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21「FANTOM」

ホシに戻ったプランジとネコ。

観察者と共に円柱群の中にいるウィズとリジー。

それぞれはどうするのか。そしてファイと観察者の関係は?

次回が最終回です。




 観察者は、気付いた時から其処にいた。

 何処から来たのかは分からない。自分が何者なのかも分からない。ただ、微かな

記憶だけはあった。それはモヤッとしたイメージ。妻と子の仇を追っている、と言

うものだった。それは他の誰かのものなのか、それとも昔からあるものなのか、観

察者は分からなかった。

 観察者は、巨大なフネの中にいた。時に形を変える、不思議なフネ。重力があっ

たり無かったりも場所によって、時によって違う。その全てはコントロール出来は

しない。なので彼は唯一コントロール出来る一つの部屋でその大半を過ごしていた。

 彼は時々フネの中を歩く。巨大な廊下と十字路やT字路。時に形を変えるその場

所のあり得ない程広い壁で、時々扉が開く。星空の部屋だったり、ガラクタの部屋

だったり、物資が積まれた部屋だったり。

 そして時に窓から見える風景。それは星空を背景に周りを取り囲む巨大な黒い円

柱たちの姿だった。観察者は思う。自分がいるのも、同じ様な円柱の形をしたフネ

の中なのだろうか?その真実は今でも分からない。

 そのそれぞれの円柱の中にも、自分と同じ様に取り残された人間がいるのだろう

か?観察者はそれを知りたいと思った。物資の中から望遠鏡を探し出してきて、一

日中眺めていたりもした。やがて窓だと思っていたのは巨大なモニターだったこと

に気づき、その操作法を探していった。苦心の末にようやく黒い円柱群の全体をス

キャンすることが出来たが、驚いたことに生命反応は観察者自身のもの以外は無か

った。彼は絶望し、しばらくは何もする気が起きなかった。

 そして長い時間が経ち、観察者は起き上がった。そこはもう何度も来た星空の部

屋だった。これからも、代わり映えしない毎日が続くのだろうか。観察者は深くた

め息を吐いた。

「……!」

 その時、彼は何かを感じた。星空を見回しても、そこには星以外のものは見えな

い。だが、その中に何かがいるーーー観察者は目を凝らした。やがて観察者は目線

で操作してモニターをその一点に寄せていった。最初は緑色の光だと思った。導く

様なその光は、宇宙の中で微かに瞬いていた。観察者は尚も画像を寄せていった。

やがてそこには、一つのホシが現れた。それはとても小さなホシだった。直径が三

十キロ程、本来ならホシの体を為さないであろうその存在は、まるで宇宙に浮かぶ

オアシスの様だった。そして観察者はそのホシの上に、一人の青年とネコを見つけ

た。それは観察者が自身を意識して以来初めての、自分以外のヒトの存在だった。

観察者はずっと観察を続けた。そのホシは時に姿を変え、隕石を降らせ、その青年

たちに試練を与えている様だった。観察者はそれを見ているのが楽しくて仕方がな

かった。何があっても、青年はめげなかった。度々変わるホシの状況や隕石で幾度

も死にかけたが、何とか彼は生き残った。そんな青年と、観察者はいつか青年と話

をするのだーーと思っていた。何度かその円柱群をそのホシへ向けようと努力して

半分は成功したものの、その歩みは非常に鈍かった。そのホシまで到達するのにま

た長い時間を要することになる計算だった。観察者は呆れ、また絶望したが観察を

止めようとまでは思わなかった。相変わらずホシでは青年たちのサバイバルが行わ

れていた。

 やがて、ホシに近づきつつある時にアクシデントが起きた。黒い円柱群の中の一

つが、暴走を始めたのだ。それは円柱群の端にあった一つで、確かに生命反応が無

いことを確認していた筈だった。だがそれは突然艦隊を離れて動き始め、ホシの方

へと向かい始めた。観察者は驚き、その理由を探したが、結局何も出来はしなかっ

た。とにかく何とか追おうと観察者はしばらくフル稼働した。結果、自身がいるも

のではないが一つの円柱を同じ方向に向かわせることに成功した。観察者はその行

方をじっと見守っていた。じわじわと不安が沸き上がっていた。ホシの上では青年

が落下して来る緑色の光を伴った隕石と激突し、初めて瞬間移動を経験していた。

更に初めてのそれ以外の人間ーーとある少女がホシに現れ、青年とつかの間の交流

を果たしていた。着実に、何かが起こっているーー観察者はそう思った。やがて観

察者は気付いた。最初にホシへと向かった円柱は、いつの間にかフネになっていた。

それは輸送船の様な観測船の様なフネで、驚くことにその中には乗員がいた。老人

と男と女。確かに誰もいなかった筈なのに。観察者は真綿で首を締められていく様

な、じわっとした怖れを感じていた。あれはーー妻と子なのか?それとも仇なのか

?漠然とした記憶とのそのリンクが、何故か観察者を悩ませていた。いや、そんな

筈は無い。そう思えば思う程、それは確信に変わっていった。やがてそんな観察者

の気分を反映したかの様に、追わせた方の円柱がどす黒いモヤモヤへと姿を変えて

いった。それはまるでドロドロした自分の中身が形になった様で、観察者は密かに

恐れた。

 ホシでは女の子を失って絶望していた青年が、ホシにある塔の頂上へ瞬間移動し

てその風景を見たりしていた。一方フネではその中に小さなモヤモヤが現れ、男女

を翻弄し始めた。それはフネを追うもう一つの巨大なモヤモヤと同じ様なものだっ

た。この星域全てが、何かの悪意に囚われつつあるーー観察者はそう思った。そし

てその殆どは、自分が引き起こしたものではないだろうか。そう感じていた。やが

て後方の巨大なモヤモヤは黄色い光を放った。観察者は何故か自分がそのトリガー

を引いた様な気がした。仇を取る為に、自分の深層意識がそうさせたのではないだ

ろうか?観察者は恐れていた。その後もモヤモヤは断続的に黄色い光を吐き続け、

その何度目かの光はホシまで届き、青年とネコの前へと降り立った。それによって

ホシは何かが変わったかの様だった。青年は以前見せた瞬間移動を見せ、フネに降

り立った。既に巨大なモヤモヤに取り込まれつつあったフネから男女を救出して、

ホシへと戻った。その様子を観察者はずっと見ていた。モヤモヤに取り込まれたフ

ネは大気圏でホシが発する不思議な緑色の光によって浄化された様だった。その黒

々としたモヤモヤがいなくなったフネは、ホシに不時着して次の日には消えた。だ

がそのモヤモヤの欠片はホシのあちらこちらに散らばった様にも見えた。

