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4・空き家に住む


 お母さんが泣いている。

「なんで、どうして、わたしが……」

 お母さん、泣かないで。

「あなたが……」

 お母さんが泣きながら僕を見る。

「あなたが、いなければ、あなたさえ、いなければ……」

 それなら、なんで?


「どうして、僕は産まれてきたの?」

 つい口に出してしまった。言ってはいけないことを。言葉にしてはいけないことを。けっして口にしてはならない思いが。

 言わなければ良かったのに。

 お母さんの目がつり上がる。お母さんの顔が歪んで見える。お母さん。

「私はあなたなんて産みたくなかったわよ! なのにあなたが産まれたいって、私のお腹から勝手に出てきたんじゃない! そのせいで私は血が止まらなくて死にかけたのよ! この人殺し!!」

 お母さんが泣きながら叫びながら手を振り上げる。

 振り上げたその手が僕を叩く――



 目が覚めた。夢だった。

 久しぶりにお母さんの夢を見た。

 夢の中でもやっぱり泣いていた。

『起きたか』

 すぐ近くに黒猫さんがいた。

「おはようございます」

『お前、寝ながら泣いていたぞ』

 手でほほに触る。転がって枕に瞼を擦りつける。

『嫌な夢でも見たか』

「いいえ、夢の中で懐かしいひとに会えました」

 もう取り返しのつかないことだけど、あのときあんなことを言わなければ、今が変わっていたのかもしれない。

 これが後悔、なんだろうか? 

 それで夢に見たのだろうか?

 お母さんは悪くない。悪いのは誰だったのか、やはり僕なのだろうか。


 お金がなくてお金に困ってお母さんは少しずつ壊れていった。僕はそんなお母さんに育てられた。頭がおかしくなっていくお母さんをそばで見ていた。見ていることしかできなかった。

 お金があれば壊れなくても狂わなくてもよかったのだろうか?

 人を殺してでも生きていくお金があれば、と始めた仕事。続けた仕事。一年間。

 それが今はもう辛い、しんどい。


 だから、

「黒猫さん、本当にお金が無くても僕が生きていくことができるんですか?」

『いきなり完全に一円も使わずに、というわけにはいかないが』

 黒猫さんはひとつ伸びをして、僕を見る。

『俺が教えることを憶えてこなすことができるようになれば、できる。どうやらお前はものを知らないが、頭が悪いようでもなさそうだしな』

 僕は僕の頭が悪い、と思う。本当に頭がいいのなら自分一人でなんとかする方法を見つけられただろうし、お母さんが死なずにすむ方法だって思いついたはずだから。

『半端に頭が回る分、自分のしでかしたことを思い知れば自殺するかもしれんが、それならそれでいい』

 自殺。僕が自殺か。そのうちするかもしれないけれど。

『で、どうする? 今の生活と仕事を続けるのか、それとも俺についてくるか、決まったのか?』

「連れていってください、おねがいします」

 これでもう人殺しも誘拐もしなくてすむのなら。それで生きられるなら。

 または、僕が思い知って自殺するだけの意味と理由を感じられたなら。

 僕はしっかりと生きるかちゃんと死ねるかのどちらかになれるだろう。


 荷物をまとめてバッグに入れる。隠してたお金を出して、今月の寮費の分を部屋に置いていく。

 仕事のために作ってもらった偽造免許証はどうしよう?

『それは使えるかもしれんから持っていけ、あとはナイフも貰っていけ』

「はい」

 黒猫さんに返事をしてナイフはホルスターに入れて肩に下げる。バタフライナイフをズボンのポケットに入れる。

 鍵開け用のピッキングツールも貰っていこう。

 寮費を抜いた現金は九万円あった。一年間働いてけっこう貯金できた。


 お世話になった派遣会社の担当さんに手紙を書いていこう。退職願いというんだっけ?


 いろいろとお世話になりました。ありがとうございました。

 だけどもう仕事をするのが嫌になりました。

 お金に困ってるところを助けていただいたことには、本当に感謝しています。

 申し訳ありませんが仕事を辞めさせていただきます。


 こんな文章でいいのだろうか?

