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メイサ

 場の張り詰めた空気に穴を空けるような、呑気な声は千秋の背後から聞こえた。金縛りが解けたように振り返れば、そこには見知った少女が微笑みを浮かべて立っている。

 夏の暑さも残る時期だというのに黒いシャツに黒いミニスカート。細い脚には黒いタイツと、徹底して黒を基調としたコーディネートだ。唯一違う色があるとすれば、えんじ色をより黒くしたようなネクタイが腰まで垂れている。

 少女は黒いショートボブを揺らし首を傾ける。

 仕草の一つ一つがどこか浮世離れした少女だった。千秋はこの少女の名前を知っている。だからこそ、呼んだ。


「メイサちゃん」


 呼ばれた名に、少女が笑みを濃くして頷く。


「やぁ千秋くん、ボクのことは親しみを込めてジェニーとでも呼んでおくれ」


「黒崎、二日前はクリスチーナだったと思うが」


 呆れを含む無表情な成政の指摘に、黒崎メイサは動じない。彼女は額に手を当て、芝居がかった大仰な素振りで天を仰ぐ。メニューを持ってきた新人らしいウエイトレスがビクリと身を竦ませた。


「…………ふぅ」


「何の溜息だ?」


「気にしたら負けだよ。きっと」


 相変わらず面白いテンションだなぁ、と千秋は苦笑を滲ませる。黒崎メイサは成政と同様に小学校からの幼馴染であり、高校が変わった今でも親交は深い。なにをするにも三人一緒であった事を懐かしむ事は、今現在の関係性の変化を肯定することになるのだろうか。

 千秋は首を回し、落ち込みかけた気持ちを切り替える。生活の場は変わっても、いつでもこうして顔を合わせる事ができるのだ。内心でそう自分に言い聞かせ、千秋は話題を切り出した。


「メイサちゃんも寄り道?」


「あぁ、この店の前を通りがかったら君たちの匂いがしたのでね」


 本気で言ってそうだから怖い。

 

「一人?」


「あぁ。自慢ではないがボクは友達がいないからね」


 コメントしづらい事を平然と言ってのける。自分にも、他人にも嘘をつかないのがこの少女の特徴であり、この辺の性格が千秋は好きであるのだが、周囲の人間は違うようだ。成政同様、メイサもまた真っ直ぐに不器用なのだと千秋は思う。だからこそ、


「メイサちゃんには僕達がいるじゃない」


 言葉に、メイサは柔らかく表情を動かした。先程の微笑とは違う、目尻を下げるような、口の端が緩むような笑みだ。少女は己の身体を抱き身をくねらせた。


「ああ! 千秋くんは優しいな! どうだい? 今晩夜景の綺麗なレストランで食事でも? いっそ君をさらって永遠にボクの物にしてしまいたいよ!」


 本気でやりかねないから怖い。

 千秋は尻をずらし、一人分のスペースを作ると、立ったままのメイサにウエイトレスから受け取ったメニューを手渡す。メイサはそれを受け取ると無意味に身を一回転し、スカートをひるがえらせてから席に着いた。途中、成政がなにか言いたげなジト目を送っていたが気にはしていないだろう。


「さて、何の話をしていたのかな?」


 器用にも鼻歌交じりにメニューを音読しながらメイサが言葉を振って来た。

千秋は頷き、事の経緯を説明しようとした。だがその前に、と思う。


「長い話になるから、注文は決まった?」


「ふっふっふ、もったいぶるね? いいよ。ボクの注文は決まった」


 シャツの袖が空気を叩き音を起て、メイサは手を挙げた。すぐさま緊張した面持ちのウエイトレスが伝票を持ってきて、やや引き攣り気味の笑みで会釈した。


「ご、ご注文はお決まりですか?」


「クリーム玄米茶!!」











 水色から朱、朱から蒼。空が濃紺に染まるにつれ、徐々に星々は輝きを取り戻し始めた。星の光りに反するように月の光りが弱い。街灯の少ない田舎道は暗闇が霧のように立ち込めていた。緩く湿った匂いを含む風が頬を撫でる。雨が近いのかもしれないと、千秋は心持ち足を速めた。成政やメイサ、友人達と話し込んでいる内にすっかり外が暗くなっていることに気付いたのはおよそ20分ほど前の事だ。会計を済ませ、成政達とは店の前で別れた。最後まで心配そうにしていた二人の友人に対し、「大丈夫だから」と言って、帰宅の途についたわけではあるが、


「やっぱり送ってもらえば良かったかなぁ……」


 歩きだして早々に自分の選択を後悔した。

 二人といるとどうしても安心感が強くなり、気が大きくなってしまうのはいたしかたのない事だと思う。しかしながらこうして人の気配を感じられない状況を自覚するやいなや、急に不安感が鎌首をもたげ始めた。周囲に人の声はない。あるのは風が稲穂を撫でるざわつきの音と、例の両生類の耳障りな鳴き声のみだ。

 心臓がいつもより早く動いているのがわかる。

千秋は不安を振り切るように、メイサの言葉を思い出した。





「今日は何の準備もできないだろう。今日は……水曜日か。一度解散して、今度の週末にでも原因調査に乗り出そうか」


 千秋の事情を聞いたメイサは、こちらの言葉を一切疑うことなくそう切り出した。それに対して成政も無言で頷きを返す。この二人はいつもそうだと、千秋は思う。

 こちらの言葉を疑うという事をしない。勘違いだと、夢ではないのかと笑ったりしない。自分が困った時には何を差し置いても真剣に考えてくれるのだ。二人がここまで自分を大事に考えてくれる理由はわからない。でも、


