6・サイコロとお父さんと
カラスを狩りにいく予定があいにくの雨。
灰色の雲からしとしとと雨が落ちる。
黒猫さんが獲ってきたネズミを開きにして干物にするべく解体して内蔵をとる。
『外国ではリスを生でデザートのように食べる民族が昔はいたらしい』
僕も内蔵が鍛えられたらネズミを生で食べられるのだろうか?
加熱調理のためにカセットコンロを使うから替えのガスは買ってこないといけないからお金がかかる。
『こいつも捌いてみろ』
「うわぁ」
黒猫さんがくわえてきたのはヘビだった。
壁の柱に釘と金槌でヘビの頭を打ち付ける。頭の下に切れ目を入れてそこから皮を剥ぐ。
ぶつ切りにしてフライパンで焼くと白いソーセージみたいだ。
塩と胡椒をかけて食べる。なかなか美味しい。
『食べ慣れないものを食って腹を壊すかと心配してたが、大丈夫なようだな』
「ちゃんと火を通しているのがいいみたいですね」
干物用の鳥かごの中にネズミの開きを吊るすところが無くなった。
「どこに干せばいいんでしょう?」
『ネズミと虫に食われないようにしたほうがいいな』
「たとえば?」
『そうだな。雨のせいで外に出るのも億劫だ。時間はあるから工夫して考えてみろ』
黒猫さんはわからなければ後で手助けしてやる、と言って押し入れから天井裏に行ってしまった。
黒猫さんに頼りっぱなしだったから突然の宿題に戸惑ってしまう。
鳥かごのようにネズミの入れない檻を作る。空き家の中に使えるものがないか探して見る。ハンガーとか扇風機とか。
黒猫さんがどこからか持ってきた釘と金槌はあるから、本棚とかタンスを改造できないかな。
一階に下りて探してみる。一階はてきとうに放り込まれたごみ袋が散乱している。
鍋と菜箸を見つけた。洗って使おう。
壊れた網戸を見つけた。網の部分を引っ張って剥がす。
使えるかも。
二階に戻ってカラーボックスを立てて、空いているところを網で覆う。
木のところはネズミにかじられたら穴があきそうなのでネズミ忌避剤をスプレーする。
目の覚めるような強烈ミント臭。
網の片側を釘で止めて、もう片側は明け閉めしやすいように紐を通す。
中にネズミの開きを並べて網を閉める。
隙間からゴキブリが入らないように釘で止めたり紐で縛ったりしてみる。
こんなところでどうだろう?
『ほぅ、なかなかやるじゃないか』
振り向いたら黒猫さんがいた。
「これでどうでしょうか?」
黒猫さんに即席干物ボックスを見てもらう。黒猫さんはボックスの回りをぐるりと一週して、
『あとはこことここを塞いでおけばいい』
気づかなかった隙間があったのでそこも塞いで完成。
「黒猫さんはどこに行ってたんですか?」
『いくつか拾ってきた』
黒猫さんが示したのは、七輪、炭の入った袋、一斗缶、木片、塩の入った袋。
とても黒猫さんが一匹で持ってきたとは思えないんだけど。
『これで燻製を作る』
「燻製ですか」
『まずは塩漬けだ』
バケツの中に塩をドサドサ入れる。
その中にネズミの開きを五体ほど入れる。
『二、三日浸けておけば水気が抜ける』
『煙が出ると目立つからスモークは夜にするか、それまでこのまま置いておく。そうなると今日は暇だな』
「あ、それなら」
一階で探して見つけたものを持ってくる。
「これ、使えますか?」
『麻雀牌、か。これは四人用のゲームだ』
「二人だと遊べませんか?」
『二人って?』
「僕と黒猫さん」
黒猫さんが僕の顔をじっと見る。
『……遊びたいのか?』
「ダメ、ですか?」
黒猫さんの顔をじっと見る。
『ま、いいか』
サイコロを振る。出た目は4。
四回伏せられた麻雀牌をめくって同じ牌が出たらとる。
神経衰弱。
丸い模様がふたつの牌が一組あたってとれた。
「黒猫さんの番です」
黒猫さんがサイコロを振る。出た目は5。
猫の前足で器用に牌をひっくり返す。
鳥の模様の牌と六本線の牌の二組をとられた。
『お前、友達と遊んだことは?』
「小学校のころは三年生まで、学校が終わったらピアノと水泳と習字と塾で忙しくて、四年生からは家が貧乏になって習い事はやめたけれど、夕刊の配達とかで遊ぶ暇がなかったです」
またサイコロを振る、1。一回だけ牌をめくる。赤い丸がいつつ。
『親はお前にエサの取り方も生きていく方法も教えずに、ピアノとかやらせてたのか』
「そうなりますね。昔はピアノの発表会とか出たことありますけど、もう何年もピアノを触ってません」
黒猫さんと交代で麻雀牌をめくっては取り合った。一度も黒猫さんに勝てなかった。
『親と遊んだことは』
「小さい頃にお母さんとオセロをしたことがあります」
そう、小さいころはお母さんもまともだった。
父の勤める会社は父の兄が社長で父は役員だった。
景気が悪くなって会社の経営が傾くと、父は給料のほとんどを会社の経営につぎ込んで家庭にお金を入れなくなった。
お母さんが働きに出て学校の保険の先生をして、その給料で僕を育ててくれた。
父はそのお母さんを殴ってお母さんの給料を奪って会社につぎ込んだ。
僕は給食費を滞納して学校の先生に待って貰えるようにお願いした。
お母さんも勤め先の学校で給食の残り物をタッパーに入れてこっそり持って帰ってきた。
僕とお母さんの夕食のおかずにお母さんの勤め先の学校給食の残り物が並ぶ日が増えていった。
僕も夕刊の配達をして働いたけれど、それではぜんぜん足りない。
お母さんは泣きながら僕を抱きしめて、ごめんね、ごめんね、と謝ったり、あなたさえいなければ、と叫びながら僕を叩いたりした。
どっちも涙を流しながら。
お母さんはいつも泣いていた。
お母さんと最後にオセロをしたのはいつのことだったのだろうか?
