17「Sniper's leaf」
今回、ホシはジャングルです。
やってくるのは孤独なスナイパー。プランジたちと相対する事になります。
そのラストは…?
その日、宇宙の辺境にあるそのホシはジャングルに覆われていた。
此処では、一晩寝て起きると風景が変わっていることはよくあった。
「ほえー」
一同はホシに建っている白亜の塔・イエの三階のバルコニーで、眼下に広がるジ
ャングルを眺めていた。一同の部屋がある一階部は既にジャングルの中に沈んでい
た。
「何か危ない動物とか出て来ないんでしょうね」
「まぁ大抵の動物なら何とか出来るけどな」
心配する褐色の肌の女性リジーに、旧ゲルマン系の男ウィズは肩のライフルを上
げてみせた。
「けど?」
「ん」
「いや…なんでも無い」
そもそもこのホシで他の動物や虫などを観たことは無かった。…ホシが海の時に
やって来たクジラとかは置いといて、の話だが。
でも、もしそれが『ファントム』なら?
と言いかけたが口をつぐむリジー。ウィズも分かってはいた。このホシに時々現
れる謎の悪意が形になった様なモヤモヤ、『ファントム』。しばらくこのホシでは
出会っていないがーー。
「………」
そんな様子を、赤みがかった茶髪に緑色の瞳の青年、プランジは何となく見つめ
ていた。
前回夢の中で出会った病気の青年のことを、プランジはおぼろげながら感覚とし
て理解していた。それはこのホシでの「死」にまつわること。でもそれはただ哀し
いだけのことじゃないーーそんな感じだった。
唯一繋がった女性、ファイがいなくなった時のことと、それは繋がる。
あれから時を経て、少しは元気を取り戻してきてはいるプランジだった。
「…よっ」
プランジは走り出し、側の彫刻と壁でパパッと三角飛びからムーンサルトを決め
てみせた。
「おー」
「元気だね」
茶化すリジーとウィズ。二人も、そんなプランジの変化に少し安堵している様だ
った。
そんな午後の一時。
「!!」
三人は、感じ取った。それは、このホシに時々落ちる隕石の気配。中でも、緑色
の光ーープランジが『ヒュー』と名付けた不思議な光を伴った隕石は、時にこのホ
シに誰かを連れて来る。
それまではプランジだけがその気配を感じ取ることが出来ていたのだが、今では
リジーやウィズも同様に感じる様になっていた。
「あっちだ!」
プランジがさす方向を、ウィズは既に睨んで計測していた。
「3・2・1…」
地平線辺りに凄まじい勢いの隕石が落下し、ホシを揺らせた。かなりの量の土砂
が舞い上がり、噴煙は空を覆いつつあった。
「行ってみよう!」
「いや待て」
ウィズが制した。
「どうしたの?」
「下手に山火事にでもなるとやっかいだ。それに…」
「に?」
今のところ火災は起きてはいないようだったが、同時にウィズは感じ取っていた。
『ファントム』ーーあのモヤモヤの気配がチラリとあって消えたのだ。
「………」
ウィズはそっとプランジを窺った。プランジも一瞬目を合わせた。プランジも分
かっている様だった。
「ちょっとちょっと」
リジーがグイと顔を寄せた。
「それあたしが気付かないとでも?」
ウィズは苦笑した。
「そうだな」
「ごめんよ」
プランジは屈託無く笑う。
「じゃあーーどうするか」
「とりあえず、装備を整えとくよ」
「俺はしばらく観察しておく」
「了解」
「しばらくぶりの遠出になるかね」
一同はそこで一度散開した。
ネコは、バルコニーに面した窓の内側でいつもの様にそれを見ていた。
* *
ウィズは山火事を心配したが、それは結局起こらなかった。
次の日の朝、装備を整えた一同は隕石の落下地点へと向かった。
例によってウィズが先頭、リジーが中心でプランジがシンガリだった。ウィズは
リジーに残った方が良いと言ったが、リジーは「大丈夫」と言って聞かなかった。
実のところはジャングルからヘビやら何やらーーあるいは老人の時のあんなデカい
虫とか?出て来たら自分一人じゃ手に負えないな、と思っただけだった。
ネコは流石にバルコニー脇の窓から動かなかった。
「すぐ帰って来るから」
と言いつつ、プランジは数日分のカリカリと水を出しておいた。ネコは日を浴び
て目を細めながら一同を見送っていた。
隕石の落下地点までは半日で着いた。
「ほぉー」
「結構大きいね」
「……」
巨大なクレーターの縁に立った一同。その穂先は長く数キロに及んでいる。
ウィズは、油断無く辺りを探っていた。
何かが、いるーー。
プランジにチラと視線を送ると、そっと頷いた。
ウィズは姿勢を低くしてライフルを構え見当をつけてスコープ越しにアチコチを
覗いた。もしも此処を狙撃するならこの辺りーーだが現時点では何も感じ取れなか
った。まぁ、相手があの『ファントム』ならこんなことをしても意味は無いのだが、
とウィズは自分を客観的に観て苦笑した。
