3・ネズミを焼いて食べてみる
黒猫さんについて行くと、繁華街の裏の路地に出た。
『見てろ』
黒猫さんがゴミ袋の山にゆっくりと近づいて、急にジャンプしてゴミ袋のひとつに飛ぶ。
がさがさという音。きぃ、という鳴き声ひとつ。なにか小さいのがいくつか離れていく音。
黒猫さんが戻ってきた。口にはネズミをくわえている。
『ほらよ』
黒猫さんからネズミの死体を受けとる。
『もう少し狩るか』
手のひらのうえのネズミは、死んだばかりでまだ温かい。足も尻尾もだらんとぶらさがっている。首のところが曲がって血が出てるので、一撃で首を折ったのだろうか。
死んだネズミを観察している内に、黒猫さんが次のネズミをくわえてきた。
黒猫さんは凄腕のハンターのようで、僕がネズミを見ている内に三匹捕まえてきていた。僕は手に四匹のネズミの死体を持ってそれを見る。
『こうしてネズミを捕まえて食えば、金を払わなくてもいいだろう』
「これを食べるんですか?」
『お前ら人間は腹が弱いから、生では無理だ。食べ方を教えてやるからそれを持ってお前の住み家まで行け』
バッグの中からビニール袋を出してネズミの死体を入れて縛る。それをバッグに入れて寮に帰る。
「この寮はペット禁止なんです」
『だったら見つからないようにさっさと入れ』
黒猫さんに言われるままに寮の自分の部屋まで行く。住んでる人はそんなに多くないし、僕以外はコロコロと変わる。誰にも会わずに部屋に到着してホッとする。
黒猫さんはまるで自分の部屋のようにのしのしと歩いて、僕の布団の上に腰を落ち着ける。
『まずは、部屋が汚れないように床になにか敷け』
「あの」
『なんだ?』
「あのネズミ、ほんとうに食べられるんですか?」
『あのな、調理ってのは食えないものを何とか食べられるように加工しようって、お前ら人間が少ない知恵を絞って作った技術だろうが。木の皮も藁も時間をかけて煮込めば食えるようになるんだ』
「そうなんですか?」
『俺が言うとうりにやってみろ。無理なら俺は帰る』
僕は少し考える。これが上手くいくようなら、食費がうく。失敗したら、おなかを壊すか食中毒か。
僕に調理を教えてくれたのは、お母さんだけ。あ、小学校で調理実習もあったっけ。今になってただで教えてくれるなんて、この黒猫さん以外にはいない。僕は正座をして黒猫さんに頭を下げる。
「お願いします、教えてください」
ゴミ袋を切って床にシートのように広げる。その上でネズミを解体する。
『皮はきれいに剥いだか』
「これでいいですか?」
皮を剥いでつるんとしたネズミを並べる。
『腹に下から刃を入れて内蔵を出す。内蔵が破れると肉が臭くなるから気をつけろ』
バケツを用意してナイフと包丁とメスを並べる。
前に仕事で人の死体を解体したことがある。もと医者のおじいさんがアル中で手が震えて上手くできなくなったので、その人の指示を聞きながら人を解体した。
初めてのときは、もと医者のおじいさんに酒ビン片手に怒鳴られながら、吐きながら、人のおなかを裂いて内蔵をキズつけないように取り出して、パックに詰めてクーラーボックスに入れてた。
その日は夜中にげえげえ吐いて、7日ほどまともにごはんが食べられなかった。
今では回数をこなしたから、吐くこともなくその日に食事もできるようになった。
それに比べるとネズミの解体は、小さいのが難しい。一体目は上手くできなくてバケツに捨てた。二体目からはなんとかなって、シートの上のまな板に三体分のネズミ肉が並ぶ。
『刃の厚い刃物があれば、骨ごと細かく砕くんだが。とりあえず指で骨をとれるだけとれ』
言われるままに指で骨をとる。
「刃の欠けたナイフがあります。小さい骨はそれで砕きますか?」
『あまりゴンゴンと音を出さないほうがいいんじゃないのか』
そうだった。この寮には他にも住んでる人がいる。迷惑になったらいけない。
『なるべく細かく切って火の通りがよくなるようにする。調理ってのは殺菌消毒殺虫ができればそれでいい』
細かく切った肉を熱したフライパンに油を落として焼く。臭みはあるけど肉の焼ける匂いがする。
『ちゃんと中まで火が通れば、食って腹を壊すことも無いだろう。味をよくしたいなら自分で工夫しろ』
焦げないように火を少し弱くして中までしっかりと熱が通るように箸で転がす。
炊飯器で炊いたごはんと並べて、食べてみる。ネズミの焼き肉は臭みはあるけど、そんなに不味くもない。美味しいとは言えないけれど、もとがタダというのはありがたい。
小さい骨を口から出しながら食べる。
『ネズミ、カラス、コウモリ、ヘビ、ザリガニ、捕っても誰も文句は言わない食えるものがある。それで生きていけるなら金なんぞいらんだろう』
そんなに食べられるものがあるなんて、知らなかった。
『生で食えれば簡単なんだがな。それも食い物に値札をつけて商売にしてたツケだ。不便な生き物だ、お前らは』
お肉は量が少なくてすぐに食べ尽くしてしまった。食べてみたらすんなりと食べてしまった。臭いは悪いけど食べられる。
食事を終えてネズミの皮と骨と内蔵をバケツからゴミ袋に移して後片付けをする。部屋に少し匂いが残っているようなので、今夜は換気扇をつけっぱなしにしよう。