 それから、ホシでは様々なことが起きた。男女は普通にホシで暮らし、青年と共

に変わっていくホシの状況に翻弄されつつ生き延びていた。観察者はそれをずっと

観ていた。ホシにはあの緑色の光を伴う隕石と共に、あの少女の様に時々人間が訪

れる様になっていた。その度に何かが起きて、またその人間は帰っていく。それに

一切関われないまま、観察者はそれを見ていた。時に自分のいる円柱たちはあの時

巨大なモヤモヤが放った様な黄色い光を吐く。それによってもまたホシは変わって

いく。それもまた、自分が引き起こしたものなのかどうか観察者は理解出来ていな

い。微かに残る「仇」というイメージ。何も関われない自分、何も分からない自分

ーーその諸々が引き起こした何かではないのか?という思いが、ずっと観察者を捕

えていた。

 そして、あの緑色の光。それが『ヒュー』という名前であることは何故か自分は

知っていた。何故なのかは分からない。ただそれだけは自分は知っていた。そのこ

とがまた、観察者を苛立たせた。そうして、長い時間が過ぎた。観察者は、いつし

か椅子に座る様になった。


   *   *


 ーーーという話を、ウィズは観察者からようやく聞き出した。

「………」

 観察者は打ちのめされていて、それまでの冷静さ、岩の様な固さは既に無かった。

 そこは、例の星空の部屋だった。リジーは側で寝かせてある。深く眠ったまま、

目を覚まさなかった。ウィズはあっけに取られ、何も言葉を発することが出来ない

でいた。まず引っかかったのは、自分とリジーの出自だ。「ある時円柱がフネにな

り、その中に現れた」?自分たちは確か何処かの星系から出発した筈なのだがーー

それが何らかの原因で別次元に移動したと言うことなのだろうか?それともその記

憶自体が全て嘘で、自分たちも観察者と同様、何も無いところから現れたというの

だろうか。

 そしてーープランジ。あいつはやはり、特別なのかーー。

「終わりーーだと言ったな」

 ようやく、ウィズは口を開いた。

「あれは、どういう意味だ?」

 観察者は椅子に腰掛けたままうなだれていた。

「終わりーーにしたかったのだ」

「………」

 やはりそうか、とウィズは思った。

「ホシが終われば、もう……」

「………」

 ウィズはそれ以上、聞かなかった。自分たちにも、終わりはいつか来る。だがそ

れは今まで思っていたのとは大分違う様だーー。

 とにかく、ウィズはリジーを休ませたかった。

「きちんとしたベッド、あるか?」

「……あぁ」

 観察者はうなだれたまま言った。


   *   *


「!!」

 プランジは意識を取り戻した。ネコが顔を舐めていた。

「あぁ……」

 全身が痛かった。顔をしかめながらプランジは起き上がった。ネコは相変わらず

ニャウニャウ言っていた。無事だったんだ、とプランジはその額を撫でた。ネコは

一瞬気持ち良さそうに目を細めたが、タッと踵を返して先へと向かった。

「!……」

 そこでプランジは気がついた。プランジの目の前には、白い世界が広がっていた。

地面は平らで白く、空も白い。地平線の先までその世界が広がり、空と地面の境目

は分からなくなっていた。

 何だーー此処は。プランジは思った。ホシに『飛んだ』んじゃなかったのか?

 ネコはニャウニャウ言いながら先へと進んでいった。

「………」

 プランジは歩き出した。気がつけば服装はあの病院服ではなく、いつものカーゴ

パンツとTシャツに戻っていた。たった数日だったのに、何処か懐かしさを感じた。

カーゴを探ると、小さな水のパックと彫刻刀が入っていた。よし、まだしばらくは

大丈夫。そうプランジは思った。

 ネコはまるで行き先が分かっているかの様に歩いていた。

 プランジは小走りでネコに近づき、そして一緒に歩いていった。

 ーーあの椅子から動かない男。一体誰だったのだろう。ファイを死に追いやった

あの黄色い光を放つと言っていたあの円柱群を統括しているらしい人間。ーー何故

?何故なのだ?プランジは怒りがまたジワリと身体に広がってくるのを必死に押さ

えた。

「クッ……!」

 また、ファイに会いたい。治りかけたカサブタの下から、ドス黒い何かが再び出

てくる様だった。何度も感じたあの溢れる様な感情が、またやってきていた。

「ニャウ!」

 ネコが強く叫んだ。

「!?」

 プランジはハッとして顔を上げた。相変わらずの白い空間だったが、遠くからゴ

ーッという音が聞こえてくる様な気がした。

「………?」

 何か、やばいーープランジはそう思った。

 微かに地面が揺れ始めた。視線の先には、青白く逆巻く巨大な炎の様なものが荒

れ狂っていてこちらに向かって来ている様だった。


   *   *


 ウィズはトイレに入っていた。

「ふぅ……」

 こういうものもちゃんとあるのだな、とウィズは思った。観察者に聞くと、例の

部屋では壁を触れば大体のものは出て来る、と言う話だった。最初に触った壁がや

はりパタパタと開き、トイレスペースが出て来た。まるで意思を感じ取って其処に

配置したかの様だった。シンプルで清潔。トイレットペーパーは無かったが、ペー

ストとエアーで完全に洗われたので大丈夫な様だった。流すのも同じく水はなるべ

く使わない様に出来ていた。ーーということは人が乗ることを想定してはあるとい

うことだ。

 そう言えばイエのトイレはそれはそれで奇異だったが、使っていくうちに段々と

慣れていったっけ。此処のものも時代や世界観は違うがやはりフネ仕様だと言うこ

とか。

「………」

 意外にリラックス出来るので、ウィズは座ったまましばらく考え込んでいた。

 この分だと、キッチンやランドリースペース等も何処かにありそうだ。リンゴ等

を育てる場所もあるのだろう。形が違うだけで、やはり此処はフネだ。そしてーー

自分たちもこんな中にいて、ある時形と記憶を変えホシへの軌道を取ったというの

だろうか。今更ながらに信じられない話だった。もしそうなら、とある星系から来

たという記憶は何処から来たのだろう。それはあの観察者が「妻と息子の仇」とい

う記憶を持っているのと同じだった。

 そしてーープランジ。ネコと共にホシへ『飛んで』半日が経過していた。あれか

らどうなったのだろうか。緑とどす黒い色の炎が蹂躙する廃墟のホシは、見た目上

は全く変化を見せていなかった。いくらスキャンしてもプランジとネコの反応は無

い。ホシの上で、プランジとネコはどう過ごしているのだろうか。もしくはいつも

の様にまた別世界へと『飛んだ』ということなのか?