「移動しよう」
開けた場所から早々に離れた一同は、少し離れた木立の中で休息を取った。
ジャングルの中はやはり静かだった。本来ならば鳥や虫や小動物の動きで騒がし
い程な筈の場所だ。
「やはりな………」
ウィズは独り言ちた。
初めてこのホシに来て、最初に見たあの老人の森もそうだった。リジーは心配し
ていたが、やはりこのホシには自分たち以外の動物はいないのではないかーー?久
しぶりに、このホシの奇妙さに触れた感じだった。いや、日々奇妙なことは起こっ
ているのだが、いつの間にかそれに慣れてしまっていた部分はあるだろう。
「はいよ」
リジーが早速キャンプメシを作っていた。今回はこの間見つけたアルファ米に缶
詰のサバを乗せたものだった。
「わ、美味しそう」
「まぁね…ウィズも」
「あぁ」
ウィズは受け取って立ったまま辺りを警戒しながら食した。
相変わらず、生命反応は微弱なものが数キロ程先にあるだけだ。しかもそれは『
ファントム』の様なそうでないような、妙な嫌悪感を抱かせる。
「………」
ウィズは空を見上げた。後数時間で日が落ちるだろう。夜は一番スナイパーが動
く時間だ。
「……!」
いかん、とウィズは苦笑した。このジャングルはどうしても戦場を思い出す。ま
だ相手がスナイパーだと決まった訳では無いのにーー。
「結局、誰かいる訳」
「ん」
リジーが努めて明るく聞いた。プランジが先に何となく答える。
「うーん、分からない」
「ウィズは?」
ウィズはどう言おうか少し考えてから答えた。
「あぁ、よく分からない気配が遠くにいるだけだ」
「へぇ」
「さて、どうするか」
「どうとは?」
「下手に近づいてもな……とにかく今日は様子見かな」
「…了解」
一同は少し移動して、岩の影に今夜の宿を決めた。プランジが簡易テントを立て、
ウィズは辺りを取り囲む様に少しセンサーを仕掛けていた。大掛かりなものではな
い。それに触れれば、ウィズは先に反応出来ると言った程度のものだった。
やがて日が暮れた。
リジーはまたゴハンを作り、プランジはしばらく木の上でパルクールなどしてい
た。そして一同は休息に入り、ウィズも浅い眠りの中離れたところにある微弱な反
応を追っていた。それは、相変わらず離れたまま動かない様だった。
ウィズは体を休ませながら考える。
前にこうして敵を待っていたのは、いつの話だったろうか。前に霧の中のジャン
グルで出会ったのはーーそう、『ファントム』の様なモヤモヤとした実体のない人
型の様な物体だった。それは、それまでほぼ無敵だったウィズを翻弄し、ウィズの
左目を奪い取った。あの時の絶望感は、体が覚えていた。それを思い出すのは久し
ぶりだった。
その時、一瞬フッと意識が途切れた。
「!!」
ウィズはハッと目を見開いた。左目のセンサーが何かを捕えた。
既に近くにいる!あの微弱な反応は既に数百メートルに近づいていた。ウィズは
ザッとライフルを構えた。何故だ?何故こんな近くになるまで気付かなかった?そ
の時、
「ウィズ!」
リジーが叫び、振り向くと特殊な銃声が二発聞こえた。リジーのリボルバーだっ
た。
「!!」
その先で小さなモヤモヤっぽいものが一瞬見えて散った。
「あれは……!」
『ファントム』…なのか?
ウィズはハッとしてライフルを構え直した。先程近くにいたと思った反応は既に
遠くになっていた。
「え、何?」
プランジがようやく起き出した様だった。
ウィズは警戒しつつ、構えたままのリジーのリボルバーに手をかけて下ろした。
リジーは肩で息をしていた。
「悪い、少し油断した」
「……おっかなかった」
ようやく肩の力を抜いたリジー。
「見せてみな」
「あ、ああ」
リジーのリボルバーを受け取り、シリンダーを開けてみるウィズ。そこには前に
見たのと同じ二発の特殊弾しか入っておらず、勿論二つとも発射されていた。
「この弾、結局何だったっけ?」
「…忘れた。結構昔に買ったから」
「……」
よく発射出来たものだ、とウィズは思った。だがあの時のリジーの反射神経と割
と正確な射撃は、少しは訓練されているな、と言った印象だった。まだ知らない一
面も、当然あるのだ。
だが、これで弾は無くなった。今時リボルバーの弾などウィズは持っていなかっ
た。
「イエに帰れば、あるいは何発か作れるかもしれないが……」
「そだね、咄嗟だったから」
「いや、助かった」
プランジは辺りを歩き回っていた。特に何も見つからなかった様だ。
「…どうしよっか」
「明日の朝、イエに向かおう。誰かがホシに来たのかもしれないが、今は少し危険
だ」
「ん」
珍しくプランジはそれ以上深追いしようとはしなかった。
* *
そのスナイパーは、戦場でロストしていた。
霧の中のジャングルで単独行動をしていたが、ある時方向感覚を失った。
