1・日給八千円の仕事
ピッキングツールで扉を開ける。
何度も練習したから慣れたもの。一軒家の裏口、台所につながる勝手口。鍵を開けて扉を開ける。
今日の仕事の相方は、
「ふん」
と鼻息ひとつしてずかずかと家の中に入っていく。
この仕事は静かにした方がいいのにがに股で足音をたてて歩いていく。真夜中とはいえ気をつけるとこはちゃんとしないと。
頭が薄くなりかけている50代ぐらいのこのおじさんとは、今日初めていっしょに仕事をするけどこの人なにもわかってないみたいだ。
僕は軍手の手首の部分を引っ張ってから頭に巻いていたタオルを結びなおす。
指紋とか髪の毛とか残さないように。
今回の仕事は強盗。正確には空き巣が見つかって居直り強盗、に見せかけてこの家の住人を殺す仕事。
住んでいるのは老夫婦。僕はおじさんが行った方向とは違う寝室に向かう。
この家ではおばあさんが寝たきりのおじいさんの介護をしながら二人で暮らしている。
仕事の説明で家の間取りを見ながら聞いた。
畳の部屋でおばあさんが布団に入って寝ている。起きてなくてほっとする。
介護の疲れか寝ているのにくたびれた顔つきで寝ているおばあさんの頭のそばに膝をつく。ナイフを取り出して白髪頭のおばあさんの首に狙いをつける。
起きませんように。叫びませんように。苦しみませんように。安らかに永眠しますように。
何度もやっているけど、慣れやしない。手が震える。こんなことやりたくないんだけど。
左手にタオルを持って右手のナイフを逆手に握る。ナイフをおばあさんの首に叩きつけるように刺して、同時に左手のタオルでおばあさんの口を塞ぐ。
そのまま抑えつけて様子を伺う。もがいて暴れるかと思ってたけど、そんなこともなくて、静かに死んだみたいだ。
血の染みたタオルをどけると、おばあさんが白目を向いて死んでいる。僕は軍手を着けた手でおばあさんの目を閉じさせる。
恨んでもいいけれど、どうか安らかに。
血の染みたタオルをビニール袋にしまって、懐中電灯を取り出す。
夜目のきくほうだけど、暗いとやっぱり細かいものは見えないから。
空き巣に見せるために部屋の中を漁る。
銀行の通帳とカード。別にしまっているのかハンコは見つからない。タンスのなかに封筒があって中に三万円。
臨時収入だ、ありがとうございます。
三万円は細かく折って靴下の中に入れる。
あのおじさんはもうひとりのおじいさんをちゃんと殺したのだろうか?
おじいさんが寝ている部屋に行くと、頭が薄いおじさんは部屋の灯りをつけて、音を立てて部屋の中を漁っていた。
寝ているおじいさんを見るとベッドの上に横になっている。寝たきりのおじいさんに繋がっている機械が動いているから、まだ生きている。おじいさんはまだ死んではいない。
この頭の薄いおじさんは何を考えているんだろう?
仕事のことわかってないんだろうか?
僕はおじさんの肩を叩いて見る。
「あん?」
振り向いたおじさんと目が合ったので、ベッドで寝たきりのおじいさんを指差す。
「あぁ」
とか言って元の作業に戻る。棚を開けて中身を探っている。
おじさんの仕事はそれじゃないんだけど。
もう一度おじさんの肩を叩いて寝たきりのおじいさんを指差す。まだ生きてますよ。
「なんで俺がそんなことしなくちゃいけない?」
この人ぜんぜんダメだ。自分がなんの仕事を引き受けてなにをしないといけないのかまるでわかってない。
前もこのくらいの歳の人と仕事をしたけど、やっぱり何もわかってない人だった。
それどころか自分が何をしているかもわかってなかった。
こんなことで時間を無駄にしてもなにもない。それどころか見つかる危険が増えるだけだ。
僕は寝たきりのおじいさんのベッドに近づく。おじいさんはぼんやり天井を見ている。
僕はおじいさんの首をナイフで切る。
どうかおばあさんと同じところに、できれば天国に行けますように。
おじいさんに繋がっている機械がピーッと電子音を立てたので、慌てて機械のコンセントを抜く。
もしかするとこの機械が病院に繋がってて、救急車が来るかも知れない。
僕は頭の薄いおじさんに血に濡れたナイフを見せつけて、
「早く逃げましょう」
丁寧に言ったのに怯えて震えながら走っていった。どたばたと。
これならひとりで仕事したほうがましだと思う。
あのおじさんはあの歳までどうやって生きてきたんだろう?
