2・新しいナイフ、新しい出逢い
仕事で使ってるナイフの先端が欠けてしまったので、新しいものを買いに行く。
派遣会社の担当さんに聞いたお店に向かう。
通販や近所のお店で買うとあしがつくということで、そのあたりをわかっているお店に行く。電車に乗って池袋に。
池袋のマンションの一室。隣の部屋はエッチなDVDを売っている。興味はあるけど僕はテレビを持ってない。
扉を開けて中に入ると殺風景な部屋におじさんが一人いる。あるのは机と灰皿と電話とカタログ。
商品の現物は置いては無いので、お店のおじさんに刃物のカタログを見せてもらう。
僕は刃物にもナイフにも詳しくは無いので、おじさんに頑丈で長持ちするのはどれか教えて下さいと聞いてみる。
「このへん、ですかね」
おじさんはいくつか写真を指差して教えてくれた。けっこう高い。経費っていくらまで出してもらえるんだろう? 聞いておけば良かった。
今から担当さんに電話して聞いてみようかな?
「すいません、ちょっと電話していいですか?」
「どちらに?」
僕はおじさんに派遣会社と担当さんの名前を言うと、
「あー、たっちゃんか。聞いてますよ。仕事で道具を痛めたって」
おじさんは急ににこやかに話かけてきた。
この店は派遣会社と関係あると聞いてたから、知り合いでもおかしくないんだけど。
担当さんとは親しいんだろうか。
おじさんはカタログを捲って、
「たっちゃんからは値が張ってもいいものを、と聞いてますから。これなんかいいんじゃないですか?」
「ちょっと、大きいです。もう少し小さいのはありますか?」
隠して運ぶには大きいのは困る。それに、すごく高いような。
「ワンサイズ小さいのは、これですね」
カタログに書いてある長さを見ると、今使ってるのより二センチ短い。これぐらいがいいかな?
「これ、いいですね」
「これ、頑丈で長持ちします。錆にも強いかわりにお値段お高めです。現物もってこさせるので、少々お待ち下さい」
「ちょっと予算が足りないんですけど、もう少し安いものは」
「あぁ、大丈夫ですよ。たっちゃんにツケておきますので、お金は払わなくていいですよ。領収書もたっちゃんに渡しておきますので」
ほんとにいいんだろうか?
「たっちゃんから、若いけど仕事のできる優秀な社員と聞いてますよ。会社からのボーナスってことでいいんじゃないですか? 現物支給ですがね」
おじさんはあははと笑って電話する。
「二十分ほどお待ち下さい。若いのにモノを持ってこさせますので。なにか飲みますか? お茶、コーヒー、紅茶、好きなのをとって下さい」
「ありがとうございます。いただきます」
部屋の中にある機械。コンビニとかにある扉が透明ガラスの冷蔵庫の小さいの。その冷蔵庫から缶コーヒーを1本とって、おじさんにもう一度頭を下げてからプルトップを開けて飲む。
お金を払わなくてナイフが買えて、缶コーヒーまで貰えた。なんていい日なんだろう。
おじさんにナイフの手入れの仕方とか、錆が出たときの取り方を教えてもらいながら時間を潰した。
電車に乗って寮に戻る。駅から出て町の中を散歩して帰る。
途中の公園でベンチに座って休む。
仕事の無い日は町の中の小学校の位置を調べて、登下校の様子を観察するのだけど、下校時間にはまだ早い。
誘拐の仕事が入ったときのために下調べをしてる。僕は頭が悪いから要領良く仕事するためにはいろいろ調べて知っておかないといけない。
誰もいない公園のベンチで我慢できずにバッグから買ったばかりのナイフを取り出す。いっしょに買ったバタフライナイフは折り畳むことができてポケットにしまえるのが便利。
何度か刃を出したりしまったりしてみる。
片手でポケットから出して刃を出して素早く使うには、少し練習しないといけないみたいだ。
振って刃を出したりしまったり、カシャンカシャンという音がかっこいい。
もうひとつのナイフ、とても値段の高い方。これはホルスターが着いてる。脇の下に吊るしたら上着で隠せる。
グリップを握って確める。前のは少し大きくて使いにくいところがあった。これは、うん、いい感じ。
手に持って、刃の耀きに暫く見蕩れる。
だけど、これで僕はこれから何人殺すことになるんだろう?
他に僕にできることなんて無いし、生きていくためにはこれしかない。
だけど、僕は、
生きていたほうがいいのだろうか?
死んだほうがいいのだろうか?
ナイフをバッグにしまって前を見れば、一匹の黒猫と目があった。真っ黒な体に金色の瞳。
いつからそこに座って僕を見ていたのだろうか?
真っ直ぐに僕を見ている。
『お前はなんで、そうなんだ?』
声が聞こえた。回りを見回しても誰もいない。
『お前の目の前にいる』
目の前には黒猫しかいない。
『猫が話かけてきたのは初めてか?』
僕は頷いた。
思い返すとこの出会いが僕の人生の分岐点だった。
偶然出会ったわけでもなかったけれど、細い線が繋がってこの出会いがあったのだから、僕は運がいいのかもしれない。
『お前のことはこの数日見ていた』
僕はぜんぜん気がつかなかった。この黒猫はなんでそんなことをして、僕に話かけてきたのだろう?
