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5・初めての釣り

 

 頬を押される。柔らかいものが僕の頬を押す。

『そろそろ起きろ』

「はい、起きます」

 黒猫さんが前足で僕の頬を踏んでいた。


 ごみの空き家の二階、布団の中。

 ずいぶんぐっすりと寝てしまっていたみたいだ。

 小学校の頃に同級生に、臭いとか、生ゴミとか呼ばれていたからだろうか。

 ごみの中に埋もれているというのが、なんだか落ちつく。ここが僕にふさわしい場所だと思える。

 気持ちが静かに穏やかになる。


『もう昼だぞ』

 さすがに寝過ぎたかな?

『こいつを拾ってきた』

 黒猫さんが頭を向けた先には釣りざおがあった。

「釣りですか?」

『いきなりネズミを捕れといってもできないだろう。それを持って昨日の川にいくぞ。あとバケツも持ってこい』

「はい」

 

 途中で公園によって、水道の水を飲む。ついでに水筒に水を入れる。

 川に着いて橋の下に行く。

「なにが釣れるんですか?」

『あれが釣れる』

 あれとはなんだろう。川を見ると、赤色と黒色の鯉が泳いでいる。水面で口をパクパクしている。

『朝夕とこの川の鯉にエサをやる奴がいるからな。あの鯉は人を見ると近寄る。あの鯉にエサをやる奴に見つからないように、ここで釣りをするのは朝と夕方は避けろ。そいつにあの鯉を釣るところを見つかったら、たぶんもめる』

「鯉はスーパーで売ってますか? 見た憶えが無いんですけど」

『売ってないんじゃないか? 俺はスーパーに入ると追い出されるから、最近はスーパーの魚売り場をじっくり見たことが無い』

 それもそうか。

「僕は釣りをするのがはじめてなんですが」

『まずはその辺の石をひっくり返せ。虫を見つけたら釣り針に刺してエサにする』


 黒猫さんに教えてもらいながら竿を伸ばして糸を通す。釣り針にダンゴムシを刺して。

「この釣りざお、ウキがついて無いんですね」

『脈釣りでいいだろう』

 釣りといえば水面に浮かぶウキが思い浮かぶのだけど、ウキは必ず釣りに必要なものでは無いらしい。


『用意できたら投げろ』

 教えられたとおりに鯉がいるあたりを狙ってダンゴムシのついた釣り針を投げる。

 すぐに引っ張られるので、慌てて釣りざおを握り直して支える。

『リールを巻いて引き上げろ』

「あの、すごく重いです」

『鯉も命がかかってるからな。気合いで引き上げろ』

 踏んばってリールを巻いてちからいっぱい振り上げる。

 引っこ抜かれるように水面から鯉が飛び出て、僕を飛び越えて地面にドサッと落ちる。

 橋の下の影の中、草の上、暗い灰色の鯉がビタンビタンと跳ねる。30センチくらいありそうだ。

「鯉って池にいるものだと思ってました。川にもいるんですね」

『昔は池にいたんじゃないか? なんでこの川に鯉が多いのかは知らんが。誰かが流して増えたんだろ』

 もう一回エサをつけて投げる。今度は水面にエサがつく前に水面からジャンプして赤い鯉が食いついた。

『一応言っておくが、ここの鯉が人のエサに慣れて頭悪いだけだからな。普通の釣りはこんなに簡単にはいかない』

 重い、釣りざおが重い。

 今度も気合いで引き上げる。赤い鯉も大きい。こっちも30センチくらい。

 あっという間に二匹。

『これでいいだろう。バケツに入れて持って帰るぞ』

「あの、びちびちしてます」

『頭を殴って静かにさせろ』

 近くの石を拾って鯉の頭を叩く。

 釣りって簡単なのかな?

 スーパーの魚の値段と今の労力を考えるとなにか腑に落ちないものを感じるけど。

 鯉は例外なんだろうか?


