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夜闇に紛れるモノ

 成政は見た。猫に触れた千秋がビクリと身体を震わせたかと思えば、糸が切れたかのように体勢を崩すのを。


「千秋!!」


「大丈夫さ。きっとね」


 メイサの悟ったような落ち着きはらった様子に苛立ちを覚えるも、成政は倒れる千秋の身体を支えた。意識の無い人間の身体は重く、なんとも頼りなく首が垂れている。ハナヱの時と同じであれば数分で目を覚ます筈であるが、メイサのこともある。身体を乗っ取られれば何をされるかわからない。そんな不安がある。


「黒崎」


「そう焦らなくても大丈夫だよ。むしろ憑依してもらうことが目的なんだから」


 成政は歯がみした。


「俺が、代わりではダメだったのか?」


 身体に他人の意識が流れてくる感覚は分からない。自分はハナヱや周治ともそれほど接点を持っていない。しかし、千秋のそれはとてもリスキーな行為である事は理解している。すごい剣幕で迫る成政に対し、メイサは呆れたような溜息をついた。


「……キミのその自己犠牲精神は、やはり千秋くんと似た者同士だね。だけどこの場合、千秋くんが適役だったんだよ」


 ハナヱとの接点を多く持ち、干渉力が高い。さらにハナヱが憑依したことにより記憶を共有したこともある。憑依したことでハナヱは千秋の記憶を得て、千秋が周治と別人であると認識したように、ハナヱの記憶を有した千秋の記憶は周治へと流れ込む。

 それは、ハナヱと周治を繋ぐ接点だ。


「残念ながら、成政くんにはできない役割なのさ。……ボクも、できれば変わってやりたかった」


 最後の言葉の真剣さに、成政は息を呑んだ。


「すまん」


 ぶっきらぼうにそう告げると、いいさ、と軽い返事が返って来た。成政はそれ以上は何も言わず千秋をそっと横たえた。眉間に力が籠っており、閉じられた瞼が時折ピクリと動いている。いったいどのような記憶が流れているのだろうか。

 見れば、メイサの傷の処置に使われたインナーは腹の辺りの布がごっそり無くなっており、露出したへその周りには鳥肌が浮かんでいる。緊張の為、あまり感じてはいなかったが、今はもう秋に近い夜だ。多少肌寒く感じる。

 成政は制服のシャツを脱ぐと、千秋の腹に掛けた。昔から身体が弱い奴だったと記憶している。


「成政くん! ボクも! ボクも寒い!! 川に落ちているからね!」


 成政は後ろで叫んでいるメイサを一瞥すると、


「そうか、頑張れ」


 温かいエールを送った。


「キ、キミ! ひどいな! てかその下シャツ、ショッキングピンクか!? ひどいな!?」


 無視した。

 わざとらしく溜息を吐いた成政は再び千秋の様子を窺おうとして、ギョッとした。

 横たわっていた千秋が身体を起こし、焦点の定まらない瞳を宙に彷徨わせていたからだ。意識が戻ったのか、そんな発想が出てこないほどには空気が緊張を帯びていた。成政はまるで得体の知れない不気味さを雰囲気で感じ取っていた。

 今、千秋の身体を動かしているのは千秋本人ではない。

 不安定に揺れていた身体がピタリと止まるのを、成政とメイサは見守った。


「――――」


 それは掠れた声だった。

 まるで生身での発声の仕方を忘れたかのような、呼気が音を作ろうとして抜けていく感覚。最初はぎこちなく失敗を繰り返していたが、やがてそれは言葉を形成していった。


「……ハナ、エ、さん」


 声は千秋のモノであり、しかしそのイントネーションや声質が若干異なっていた。おそらくは周治の意思が身体を操っているのだろう。


「ハナヱ、さん、ハナヱさん……」


 繰り返す千秋の頬を一筋の涙が伝う。目尻から零れた滴が肉付きの薄い頬を撫で、顎からポタリと落とされた。とめどなく流れる涙を拭うことなく、千秋は一点を見つめていた。


「成政くん!」


 メイサが突如声を挙げた。

 叫ばなくてもわかっている。成政も、メイサの視線の先を見ている。それは千秋の見ている方向でもある。


「!!」


 自分達が歩いて来た祠の入口の近く、街灯の淡い光に照らされた場所に、一人の女が立っていた。背中にまで掛かる長い黒髪に花柄のワンピースを纏った、線の細い女だ。それは周囲の闇の中で不釣り合いに白く、その場所だけが現実から解離した空間であるかのようだった。

