19「Scrap」
今回、ホシは全体が階層になった廃墟です。
一同はそこでファントムに襲われ、戦いになります。
最後は…ホシを脱出します。
この辺りからラストに向けて色んな事が起こります。
その日、ホシは廃墟だった。イエを含め、地表の全てが廃墟になっていた。
廃墟は無限に続く階層になっていて、その下は暗くどこまでも続いている様な気
配だった。
そして、謎の敵が現れた。
そいつは音も無く現れ、プランジを打ちのめした。
「ぐっ!」
それは直接的な攻撃ではなく、プランジの目の前の空間が破裂した様な衝撃だっ
た。
プランジは吹っ飛んで廃墟の亀裂に落ちていき、やがて気を失った。
プランジの脳裏にはその直前に見た今までとは違うモヤモヤ『ファントム』の姿
が焼き付いていた。どす黒い中にチラチラと幾多の怪しい光が蠢いていて、そのそ
れぞれがゾッとする様な悪意に満ちていた。
次に目を覚ました時、プランジは廃墟の下層部にいた。
じめじめとした路地裏に、プランジは倒れていた。雨…かと思ったが、それは上
から漏れて来る下水か何かの様だった。ぼんやりとした視界の向こう、階層を重ね
た遥か向こうの僅かなスペースにだけ、空の青は存在していた。
「う……」
プランジは身体を動かそうとしたが、動かなかった。恐らく肋骨が何本か折れて
いるだろう。運良く肺に刺さったりはしていないようだ。
遠くで何かが崩れる様な音がした。人工物的な音だ。この古い階層の何処かが、
崩れようとしているのだろうか。
「く……」
プランジは力を抜いて息を整えた。そしてボンヤリと考えた。
今回、このホシは何をしようとしているのだろう。自分は、またあのイエに戻れ
るのだろうか。そんなことを考えながら、プランジはやがて意識を失った。
* *
その頃、ウィズとリジーは廃墟の階層の中で謎の敵に相対していた。
朝起きると変化していたホシ。イエの中も廃墟になっていてウィズたちは驚いた。
ただ、プランジの姿が見あたらなかった。
「あれ?」
「何処行った」
廃墟と化したプランジの白の部屋にはネコがうずくまっているだけだった。ネコ
はビクビクしているようだったが二人を見てやがて近づいてきた。
「…プランジはどうした?」
抱き上げられたネコはニャウ、と唸っただけだった。
「…これはまた例の?」
「さぁな…」
リジーが言ったのは、知らないうちに前回の様にまたこのホシとは別の世界に『
飛んだ』のではないか、ということだった。
ウィズは手にしたライフルを気にしていた。起きた時から部屋の中は廃墟に変わ
っていた。衣服は埃にまみれ、側に立てかけてあったライフルも所々錆つき古びた
姿を見せていた。一応応急処置はしたものの、まともに動くとは思えなかった。
「あ、そうだ」
思いついてリジーたちは同じく埃を被ってはいるものの一応着替えをして、三階
のリビングスペースへ向かった。そこも廃墟と化してはいたが、置いてあった例の
絵本は汚れてはいたがまだそこにあった。
「良かった、無くなってなかった」
「だが…こりゃ酷いな」
埃や錆にまみれた室内を横切って、ウィズとネコは窓際へと向かった。ネコは足
が汚れるのが気になるのかウィズの肩から動こうとしなかった。
バルコニーに出たウィズとリジーは辺りの光景に目を見張った。
起きた時に見た窓外の風景から想像はしていたが、イエの周囲はぐるりと階層状
の廃墟に囲まれていた。バルコニーの数階上の高さが谷を挟んだ廃墟の地表面辺り、
そしてバルコニーの縁から下を見下ろすと、下が崖の様な亀裂になっていて階層状
の廃墟が無限に下まで続いている様だった。
「…なんだこりゃ」
「これってホシの下まで続いてる…とか?」
「下と言うか…反対側迄かな」
実際、スキャンした感じはホシ全体が中心部を含め全て廃墟の状態だった。
覗き込んだウィズの肩の上で、ネコがシャーッと声を上げた。
「?!」
忘れる筈の無いこの悪寒。こんなに近くにヤツが、とウィズが振り向くより早く
衝撃が来た。
それは突風の様な爆風の様な衝撃だった。
「あっ!」
「うあっ」
ウィズとリジーは飛ばされ、崖の様になっている階層の下へと落ちていった。
* *
プランジは目を覚ました。辺りは暗く一瞬分からなかったが、昼間倒れていたの
と同じ場所の様だ。
遠くでまた廃墟が崩れる音がしていた。
「………っ」
プランジは身体を動かそうとした。肋に激しい痛みが襲った。
「ぐっ…!」
プランジは痛みをこらえながら何とか腹這いになり、それでもきつかったので今
度は仰向けになってポタポタと雫が落ちている場所へと這っていった。数メートル
の距離を行くのに一時間程かかった。
「………」
やっとのことでその下までたどり着き、雫を口に入れた。
「!!ゴホッ」
錆と油の味がして、プランジは咳き込んだ。
「あぁ………」
そのまましばらくうつ伏せになって、プランジはしばらく呼吸をしていた。呼吸
の度に折れた肋が痛んだ。
「………」
意を決して、再び雫を含んだ。酷い味だったが、背に腹は代えられなかった。長
い時間かけてある程度水分を補給して一息つくと、プランジは側の鉄パイプを掴ん
だ。
「くあっ!」
何とか上体を起こして壁に背をついた。
「………」
荒い息の中ようやく辺りを見渡すと、そこはT字型になった裏路地だった。人の
気配は無い。見上げた小さな夜空は暗く淀んでいて、勿論イエは見えない。
どうして、こうなったのだろうーープランジは思い出していた。
朝起きると、窓の外は廃墟だった。と言うか、自分の白の部屋からして既に廃墟
っぽくなっていた。枕や毛布もいつの間にか薄汚れ、一緒に寝ていたネコも何だか
みすぼらしく見えていた。
「………」
そうしてプランジは同じく薄汚れたカーゴに着替え、外に出たのだ。いつの間に
かネコはいなくなっていた。外はイエをぐるりと取り囲んだ廃墟になっていた。イ
エの入り口側は既に廃墟と一体化していて、見上げたバルコニーの辺りの下は廃墟
に亀裂が入って崖の様になっていた。プランジはその側まで行って下を覗き込んだ。
崖の壁面は階層状になった部屋たちが地層の様に重なり無限に下まで続いていた。
遠くで、廃墟が崩れる音がしていた様な気がする。
その時、プランジはデジャヴを感じた。自分は、この風景を何処かで見ているの
ではないか?それともここはーーそう思った時、プランジは凄まじい悪寒を感じた。
振り向くと、あいつがいた。あのモヤモヤーー『ファントム』。このホシに時々現
れる、悪意が形になった様なもの。今回出会ったあいつは、今までと違ってもっと
多くの悪意の光をその身に湛えていた。
「ふぅ……」
プランジはゆっくりと息を吐いた。