よっぽど運が良かったんだろうか。
少し走って待ち合わせ場所に着くと、暗いガード下に車が2台止まっていた。
スーツのおじさんが二人。派遣会社の人だ。
僕とおじさんは別れてそれぞれが車に乗る。
別れ際におじさんにお疲れさまです、と挨拶する。返事は無かった。
僕は車の助手席に乗ってシートベルトを締めて運転席に乗ったスーツのおじさんを見る。
この人は僕の勤める派遣会社の人で僕の担当だ。もうそろそろ1年くらいになる付き合いだ。
「あのおっちゃんはどうだったよ?」
どうだったと言われても、
「あの、あの人はちゃんと仕事の説明を受けてきたんですか? なにもわかってないみたいでしたけど。これならひとりの方がいいです。もういっしょに仕事したくは無いです」
「あー、やっぱりな」
担当さんは携帯を取り出して電話する。
「もしもし、俺。そっちのおっちゃんな、予定どうりでいいや。変更なしで」
電話を切ってエンジンをかけて車を発進させる。
「あのおっちゃんはリストラ要員だ。もういっしょになることは無いから安心しな」
リストラ要員か。ということは、あの老夫婦殺害の犯人として逃走中に事故死のパターンかな?
「1本とってくれ」
「はい」
助手席の足下のクーラーボックスから缶ビールを出してプルトップを開けて担当さんに渡す。この人はいつもビールを飲みながら運転している。
飲酒運転も殺人も強盗も捕まらなければ犯罪ではない、と担当さんは教えてくれた。
「くーっ、鬱陶しい仕事のあとはこれだなぁ。お前も1本飲んでいいぞ」
「僕は未成年なので」
「お前はほんとにマジメだよなぁ」
「ほかに取り柄がありませんので」
赤信号で車が止まる。この担当さんはお酒を飲みながら運転した方が、捕まらないように気をつけるので丁寧な安全運転になるそうだ。
担当さんはスーツのポケットから封筒を出して僕に渡す。
「ほい、今日の給料」
「ありがとうございます」
礼を言って受け取る。封筒を開けて中身を確認する。
五千円札が1枚、千円札が3枚。
「あれ? 八千円入ってますよ」
僕の日給は七千円だったはずだけど。
「お前は仕事をそつなくこなしてくれるからな。今日から給料アップだ。仕事1回で八千円にする」
「ありがとうございます」
お給料が上がった。これは嬉しい。
「仕事に必要なものがあれば言ってくれ。経費で落とすからよ。お前はマジメだから信用できる」
「それなら、軍手とタオルが欲しいです」
「前にお前が自腹で買ったヤツ、領収書は持っているか?」
「すみません。捨てちゃいました」
「仕事で使うものなら経費で買えるから、自前で買ったものは領収書をもってきてくれ。後で払うからよ」
「わかりました。次から気をつけます」
そうだったのか、知らなかった。領収書、忘れないようにしないと。
社員寮まで送ってもらう。着いたときには夜中の3時半だった。
「また次もよろしく頼むな」
「こちらこそよろしくお願いします」
寮の自分の部屋に帰って布団に倒れこむ。
今日のお仕事終わり、ゆっくり寝よう。
お金を稼ぐのはたいへんだ。
中学校中退で学歴もない。親はもういないから保護者もいない。保証人もいない。資格もない。特技もない。作ってもらった偽造運転免許証はあるけど、車の運転も下手。
そうなると仕事も無い。
仕事が無いとお金が稼げない。
お金がないと生きていけない。
そんな僕がお金を稼いで生きていくには悪いことをしないといけない。
悪いことをすればお金が稼げる。
リスクがあっても利益があるならやるしかない。
だからみんなやってしまうんだろうか。
僕の場合は他に選ぶ余地がなかっただけなんだけど。
僕の登録している派遣会社の仕事は、だいたいが老人殺し。
介護に疲れた家族、嵩む医療費、遺産関係、それらの解消のために依頼を受けて仕事をしている。
火災保険とか家財保険の兼ね合いからお年寄りを殺してから放火することもある。保険会社が仕事を依頼することもある。裏でどんなお金の流れがあるのかは、難しくてよくわからない。
あとは女の子の誘拐。
お隣の国では日本人の女の子が高く売れるそうだ。
長い独りっ子政策の影響で男が多くて女が少ない。跡継ぎには男の方がいいからと女の子が産まれたら処分したり捨てたりしてたら、男女の比率が変わったとか。
そして今は少子高齢化で子供が少ない。
少ないものには価値がつく。希少価値。
お隣の国では他所の国の女の子を養子にしたり、ペットのように飼うのがお金持ちの中で流行っている、というお話。
老人殺しとか子供の誘拐などなど、そんな仕事でお金を稼いで生活している。日給七千円、千円上がってこれからは八千円。
一回の仕事の時間が短いから時給にすると高いんだけど。
だいたい週に三回くらいで、月給にすると八万円ちょっと。
寮暮らしだからこれだけあれば生活できる。ここから寮の費用、電気、ガス、水道、電話、市民税と年金と雇用保険と健康保険を払って、今回はこっそり持ってきた三万円もある。
今月は生活に余裕ができそうだ。穴が開いてない靴下が無くなったから、靴下を買おうかな?
お金を稼ぐのはたいへんだ。
年収300万円とかだと、どんなに悪いことをどれだけいっぱいやらなきゃいけないんだろう?
お年寄りを二人殺して八千円だから、何百人と殺したり拐ったりしないといけないんだろうか。
人殺しも誘拐もやりたくはないんだけど。
僕にできるような仕事は他に無いから、自分にできることをマジメにがんばってやるしかない。
他に生きていく方法なんて、知らない。
平成二十五年の七月くらいまで、東京でそんな生活をしてた。