 おそらくはあれが千秋やメイサの言う、ハナヱという女なのだろう。遠目に見て、ハナヱの姿に外傷は無い。今が深夜でもなく、不気味な祠の前で一人で立ってさえいなければ生きた人間と区別がつかなかったかもしれない。

 千秋が、ハナヱのもとへと駆けだした。唐突な動きに成政も走りだそうとして、メイサが横になっていたことに気付く。


「わ」


 メイサを荒々しく抱き上げると、千秋の後を追って自分達が先程までいた祠前の街灯へと走りだした。距離にして数十メートルであり、一足先にハナヱの前で足を止めた千秋は直ぐに膝をつき、頭を垂れた。

 アスファルトに額を擦りつけるような形で土下座する千秋を、まるで石ころでも見るような目つきでハナヱが見ていた。

 足を止めた成政はことの成り行きを見守るほか無かった。


「ハナヱさん! すまなかった! 俺は――」


 五月蠅うるさい!


 甲高い声が聞こえ、街灯がひとりでに弾け、砕けた。街灯の明かりが消え夜鳥が慌ただしく飛びだった。その場に一瞬の沈黙が満ちる。

 そんな中、先に口を開いたのはハナヱの方だ。か細く、鈴の音のような声だった。小さい唇が震え、言葉を捻りだす。


「…………して?」


 どうして? とハナヱが問いかける。目の端から赤黒い筋が垂れ始める。


「……どうして、来てくれなかったの?」


 言葉と同時、ハナヱの首がゴキリという音と共に折れ曲がった。不自然に傾げられた首、目の端から垂れていた血の道が方向を変える。成政とメイサは言葉を失った。首が折れ、血を流した姿であるにも関わらず、普通に喋ろうとしているハナヱがとてつもなく気持ち悪く思えた。


「ねぇ、私、死んじゃったよ?」


 震える言葉と同時、ハナヱが血を吐いて膝を折った。首がごろりと胴を支点に転がり、重力に引かれて身体が倒れる。


「――――」


 力を失い、倒れる身体を支えたのは、千秋だった。

 千秋は己の身体をハナヱの血で赤く染めながら、ハナヱを抱きしめる。背中で強く掴んだ衣服がきつくシワを作る。


「ごめん……! ごめん! 俺は、俺は――!」


 千秋は涙を流し、言葉にならない声を挙げた。まるで獣の咆哮のような叫びがビリビリと周囲の空気を震わす。身体の中の全てをぶちまけるような声量に喉の奥が切れ、叫びに血が混じる。喉が枯れ、途切れるまで、その声が止む事はなかった。

 脱力していたハナヱの手が、千秋の背中に回る。危険を感じ、成政が割って入る為の初動に入ったところで、声がした。


「でも、来てくれたんだね……」


 叫び、震えていた千秋の身体がピタリと動きを止めた。


「ずっと待ってて、全然来なくて、私、捨てられたと思ってて……」


 こちらからではハナヱの顔は見れない。折れ曲がった首がちょうど千秋の肩に額を押しつけられる形で隠れているからだ。

 ハナヱの言葉に険は無い。いままで発していた怨念めいた物は感じられなかった。その代わりに感じるのは深い悲しみや後悔、それらを含めた優しい色だ。


「疑う自分が嫌で……、信じきれない自分が嫌で……」


 ハナヱの身体から赤の色が消えていく。顔から身体にかけて真っ赤に染めていたはずの血が、逆再生のように口や鼻や目に戻っていく。折れていたはずの首までもが再び不気味な音を立てて元の位置に戻る。

 再び千秋の前に立ったハナヱは、すっかり元の綺麗な女性へと姿を変えていた。暗く、圧倒的に光量の足りていないこの場所でさえ、光を帯びたかのように鮮明だった。成政はハナヱの容姿に息を呑んだ。


 ……こんなに、綺麗だったんだな。


 ハナヱは笑っていた。

 白い歯を見せ、心の底から安堵するような笑みだった。


「来てくれて、本当にありがとう……」


 ハナヱが千秋の体にめり込み始める。


「!」


 否、めり込んだのではない。実態を失ったハナヱの身体が千秋をすり抜けたのだ。すり抜けると同時、ハナヱの身体は色を失い、煙のように身体が霧散し始める。しかし、成政は見た。千秋の身体をすり抜けたハナヱは一人ではなかった。おそらくは周治と思われる男と抱き合い、60年分の距離を埋めるように抱き合っていたのを。二人は千秋の身体から出ると、夜闇に紛れるように消えていった。



次回が最終話。

区切る所、間違えた……。

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