また遠くで瓦礫が軋んで崩れ落ちる様な音が聴こえた。
プランジは小さく見える空を見上げた。どんよりとはしているものの、少し白み
始めた様に見えた。夜が明けたら、少し移動しよう。脱出経路を探そう。そう思い
ながらプランジは再び眠りに落ちた。
* *
ウィズが目を覚ますと、そこは階層のかなり下の区画だった。
ポタポタと何処かで落ちる雫の音が規則的に聞こえていた。
「……!」
暗いーー自分は、どうしたのかーー死んだのか?……そりゃあ色々あったものな。
死ぬこともあるだろう。自分はそれでも構わないのだがーー側に誰かいなかったっ
けーー
ウィズはガバッと上体を起こした。全身に痛みが走ったがどうでも良かった。あ
の時、落下している時、確かに自分はリジーの手を掴んだ筈。今、手の中には何も
無かった。辺りを見回したが生命反応は自分の他に無い。
「………」
ウィズはそっと立ち上がった。あちこちに打ち身はあるが、骨折はしていないよ
うだ。右肩が少しギシギシ音を立てているが何とかなるだろう。ライフルは側にあ
ったが、相変わらず錆に覆われていた。恐らく撃てはしないだろう。
ウィズはライフルを杖代わりにして、辺りを少し捜索した。そこはちょっとした
部屋の様なスペースの隅だった。反対側に穴が開いていて、その外は切り立った崖
の様になっていてその壁面には巨大収容所の様に壁があったり無かったりの各部屋
が見えていた。夜空を見上げたが恐ろしく上方の廃墟の隙間に小さく見えているだ
けで、勿論そこにイエの姿はなかった。
「………」
ウィズは少し考えた。状況から見て恐らく自分は落下しつつ此処にぶつかって穴
を開けこの部屋に飛び込んだのだろう。ならばイエが近くにある筈だが、例によっ
て消えている様だ。よく覚えてはいないがーーこの背中の痛みからすると恐らく穴
を開けた時にはリジーを抱いて庇っていたのではないだろうか。
「……リジー!」
ウィズは声を出した。痛みでそれほど声量は出なかったが、静かな廃墟のあちこ
ちに奇妙に反響してその呼びかけは伝わっていった。だが反応は無い。
「………」
ウィズはそっとため息を吐いた。
と、微かな振動と共に廃墟の何処かが崩れる様な音がした。
「!?」
ウィズはハッと身構えたが、ウィズのいる辺りは大丈夫な様だった。ウィズは素
早く解析してそれが二キロ先で起きていることを確認した。ホシを覆った廃墟は、
あちこちで崩壊を起こしている様だ。早めに脱出した方が良さそうだった。だが、
何処へ?
「…ウィズ?」
「!!」
声がしてウィズは飛び上がった。先程スキャンした時は近辺に生命反応は無かっ
た筈なのに。
振り向くとリジーが部屋に入って来るところだった。
「起きたんだ」
「あ…あぁ、何処にいた?」
「あぁ、これ探してた」
と言ってリジーが見せたのは、例の絵本だった。飛び込んだ時に何処かにいって
しまっていたのを探していたのだと言う。一体何処まで行ったのだろうか。
「さっき…、ありがとね」
「え」
「捕まえて、庇ってくれたでしょ」
やはりそうだったのだろう。よく覚えてはいないが良かった。ウィズは少し笑ん
だ。
「あぁ……大丈夫か?」
「うん…ウィズは?」
「まぁ…何とか」
ウィズは少し安堵して辺りに目をやった。
「さて…どうする?」
「とりあえず、上を目指さなきゃね」
「あぁ」
「あ」
リジーがふと振り返った。
「どうした」
「……ネコは?」
「ん」
二人は辺りを見回した。やはり生命反応は二人のもの以外は無かった。
二人はそっと顔を見合わせた。黙ってはいたが、お互いあることを考えていた。
此処に来る前の、あの衝撃ーーその前に感じたのは、『ファントム』の気配だっ
た。それもいつもとは違う、もっとどす黒い感じーー今回は、それがこの状況を引
き起こしたのではないか?
「……行こう」
「うん」
出来るだけ用心した上で、とリジーは心の中で思った。
* *
ネコは、廃墟の中をしっかりとした足取りで歩いていた。
ウィズたちが部屋に飛び込んだ時、ネコは咄嗟にジャンプして一つ上の階に難な
く着地していた。階下では二人が激しく転がる様な音がしていたが、ウィズがリジ
ーを庇っていたので恐らく大丈夫だろう。
それよりも、ネコは何かが呼んでいる様な微かな音が気になっていた。
遠くで何かが崩れる音は時々しているが、それとは違う何か。
ネコは上に向かって歩き続けた。
呼んでいるのは、プランジだろうか。それとも『ヒュー』?それとも………。
* *
夜が明けた。
プランジは壁に手をつきながらゆっくりと進んでいた。最初は鉄パイプを杖にし
て進んでいたのだが、地面に突く度に肋が痛むので早々に捨ててしまった。
辺りは夜よりは幾分ましなものの、依然薄暗かった。
遠くで廃墟が崩れる音は時々聞こえている。
プランジは歩きながら考えていた。
リジーやウィズはどうしただろうか。二人とも心配しているだろうな。後、ネコ
も無事に過ごしているだろうか。
いや、ひょっとしたら自分と同じ様にあの『ファントム』に遭遇しているかもし
れない。今回のやつはかなり危険だ。
プランジは廃墟を歩きながら、一つの思いに囚われつつあった。これは、この場
所たちはーー朽ちた無限の部屋ではないのか?見えて来る部屋たちはガランとして
いて錆と埃に塗れてはいるものの、何処か懐かしさも感じさせていた。
「………」
何処かで、一度は入ったことのある部屋なのではないだろうか。
いつしかプランジは、一つ一つ部屋を覗きながら進んでいた。
「………!」
とある部屋を通り過ぎようとした時、プランジは何かを感じた。
肋を押さえながら入っていったプランジは、隅に固まっていた瓦礫に気がついた。
近づいていって、痛みをこらえながら瓦礫をどけた。
「やっぱりーーー」
そこにあったのは、古ぼけたピアノだった。
それはよくある既製品の一種だったかもしれない。だがプランジは確信していた。
「あの人の……」
ピアノマン。かつてこのホシに来て、ピアノを弾いてプランジに過去から未来の
ホシの姿を見せた人。あの時一緒にこのホシに来たピアノだと、プランジは何故か
理解していた。
「………」
そっとピアノに触れるプランジ。そのラインは錆び付き、ペダルも片方は無くな
って傾いていた。プランジは椅子側に回ってそっと蓋を開け、鍵盤に触れた。澄ん
だ音色は既に出ず、くぐもった音が辺りに響いた。
プランジは、暖かいものを感じた。前回のイエの上階にいた青年もピアノマンも、
自分に『捻れない様に』と言って去っていった。果たして、自分はそれに答えられ
るだろうか。
それにしても、とプランジは辺りを見回す。ということはやはりこの廃墟は自分
たちの記憶が形になったものなのか?