 持って帰ってナイフで捌く。

『鱗をとって内蔵を取り出せ。ネズミと同じ要領だ』

 やってみればネズミよりは簡単だった。

『一匹は保存してみるか。この串を刺して吊るせるようにしろ』

 鯉の切り身に串を通す。金属の串には輪っかがついているのでそこに紐を通す。

『吊るして干して干物にする。そのままだとネズミとゴキブリに食われるからこの中に吊るせ』

 黒猫さんの横に鳥かごがあった。いつ用意したんだろう?

 鳥かごの中に魚の切り身を吊るして。

「かごの隙間からゴキブリが入れそうですけど」

『これを使え』

 今度は洗濯ネットに、スプレー?

 スプレーにはネズミ忌避剤と書いてある。

『ネットにネズミ忌避剤をかけて鳥かごを包め。ネズミにかじられて穴が空かなければ虫も入れんだろう。そのスプレーは匂いが酷いから俺から離れて使えよ。鼻がバカになる』

 隣の部屋で洗濯ネットにネズミ忌避剤をスプレーする。

「うわ、すごい」

 ものすごいミントの匂いがする。

 強烈ミント臭のネットで鳥かごを包んで椅子に乗って天井からぶら下げる。

『うまく出来れば保存食になる』

 ミントの匂いのする鯉の干物。

 もう一匹の方は鍋で茹でて食べることにする。

『ほらよ』

 黒猫さんがポーチを差し示す。いつのまに、どこから出したんだろう?

 中には、塩、砂糖、胡椒、酢、醤油。

「鳥かごといい、この調味料とか、どうしたんですか?」

『必要そうなものを前もって拾ってきておいた』

 黒猫さんは二本の尻尾をゆらゆらさせて言う。頼もしいけれど、やっぱり普通の猫では無いのでは?


 醤油と砂糖で煮込んだ鯉は泥の匂いがしたけど美味しかった。


『次はこれだ』

「パチンコ、ですか?」

 Y字型の金属にゴムがついている。

 グリップの上に腕当てがついている。

 左手でグリップを握ってゴムを引っ張るとかなり強いゴムで引くのも力がいる。

『人のいないところで練習だ。使えるようになればカラスやハトが捕れるようになる』


 空き家から離れて歩いていけば、人のいない林がある。

『駅の近くから離れるだけで、すいぶん寂れるもんだ』

 ここなら飛び道具の練習をしても大丈夫かな?

 金属の小さな玉を右手に持って左手でパチンコを構える。

 ちからいっぱいゴムをひいて飛ばしてみる。

 

 ゴッ


 木の幹に金属球がめり込んで取れなくなった。この威力はあたりどころによっては人を殺せる。

『そのぐらいの威力がなければ狩りに使えない』

 なるほど。

 腕当てのおかげで左手の手首に負担がこないようになって、かなり硬いゴムでも引くことができる。

 何度か練習して狙ったところに飛ばせるように……は、簡単にはなれない。

 距離が離れると難しい。

 何度も練習して金属の玉が無くなった。

『明日はカラスに挑戦といくか』

 日が落ちてきたので空き家へと帰る。


 帰り道の途中で、

『ここの畑の作物を夜中に取りに行くか』

 道の脇、背の低いブロックに囲まれた畑がある。

「盗むんですか?」

『あぁそうだ。この畑から盗んでもさして問題無い』

「盗んでも問題無い?」

『空き地よりも作物を植えて畑として申請したほうが土地の税金は安くなる。税金対策として空き地に作物を植える。真面目に畑をやるつもりもないから収穫もしないでほったらかし』

「そんな畑があるんですか?」

『土地持ちの年よりが税金対策と暇潰しにやっている畑なんてそんなもんだ。あくまでも目的は税金の軽減、ついでに暇潰し。作物は気がむいたときだけ収穫する。あとは腐らせておしまい』

 見ると虫食いだらけのレタスがゴロゴロしてる。変色して茶色いのもある。

「もったいないですね」

『食えるものを捨てる一方で餓えて死ぬ。そうならないように社会とか流通を作ったはずなんじゃないのか?』

「そうなんでしょうね。でもそれはお金を持っている人のためのものですから」

 お金の無い僕のような貧乏人とは縁の無い世界の話だ。

『ふん』

 黒猫さんが鼻を鳴らす。


「黒猫さんは人間が嫌いなんですか?」

 黒猫さんはよく人を嘲るようなことを言う。それなのに僕にはいろいろ良くしてくれる。

 僕は黒猫さんに人間扱いされてないんだろうか?