 …考えても埒があかないので、ウィズは立ち上がった。手を洗うのもペーストと

エアーだった。部屋に戻ったウィズはリジーが寝ているベッドの側に寄った。用意

された木製のベッドは殺風景な部屋に似つかわしくなく妙に暖かみがあった。リジ

ーは相変わらず眠ったままだ。

「………」

 ウィズはそっとその身体をスキャンした。そのお腹の中で、小さな生命が微かに

動いていた。

「元気で、育つといいな……」

 ウィズは呟いた。そして椅子を持って来て側に座り、そっとリジーの手を握る。

「………!」

 少し手に力が入ってはっとした。

 自分は、ホシに戻ってプランジを助けたい。そう思った。同時に、リジーとこの

小さな命を守らなきゃ。そうも思っていた。自分は今ーーどちらをすべきなのだろ

う?自分に、一体何が出来るのだろう?

 振り切る様に立ち上がったウィズは、シャワーを浴びようと思った。歩いていっ

た一番近い壁を触ると、果たして其処はシャワースペースだった。タオルや着替え

もそこにある。よく見ると、脱出ポッドに乗った時のアーミージャケットやブーツ

もそこにあった。リジーが着ていた衣服も其処にある様だ。

「………!」

 また少し、自分を取り戻した様だった。

 ライフルとリジーのリボルバーも、いずれ見つかるだろう。ウィズはそう思った。

 そうしてウィズはシャワースペースに入り、パネルに触れた。迷いや怖れも、洗

い流してしまいたかった。溢れ出る水…ではなく、イエと同じ様にミストが噴出さ

れた。


   *   *


 プランジたちは、青白い炎に包まれていた。

「くあっ……!」

 プランジはネコを抱き上げてTシャツの中に入れ外から腕を添えて守っていた。

プランジの胸に抱かれながらネコはニャウニャウ言っていた。炎はそこまで熱さは

無いものの、ゾッとする様な悪寒を二人に感じさせていた。

「く……」

 プランジはその熱さから、邪悪な何かから避けようと走り出した。右手で顔を庇

いながら、プランジは白い空間の中を走り続けた。だがそこは何処まで行っても炎

に包まれたままだった。ーーダメか?いや!もし『飛べる』なら!プランジは走り

ながら意識を集中させた。だが、いつものあの身体の中から何かが沸き上がる様な

感覚は一向に訪れなかった。

 と、突然床が抜けた様にプランジの身体は自由落下の感覚に翻弄された。

「!!」

 Tシャツの中でネコもフワリと浮いた自分を自覚していた。炎の中、プランジ達

は落ち続けた。

 そしてその中で二人は、歪んだ何かのイメージに晒されていった。それは前にあ

の邪悪なモヤモヤ『ファントム』に取り込まれた時の感覚に似ていた。


 誰かがしゃべっていた。「『ヒュー』が意思体でなかったら…」「このメッセー

ジは受け取りようがない」「それでも、俺はいい!」誰だ?誰と誰が話しているの

だ?

 また誰かが言っていた。「お前に何が出来る!」「今なら出来る」「このバーッ

と広がる感覚があれば!」言い返しているのは、自分なのか?

 「人は皆ホシで、ココは何故か3人いる」「俺は、俺のことはいい」「何とかし

て生きている」「全ての『ファントム』は、『ヒュー』に通ずる」「お前は、何も

分かっていない」「何故、助けない??」何だーー何なのだ!?

「     !!!!」

 プランジは声にならない声を上げた。空間が震える様だった。

 それと同時に、例の廃墟が遠くで崩れる様な音も大音響で聞こえて来た。腹の底

から響くその鼓動は、プランジをより恐怖させた。


   *   *


 ネコは、プランジが感じているものを同時に感じていた。

 それは恐らく何処かの世界で、プランジがウィズやリジーやその他の人達と行っ

た会話なのだろう。だがプランジにはそれが分からない。

 そしてネコは、先程見た観察者の視点がいつの間にか感じられなくなっているこ

とに気付いていた。あの円柱群から『飛んだ』時から、何かが途切れた。最も、向

こうの方では自分の視点をあるいはまだ感じているのかもしれないがーーつまり観

察者と自分はやはり同一のものではなかったということなのだろうか?そう考える

と少しは楽だった。

「ニャウ…」

 こんな時でも、プランジは無意識に自分を守ろうとしている。熱さは、どんどん

増してきている様だ。

 自分も何か出来たらーーとネコは思った。

 そして溢れ出るイメージの中で、ネコは子猫だった頃の自分の姿を見た様な気が

した。


   *   *


「!………」

 ウィズはベッドで目を覚ました。

 確か椅子に座ってリジーの手を握っていた筈だが、今ウィズはリジーに抱かれる

形で手足を赤ん坊の様に丸めていた。しかも二人とも裸だった。

「え!?」

 ウィズは流石に驚いた。しかもこの身体の心地良い疲労感は!?