そう思った瞬間、プランジは悪寒を感じ取った。
「!!」
咄嗟に飛んだ。肋骨に激しい痛みが走ったが構わなかった。今まで自分がいた空
間が弾けた。ピアノが爆裂する様に壊れて不協和音が響き、壁に穴が開いた。プラ
ンジは反対側の壁を突き破って転がった。
「ぐっ!」
肋骨を押さえながら立ち上がり、すぐさま回避行動をとる。
これはーー此処に来る前に出会ったあいつ、『ファントム』ーー!やはり追って
来ているーーいや、自分の怖れが呼んでいるのか?
プランジは痛みに耐えながら移動を続けた。
* *
「ねぇ…これ!」
廃墟の中のとある部屋で、リジーは鉄隗を拾い上げた。
「…それは?」
ライフルを杖代わりにしながらついて来ていたウィズが尋ねる。
「カメラ……」
リジーはそっと微笑んだ。
それは、ウィズがプランジの両親と思われる人たちと出会った日。リジーはかつ
ての自分らしき女性に出会い、一緒に写真を撮った。その女性が残したサブカメラ
だった。その中には笑顔のリジーと女性の写真の他に、幼いプランジと両親の写真
も入っていた筈。
リジーは操作してみたが既に電源は入らなかった。
「………」
リジーは辺りを見回した。カメラの他には何も無い様だった。
遠くでまた廃墟が崩れる音がした。
「それ、持っていくか?イエに戻れればあるいはーー」
ウィズが優しく聞いた。リジーは少し考えた。
「ううん…大丈夫」
ウィズは多分そう言うだろうと思っていた。
「またいつか、会えるよ」
リジーはそっとカメラを置いて立ち上がった。
「とりあえず、上を目指さなきゃね」
「あぁ…」
とは言ったものの、先程から進んでいる様であまり進んでいないことにウィズは
気付いていた。これはいつもの、ホシの所作の感じだ。そして今のカメラの感じか
らすると、この廃墟は今まで関わった何かが現れる場所ーー?ホシに起こった出来
事の成れの果ての集合体ではないのか?ウィズはそんなことを考えていた。それは
あまりに突拍子もない仮説ではあったが、此処はホシなのだーー。
「!!」
その時、二人は感じ取った。忘れようの無い、ゾッとする様な悪寒。これはーー
『ファントム』の?!リジーはリボルバーを抜き、ウィズは撃てないライフルを構
えた。二人は背を合わせ、警戒体勢を取った。
「……ヤバいね」
「あぁ…」
ウィズは油断無く辺りをスキャンしていた。例によってまだ何も反応は無い。だ
が二人の感覚はヒリヒリとその存在を感じていた。
「!!」
ウィズは目の前の空間が歪むのを感じた。間に合わないーー!
ウィズは咄嗟に振り向いてリジーを後ろから抱きかかえた。飛ぼうとしたがそれ
よりも早く衝撃が来た。
「ぐっ!」
「あっ!」
二人は飛ばされた。ウィズはリジーを抱きかかえて丸くなり、次に来るであろう
激突からリジーを出来るだけ守ろうと耐ショック姿勢を取った。
* *
ネコはハッとして振り向いた。
先程からの衝撃音は遠くで聞こえる廃墟の崩壊音とは少し違っていた。
「………ニャウ」
ネコの目はまん丸でその黒目は最大級に広がっていた。
気配は感じないが、あの衝撃音の中で恐らくプランジたちがーーネコは思ったが、
これ以上深淵には近づけなかった。
ギシ、と側の扉が軋みネコは飛び上がって走った。
上へ。とにかく上へーー。
暗所に隠れていると、あいつがやってくるーー。
* *
プランジは歩きながら、尚も数々の記憶の残骸に出会っていた。
廃墟の中に埋もれていはいたが、それは間違い無く出会ったことのある何かだっ
た。
あの誰もいない商店。ガラスのビン。壊れた車体。見たことのある鉄骨。朽ちた
桜の木。老女のレールガン。そしてーーファイの絵筆。
「あぁ……」
プランジはじわりと痛む胸を押さえ、肋骨の現実の痛みにハッとする。
それにしても此処は、本当に自分の記憶が形になった場所ーー?ならば、やがて
自分もやがてこうやって朽ちていくのだろうか?絶望の様なものがそっと上がって
くるのをプランジは感じた。廃墟が崩れる音と共に、あの『ファントム』の空間が
爆発する様な衝撃音は時折聞こえそれは徐々に近づいている様だった。
さて、どうするーー次に『ファントム』に出会ったら!