『釣りで魚を捕ってもいい。虫だって佃煮にして食ったりしてるだろう。蜂の子なんて高級品になったりしている』
食器を洗って片付ける。あらためて黒猫さんに頭を下げる。
「あの、いろいろ教えてくれて、ありがとうございました」
『まだだ』
「まだ? ですか?」
『エサの取り方と食い方を教えてやると言ったろう。お前がちゃんと一人で生きていけるようにしてやる』
「……なんで、そんなにしてくれるんですか? 僕はあなたの恩人のおばあさんを殺してるんですよ?」
『恩人、か。エサの分の恩はあるがな。今日は仕事は無いのか?』
「はい、今日は仕事は入ってません」
『そうか、ならこれから話をするか。その上で明日、この仕事を辞めてここを出ていくか、それともこの生活を続けていくか選べ』
黒猫さんに皿に水を入れて床に置く。黒猫さんが水を飲むのを見て僕はシャワーを浴びる。
手のひらに少しネズミの匂いが残っているようなのでよく洗う。
不思議な日だった。猫と話ができるとは知らなかった。この1年仕事以外で誰かと話をしたのはお店のおじさんと黒猫さんだけなので、1日で1年分しゃべったような気がする。
お金を払わずに食料が手に入る。ぼくには新発見だった。
お金が無くても生きていけるなら、お母さんが頭をおかしくして父に殺されることも無かったかもしれない。
黒猫さんがその方法をしってるなら、それを教えてくれるなら、是非とも教えてほしい。
でもなんで黒猫さんは僕にかまうのだろう?
風呂から上がって敷きっぱなしの布団に横になる。電気を消す。
電気代の節約のために夜は早めに寝ている。内職は昨日の昼間に終わらせたから、材料が入らないとすることがない。
外国産の入浴剤の仕分け。入浴剤といっても中には幻覚作用のある薬が混ざっている。
その入浴剤を小分けにして別の粉薬と混ぜるとドラッグとして製品になる。
それをグラム単位で小さな袋に入れて包装する内職。
仕入れが滞っているのか、最近は材料が入ってくるのが遅いみたい。
原料が外国産なのでTPPとかで仕入れが変わったりするのだろうか?
難しいことはよくわからない。
枕の側に黒猫さんが丸くなっている。
その身体に触ってみたいけれど、話をしてしまうとふつうの猫のようには扱えない。いきなり身体に触れるのは失礼なような気がする。
『なんで俺がお前にかまうのか、だったな』
「はい、それが気になります」
『それが当たり前のことだからだ』
「当たり前、なんですか?」
『俺の友の話をしよう。そいつも猫だ。そしてそいつの母親は犬、ダックスフンドだ』
猫なのに、母親がダックスフンド?
『そいつは仔猫のときにある人間の家庭に飼われることになった。その家にもともと飼われていたのがダックスフンドなんだ』
母親代わりということかな?
『そいつはそのとき幼くてまだ乳離れができてなかった。母親を求めて鳴いているのをそのダックスフンドが面倒をみて世話をした』
育ての親なのか。
『そのダックスフンドは雌で避妊の手術を受けて子供を産んだことは無い。しかし、仔猫の世話をするうち、仔猫が出ない乳に吸いついているうちに母乳が出るようになった』
あれ?
「母親って子供を出産しないと母乳は出ないんじゃないんですか?」
『そこがお前達人間が頭が悪いところだ。物事をわかりやすく整理しようとして、肝心なところを見落としている。子供を育てようとした雌が母乳が出るのはおかしなことでは無い。その仔猫はダックスフンドの母乳のおかげですくすくと育ち、家猫のくせにあたり一帯を絞めるボスになった。身体のデカイ生意気なヤツだ』
犬を母親にした、猫。
『困ってる子供がいたらなんとかしてやろうというのは、当たり前のことだ。それが別の種族でも。ほとんどの生き物は子供を生かそうとする』
暗闇の中、黒猫さんの細めた瞳を見る。
『だから俺がお前を一人前にしてやる。これでも長く生きているから、お前にいろいろと教えてやる』
「それで、ほんとうに、いいんですか?」
『あの婆さんなら、自分を殺したヤツが死ぬよりも無駄に殺しをしないように生きていけるようになったほうが喜ぶだろうよ』
「そうなんですか?」
『お前ら人間にとって、この世は地獄だろう。死んで楽になるより生きて苦しめ。ただお前があまりにも世の中を知らないから、俺が少しだけ教えてやる。ちょっとはましな生き方をな』
たしかに僕は知らないことが多い、と思う。中学校を一年の二学期までしか通ってないから義務教育?も終わってない。
『殺しがいいとか悪いとかいう話じゃない。食うため、狩の練習のため、子孫を残すために殺しをすることはある。だが、お前はどうだ? お前はお前が納得できる理由と意味を知っているか? 持っているのか?』
僕の理由。それは生きるため。だけど仕事は嫌だ。何人も殺してきて今更嫌だというのもどうかと思うけれど。
『なにも知らなければ自分がしでかしたことの反省も後悔もできんだろう』
黒猫さんはそう言って目をつぶって頭を前足の上にのせた。
反省、そして、後悔。
反省をして、後悔をすれば、生き方は変わるのだろうか?