「…………?」

 ウィズは目の前のリジーの顔を見つめた。旧インド系の褐色の肌に黒髪の美しい

顔立ち。ホシに来て以来何度か交わしたことはあったが、特に最近は何も無かった

筈。

「…………」

 しばらくウィズは余韻に浸っていたが、やがていたたまれなくなってベッドを出

た。暖かいベッドが少々名残惜しくはあったが、さっさと側に脱ぎ捨ててあったい

つものアーミージャケット姿に戻る。見ると、部屋の入り口は開いていた。ウィズ

はリジーと胎児に異常が無いことを確かめると、外に顔を出した。外は同じ廊下が

続いていた。まずはスキャンしてみるが、相変わらず廊下やその先は計り知れない。

出来ればライフルとリボルバーを見つけたいものだとも思ったが勿論その反応も無

かった。

「……いるのか?」

 ウィズは空間に向かってそう問いかけた。観察者に向けたものだった。返事は無

い。

「………」

 廊下は静かな佇まいを見せていた。だが、その何処かがおかしいとウィズは思っ

た。

 何かが違う、何かがーー。それは打ちひしがれた観察者の感情を反映しているの

だろうか、何処か脆さがある様な気がした。ウィズは部屋に戻った。一応ライフル

を念じて壁など触ってみるが、特に何も起きなかった。

 諦めてウィズはベッド脇に椅子を置いて座った。気がつくとリジーの表情からは

先程の満ち足りた表情は消え、悪い夢でも見ている様だった。

「どうした…?」

 ウィズはスキャンしてみたが、熱がある訳では無かった。他に異常も見当たらな

い。

「………?」

 一体、何の夢を見ているのだろうか。ウィズは手を握り、そっと話しかけた。

「大丈夫だ、ここにいる」

 聞こえているかどうかは分からない。だがそれでも良かった。ウィズはそっと呟

く様に言葉をかけ続けてた。


   *   *


 リジーは、ずっと走っていた。

 そこは何も見えない、霧の道。ホシに来た時に夢で観た様な気もするが、その時

の希望に満ち溢れている感覚は無かった。何かに追い立てられている様な焦りが身

体を支配していた。何故、自分は走っているのだろう?

 やがて走り疲れて、リジーは膝に手を置いて呼吸を弾ませた。

 ただ先程、一瞬自分を満ち足りた感覚が駆け抜けた気がする。あれは、何だった

のだろうか。

 知らないうちに、リジーは下腹部に手を添えていた。

「………?」

 それに気がついて、リジーはしばしその理由を考えた。が、何も出て来なかった。

「!!」

 その時、また悪寒が走った。後ろを見たが霧以外は何も見えない。だがーー何か

が襲って来る!リジーはまた走り出した。


   *   *


 プランジは気がつくと、霧の中にいた。

 強い風が吹いていて、次から次へと霧が押し寄せて来ていた。だが、片膝と手を

ついたその地面の感触でプランジは気づいた。

「これは……ミチ?!」

 プランジは確信した。イエの前から反対側の遺跡へと抜けるホシを一周している

道。此処はーーホシだ!

 Tシャツの中からネコが顔を出して辺りを眺めた。何かが起きそうなその怪しい

気配に目を細め、また引っ込んだ。プランジはその背をTシャツごしにそっと撫で

た。

「……!」

 プランジはその時気付いた。息がーー苦しい!?

 プランジはガクともう片方の膝も突いた。こんなに風が吹いているのにーー?ど

うやら辺りの酸素濃度がどんどん下がっている様だった。呼吸が荒くなっていく。

「あぁ……?」

 頭痛がしてきた。吐き気もする。プランジは仰向けに転がって必死に呼吸をした

が、大気中の酸素は全く生存には足りなかった。ネコがTシャツからヨロヨロと這

い出して倒れた。

 これはーーー死ぬのか?プランジは体中が震えるのをどうしようも無かった。

 そしてまたイメージがフラッシュの様にプランジを襲った。


「ここに来る人は、モノは、結局お前の好みなのか?」誰だ?誰が言っている?「

アタシに言わせりゃ、ここで色々起こしてるのはアンタだよ」分かってるーー分か

ってるんだ!「結局、ココはアンタにとって気分のいい人間しか来ないのか!」そ

れは、それはーーーーーーーーー「誰かに観られてる気がします」「だからもう会

えない!」「こんな死に方はイヤだろ」「こんな生き方がイヤだ!」

「        !!!!!!!」

 プランジは絶叫したが、その声もまた押し寄せる霧の中に消えていった。


   *   *


「!?」

 ウィズは気付くと、またしてもあの星空の部屋で漂っていた。

 リジーも側で浮いていた。

「おい……!」

 また観察者が何かしたのだろうか?ウィズは空間を泳いでリジーの手を取り、抱

きとめた。

「………」

 特に異常はない様だ。フワリと揺れる黒髪の匂いが、鼻腔を和ませる。まだ聞こ

える筈のない胎児の心音が聞こえた様な気がした。ウィズはつかの間、暖かさの中

にいた。

「フネを、見つけた」

「!?」

 見ると、観察者が後方に椅子に座って佇んでいた。ウィズたちと違い、見えない

床に着いている様に見えるのは前と同じだ。観察者はウィズに横顔を向け、組んだ

手に顎を乗せたままじっとしていた。

「……フネと言ったか」

「フネだ」

 観察者は右手を伸ばした。その先で見えないタッチパネルに触れた様だった。星

空の空間がある一点からパタパタと広がり、今回はそれが空間全体を別の形に組み

上げていった。それは数秒の間に行われ、星空の部屋ーー恐らく巨大なモニター室

だったのだろうがーーは、巨大なハンガーへと形を変えた。それでもやはりウィズ

たちは無重力状態で、観察者は空間の何処かに着いた椅子の上のままだった。そし

て眼下に広がる巨大な空間に、見覚えのあるフネが焼けこげた状態で鎮座していた。

「これは……」

 船首のコクピットは潰れ、船尾にあったカーゴはほぼ無くなっていた。間違い無

く、自分やリジーがいたあのフネだった。それもあのモヤモヤに襲われ、自分たち

がプランジと共にホシに着いた後に上空から現れたものだ。その後フネは不時着し、

その残骸を自分は捜索した筈。そして次の朝にはそれは無くなっていてーー

「それが、これーー?」

「いつの間にか、此処にあった」

「………」

 どういうことなのだろうか。あの時ホシから消えたものが此処にーー?