そう思う間もなく、あのゾワッとする様な悪寒が背中を走った。
「!!」
プランジは振り向いてザッと身構えた。
だがーー逃げるのは、もうやめだ。
あっさりとプランジはそう判断した。
目の前には、あの幾多の怪しい光を伴ったあのモヤモヤの姿があった。
その光はどす黒いモヤモヤの中で蠢いていた。ともするとその怪しい光に意識が
取り込まれそうになるのをプランジは必死で押さえた。
プランジは両足を広げ、クロスアームで胸と顔を守る姿勢を取った。怖れはある。
だがーーそれだけじゃない。プランジは目を閉じた。
衝撃が襲い、プランジの全身を振るわせた。肋骨がもう数本折れるのが分かった。
だがプランジは倒れなかった。次にプランジは自分をあのモヤモヤがどんどん包ん
でいくのを感じた。それはかつてあの廃墟の病院で体感した時以来のことだ。全身
を覆われたプランジは、闇の中に落ちていった。
* *
リジーの脳裏には、走馬灯の様にイメージがちらついていた。
気付かずに通り過ぎていたが、実は色々なものが廃墟の中にはあったのだ。
砂漠の中の水タンク。ゴミ山のガレキたち。少年の人形。赤ん坊のオムツ。ラン
ドリーマシン。薬のビン。
やはり此処はーーホシで起きた様々な出来事の成れの果て、なのだろうかーー
「!!」
リジーは目をあけた。身体の節々が痛むが、リジーは無事だった。背中から誰か
に抱きかかえられている様だ。顔を上げると、意識を失ったウィズの顔があった。
額に血がにじんでいる。
「ウィズ!」
その両手は庇う様にリジーの胸に回されていた。あぁ、本当にこの男は自分を守
ったのだ。その代償にーー。
「ねぇ、起きてよ」
リジーは涙ぐんだ。後ろ手にウィズの肩を抱き、揺すった。反応は無かった。脈
も呼吸も止まっている様に見えた。
「お願いだから……!」
これでウィズがいなくなったら、自分はーー。リジーは泣きじゃくっていた。
「お願いーーーー」
流れ落ちる涙が床を濡らした。旧インド系のその美しい顔をぐしゃぐしゃにして、
リジーは泣き続けた。
「……ぐっ」
その時、ウィズが声を上げた。
「え……!」
リジーは驚いた。
「ウィズ!?」
つい先程まで確かに心臓も止まっていたのに。
ウィズは目を閉じたまま言った。
「んーーーう、うるさい」
「う?!……ちょっ……」
リジーは呆れ、そして泣きながら笑った。
「いや、確かに死んでたと思う」
少し落ち着いた二人は、廃墟の片隅で肩を寄せ合って壁を背に座りウィズが持っ
ていた僅かな食料を口にしていた。
遠くではやはり廃墟が崩れる様な音が聴こえている。
「やっぱり?」
「あぁ、久々の感触だった」
「………」
前にも何度かあったってことか。リジーは少し黙った。
ウィズも、思いを馳せていた。実はあの闇に沈む様な感覚の中で、リジーと同じ
この廃墟の中の記憶のかけらのイメージを見ていた。ここは、ホシの記憶の行き着
く先、そしてそれは全て崩れていくーー消滅していく場所なのではないか?
自分たちが体験した物事も、そうやって消えていく。他に誰も知らず。
「絵本ーー、またどっか行っちゃった」
ぽつりとリジーが言った。
「あぁ……」
「こうやって、無くなっていくんだね」
「ーーー出て来るさ、また」
「そうかな」
「生きていれば」
リジーはそっとウィズの方を見た。哀しんでいる訳でも諦めている訳でも無い、
疲れてはいるがまっすぐなこげ茶色の瞳がそこにあった。
リジーはフッ、と息を吐いた。
「生きていれば、か」
リジーは天井を見上げた。穴の開いた箇所からは遠くにチラリと空が見えたが、
もはや昼なのか夜なのかよく分からなかった。
「プランジ、どうしてるかな」
「あいつはーー多分、大丈夫だろう」
「そっかな」
「闘ってはいるーー筈だ」
プランジの反応はホシ上には無かった。例によって違う場所にいるのは間違いな
さそうだった。
「俺たちとは少し違うが」
ウィズも遠くに広がっているであろう空を見上げながら言った。
「あいつも諦めちゃいない」
「……そうだねーーー」
そうリジーが笑いかけたときだった。
突然辺りを揺れが襲い、例のゾワッとする様な感覚が二人を覆った。
「!!」
「『ファントム』!?」
例の破裂音がして辺り数部屋分が突然崩れた。
「あっ」
「リジー!」
ウィズは鉄骨の一つに掴まり、もう片方をリジーへと伸ばしたが数センチ足りな
かった。
「!」
ウィズは考える間もなく、壁を蹴って下へと身を投じた。
直後にその鉄骨部をあのモヤモヤが襲い、そして下へと広がっていった。
* *
プランジは、五感の全てを失っていた。
自分は、どうしたのだろうか。かつてあの砂に埋もれて沈んでいった時の様な絶
望的な閉塞感。それと共に、自分の中にどす黒い何かが入り込んで来ているのが分
かった。
「 !!」
何かを叫んだ様だが、それは外へ何も発されなかった。
突如、何も見えない空間の中でプランジは落下する様な感覚に振り回された。
「 」
叫ぶ様に発した声も、やはり形にはならなかった。
プランジは暗闇を何処までも落ちていった。
プランジは、泣いていた。どうして泣いているのかは分からない。誰もいないの
に、腹を立てて物に当たっていたのだと思う。いや、それは悪くない他の誰かに当
たっていたのか。自分でも酷いことをしているのは分かっていたがどうしようもな
かった。まだ精神的に幼い頃の自分。今でも、それは変わらないのかーー?
そこには、全く知らない人間が来ていた。誰かは分からないが懐かしい感じもし
た。その人間には、自分が無かった。最後に残した、ここに来さえすれば自分に戻
れる場所を無くした人間だった。その場所がこのホシだというのだろうか。もしそ
れも違っていたら、この人はどうするのだろう。何も無くなるのではないか?その
場所は、この近くにあるのだろうか。そことの距離は無限に広がりーーーー
その人間は、ずっと暗い場所に隠れていた。何かを恐れて、ずっと出られなかっ
た。長いこと隠れていて、恐れているのが何なのかもはや分からなくなっていた。
ある時、隠れている扉に丸い窓が付いているのが分かった。そうっと近づいて外を
窺うと、そこには同じ様な丸い窓がズラリと並んでいた。その中には同じ様な人間
がそれぞれ入っていて、皆自分を見ていた。彼は恐れ、狂った様に叫んだ。
犯罪者がいた。貧しさ等ではなく、自身の頑さ故に歪み罪を犯した。人の命を奪
ったが、彼は何も感じなかった。いや、何処かで感じてはいたのだろうが、彼はそ
の歪みに蓋をした。ちょうど擦り傷に絆創膏を貼り、後は知らない振りをするよう
に。やがて剥がせば、そこにはもう何も無い。そうして今まで生きて来た。だが彼
は知らない。剥がしたその下には、少し突けば溢れ出すドロドロしたものが蠢いて
いるのを。いや、実は分かっていたのだ。分かっているからこそどうしようもなく
ーーー
近しい人が死んだ人間がいた。それは彼女にとって自身の存在が無くなったに等
しかったが、それを理解する人は少なかった。だが彼女はそれが誰だったのかもは
や覚えていなかった。喪失感だけが、彼女を支配していた。埋めようとしてもそれ
は埋まらない。やがて彼女はどこかに消えていった。
老人は、死を迎えようとしていた。自身の神経質さ故に、誰も看取るものはいな
かった。思えばその神経質さこそが老人の全てを奪い取っていた。周りが楽しむも
のが、老人には全て不完全なものに見えた。自分には耐えられない程ルーズな人間
が、自分以外には受け入れられていくのが老人には理解出来なかった。やがて老人
は歪み、偏屈になっていった。ますます尖っていく自分をどうしようもなかった。
そしてーーーーー
プランジは叫んでいた。そういった全ての感情が流れ込んで来て、それで人に当
たったのか?いや、全てがプランジの中でごっちゃになっていた。混濁した意識が、
それでも一つのことを思い出させた。
その時当たってしまったのは、誰だ?