「神経衰弱は黒猫さんに勝てなかったけれど、オセロなら勝てるかも知れません」
『オセロも将棋も囲碁も得意だぞ、俺は』
黒猫さんは僕の方にサイコロを転がす。
『そのサイコロはポケットにでも入れておけ』
「どうしてですか?」
『なにかを迷って決めなきゃいけないとき、サイコロを振って出た目で決めるためだ』
手にサイコロを持ってみる。麻雀セットの中に入っていたものだ。
『お前が悩んで迷って考えて、それで行きついたのがここなら迷うだけ考えるだけ時間の無駄だ。サイコロ振って出た目に任せたほうがましになるかもしれんだろう』
なるほど。
「僕は頭が悪いから、サイコロに決めてもらうほうが簡単でいいですね」
『違う、お前は頭は悪くない。運が悪いだけだ。悩んだ分、妙な隙間にスッポリと嵌まってしまうような不運だ』
そうなんだろうか?
『道具があればものを作る知恵がある。だから頭は悪くない』
黒猫さんは僕の作った干物ボックスを見る。
「あの、黒猫さん」
『なんだ?」
「今さらですけど、なんて名前なんですか?」
『いろいろある。これまでいくつかの家庭で飼われていたこともあるからな。それぞれの家で名前をつけられていたから、名前はいくつかある』
「どんな名前ですか?」
黒猫さんは少し考えて、
『俺の名前を知りたいのかもしれんが、その名前はそれぞれ俺が飼われていた家の家族が俺を呼ぶための名前だ。お前が俺を呼ぶための名前ではない。だから、お前がおれの名前を呼びたいのならお前が俺に名前をつけろ』
いきなり言われても。
それに僕が黒猫さんを飼ってるというよりは、僕が黒猫さんに飼われているようなものだから。
「あの、黒猫さんは雄、ですよね?」
『牝にみえるのか?』
「すみません。見た目だけで猫の雄牝の区別がつきません」
『そうか。俺は雄だ』
名前、名前か。名前を知りたいのは黒猫さんのことを知りたいから。だけど名前で呼びたい、ということではなくて。
『呼ぶだけならいままでどうり黒猫さんで問題ないだろう。他に黒い猫もいないからな』
黒猫さんはいろいろ教えてくれる。なので先生とか師匠とか呼んだ方がいいのかな、とか思っただけで。
だから、
「あの、黒猫さんがイヤじゃなければなんですけど」
『呼び名が決まったか。おかしなものでなければいいぞ』
「お父さんと呼んでもいいですか?」
黒猫さんは黙ってしまった。
黒猫さんの友達のようにダックスフンドを母にした猫がいるのなら、僕は黒猫さんがお父さんだといいなぁ、と思っただけで。
「やっぱりダメですか? すいません」
『イヤ、ダメとは言わん。今の関係性も似たようなものだからな。俺に人の息子、ね。めんどうを見るなら親のようなものか、わかった。父親でいいぞ』
いいのかな。お父さんと呼んでもいいのかな。
「あの……、お父さん」
意を決して声に出して呼んでみる。なんだか恥ずかしい。
『なんだ?』
「呼んでみた、だけ、です」
えへへ、
『なんだ。お前、笑えるんじゃないか』
え?
『まだ笑えるのなら、これからも笑って生きられるだろうよ』
お父さんができました。
笑うことを思い出しました。