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絶望の記憶

 他人の目が見た映像をディスプレイ越しに見せられている感覚と、メイサは言っていた。

 確かにそのようだと、千秋は思う。自分の意志では身体は動かせず、視線すら自由にできない有り様だ。

 そして今、目の前に広がっている景色は、先程まで自分がいた公園前とは全く違っていた。暗く小さな星が浮かぶだけの空、民家から零れる黄色い明かりが光源となって足元を照らしている。見覚えがあるようで無いような風景だった。内心、小首を傾げるも、直ぐにその答えに行き着く。


 ……これは、記憶なんだ。


 60年前。嵐の中で死んだ藤篠ハナヱの記憶。

 自分が生まれるより遥かに昔の風景が、そこにはあった。

 感慨に浸るような状況でもない。今は目の前に流れる映像と記憶に身を任せ、記憶の中の散らばった情報を探るほか無かった。


「ハナヱさん!」


 突如、こちらに向かって呼ぶ声がした。年の若い、通りの良い声だ。その声がこちら向けられているということは、これはハナヱの視点なのだろう。視点ははやる動きで振り向き、その視界の中央に男の姿を映した。浅黒い肌に白いTシャツ。ツータックのスラックスを真面目そうに着こんだ青年。まるで白黒写真から抜け出たようないでたちの彼は、こちらを真剣な瞳で見据え、歩み寄ってくる。

 男の歩みに合わせるように、視界がぼやけていき、ハナヱの物と思われる手がそれを拭っていた。ハナヱは泣いているのだ。涙の訳を詮索するよりも早く、男はハナヱの手を取り、真剣な表情で訴えた。


「ハナヱさん! お義父さんの言うことなんて気にしないでくれ。俺はアナタを愛してる。それだけで良いじゃないか」


「周治さん……」


 

 ……シュウジ?


 ハナヱの言葉に千秋の鼓動が跳ね上がった。あくまで感覚だが。

 言われて千秋は周治の顔をマジマジと見る。否、ハナヱが見ているのだから、こちらは否応なしにそれに従うほかにないのだ。

 黒ぶち眼鏡の奥、眉間に険しくシワを作った男は、ハナヱの両肩を掴み、決意に満ちた声音で言った。


「明日、この村を出よう。一緒にだ」


「!」


 ハナヱが息を呑んだのがわかる。自分に肉体があれば、千秋自身もそうしていただろう。それだけ大胆で、そして有無を言わさぬ雰囲気があった。しかし、と千秋は思う。


 ……幽霊になるくらいだから、これって。


 十中八九、失敗するだろう。

 確信に近い思いを胸に、どこか息苦しく感じてしまうが、ハナヱが感じている息苦しさはそれとは異質なものだろう。言うなれば、興奮だ。ハナヱは歓喜に、涙さえ流している。


 ……きっと、嬉しいんだよね。


「来て、くれるね?」


 周治の言葉に、ハナヱが首肯するのがわかった。周治がその真面目そうな容姿からは想像もつかない、身体全体で喜びの感情を顕わにした。両手を固く握り、天に向かって突き上げる。一生の願いが叶ったと言わんばかりの、ガッツポーズだ。

 周治もハナヱも、互いの未来に何の疑いも持っていないような、そんな二人だけの世界に浸っていた。


「そ、それじゃ、明日、夜の10時に〝あの場所〟で!」


 照れ隠しや色んな感情が綯い交ぜ(ないまぜ)になったような、慌てた口調でまくし立てる。夜目に見ても、大量のお酒でも飲んだかのようにその顔が赤い。男は慌ただしくも手を振り、駆けていく。早速自宅に戻り、明日の準備を始めるのだろう。男は最後に振り向くと、ハナヱに向かって大きく手を振り叫んだ。