オヤ、なのか?
それともーーー『ヒュー』?
ウィズとリジーは、落ち続けていた。
無限に落ちていく中で、周りのガレキや見えていた廃墟の壁面は砂の様に細かく
なりやがて消えていった。そこには、真っ暗な「無」しかなかった。
「リジー!」
「ウィズ!」
二人とも叫んだが、既にその声は発しても聞こえなくなっていた。二人は離れて
いたが、お互いの姿は何となく認識出来ていた。ウィズは何度となく近づこうとフ
リーフォールの手足を小さく畳んだあの感じをやってみてはいたが、既に空気抵抗
も何もないのだろう、近づくことは出来なかった。
そして二人は、プランジが感じ取っている絶望を流れ込む様に体感していた。
「プランジ……!」
「おぉーー!」
そのイメージの中で、あの絵本が燃えた。
修理していた車が内側に潰れて破壊された。
「!!!」
ウィズもリジーも、どす黒い何かに浸食されていた。
* *
ネコは鳴いた。
ニャオーーーーーーーーー!
その時、緑色の光が辺りを包んだ。
プランジはハッとした。
そこは廃墟の中。自分をあのモヤモヤ『ファントム』が包んでいた。そこは開け
たホールの様な場所で、辺り一帯に広がった『ファントム』の先にはウィズとリジ
ーの姿も確認出来た。
二人ともぐったりとしていて、意識は無い様だった。
「!!」
プランジはグッと丹田に力を込めた。
ネコは見た。プランジと共に、ウィズとリジーの姿が光るのを。いやーーそれは
自分もだった。そのホールの入り口でネコもどんどん光っていき、次の瞬間一同は
『飛んだ』。
* *
一瞬の光。
一同が次に現れたのは廃墟の上部、日が差し込む吹き抜けの様な場所だった。
「あぁ……」
「痛つつ…」
「大丈夫?ぐっ」
立ち上がろうとして肋骨の痛みにプランジは顔をしかめた。
「あ…」
「大丈夫かーーうっ」
手を差し出そうとしたウィズも背中が痛んで呻いた。
「ぼろぼろだな」
「お互いね」
「………」
一番元気なのは自分か、とリジーは思った。抜いていたリボルバーをグッと握り
しめた。もっとも、中に入っているのはウィズに新しく作ってもらった弾丸が二発
だけだった。それも、あの『ファントム』のモヤモヤに通用するとは思えない。
「…動ける?」
「あぁ」
「上まで行こう」
「ニャ」
「あ…いたんだ」
ネコは器用にプランジに飛び乗った。
一同は倒れた鉄骨を伝って上へと登り始めた。
突如、フロアが揺れて一同はそれぞれ鉄骨に掴まった。
「!!」
「大丈夫か!」
「うん!」
「……あれ!」
リジーが見た先ではフロアの床が抜け、巨大なモヤモヤが顔(?)を覗かせている
ところだった。大きさだけならあの時のーーフネで観た時のあの巨大なモヤモヤに
匹敵するものだった。
「上がれ!」
とウィズは声をかけたが、それより早く目の前の空間が歪むのを感じた。
間に合わないーー
銃声が二発した。リジーが撃ったのだ。
「!!」
その弾道は歪み始めた空間を直撃し、一瞬その歪みが硬直したようにも見えた。
だがそれは留まる訳では無く、逆に力を溜めている様にも見えた。
「……ダメーー?」
リジーは絶望に包まれた。その歪みはまたどす黒い光を揺らし始めーー弾けた。
「あっ!」
一瞬自分を影が覆った。まずプランジが自分の前に飛び、直後にウィズにしっか
りと抱きかかえられた。衝撃が襲い、一同は飛ばされた。
唯一、走っていたネコだけが吹き抜けの上まで到達していた。
そこは晴れていたが、イエの姿は無い。廃墟の上部が起伏がありつつぐるりと三
百六十度、地平線まで広がっていた。
プランジたちはどうしただろう?ネコは心配そうに下を覗き込んだが、一同の姿
は見えなかった。そして、巨大なモヤモヤは海坊主の様にフロアの空間から顔を出
しつつあった。
「ニャウ……」
ネコは耳を下げ、走っていって物陰に隠れた。動悸が激しく、呼吸が乱れるのを
どうしようもなかった。
* *
プランジは動かなかった。ウィズも気を失っている様だった。
リジーは全身に痛みが走っていたが、それはまだ生きている証拠だった。
「ガキが出て来た時程じゃない…」
震える声で自分に言い聞かせた。
自分たちは衝撃で壁を抜けて小さな空間に飛ばされた様だ。飛ばされた先に古く
なった木のベッドがあったこと、そして何より二人が盾になってくれたことで自分
は生きている。
あのモヤモヤはどんどん巨大になっている様だった。だがその行く先は自分たち
ではなく、フロアの外ーーホシ全体である様だった。まるで人が足元の蟻に気付く
ことのない様に。自分達は『ファントム』にとってはその程度のものなのかーー。
だがその一部が、管の様に伸びてリジーたちの方にやってきていた。見るとそうい
う管はあちこちに伸び、ホシを覆おうと触手を四方に伸ばしている様に見えた。そ
の管はやはりどす黒い中に小さな怪しい光がチリチリとしていて、ゾッとする様な
感覚をリジーに与えた。
「………」
リジーはそっと右手に意識をやった。まだリボルバーはそこにあるようだ。だが
もうその中に弾丸は残っていない。それでも、リジーは全身の痛みに耐えながらそ
れを近づきつつあるモヤモヤの方へ向けた。震えるマズル。霞みつつあるその視線
の先で、『ファントム』の一部は威嚇する様に唸り声を上げていた。
「来いーーー!」
リジーはもう恐れなかった。恐れていても仕方が無い、と思った。
プランジやウィズが容易に達するその場所に、自分もようやく来れたのだと思っ
た。
その時、リボルバーがフワッと光った。
「……?!」
目の前のモヤモヤがフッと反応した様だった。
これはーーーあの時の?