「……まさかとは思うが」

 ウィズは、思いついた仮説を口にした。

「他にも、老人や子供やスナイパーが来たりはしていないか?」

「………」

 観察者も、それは考えていた様だった。

 今までホシに来て、そして消えていった人達。その人たちは何処から来て、何処

へ行ったのか?それはウィズにとってもずっと疑問だった。だが今、一つの仮説が

出て来た。この黒い円柱群。その中から何らかの記憶を持って人々は現れ、ホシに

来て、そしてまたこの円柱群の中に戻って来る。その無限ループなのではないか?

 ウィズはぞっとした。脱出や帰還というイメージが音を立てて崩れていく。

「バカな……」

 観察者はやはり、動揺していた。観察者に取っても、それは受け入れがたい仮説

だった。

 だが、とウィズは腕の中のリジーを見つめながら思った。

 だとすれば自分たちは、何なのだ?そして観察者とは何なのだ?この無限ループ

から少しだけ離れた自分たちとは?

「そんなバカなっ!」

 観察者が肘掛けを叩いて震えた。

 ウィズには、泣いている様に見えた。


   *   *


「ぐあっ!」

 プランジは息を吹き返した。どうした?自分は死んだのか?

 プランジは必死に呼吸をした。激しく咳き込みながらも、酸素があることに感謝

した。肩を上下させながら、プランジは辺りを見回した。ネコが身体をヒクヒクさ

せて苦しがっていた。

「あぁ……」

 プランジはハアハア言いながら這って行って、ネコを優しく撫でた。ネコはプラ

ンジの腕にしがみつき、爪を立てて呼吸をしていた。

「いたた……」

 痛みを堪えながらプランジは辺りに目をやった。白く飛んだ世界なのは変わりは

ないが、そこは先程よりは幾分狭い石畳のトンネルだった。

「永遠の廊下……?」

 それは、ミチの下を通ってホシを一周している地下道。何度かプランジも走った

ことがある。だが時に場所が移動したり出られなくなったりもするので普段は使っ

ていないものだった。

「………」

 その廊下が、今は全体が白く飛んで光の道の様になっていた。遠くで、廃墟が崩

れる様な音がしている。段々と呼吸が落ち着いて来た。

「……よし」

 プランジはカーゴパンツを探り、水のパックを開けて数口飲み、残りを手に出し

てネコにやった。ネコは喜んでそれを飲み干した。数度に分けて水を使い切ったプ

ランジは、意を決して立ち上がった。

 先程よりも近くで、廃墟が崩れる様な音がした。

 プランジはネコを肩に乗せ、走り出した。それはもう何度となく繰り返した、遺

跡への、そして自分自身への疾走だった。また近くで廃墟が崩れる音がして揺れも

感じたが、プランジは構わず走り続けた。またイメージのフラッシュがプランジを

襲う。だがそれは今までとは違う、記憶の欠片の様だった。


 「オレも、いないから。誰も」「まぁ、ソレはソレだから」「思い出した」「い

ないけど、いるから」「『ファントム』に……『ヒュー』に出会わないと、帰れな

い?」「逃げているのか?」「解放へ?自由へ?」「それとも進んでいるのか?」

「自分の中を流れるんじゃない。自分から出すんだ。」「人って、思ってるほど強

くないけど、思ってるほど弱くない!」


 ーーーそれは、プランジ自身の声だっただろうか。

 かつて何処か別の世界で、自分と誰かが話をしている?

 だがそれはーーー自分と繋がっている、何かなのだ。

 プランジは走った。

 ネコもプランジの肩で風を感じながら必死にバランスを取っていた。

 突然、目の前の地面が崩れた。

「!!」

 プランジは咄嗟に飛んだがーーその先は無限の暗闇だった。

「………!」

 プランジはネコを抱いて、自由落下に身を任せた。


   *   *


「う……」

 リジーがうめき声をあげた。

「リジー?!」

 ウィズは腕の中のリジーを覗き込んでハッとした。

 いつの間にかリジーの重みがあり、自身も床に立っていた。

「………?」

 観ると、観察者は先程と同じ様に俯いて座っていた。巨大なハンガーは姿を消し、

星空の部屋になっていた。そこは既に重力があった。

 ウィズは思った。この場所に来て以来、意識が飛び過ぎる。ホシでもそういうこ

とは多々あったが、この場所は何処かそれとは違うーー。

「あの女の子……」

 観察者が口を開いた。

「笑っていたよ」

 何だ?何を言っているのだ?