 書いた紙を寮費と仕事用の携帯電話と並べて部屋の中央に置く。

『終わったか?』

「はい、今行きます」

 玄関で靴を履く、振り返って部屋を見る。

 布団と内職のダンボールが並ぶ部屋。

 鍵開け練習用のシリンダー錠。

 入浴剤の重量を計る重量計。

 一年間お世話になりました。

 扉を開けて外に出る。

 ここから外に出る。



 黒猫さんについていく。

『電車で移動するか』

 黒猫さんにバッグに入って貰ってから切符を買う。目的の駅を聞いて。

「ずいぶん移動するんですね」

『お前がいた会社からは離れたほうがいいだろう』

 あの派遣会社でしてたことが違法だということは知っている。

 でも違法だからといって捕まるわけでは無い。

 違法がすべて警察に捕まるならば、刑務所はすぐにパンクしてしまうだろうから。

 お金を稼ぐためには悪いことをしないといけない世の中だから。

『やましいことをしている自覚があれば、お前の口を塞ぎにくるだろうからな』

「そんなに警戒することも無いと思いますけど。僕の話をまともに聞いてくれる人なんているわけないですし」

『まぁ、念のためだ。それに目的地は決まってる』


 都心から離れた住宅街、ぎりぎり東京都の中というところ。

 電車から降りて駅から歩く。

 前を歩く黒猫さんの背中と尻尾について行く。二本の尻尾はぴったりくっついて、パッと見には一本の太い尻尾に見える。


 のんびり歩いていく。

 昼間、日差しの中、黒猫さんと歩く。

 穏やかな昼の光の中を。

 なんだかウキウキする。これから何をするのか、不安も多いけれど。

 人殺しや誘拐や死体の解剖よりもうんざりするようなことは、今のところ思いつかない。

 やがて一軒の家が見えてきた。回りは似たような造りの新しい家が多いなかで、ずいぶんと古い感じの木造住宅だ。小さいけれど庭がある。

『人に見られないように素早く入れ』

 道路に他に人がいないことを確認して木造住宅に入る。玄関は開いていた。

『さっさと二階に上がれ』

 汚れているので靴のまま家の中に入っていく。

 生ゴミの匂いがする。人が住んでる様子のない家の中、ぎしぎしと鳴る階段を踏みしめて二階に上がる。

 ぽつぽつと落ちている黒いものはネズミの糞だろうか。


「ここは誰も住んでないんですね」

『今住んでるのはゴキブリとネズミとコウモリだ。人が見れば空き家だ』

「なんでこんなにごみの匂いがするんですか? 一階にもごみ袋がいっぱいあったし」

『このあたりはごみ袋税でごみ袋が高いからなぁ』

 黒猫さんは嘲るように言う。


 ごみ袋税? ごみ袋と税金?

『ごみ袋に税金がかかってごみ袋の値段が高い。市の指定した税のかかる高いごみ袋じゃないと、ごみの回収車が持っていってくれない』

 それがこの空き家とどんな関係が?

『節約するためには高いごみ袋をなるべく使わないようにする。安いごみ袋を使ってごみを捨てる。でもそれは市の指定したごみ袋では無いので回収車が持っていってくれない』

 あ、わかってきた。それが誰もいない空き家にごみ袋がいっぱいある理由につながってきた。

『回収されないごみ袋を見つからないように空き家に捨てる節約上手が、近所にいるわけだ。ごみ袋の中身でどこの誰が捨てたかわからないようにするために、レシートや郵便物、住所や名前の入っている紙のごみは入れないようにして』

「それで生ゴミが多いんですね。そして一階にはご近所の方がこっそり入ってくる」

 二階の今いる部屋にはごみ袋は無い。

「今のところ二階に登ってごみを捨てる人はいないみたいですね」

『そうだ。だから一階で近所の節約上手とばったり会わないように気をつけろ。悪臭がひどくなって市が片付けにくるまではここに住める。一階と庭がごみ袋で埋まるまではな。ひと冬越したら引っ越しするか』

 黒猫さんは少し楽しそうに見える。


『屋根があって雨風はしのげる。ここに人が住んでるようにバレないように気をつけろ』

「ここに住めば家賃はいらない、ということですね」

 すごい。いきなり家賃を払わなくてもいい暮らしになるみたいだ。

『そう、家賃はいらない。水も止まって電気もないから、水道代も電気代もいらない。水については近くの公園と、あとは少し行ったところに川がある』

 