何故かリジーは確信した。
また、やってきたのだ。あの弾丸が。
リジーは迷わずトリガーを引いた。シリンダーの六発を、一発ずつ冷静に撃った。
痛みで多少狙いはズレただろうが、構わなかった。どうせ向こう側は全て『ファン
トム』なのだ。
その光弾はーーあの時のスナイパー戦と同じ様な光の弾だったがーー『ファント
ム』のモヤモヤを撃ち抜いた。まるで豆腐が飛び散る様にモヤモヤの管が弾け、そ
の向こうの本体にも多少のダメージは与えた様だ。モヤモヤの中が激しく泡立って
いる。
「あぁ……」
リジーは更にリボルバーが光るのを感じた。それは希望の様に光り、リジーは再
びトリガーを引いた。光弾は、出続けた。
* *
遠くで、廃墟の崩れる音がしていた。
「……!」
プランジは痛みで目を覚ました。
夜空が見えた。そして腹にネコが乗っていた。
「……?」
誰かに片手を取られ、仰向けのまま引きずられているのが分かった。恐らくウィ
ズだろう。
「ウィズ……?」
その声に引っ張る手が止まり、その人物が振り向いた。
「気がついたか」
やはりウィズだった。プランジは手を引かれ起き上がった。ネコはニャッと言っ
て飛び降りた。見ると、ウィズはリジーを背負っていた。リジーは気を失っている
様だった。
「どうなったの?」
「分からん。多分リジーが…」
ウィズは後ろを見て言った。数キロ先に、先程のフロア部が巨大な穴を開けてい
た。もはや『ファントム』の姿は無かった。
「リジー、大丈夫なの?」
「あぁ、まだ生きてる」
ウィズはリジーの肩の脱臼と熱を持ったリボルバーのバレルから、恐らく何発も
撃ったのであろうことは気付いていた。そして恐らくそれはあのスナイパー戦の時
に現れた弾丸ーー。
「そっか………ありがとう」
そう言ってからプランジは辺りを見回した。既に暗くなった廃墟の地表に、イエ
の姿は無い。ただ、行く先にボウッと光る何かが見えていた。
「何あれ」
「さぁな……多分」
「多分?」
ウィズは確信していた。
「外燃エンジン…」
「え?」
それは、イエの動力源であろうとウィズがずっと考えていたものだった。十数メ
ートルの板状のそれはボウッと青白い光を放っていた。今まで探しても見つからな
かったものが、何故今ーー?
「とにかく、行ってみる」
「うん……リジー背負おうか」
「お前肋は」
「あ……そうだった」
プランジは少し笑ってその痛みに顔をしかめながらリジーをそっと覗き込んだ。
リジーはこんこんと眠り続けていた。
* *
ネコは、その様子をじっと見ていた。
あの時も、ネコは見ていたのだ。
その日ネコが白の部屋で起きた時、既に辺りは廃墟になっていた。以前イエが寂
れた病院風になったことがあったが、その時以上に辺りは埃と錆にまみれ、まるで
知らぬ間に数百年を経たかの様だった。
「あれ……」
やがて起き出したプランジは、ネコには少し大人びた様に見えた。
寂れた服に着替えたプランジは外を見に出て行った。ネコも向かおうとしたが、
その前に小さな光の幼いプランジの姿をした存在ーーネコが名付けた『ヒュー』が
いつの間にか現れているのに気付いた。『ヒュー』は少し不安そうな顔をしていて、
一階から出て行くプランジとは別方向に向かった。ネコはプランジも気になったが、
『ヒュー』の後を追った。『ヒュー』は三階に上がりバルコニーに出た。その時、
火薬とは違う圧縮空気が吹き出す様な破裂音がした。思えば、その時からホシは何
処かおかしかった。『ヒュー』が側にいるのに、ネコにはその時のプランジたちの
姿を感じ取れなかった。ネコが音にハッとしてバルコニーから顔を覗かせると、プ
ランジが廃墟の亀裂から落ちていくところだった。そしてその縁には、あのモヤモ
ヤ『ファントム』がいた。いつものどす黒いモヤモヤの中によりチラチラとした怪
しい光を蠢かせ、それはそこにいた。『ヒュー』も不安そうにそれを見ていた。そ
の時、『ファントム』はギラリとネコたちの方を向いた。いや、モヤモヤの固まり
に顔などは無いのだがーーとにかくネコには自分たちの方を向いた様に感じられた。
『ヒュー』はハッとして後ずさり、イエの中へと飛んでいった。ネコも後を追った。
『ヒュー』はいつになく不安と怖れの入り交じった表情を浮かべていた。ネコは『
ヒュー』の後をついてそろりそろりと階段を下りた。『ファントム』の姿は何処に
も無い様だった。ネコは警戒しながら誰もいないプランジの白の部屋に戻り、まだ
温もりの残っているプランジのベッドでハコを組んだ。落ちていったプランジはど
うしただろう。死んだのだろうか。気配は感じ取れなかった。『ヒュー』はネコの
側を不安そうにフワフワと浮いていた。こんな『ヒュー』の姿は初めてだ、とネコ
は思った。
やがてウィズとリジーが起き出して来た。ネコには、この二人もいつの間にか少
し歳を取った様に見えた。ネコはプランジのことを伝えたかったが、ネコがいくら
鳴いても伝わらないことは分かっていた。仕方が無いのでネコはウィズの肩に乗っ
た。ウィズはリジーと一緒にバルコニーへ出た。ネコはまたあの『ファントム』が
突然現れるのではないかとずっと辺りを窺っていた。『ヒュー』も恐る恐る付いて
来ていて、不安げに辺りを見回していた。そして、あのゾッとする様な悪寒を感じ
てネコは声をあげた。振り向く間もなく、先程聞いた破裂音と衝撃が来た。ネコは
ウィズたちと共に落ちていった。ネコは落ちながら見た。ハッとした顔の『ヒュー
』と、その背後に迫る『ファントム』の姿を。
ネコは廃墟の下層部に着地した。その時ネコはまだ上部にイエを確認していた。
だが、プランジもリジーもウィズも、その気配は全く感じ取れなかった。『ヒュー
』が側にいないからか。だがいたとしても、今回は感じ取れないのかも知れない。
あるいは、また全員別世界に『飛んで』いると言う可能性もある。とにかく今回は
何かが違っている。ネコはそう思った。そして先程『ファントム』の側に取り残さ
れた『ヒュー』は一体どうしただろうか?
そしてネコには何処かで何かが囁く様な声が聞こえていた。それはくぐもった叫
びの様な唸りの様な何か。だが威嚇ではなく、誘っている様にも思えた。それはこ
の怪しい廃墟の空間の中で一人ぼっちのプランジの声なのか?それとも、あの『フ
ァントム』が獲物を呼び寄せる様な声を出しているのか?ネコには分からなかった。
あの小さな光の『ヒュー』の姿も相変わらず見えなかった。ネコはとりあえず上を
目指そうとして歩いていた。そのうちにネコは気付いた。この部屋たちは、無限の
部屋たちと同じ様な匂いがする。そして、プランジやウィズたちがこのホシで経験
した記憶と一緒に形になり、それが長い時を経たものの様な不思議な感覚。イエの
無限の部屋では、こうした部屋のそれぞれに時々アクセス出来ていたということな
のではないだろうか?