『別に人間が嫌いというわけではない。人間が目的のために頭を捻って新しい道具を作ったり、そうやってできたものを見るのは面白い。それは人間以外の動物はあまりしないことだからな』

「そうなんですか?」

『反面、そうやって作りすぎた様々なものに溺れて苦しんでいるザマは、見るに堪えん』

 僕にはいまいち黒猫さんの言ってることがわからない。

 いろいろ教えてもらうことができたら、いずれ解るようになるんだろうか?


 そのまま駅の方の繁華街の方に行く。

『店員に注意されたら知らん顔でさっさと店から出ろ。何度も来てるふうをよそおってキョロキョロするなよ』

「はい」

 黒猫さんに注意することを教えてもらってパチンコ屋に入る。

 未成年は入店禁止、だけど偽造免許証には20歳と書かれているのでいざとなればこれを見せることにする。


 まずはトイレで用を足す。天井から音楽の流れるトイレ。便座も暖かくてウォシュレット。

 トイレットペーパーを外してショルダーバッグに入れる。これがあれば公園のトイレで用を足しても困らない。

 トイレを出てパチンコ台を見ながら足元に落ちているパチンコ玉を拾う。

 これで玉を集めておけばカラスを撃つのに使える。

 お店の端におしぼりがある。ひとつとって顔をふいて手を拭う。

 こちらもまとめて握ってポケットに突っ込む。

 トイレットペーパーとおしぼりはこうして入手できる。

 騒がしい店内はオジサンオバサンが真面目な顔でパチンコ台の液晶画面を睨んでいる。

 パチンコ台のボタンをバシバシ叩いている人もいる。

 笑ってる人もいるけれど、楽しそうに見えない人のほうが多い。パチンコっておもしろいのだろうか?

 お店を出て黒猫さんに持ってきたものをこっそり見せる。

「少しドキドキしました。店員さんにはなにも言われませんでした」

『夜中に人の家に侵入するよりはましだろうに』


 駅の前でポケットティッシュを配ってる人がいたので、ひとつ貰う。

 ポケットティッシュにはさっきのパチンコ屋の店名が書かれていた。

 素知らぬ顔で何度か往復して、ティッシュを4つもらった。

『ただで貰えるものは貰っておけ』


 100円ショップでビタミンのサプリメントとクエン酸を買う。

『クエン酸は水に溶かして洗剤にする。たらいがあれば洗濯ができるな』

 100円でかなりの量が入った袋が買えた。


『風呂に入りたくなったらここまで来れば銭湯がある』

「お金は節約したいのでおしぼりで体を拭くことにします」

『それがいい。まだ暖かいからいいがこれから寒くなってきたら銭湯を使うこともあるかもしれん』


 今晩は畑から盗んできたレタスと黒猫さんに獲って貰ったネズミを捌いて夕飯にする。

 ネズミとレタスを鍋で煮込む。

『ネズミは開きにして干してもいいな』

 まだまだお金を使わない生活には遠いけれど、それでもかなりの節約になってる。

 何より気持ちがとても楽になった。

 お年寄りを殺さなくてもいい、女の子を拐わなくてもいい、これだけで背負っていた重しが無くなったように心が軽くなった。


 夕飯を食べてお腹がふくれて眠くなってきた。布団にもぐって丸くなる。

「おやすみなさい」

 枕の横で丸くなってる黒猫さんに声をかけて眠る。

 

 今日は初めてのことが多くて楽しい日だった。

 明日はどんな日になるんだろうか?





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