「あの子だけは、助けたかった」

「あの子……」

 誰のことだろうか。

「ファイ………」

 リジーが呟く様に言った。既に意識を取り戻していた様だ。

「!?リジー」

 ウィズはしゃがんでリジーを座らせた。リジーは観察者から目を離さなかった。

「ファイーーと言ったか?」

「うんーー聞いてたよ、ずっと」

 それは寝ていた間、と言うことだろうか。観察者の存在のことも、リジーは既に

分かっている様だった。

「………」

 観察者は怯えた様に二人の方を見た。

「……ちょ、ちょっと待て」

 ウィズはまた混乱しそうになる自分を抑えながら言った。

「ホシで消えた人間が此処に戻るかもしれないとして」

 観察者は見透かされた様な表情を浮かべた。

「ホシに来る人間は俺たちを除いてあの緑色の光『ヒュー』と一緒にやってきてい

た、それに対してあんたは関知出来ていない、今のところそうだよな?」

「………」

 観察者はやはり黙っていた。

「だがーーあのファイだけは、俺たち以降初めてこの円柱群から発した人間だった、

ということか?」

「……そうだ」

「………」

 だから、あれほど繋がったのかーーウィズはファイのあの屈託の無い笑顔を思い

出した。

「あれはーー突然此処に現れた」

 観察者は話し出した。


 それは数ヶ月前、円柱群がホシに近づきつつある頃。

 観察者はホシの三人をずっと観察していた。時に姿を変えるホシ、次々に現れる

人間たち、そしてそれを伴うあの緑色の光を伴った流星たち。時に三人を助ける『

ヒュー』と呼ばれる光の正体を、観察者は知りたいと思っていた。

 そんな時、観察者は自らがいる巨大な円柱の中に、異質なものが出現しているこ

とに気がついた。それは星空の部屋で、人間の反応の様だった。自分以外の、初め

ての人間ーー!観察者は急いだ。部屋に到達してみると、それは一人の女の子だっ

た。そこは重力が無いバージョンの星空で、女の子は眠った様に浮いていた。観察

者と椅子は、いつもの様にその重力とは関係無く空間のとこかに接地している。観

察者はその子に触れたい、話をしたいと思ったが、手を伸ばしても届かなかった。

仕方が無いので、しばらくその子の様子を眺めていた。黒髪に旧オリエンタルな顔

立ちの、気の強そうな子だった。歳は二十前語だろうか。何処かで会ったことがあ

る様な気がした。

 その時、その子は目を覚ました。星空を眺め、そして浮いている自分に気がつき

不思議そうな顔をした。意思的な、強い瞳だった。そうしてぐるりと辺りを見回し、

観察者の方を見た。観察者は久しく浮かんだことの無い笑顔を見せた。だがその子

の瞳に、観察者は映っていない様だった。観察者は声を出して呼んだが、その声す

ら聞こえていない様だった。そして、その子の身体は緑色に光り始め、その子は不

思議そうな顔をして消えた。観察者は絶望した。何故なのか。彼女には自分が見え

ない。それは自分が、既にこの世のものではないからなのか?それともーーー。

 観察者はハッと気がついて、ホシの方へと視点を向けた。

 予想通り、そこには先程の女の子の姿があった。ホシの裏側の遺跡で、女の子は

青年と出会っていた。すぐに二人は仲良くなった。観察者は、沸き上がる嫉妬を押

さえようが無かった。そして、それに呼応したのか円柱群は時々黄色い光を放った。

そして、女の子は時々おかしくなった。それは、黄色い光のせいなのか、別の何か

に寄るものなのか、観察者には分からなかった。まさか自分のこの感情がまた何か

を招いたのか?観察者は恐怖した。そしてーーその何度目かの光は、その女の子の

命を奪った。彼女を失った青年は絶叫していた。観察者も同じく誰もいないこの場

所で慟哭していた。

 それ以来、観察者は観察を続けたがホシにいる青年にずっと嫌悪を抱いていた。

 それは円柱群にも影響を与えたのか、黄色い光は時に発され、ホシに当たること

もあった。前回ウィズたちがホシを脱出しようとした時も、もはや観察者は彼らと

話をしたいとは思わなかった。ただ、乾いた嫌悪感を感じただけだった。その時発

された黄色い光は彼らの脱出ポッドではなく、隕石に当たった。それは観察者には

予想外だった。ホシなど無くなってしまえばいい、心の何処かでそうも思っていた

というのに。


「……だから、プランジを……」

 リジーは哀しそうに見た。観察者は、俯いたままだった。

「……知ってるか?」

 ウィズは声をかけた。

「ファイは、プランジが最初に会った、小さな女の子だった」

「……!?」

 観察者は愕然として顔を上げた。

 ウィズはリジーの肩を抱いたまま言った。

「あんたも見ただろう?あの二人は、出会う運命だったんだ」

 運命ーー以前は自分もそんなことは信じてはいなかったのに、と思いながらウィ

ズは言った。

「バカな……」

 観察者は、明らかに動揺していた。

 同時にウィズは考えた。ファイも一度ホシから消えてこの場所に戻ったというこ

とであるならば、ここはそういう通過点ーー?ならば、ホシで死んだファイたちの

場合は、その先はどうなるのだろうか。

「そんな、バカなっ!!」

 観察者が慟哭していた。

「……!」

「ねぇ……」

 三人がいる場所が、微かに揺れ始めた。

「おいーー何かしたのか?」

 観察者は応えず、涙を流していた。

「ちょっとーーー」

 そして一際大きく揺れた。

「!」

「うあっ」

「!!」

 観察者はハッとぐしゃぐしゃな顔を上げた。

 また、黄色い光が発せられたーー?その場の一同はその行く先が何処かと恐れて

いた。


   *   *


「…………」

 プランジは、謎の空間にいた。

 大きな磨りガラスの円盤状の空間。その周りを同じく磨りガラス状の高い壁が取

り囲んでいた。まるで巨大なグラスの中にいる様だった。

 プランジは目を凝らしてその向こうを見たが、その向こう側は暗闇、「無」だっ

た。

「………?」

 ネコが、どうやら安全らしいのでプランジの腕から抜け出してタッと降りた。磨

りガラス状の床の感触が珍しいのか、少しつついて目をパチクリとさせた。そんな

ネコの様子を見てプランジは少し和んだ。

 それからプランジは上方を見上げた。周りの高い壁はずっと先まで続いていたが、

その先は抜けている様だった。かなり高いグラス状ーーというかメスシリンダーに

近い形か。だがその向こうには光があった。プランジはそれを見つめた。

「恒星ーー?」

 それはいつか、星空が流れる空間で目にしたものの様に見えた。『ヒュー』の様

な緑色の光ではない。何の感情も入っていない、「無」の光。そう思えた。随分、

遠くまで来たーープランジはそう思った。此処は、またホシではないのだろうか。

ーーウィズやリジーたちはどうしただろうな。

 その時、一瞬その光の向こうにウィズとリジー、そしてあの椅子の男のイメージ

が浮かんだ。

「!?」

「ニャウ…」

 ネコが小さく唸り声を上げた。プランジはハッと身構えた。何かがーー来る!