いつの間にか見えていた筈のイエは見えなくなっていた。ネコは次第に不安に取
り憑かれつつあった。あの小さな光の『ヒュー』が側にいればいつもはプランジや
リジーたちがどうしているのか分かるのに。そしてこういう時はいつも側にいたの
にーー何故今回は勝手が違うのだろうか?ネコはそう思いながら廃墟の上層部へと
進んでいった。何処かで廃墟が崩れる音はずっとしていて、それは時に遠かったり
近かったりと要領を得なかった。
そしてネコは長い間歩いた後、ある教室っぽいスペースに出た。そのガラス張り
の壁の向こうは、ほぼあのどす黒いモヤモヤ『ファントム』に覆い尽くされ、その
中の離れた三カ所にプランジ、ウィズ、リジーが取り込まれて浮いていた。三人共
意識が無い様だった。そしてその上に、不安げなあの小さな光の『ヒュー』がいた。
それはどうしてそこにいるのだろう。そしてネコにはプランジたちが『ファントム
』の中で絶望に犯されつつあるのが体感出来た。『ヒュー』は何もせず不安げにフ
ワフワしているだけだ。いつもの様に口を「ヒュッ」とやってくれないだろうか。
そのことでいつもの様に何らかのスイッチが入るかもしれないのにーーネコは叫ん
だ。それは威嚇でもなく怖れでもない、『ヒュー』に届けばという精一杯の思いだ
った。
その叫びを『ヒュー』は、ホシは聞き取った様に見えた。一瞬緑色の光が辺りを
包んだ。それは小さな光の『ヒュー』の力だったのか。それともプランジが名付け
たあの謎の緑色の光の方の『ヒュー』だったのかは分からない。とにかくその光の
せいかプランジは『ファントム』の中で目を覚まし、瞬時にネコやウィズたちを連
れて『飛んだ』。ネコは『飛ぶ』瞬間、寂しそうな『ヒュー』の顔を見ていた。
次の瞬間、一同はちょっとした円形の吹き抜けのフロアに『飛んで』いた。吹き
抜けの向こうにはクッキリとした青空が広がっていて天井部は廃墟の地表面と同じ
高さだった。ネコは、そこが何処か聖なる場所の様な気がしていた。一同は上がり
始めたが、やがて『ファントム』が追ってきた。その姿は今迄に無く巨大化してい
た。これはーーこの場の一同の恐れや邪念だけじゃない、もっと色々な何かを取り
込んで増殖しつつある。ネコにはそれが分かった。ネコが地表に上がるかどうかの
タイミングで、プランジたちはあの空間の破裂に襲われていた。それはまるで様々
な悪意や不安を取り込み過ぎた『ファントム』が癇癪を起こした様だーーとネコは
思った。その邪念が、その大きさ故に周りを取り囲んだ記憶たちを消し始めている
ーーネコは見ていてそう思った。そして次の一瞬、破裂の衝撃からプランジとウィ
ズがリジーを守ろうと盾になるのが分かった。一同は吹き抜けの下の方の壁を抜い
て向こう側に消えた。ネコは吹き抜け部の縁からフロアを覆い尽くしつつ上に上が
って来る『ファントム』の姿を怖れと共に見つめた。それは既にプランジたちなど
見向きもせず、どんどんホシを覆おうと上がって来ている様だった。そしてあの小
さな光のプランジ『ヒュー』は、それと対峙する様によろよろと上がって来ていた。
その姿は弱々しく、やはり不安気にしていた。何故、今回はああいった感じなのだ
ろうか?ネコは不思議に思った。そしてその恐れすら取り込みつつ、『ファントム』
の本体はどんどん吹き抜けから上がって来ていた。ネコは物陰に隠れ、その様子を
見守った。
そして銃声がした。それは火薬のそれではなく、前にあのスナイパーと相対した
ジャングルの中でリジーが放ったものに似ていた。フロアの下で何かが起こってい
た。『ファントム』の中の怪しい光が動揺した様に乱れ、その形が崩れつつあった。
『ファントム』は暴れ、フロアのあちこちに伸びた管も飛び散って悶えている様だ
った。
「ニャッ!」
その時、フロア全体が光り、ネコは声を上げた。下から緑色の光が突き上げ、『
ファントム』は唸った。そしてその光の中から、リジー、ウィズ、プランジが放り
出されて来た。その姿は空高く上がりーーそれはまるで巨大生物が飲み込めなかっ
たものを吐き出す様に見えたがーーあの小さな光の『ヒュー』はあっと慌てた様に
三人の側に寄った。そうして掌を上に向け、まるで透明な受け皿でもあるかの様に
そっとプランジたちを受け止めた。緑色の光の中で、『ファントム』は暴れつつ消
えていった。『ヒュー』はプランジたちをそっと地表面に置き、ネコの方を向いて
済まなそうな顔を一瞬見せて、消えた。フロアから出た緑色の光はしばらくその場
にあった。それはまるでウィズたちが来た日の、あの光の円柱の様にも見えた。
その時、ネコは分かった。この吹き抜けのフロアはーー今は形が違うが、此処は
イエの反対側にあるあの遺跡だ。『飛んだ』プランジは、無意識にこのホシでプラ
ンジにとって一番安全な場所に来ていたのだ。そしてホシは、そして恐らくあの謎
の緑の光の方の『ヒュー』は、それに応えた。勿論、そのきっかけとなったのはあ
のリジーの光弾だろう。いやそれすら、このホシもしくは『ヒュー』がもたらした
ものだったのか?本当は、プランジたちが自分だけの怖れを捨てて、守り合う方に
全精力を注いだことが契機だったのかも知れない。ネコはそう思った。
それにしてもーーあの小さな光の方の『ヒュー』のあの態度は何だったのか?と
消え行く光を見ながらネコは思った。今迄とは何かが違っていた。最後にプランジ
たちを受け止めたのも、何となく対応しただけだったみたいだったし。……またそ
の存在がよく分からなくなったな、とネコは横たわったプランジの上に乗って丸く
なった。
やがてウィズは起き出し、夜になってあの外燃機関の光を見つけリジーとプラン
ジを連れて移動を始めた。ネコもプランジの上で一緒に引き摺られていったのだ。
* *
「!?」
外燃エンジンに向かって歩いていたウィズとプランジは、やがてその明かりを中
心にして廃墟の地面に綺麗に放射状に並んだそれぞれ数メートル四方程のパネル群
を見つけた。
「これは……」
「何だ?」
「と……」
そのパネルの窪みにひびが入っている場所を見つけ、プランジは痛みをこらえて
蹴り飛ばしてみた。
ガッ!
