家の一階にゴミを捨てに来る人に見つからないように、足音が聞こえたら息を殺して潜む。そして捨てられたゴミの中から使えそうなものを探す。野菜の皮は洗って切って煮込んで食べる。使い捨てのティーバッグをいつつまとめてお湯でグツグツ煮れば、出がらしだけど紅茶が飲める。
お父さんが大量に炭を持ってきてくれたので、七輪が大活躍する。
『換気に気をつけて、一酸化炭素中毒にならないようにしろ』
窓も割れてて隙間が多いからたぶん大丈夫。
木片を焼いて出た煙でネズミの開きの塩漬けを燻す。カラスの肉も燻製にする。
保健所では野良の犬や猫が処分されているという。ペットショップの売れ残りも同様に。
食糧にするから分けてくださいと頼んだら譲ってもらえるのだろうか?
それともお金で買わないといけないのかな?
道に、ご自由にお持ちください、と書かれた籠の中にマグカップとお椀があったので貰っていく。ただで手に入るものはけっこうある。
繁華街のパチンコ屋やデパートに入ってトイレからトイレットペーパーを貰っていく。捨てられている雑誌と古新聞は炭に火をつけるのに使う。
ポリタンクで公園の水道から水を汲んで持って帰る。
林で食べられる草を探して持って帰る。ちょっとした切り傷とか火傷にはアロエを切って張り付ける。
そんな毎日をお父さんと過ごしていた。
雨の日には空き家で工作したり、お父さんと麻雀牌で神経衰弱をしたり、拾ってきたオセロや駒の足りない将棋盤でハサミ将棋をしたりした。
お父さんは強くて手加減しないからいつも僕が負けていたけど。
季節は過ぎて秋が終わり冬になろうとしていた。
平成二十五年の十一月ごろ。
楽しい日々を過ごしていた。
『この空き家が使えなくなったときのために、他の候補も探しておくか』
こんないい物件もなかなか無いだろうけれど、小さい庭はゴミ袋で埋もれて、ここもいつまで使えるかはわからない。
『心当たりをあたってくる』
お父さんはそう言ってふらりと出かけて行った。
『三日ほどで戻るから心配するな』
おいていかれる、と一瞬パニックになりかけたけれど落ち着いておとなしく帰りを待つことにした。
他に空き家は無いのかな、と夜中の散歩に出る。ついでに粗大ゴミを物色する。
寒くなってくるから、湯タンポとか欲しいなぁ。
ちょっと遠出をしてふらふら、うろうろと。
人の住んでいないところ。ネズミが住んでいればなおいい。水が近くで汲めるようなところ。こう考えると今住んでいるところはかなり恵まれているんだなぁ。
ぁぁ………ぁ……
通りすぎようとした家、その中から小さな声が聞こえた。その家に近づいてみる。
…………ぁぁぁ……
その家の中から聞こえてくる。女の子の声のようだ。
玄関の表札には鈴木と書いてあり、その下には張り紙がある。張り紙にはマジックで、鈴木さんのお父さんは借りたお金を返しません、と大きく書かれていた。
僕は回りを見て人がいないのを確認して、軍手をつけてピッキングツールを取り出した。
関わらずに放っておくのが賢いとは思う。
だけど気になってしまったから。
玄関を開けて中に入って閉める。女の子の泣き声は少し大きく聞こえるようになった。
靴のまま玄関から上がり家の中に入る。おじゃまします。
あぁ、わかりやすい。そしてうんざりする。
部屋の中では男が一人、女が一人、首に紐をかけて天井からぶら下がっていた。
女の子は僕に気がつかないで僕に背を向けたままただ口から、あ、の音を絞り出していた。
その女の子の首にも紐がかかっていた。
心中か、無理心中か。
女の子は一人、置いていかれた。
天井からぶら下がっている男も女もだらんとしていて、死んでいる。
お母さんが死んだときを思い出す。僕は泣くことができなかったけれど、朝までお母さんのそばから離れることができなかった。
この子も同じだろうか?
台所に行ってみる。水道もガスも止まっていた。仕方ない。
一回外に出て自販機でホットのココアを買う。思わぬ出費。
また家の中に入って他の部屋を見る。
毛布とコートを見つけて、それを持って女の子のところに。
女の子は声をあげるのをやめていた。驚かせないように少し距離をとって横に回りこむ。うしろから肩を叩いたら壊れそうな気がして、いや、もう壊れているのかもしれないけれど。
しゃがんで女の子の視界に入るようにして挨拶。
「やぁ」
女の子は虚ろな目から涙を流して僕を見る。ホットの缶のココアを出す。
「寒いからこれを持ってて下さい」
女の子はココアを受け取ってくれた。
「飲んでもいいですよ」
女の子はココアを持ったまま、天井からぶら下がる男と女に視線を戻す。
僕は女の子が座ってるうしろに毛布をしいて、女の子の脇に手を入れて持ち上げて、うしろに下がって毛布の上に座らせる。
天井からぶら下がる男と女の身体が弛緩して足元に大便と小便が広がってきたので、汚れないように女の子を少し離す。
女の子の肩にコートを羽織らせる。これで少しは寒くはないかな?
朝になってこの子が警察に行くか、親戚にでも助けを求めるかはわからないけれど、その前に風邪をひかないようにできただろうか?
僕の場合は朝になってお母さんが死んだことを理解できたときは、家を離れて外に出た。この子はどうするのだろうか?
小学校高学年ぐらいだろうか。
頼りになる親戚がいるか、頼りになる派遣会社に見つからないことを祈ってここを出る。
出ようとして、出れなかった。ズボンの裾を女の子の右手ががっちり掴んでいた。女の子の視線は天井からぶら下がる男女を見つめたまま。
しゃがんで女の子の指を開いてズボンからはがそうとしたら、今度は右手の人差し指と中指をがっちり掴まれた。
なんで?
「離してくれませんか?」
言ってもなにも返事が無い。女の子は僕を見ない。固まったように天井からぶら下がる死体を見続けている。
仕方が無いので女の子の横に座る。女の子が手を離してくれないから。
僕もあのときそばにだれかがいたら、同じように掴んだのだろうか?
今の僕にはお父さんがいる。今の女の子のそばには僕しかいない。
二人の死体がぶら下がる大便と小便の臭いの中で女の子が手を離してくれるのをのんびりと待つことにした。