 プランジはネコを掴んで壁際へと飛んだ。

 光がーー見覚えのあるあの黄色い光が、まっすぐ落ちて来た。

「!!」

 プランジは壁に背を付けネコを庇った。その光は円盤状の床のほぼ中心に落ち、

大音響と揺れを生じさせた。床はほぼ三分割する様に割れ、そのひび割れの一つが

プランジ達へと向かって来た。

「クッ!」

 プランジはネコを抱えたまま左へ飛んだ。尚も溢れる光はプランジたちの視界を

奪った。

「………!」

 ーーー死ぬのか?それともまた何処かへーー?プランジの意識は遠のいていった。


 どれくらい経ったか。プランジは目を覚ました。

「………?」

 プランジは仰向けに倒れていた。ハッと身を起こすと、腹の上でハコを組んでい

たネコがニャッと言って転がり落ちた。

「あ、ゴメンゴメン」

 プランジは迷惑そうな顔をしているネコの額を撫でた。ネコはすぐにゴロゴロ言

い始めた。

「………」

 プランジは辺りを見回した。先程とほぼ同じ様な磨りガラスの空間だった。だが

ピザの様に三等分されたそのひび割れのところが、新しく磨りガラスの壁になって

いた。ほぼ百二十度の扇状の三つの床を磨りガラスの壁がそれぞれ取り囲んでいる、

そんな感じだった。

「これはーーー?」

 プランジは立ち上がり、壁の方へ歩いていって触れた。同じ様にザラザラとした

磨りガラスっぽい感触だった。プランジはその向こうを覗き込んだ。同じ様な空間

があるのは分かったが、それ以上は何も分からなかった。

 プランジはもう一つの壁の方にも行ってその向こう側を覗き込んだ。半径二十メ

ートル程のその空間にも、何も見えるものは無かった。

「………」

 ネコが近づいて来て足にゴンと頭をぶつけた。プランジは壁の中心点を背にして

座った。ネコはプランジの太ももに背を付けて丸くなった。

 プランジは思った。ネコがいただけで、自分はどれほど救われただろう。

 思いながらプランジは天頂を見やった。高い磨りガラスの壁の向こうに先程見え

ていた恒星は、既に見えなくなっていた。先程見たあのイメージは何だったのだろ

う。ウィズやリジーたちは、まだあの椅子の男といるということなのだろうか。そ

して先程のあの黄色い光はーー椅子の男が、自分の艦隊が撃つと言っていたものだ

ろうか。

「………!」

 また少し、血液の温度が上がり始めるのを感じてプランジは目を閉じて押さえた。

 あの椅子の男は、何者なのだろう。何をしようとしているのだろう。ダメだ、ま

た自分はーーー。プランジはネコを出来るだけゆっくりと撫でた。


   *   *


 黄色い光がプランジのいる場所を直撃した時、ウィズもリジーも観察者も、その

様子を感じ取った。

 今彼らは巨大なモニター室にいて、黒い円柱群越しに緑とどす黒い光が荒れ狂う

ホシの姿を眼前に見ていた。その何処にも、プランジとネコの姿は見えない筈だっ

た。だが一瞬、彼らは磨りガラスに囲まれた空間の中にいるプランジの姿を見た。

「!………」

「プランジーー」

「おいーーいい加減撃つな」

 ウィズは観察者を咎めた。観察者はまだ涙が乾き切っていなかった。

「もうーー自分でもどうしようも無い」

「……マジかよ……」

 ウィズは先程から目の前のホシをスキャンしているが、やはりプランジとネコの

姿は感知出来なかった。

「泣いてる場合じゃないでしょ」

 リジーは冷静に言った。既にいつものリジーに戻っていた。強い、いつものリジ

ー。それは母親としての強さも入ったものだろうか。ウィズは少し目を細めてその

姿を見た。リジーは凛とした顔で続ける。

「私たちを、戻して」

「………?」

 観察者はポカンとしてリジーを見つめた。

「戻、るーー?」

「そう。いいよね?」

 リジーはすっとウィズを見つめた。ウィズは目を丸くしたが、やがて頷いた。

「……あぁ」

「ーーバカな……」

 観察者はあっけに取られたままだった。

「あのホシは、もはや手には負えない」

「そんなこと分かってる」

 リジーはまっすぐ観察者を見つめた。

「だが、そんな方法はーーー」

「探して」

「もう今まで何度もーーー」

「もう一度、お願い」

「………」

 自分の出る幕は無いな、とウィズは思った。もし、戻れる方法があるのならーー

プランジを救出出来るなら、それが一番良い。ウィズも素直にそう思った。リジー

は、自分が守れば良いのだ。そう、それが今は最善策だ。

「…………」

 観察者はうなだれた。

 その時、ホシが一瞬緑色に脈動した。

「!!」

「ん?」

 それはほんの一瞬だったが、ウィズたちは直ぐに変化に気がついた。これはーー

ー今まで何度も感じた、『ヒュー』のもの?!