古くなっていた為かパネルは恐らく金属だったのだろうが割れて落ちた。
「………」
ウィズはリジーを側に下ろして寝かせ、下を覗き込んだ。
そこには丸いガラス窓が付いた脱出ポッドの様なものが鎮座していた。
「……?」
ウィズは思った。やはりーーここは、巨大なフネの残骸?いや、思えばイエも、
そうだったのではないか?ーーひょっとするとホシ自体もーーー
「これ……」
プランジが呟く様に言った。
「ん」
「……永遠のコインランドリーの?」
ウィズはハッとした。確かにそのポッドは、あの無限に並んだランドリーマシン
とよく似ていた。
「ーーーー」
あの場所も、実は脱出ポッドの集積所だったのか?
ウィズは考え込んでいた。今回は、本当に色んなことがありすぎている。
と、側に来ていたネコがピクリと耳を動かして後ろを向いた。
「う……」
リジーが呻いていた。
「リジー?!」
「大丈夫?」
ウィズとプランジはしゃがんでリジーを覗き込んだ。
「あ……」
リジーはゆっくりと目を開けた。
「戻ったの……?」
ウィズとプランジは顔を見合わせた。
「いやーーまだ廃墟だ」
「イエも見つからないんだ」
「そっかーー」
ウィズはリジーの身体をスキャンしてみた。打ち身は激しいが、特に異常はーー
ーと思いながらその反応にウィスは目を丸くした。
「えーーー」
「!?どうしたの?」
リジーは不審げに聞いた。
その時、プランジが声を上げた。
「来る!」
二人もハッと顔を上げた。
まず感じたのは隕石の気配だった。それは『ヒュー』のーー緑色の光を伴ったも
のではなかったが、今までに見たことが無い程大きかった。まだ距離があるにも関
わらず、ハッキリと肉眼で確認出来る大きさだった。恐らく、数キロ以上はあるだ
ろう。ものの数分でホシと接触しそうだった。
「ヤバいーー」
「直撃だ」
「逃げなきゃ」
だがウィズは冷静に言った。
「いやーーこの大きさなら、何処に逃げても同じだ」
「え?」
「このホシ自体がやられる」
「そんなーーー」
ネコは毛を逆立ててプランジに駆け上った。
「痛た……」
「プランジーー『飛べ』るか?」
「え…でも何処へ?」
「…そうだよな」
「じゃあーーどうするの?」
「さぁな……」
ウィズはどっかと座り込んだ。ジタバタしても始まらない。
プランジは立ち尽くしていた。何か方法はないだろうかと考えていた。
リジーは側のウィズの膝に手をやり、ゆっくりと上体を起こした。
「…………」
プランジはゆっくりと振り向いた。
「あれ、使えない?」
プランジは先程割ったパネルの下を指した。
「……はぁ?」
「何ーーそれ」
ウィズは眉を寄せたが、可能性が無い訳ではない、と瞬時に判断した。
二人はランドリーマシンの側に降りて、計器を確認し始めた。
「おーい?」
事情の良く飲み込めていないリジーは上から見ているしかなかった。
ドラムを開く様にあっさりとドアは開いた。中は洗濯機のドラムと同じ様ではあ
ったが、ウィズは直ぐにその変化に気付いた。各所が開いて食料や簡易トイレがあ
り、ちゃんとした生命維持装置になっていた。だがそのパワーはオフになっていて、
あのランドリースペースでの状態と同じだった。
「問題は動くか、だが」
「入ってみよう」
「おい」
危険だぞ、と言うより早くプランジは中に入っていた。
ブーン。
いきなりマシンは起動を始め、ウィズは驚いた。やはり前に調べた様に、あの外
燃機関から何らかのエネルギーが無線の状態で送られているらしかった。
ウィズは上空を振り仰いだ。隕石は着実に近づき、もう一分程で到達する感じだ
った。
「…仕方ないか」
ウィズは側のパネルを二つ、掌の振動波で割った。
「え?え?」
そしてリジーを抱え、その一つに入れた。
「大丈夫なのこれ」
「そう祈ってる」
リジーはウィズの手に触れて言った。
「また…」
「ん」
「会えるよね」
リジーは真剣な顔だった。
「…あぁ」
ウィズは笑みを返し、マシンの蓋を閉めた。プランジのと同じ様に起動が始まる。
問題無い様だ。
気がつくと、プランジが中からガラスを叩いて指差していた。どうやら一度入る
と中からは開かないらしい。指差す先には、ガラスの側で心配そうにウロウロして
いるネコがいた。
「…了解」
「ニャッ」
ウィズは頷いてネコを抱き上げ、マシンに入った。入るとすぐに起動が始まった。
「………」
ウィズは中を確認した。スルスルとシートベルトらしきものが出て来た。ウィズ
は手早くそれを閉め、ネコを抱いて耐ショック姿勢を取った。
さて、やるべきことはやった。
ウィズはガラス面から上空を振り仰いだ。隕石は着々と近づいている。起動から
脱出までどれ位かかるのかは知らないが……間に合うのか?
そう思ったとき、ウィズの全身のセンサーはホシの軌道上にフネーーあの時見た、
謎の艦隊の存在を捉えた。
「あれは!!」
それは、ファイが死ぬ時に姿を現した、謎の光を放つ存在。『ヒュー』とはま
た違う、「外」からの衝撃であるもの。
「くっ!」
既にポッドは起動していて、外には出られなかった。隕石も迫っている。
バシュッ!
プランジ、そしてリジーのポッドが射出された。うまい具合に隕石は避けて上
昇している様だ。
「……!」
ウィズは外を見つめた。抱かれたネコもじっと外を見ていた。その瞳は、隕石
の向こうの艦隊の方を向いていた。そして、ガツンとポッド射出の衝撃が来た。
「ぐっ!」
それは噴射というよりは圧縮空気で飛ばされた様な、それでいてよく出来たエ
レベーターの様にそのスピードよりは遥かに軽い加速度しかかからない射出だっ
た。
「……!」
そしてウィズは見た。射出の瞬間でその撃出しは分からなかったものの、例の
艦隊のあの黄色っぽい光が一本、それは今まで見たものよりもずっと太かったの
だがーーそれは目の前で迫り来る隕石を撃ち抜き、破壊した。
「あぁ……!」
その瞬間、バーッと緑色の光が一瞬広がった様な気がしたがーー直ぐに衝撃波
が来た。
「ぐっ!」
ウィズはネコを抱えて踞った。
激しい揺れと光がポッドを襲った。
やがてウィズは気を失った。
ネコはウィズの腕と溢れる光の向こうで、破壊された隕石の無数の破片が廃墟
のホシに降り注ぐ光景をチラリと確認したが、やがて訳が分からなくなった。