 バッグを肩から下ろして部屋を見回す。

 壁紙はめくれてたれさがり、窓にはダンボールが貼ってある。破れたダンボールからの光が部屋の埃にあたってキラキラ光る。

 倒れた扇風機に中身の無い本棚。引き出しの無いタンス。いろんなものがある。

『こっちの部屋に布団もある。汚いが』

「黒猫さんはここに住んでいたんですか?」

『俺の別荘のひとつ、というところだ』

 隣の部屋にはくちゃくちゃになった布団と毛布があった。布団には血の跡がある。

「十分使えそうですね」

『外に干すと目立つから広げて窓からの日の光にあてておけ』

 布団と毛布を広げる。埃が舞うので口にタオルをあてる。


『この空き家の一階は生ゴミだらけ。それを目当てにゴキブリが多い。そのゴキブリをエサにネズミも住んでいる。たまにそのネズミを食いにヘビも出る。屋根裏にはコウモリもいる。ネズミとコウモリが食えればここで暮らせるだろう』

 黒猫さんが話す間にも二階の天井裏をタタタタタと音がする。ネズミの足音。

「じゃあ、これからネズミを獲る練習ですね」

『獲っても加熱しないと食えないだろう。だからカセットコンロでも買うか盗むかするか。コンロ用のガスも要るな』


 いきなり0円生活は難しいのか。それでも家賃に公共料金とは無縁となればずいぶんと節約できる。

『必要なものを揃えるか。ついでにこのあたりの地理も頭に入れておけ。ついてこい』

「はい」


 あたりを見ながらホームセンターまで。

 家があり、畑があり、並木道がある。

 お店でお金を使うことになったけれど、カセットコンロと代えのガス、持ってきた懐中電灯に使える電池を買った。

 川の近くまで行く。水量も少ない小さい川。

『この橋の下は人目につきにくい。人の通りも少ないから、ここで飯にするか』

 黒猫さんに獲ってきてもらったネズミを解体する。少し要領がわかってきた。

 空き家の一階で見つけた鍋を川で洗って水を汲みカセットコンロにかける。

 昨日は焼肉だった。今日は茹でてみる。

『そこの草も食えるぞ。ちぎって鍋に入れろ』

「こんなところの草が食べられるんですか?」

『つくし、タンポポ、ふきのとう。ほっときゃ勝手に土から生えてくるのに、なんで地面をアスファルトで埋めて食い物に困るのだか』

 ネズミを茹でている間にちょっと考えて黒猫さんに答えてみる。

「車が使えるように便利にするため。あとは誰もが簡単に食料を手に入れられないようにすることで、食料を商売にしてる人達が有利になるから、でしょうか?」

『道端に生えるものは食い物では無い。食い物は金を出して買うもの、か。経済のために自分達を欺きつづけて、結果目の前のものが食べられると知らないままに餓死するわけだ。滑稽を通りすぎて呆れる』


 道に生えていたもの。思い出した。

「前にアカシアの花の天ぷらを食べたことがあります。お母さんと二人で花をいっぱい集めて、油で揚げて夕飯のおかずにしました」

 お母さんと木の枝から花をもいで集めた。白い花をいっぱいに。あのときはお母さんは泣いてはいなかった。

 夢の中で見るお母さんの顔は泣き顔ばかり。思い出すのも泣き顔ばかり。

 でも、あのときは。


 ――おいしいね、お母さん――


 あのときは、笑っていた。

『そろそろいいんじゃないか?』

 鍋のネズミ肉をお玉でお椀にすくう。黒猫さんの分もお椀に入れて地面に置く。

 熱いのでふうふうと息をかけてさまして食べる。

 黒猫さんに教えてもらった草を入れたからか、臭みは昨日よりましな気がする。

 慣れただけかも知れないけれど。


「おいしいです、黒猫さん」

『そうかい』

 黒猫さんは冷めるのを待っている。


 黒猫さんのおかげで笑顔のお母さんを思い出せました。

 ありがとうございます。




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