 ウィズはスキャンして、先程までは無かった筈の建造物をホシの上に見つけてい

た。

「あれは……」

「何?」

 ウィズはホシから目を離さずに言った。

「イエだ」


   *   *


 プランジは、『ヒュー』の脈動を感じた。

 それはガラスの壁の向こうで、何か動く影を見つけた時だった。右左にそれぞれ

他の扇状のガラスの部屋が見える場所で、そのどちらにも、自分と同じくこちらを

見ている人影を見た。それはーー自分なのだろうか、それともウィズとリジー?そ

うプランジが思った時、突然『ヒュー』の感覚が流れて来た。一瞬にして扇状の部

屋がそれぞれ距離を取って離れていき、永遠に見えなっていくイメージがあった。

「ニャッ!?」

 足元にいたネコも目を丸くした。

「……えっ!?」

 足元に目をやった瞬間、プランジはそこが別の場所に変わっていることに気付い

た。

 磨りガラスの壁と床はいつの間にか消え、そこには見覚えのあるゴツゴツした石

畳が現れていた。

「ここはーーー」

 プランジは辺りを見回した。間違い無かった。

「遺跡だ」

 イエと反対側にある、プランジにとって大切な場所。ネコもプランジも、ホシで

の最初の記憶はここからだった。何かあった時にはいつも此処に来た。そして今、

ようやくこの場所に戻って来たのだ。懐かしさと万感の想いが、プランジを奮い立

たせた。

「………よし」

 プランジは遺跡の入り口に出て、外を眺めた。

 そこは錆と埃に覆われた、ホシの夜の側だった。緑色の光とどす黒い怪しい光が

ホシのあちこちでぶつかっていた。鉄が崩れる様な音も断続的に続いている。

「………!」

 プランジは足元のネコをそっと撫でた。

「……ここにいな」

 ネコは目を見開いてプランジを見た。止めても、プランジは行くのだろう。だか

らネコは精一杯プランジの手に額を擦り付けた。そしてニャン、と鳴いた。

 プランジは頷いて、立ち上がった。そして、ゆっくりと走り出した。

 ネコは遺跡の縁でそれを見送った。

 ネコには、見えていたのだ。


   *   *


 ネコは、ずっと見ていた。

 巨大な円柱群からプランジと共に『飛んだ』後、白い空間で目を覚ました時。ネ

コには、白い空間の向こうにあの小さなプランジの姿をした存在、『ヒュー』が彷

徨っているのが見えていた。ネコたちが脱出ポッドでホシを離れた時ホシに取り残

され、その後どうなっていたのかネコはずっと心配していた。ネコはニャンと声を

かけたが、その白い空間とその向こうには壁があるらしく聞こえない様だった。そ

れでもネコは『ヒュー』の行く方へ歩いていった。前に見た時と同じく不安気では

あるが、その幼げな顔がまた少し成長している様な気がした。

 だがネコたちは白い空間で青白い炎に襲われ、『ヒュー』の姿は見失った。Tシ

ャツの中で保護されプランジの鼓動を聞いていた時、ネコは『ヒュー』の悲鳴を聴

いた様な気がした。その時ネコとプランジの身体はフワリと浮き、突然落下する感

覚に襲われた。周りを、あの邪悪な存在『ファントム』が包んでいる。プランジが

それに犯されつつあるーーそれをネコは自分のことの様に感じた。プランジに流れ

込んでいるのは、過去や未来に行われたであろう会話ーーそれはあのピアノマンが

見せてくれたあのイメージの中の幾つかなのかも知れないがーーそれはプランジに

ダメージを与えていた。ネコは自分を守ってくれているプランジを、何とか助けた

いと思った。だがその時ネコに見えてきたのは、プランジに出会う前のまだ赤ん坊

の自分の姿だった。何だーー?とネコは目を見張った。まだ声を上げるしか出来な

い、何も出来ない自分。その側にいたのは、あの小さな『ヒュー』ではなかったか

 そしてネコはプランジと共に数々のイメージの氾濫の中で、恐怖を体験した。酸

素が無くなって窒息しそうな感覚にも襲われた。『ファントム』が、ホシの上を今

までに無く暴れ狂っていたのだ。だがそのイメージの向こうで、幼い光のプランジ

『ヒュー』は、不安気にしながらもずっとネコの近くにいた。向こうからはネコは

知覚出来ていなかったのかも知れない。だがそれでもその存在はずっとネコには感

じられていた。自分が気付く前から、そうだったのだろうか?自分が遺跡でプラン

ジに拾い上げられるよりも前から、そうだったのだろうか?ネコは苦しい中でそれ

に思い当たり、しばし震えた。

 霧が晴れた様に、呼吸が戻っていた。白い空間はミチに近い感覚に戻っていた。

プランジも息を吹き返している。何が起こったのだろうか。ネコが見上げると、そ

こには『ヒュー』がいた。今度は側にいて、ちゃんとネコの方を観ていた。まだ何

処か不安が残る表情の中で、それでも『ヒュー』は笑顔を作っていた。ネコはプラ

ンジの肩に乗った。そしてプランジは走り出した。それはホシで何度もやったこと

がある、二人だけの儀式だった。ただ走る。疾走する。やがて地面が崩れ、落ちて

いく時ももはや絶望は無かった。意思を持って落ちていた。『ヒュー』が、『ファ

ントム』から守ってくれているのだーーネコはそう思った。

 次に気がつくとネコとプランジは、磨りガラスに囲まれた空間にいた。『ヒュー

』も側にいる。遠くに光るホシがあり、自分たちは巨大なグラスの底にいる。まる

で何も無い自分たちを象徴している様だ、とネコは思った。いや、だからこそホシ

はこの姿を見せたのかも知れない。そう思った。だがその時あの黄色い光が飛来し、

ガラスの底を撃ち抜いた。その時一瞬、ネコはあの円柱群の中にいる観察者、そし

てウィズやリジーと繋がった様な気がした。そして観察者の哀しみをも共有した様

な気がした。撃ちたくて撃っていた訳では無い。自分でもどうしようも無い、円柱

群の何かの意思。その中にいる何も出来ない自分。それはホシにいるプランジやネ

コと変わりはないではないか。ネコは何故あの時観察者と視点が同じになったのか、

分かった様な気がした。

 磨りガラスの空間は、壁で三分割された状態になった。『ヒュー』が興味深げに

ガラスの向こうを覗いているのを観て、ネコも壁際に寄っていった。磨りガラスの

向こうには微かに人影があり、プランジと同じ様に佇んでいた。ネコはそれを教え

ようとプランジに頭をぶつけ、側で丸くなった。向こう側にいるのは誰なのだろう。

プランジ自身でもある様だし、ウィズとリジーの様な気もする。そのどちらでもあ

るのかもしれない。

 その時、ホシが鳴いた。ドクン、と緑色に脈動した様な気がした。ネコははっと

見上げた。小さな光のプランジ『ヒュー』は全てを分かっている様に微笑んでいた。

不安げな表情は消えていた。そうか、ようやくあのプランジが名付けた方の謎の緑

の光『ヒュー』が目を覚ましたのだ、とネコは思った。いつの間にか一同がいた磨

りガラスの空間は、プランジやネコにとって大事な場所、ホシの遺跡へと姿を変え

ていた。辺りは夜の側で、『ヒュー』の光と『ファントム』の光が戦いを繰り広げ

ている状況が続いていた。

 プランジは、その中へ出て行こうとしていた。ホシの主であるプランジは、自ら

その中で両方と相対しようとしている。そのことがネコには分かった。小さな『ヒ

ュー』も分かっていた。ネコは精一杯プランジの手に額を擦り付け、「待っている」

と言った。プランジは歩いていった。その向こうではオーロラの様に緑と黒の光が

コントラストを形作っていた。

 そして今ネコの目には、その荒れ狂う光の中にいるモヤモヤが人型になった様な

存在が幾つも見えていた。彼らは、何なのだろう。そして、プランジはどうするの

だろうか。

 ネコは、まん丸な目でそれを見つめていた。

 小さな光の『ヒュー』も、期待を込めた眼差しで見送っていた。


   *   *


 その頃、ホシのとある場所で、とある商店風の平屋建ての建物が出現していた。

 その周りだけは廃墟とは違う、土の地面が広がっていた。その商店の脇に張り出

した庇の影にはビーチ風のテーブルとチェアがあり、そこには紅茶を飲んでいる一

組の熟年カップルが紅茶を飲んでいた。

 それはかつてウィズが出会った、プランジの両親?と思われる二人だった。





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