「ありがとう」


 その一言で伝わり、全てが収まる仲だ。

 負い目を感じることは相手を重たく感じる事だ。だから千秋はそうしない。感謝の意を言葉で伝える。成政やメイサもそれ以上は望んでいない。自分が二人とつるむのも、腐れ縁もあるが、その辺の気安さがあるのかもしれない。


「それじゃ、また」





 息を吸い、新鮮な空気で肺を満たす。熱く、湿りの増した息を口から抜き、千秋は歩調を整える。気持ちが焦って早足になっていたせいか、足首からふくろはぎにかけて熱を帯びている。スピードを落とし、空を見上げれば、いつもと変わらない星空が広がっており、雲はまばらだ。雨の匂いを感じた気がしたが、この分であれば降る事はないだろう。幾分軽くなった足取りでアスファルトを蹴る。規則的に踵が地面と擦れる音を耳にし、不安が消え、和らいだ表情で正面を見据え歩く。相変わらず何も無い田舎道だ。ずっと遠くに明かりの灯りだした民家群が見え、それを越えるとT字路だ。そしてT字路を右折した先に例の公園がある。そこまで考えが浮かび、少し考え込む。


「まわり道、しよっかなぁ」


 昨日の今日であるのだし、できるだけ避けた方が良いのかもしれない。そう思うと千秋は店をたたんでしばらく経つ元駄菓子屋の角を右に曲がった。またしばらく田んぼに囲まれた道が続くが、一気に開けた視界が心持ち安心させてくれた。意気揚々。そんな言葉が頭に浮かんだ。この問題はいずれ解決するだろう。あの二人が力を貸してくれるから。千秋は自分がいつもの調子を取り戻しつつある事を自覚し、苦笑する。二人に相談して良かったと。

 しかし、


「――――」


 声がした。

 人のではない。鳴き声だ。千秋は即座に背後へと振り返った。視界が高速に動く中、瞳は一つの白い影を捉えていた。

 昨日の猫だ。

 白猫はこちらを遠巻きに様子を窺っている。暗闇の中で白猫の金色の瞳だけが異質な輝きを放っていた。そこにはもう、昨日感じた愛らしさなど微塵も感じない。あるのは未知のモノへの恐怖心のみだった。

 視線を感じる。

 小動物のものではない。纏わりつくような、粘り気を帯びたような視線だ。近くに息遣いすら感じられるような濃厚な気配。それは猫の動きに応じて、徐々にこちらに近づいて来ているように感じられ、こちらの脳の冷静な部分を恐怖心で染め上げていく。千秋は訳もわからないまま悲鳴を上げそうになる喉を堪える。心臓が爆発しそうだった。足は竦み、後ずさる足取りはぎこちない。白い猫がこちらに近づいてくる。ただそれだけの事が溜まらなく不気味に思え、このまま背を向けて走り出したい衝動に駆られた。それでも、身体が動かない。金縛り等では無い。怯えに身体が付いていけていないのだと、僅かに残る冷静な部分がそう告げている。白猫は一歩一歩立ち止まるように、探るような動作でこちらに向かって歩いてくる。徐々に密度を増して迫る気配に、動かない身体。千秋の心は恐怖と焦燥がぶつかり合い、頭が真っ白になりつつあった。

 やがて迫りくる重圧に耐えきれなくなった身体は空気を貪り、それは大気に向かって吐き出された。


「――――っ!!」


 夜気を震わす絶叫が暗い田舎道に響き渡る。普段の自分のどこからこんな声が出てくるのだろうと、疑問に思う余裕も無い。千秋は気配と自分との間に壁を造るように叫びを吐き出す。喉が痛み、声が掠れ出した。耳鳴りが酷く、眩暈を起こしそうだ。ひとしきり吼え、グッタリと身を前に折った頃にはもう、


「?」


 白猫は姿を消し、不思議と先程まで周囲に立ちこめていた嫌な気配は消えていた。何一つ痕跡を残すこともなく、残ったのはとてつもない疲労感と脱力感だ。


「助かっ、た……?」


 詰まる喉を押さえ、疑問と同時に膝を着いた。これが腰が抜けると言うことなのだろうと、おかしな所で冷静に思う自分がいる。

 何故助かったのだろう。そう思い視線を起こせば、目の前にはどこまで続くのかと思わせるほどの深い闇が広がっている。しかしその中で千秋はあるものを見つけた。

 それは光りだった。揺れながら、真っ直ぐにこちらに向かってくる光。距離は遠いが速度がある。肉眼で正体を確認できるようになるまでは、そう時間は掛からなかった。

 自分を救った光りの正体。それは火の玉でも狐火でもなく――


「姉さん……」


 自転車の作る人工の明かりであった。目からの情報が脳に届き、言葉となって外に出た瞬間、千秋の中で何かが切れた。おそらくは緊張の糸というものだろう。崩れる身体、薄れる意識のなかで、姉が自転車を乗り捨て駆け寄ってくるのが見える。どんな顔をしているのか、怒っている顔か、心配している顔か。いずれにせよ思う言葉がある。


「……ごめんね」


 そんな顔させて。最後の言葉は声にならない。言葉と同時に意識が途切れたからだ。











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