「じゃぁハナヱさん、バイバイ、またね!」


 ハナヱはそんな浮かれた周治を見送り、はにかんでいた。ハナヱ自身も幸福感に震えているのだ。

 千秋は今すぐこの記憶の中から抜けだしたい、そんな衝動に駆られた。

 バッドエンドが決まっているストーリーなど見ていたくないのだ。そんな千秋の思いが通じたのだろうか、突如、目の前の男の輪郭がぼやけ始めた。視界全体がぼやけ、意識が遠のいていく。白んでいく景色はやがて色を持ち、アニメやドラマの場面変換の如く、景色が切り替わっていた。

 しかし、それは千秋の望む事後では無く、絶望の始まりだった。

 闇を奪うような稲光に、大地の震えと共に轟音が鳴り響く。真横から容赦無く打ちつける土砂降りの雨の中、ハナヱは立っていた。壊れた傘と、足元には既にずぶ濡れとなった大荷物が置かれている。雨宿りにと思った大樹はあまり役に立っていない。荷物同様、ずぶ濡れで花柄のワンピースを身体に張り付かせたハナヱはうつむき、その場に佇んでいた。

 ハナヱが立っているのは、先程まで千秋が成政やメイサと共にいた、例の祠前の通りだった。

 道路は舗装されていなく水捌けが悪い。打ちつける雨が大きな水溜りを作り、大粒の雫が跳ねてはハナヱの靴に泥をつける。そして目の前にあった筈の公園は遊具も無く、ただの空き地として草が敷地を埋め尽くしていた。

 ここは、自分が生まれるよりも前の時代なのだ。普段見慣れた風景が、過去と現代でここまで違うことに驚きを隠せない。しかし今は、その驚きを純粋に享受することは出来そうになかった。

 驚きを感じる余裕など無い。ハナヱの感情が千秋に直接流れ込んでくるからだ。

 どうして?

 ハナヱの頭の中を占めるのは、そんな疑問だった。

 どうして待ち人は来ない。約束したのに。待ち合わせの時間はとっくに過ぎているのに。

 秋に近いこの季節、雨は冷たく、彼女の体温を容易に奪う。

 それでもハナヱの心の奥には、周治を信じる気持ちが確かにあり、それが余計に千秋の気持ちを重くさせた。

 どれぐらいそうしていたであろう。

 千秋がこの沈黙に耐えきれなくなりそうな所で、一段強く雷が光った。


「!」


 光と同時に音が鳴り、それは直ぐ近くに雷が落ちた事を物語っていた。ハナヱが驚いたのだろう。視界が上を向く。すると近くの木が天辺から大きく割れ、裂け目からオレンジの火を立ち昇らせていた。次第に強くなる火に、身の危険を感じたのだろう。ハナヱは急いで雨宿りしていた大樹の下を離れた。荷物も持たず、壊れた傘を投げ捨て、何も無い平地でうずくまり頭を抱える。

 感情が、限界だった。

 どうして? という自問が次第に熱を帯び、紫色に変色しつつある唇から連続的に零れる。

 どうして? どうして来ないの? 約束したのに。またねって言ったのに。

 感情は加速する。いままで必死に繋ぎとめていた糸が、プッツリと切れてしまったのだ。顔がクシャリと歪んだ感覚がある。視界の曇りは雨のせいだろうか、それとも……。


「――――ヒ、――ァ」


 嗚咽と共に押し寄せる津波のような感情に、千秋の頭はパンクしそうになった。

 なんでこんなに悲しいのか、なにが悪いのか、誰が悪いのか。

 一点に吸い寄せられるように感情は黒く汚れていく。その感情はもはやハナヱのものなのか、自分のものなのか、それすらも判別できないほどに、意識が朦朧としていた。

 その時、突如、横から何かが地面をバウンドする音が聞こえ、重く鈍い衝撃がハナヱの側頭部を打った。視界が一気に上下逆さまになり、そのままだらりと自分の胸を映すように首が転がる。

 首が折れたのだと悟った。

 痛みは無い。これはハナヱの記憶であり、痛みを感じるヒマも無かったのだろう。

 グラグラと身体が左右に大きく揺れ、やがて首の重みで前方向へと身体が傾く。

 ハナヱの身体は頭から水溜りに突っ込んだ。

 ゴポリと呼気が水溜りに弾ける音が耳に響いた。



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