『なにか言ったらどうだ?』
「あ、あの、初めまして」
頭を下げて挨拶する。知らない人、じゃなくて知らない猫に話しかけられてどうしていいかわからない。
黒猫は口を開けて息を吐いた。ため息らしい。
『お前を殺すつもりだったが、やめた。なにも知らないばかとは知らなかった』
この黒猫さんは僕を殺す気だったみたいだ。
『あるところに一人老婆がいた。野良猫にエサをあたえて、エサを食べる野良猫の様を見て、独り暮らしの寂しさを紛らわしていた。その老婆をお前が殺したんだ』
あぁ、そういうことなのか。
『俺もその老婆にエサを貰ったことがある。これもエサの礼と来てみれば、老婆を殺したヤツは仇となる資格すら無かったとは』
こんな仕事をしていれば、恨みを受けるだろうということはわかっている。
いずれ捕まるか、恨みで殺されるか、そのどちらかだろうと予想はしている。
だけど、その相手が猫さんというのは予想外だった。だけど、
「僕に仇の資格はないんですか?」
その老婆を殺したのが僕なら、復讐の相手は僕だろう。
『お前は何故、老人を殺す?』
「それが仕事、だからです」
『仕事なら同族殺しもするのか?』
「えーと、人殺しだけじゃないです。放火もあります。子供の誘拐もあります。死体を解剖して臓器を取り出したりもあります。けっこう手広くやっています」
『なんでそんな仕事をやっているんだ?』
「なんで……、お金のため、ですね」
『そんなに金が好きか?』
「別に好きでも嫌いでもないです。でも、お金を稼がないと生きていけません」
『他に仕事はないのか? 他の人間で殺しを仕事にしてるヤツなんて、まずいない』
「そうなんですか? でも、最終学歴が中学校中退で保護者も保証人もいないと、僕にやらせてもらえる仕事はそういうのしか無くて」
黒猫さんは俯いて、ため息ひとつこぼす。
『お前、いまの仕事、好きでやってるのか?』
仕事が、好きかどうかでいうなら。
「いまの仕事、嫌いです。人殺しとか、したくないです」
『じゃあ、辞めちまえ』
「辞めると生活できません。生きていけなくなります」
『俺を見ろよ』
さっきから黒猫さんを見ながら話していますが。地面に座って前足を伸ばして顔を上げて黒猫さんは僕を見ている。その堂々とした態度は下から見上げているのに、僕が見下ろされているような気分になる。
二つの金色の瞳は昼間だからか、黒い瞳孔は縦に細く伸びている。まるで僕の心の底まで見透かしているようだ。
黒猫さんの声が聞こえているけれど、黒猫さんは話をするときに口を開けないし、口を動かさない。
テレパシー、というものだろうか? 直接に心に語りかけるような。だとすると、僕の考えてることが、思ったことが黒猫さんに聞こえているのかも。
『俺達猫は、金なんざ無くても生きている。猫以外の生き物もたいていそうだ。金が無いと生きていけないなんてのはな、お前たち人間だけなんだよ』
そういえば、そうだ。人間以外の生き物がお金をつかってるところを、僕は見たことが無い。
『すっかり中毒なんだ。お前らは』
中毒、お金中毒か。たしかにお金が無いと生きていけないなんて、お酒がないと生きていけないとか、クスリが無いと生きていけない、なんてのと同じかもしれない。
『酒に麻薬に政治にお金と経済、あとは宗教か? アル中ヤニ中ヤク中狂信、お前ら人間は身体と心に悪いもの作ってはその中毒にハマるのが大好きなんだなぁ』
黒猫さんは嘲るように言う。僕は念のために聞いてみる。
「猫、さんはお金は使わないんですか?」
『たいていの猫は使わない。猫は人間より頭がいいのが多いから、今だけよくて百年後に自分達の子孫を苦しめるようなものには、手を出さない』
そうなんだ。
『お前ら人間は頭が悪いし自分に自信が無い。それを誤魔化すために大量にモノをつくってそれに溺れて、それを自分を納得させる材料にしている。自家中毒だ』
これも中毒なんだ。
『誰も教えてくれなかったのか?』
「何を、ですか?」
『エサの取り方、生きていく方法』
僕がしってるのはお金を払って必要なものを買うということ。そのためにお金を稼がないといけないということ。
エサ、というか食事も材料をお金を出して買うもの。取り方、と言われても。
盗む、ぐらいしか思いつかない。
『ついてこい』
黒猫さんは立ち上がって振り向いた。
「どこに、ですか?」
『俺がエサの取り方を教えてやる。そうすれば、もう同族殺しなんぞしなくても生きていけるだろう』
黒猫さんが歩いていく。
ほんとうに人を殺さなくても生きていける? そんな方法がある?
それを教えてもらえるのなら。
僕は慌ててバッグを肩に担いで黒猫さんのあとを追いかけた。
後ろから見ると黒猫さんの長い尻尾は二本あった。
揺れる黒い長い二本の尻尾に僕はついていった。