それはもう何度目かのことで、彼は何処かで諦めていた。もう、部隊に帰ること
は無いのだーー。もはや標的を仕留めたのかそれともまだなのかすらよく分からな
くなっていた。それでも、ジャングルの中で彼は生き延びていた。残り少ない十数
発のライフル弾を温存して、ナイフと拳銃だけで獲物を捕って生活を続けた。長い
スナイパー生活で身に付けた気配を消す作業は、動物に対しても割と有効だった。
無限に続く様なジャングルは常人を狂わせるに十分だったが、彼は何処か冷静だっ
た。
今日もスナイパーはギリースーツに身を包み、一時間に数センチという速度でゆ
っくりと辺りを感じ取りながら移動していた。こうしていると、時々自分が葉っぱ
になってしまう様な感覚が訪れる。かつて、「植物の様だな」と上官に言われたこ
とがあったっけ。それももう遥か昔のことだった。
スナイパーは、大柄で無骨な顔立ちをしていた。大抵の女性には敬遠され、孤独
な青春時代を送った。入った軍では上官に一旦は見込まれ、前線で猛威を振るう様
な屈強な兵士になることを期待されたが、生来の気の弱さが災いし脱落した。だが
彼はスナイパーとしてはかなり適性を有していた。射撃は卓越していたし、何より
ある種の勘が良かった。生死を分ける一瞬の判断の際に感じ取る何かが、人とは少
し違っていた。人はそれを、「死の匂い」に敏感なのだ、と言った。彼にはその意
味がよく分からなかったが、お陰で彼は戦友が次々に消えていく幾多の戦場を何故
か生き延びていた。だがやはり彼はずっと孤独だった。
スナイパーは四十代になった。特に大きな負傷もなく戦果を上げ続けた彼はそれ
でも特に昇進することもなく、スナイパーであり続けた。その功績を尊敬するもの
もいたが、スナイパー本人と深く付き合う人間はいなかった。上官にも煙たがられ
ていた。なので彼は常に一人で現場に出続けていた。この時代、ポイントマンを付
ける制度はとうに無くなっていた。摩天楼の上、砂漠の中、険しい山岳地帯ーーあ
りとあらゆる場所で、彼はスナイプを行い、成功していった。
そんな中で、彼は不思議な感覚を覚える様になった。時々、方向感覚がずれる。
自分がいる場所が何処か妙な違和感を伴って感じられる。それで何度か行方不明に
なりかけたことがあった。何とか戻れはしたものの、スナイパーはそれを誰にも言
わず一人恐れた。
そして最後の日。そこは霧の中のジャングルだった。入った時から、彼は何かを
感じていた。ーー何だろう、この懐かしい感じと奇妙な不安感は?果たして、それ
は現実のものとなった。いつの間にか方向感覚を失い、通信も途絶え、自分の居場
所さえ分からない。
完全に彼は孤立していた。
* *
次の日の朝。
プランジたちはイエを目指そうとしたが、見えている筈のイエの先端は夜のうち
に無くなっていた。
「あらー」
「マジかよ」
「また?」
いつもの展開に呆れる一同。
「食料は?」
「その辺は大丈夫だが…」
「ね…」
プランジとウィズはそっと顔を見合わせた。
「だーかーらー」
リジーが二人に詰め寄る。
「あたしだけ除け者にすんなって」
プランジは屈託無く笑った。
「そう言う訳じゃないよ」
「そうそう」
「リジーは守らなきゃ、って話」
「あん?」
リジーは眉を上げてウィズの方を見る。
「そうそう」
ウィズは素知らぬ顔だった。
「…イマイチ信用出来ない」
「あ、やっぱり?」
「お前が言うなって」
プランジがおどけてウィズが突っ込むいつもの感じだった。リジーはやれやれと
肩の力を抜いた。
「ま、そういうことにしとくか……で?」
ウィズは真剣な顔に戻った。
「少し移動して、体勢を整えよう」
そこから少し離れたジャングルの中で、一同は陣を張った。
隠れやすく退路も確保した場所で、荷物置き場を中心に昨日よりも少し大掛かり
な警戒網を作ろうとしていた。最も、昨日のあのモヤモヤはそれをかいくぐった訳
で、対人、対生物用のこの警戒網が果たしてどれだけ有効なのかは分からなかった。
「……」
それにしてもーーウィズは作業をしながらも考えていた。
昨日のあの小さなモヤモヤを何とか撃退はしたあのリジーの弾丸は、一体何だっ
たのだろうか?あの後シリンダーに残された薬莢を調べたが、普通の火薬の反応し
か出なかった。以前リボルバーを観た時も、特別な何かは無かったと思う。だがあ
の時撃ち出された弾丸は、普通とは違う何かがあった様な気がする。でなければ、
小さかったとはいえあの『ファントム』らしきモヤモヤは撃退出来ないだろう。リ
ジーは何処で買ったのかも覚えていないというが、それ自体はかなり眉唾だし…と
ウィズは思った。
「………」
同時に、ウィズはかつてこんなジャングルで出会った敵のスナイパーのことを思
い出していた。ウィズは3日かけてジャングルを踏破し、標的を仕留めたその帰り
だった。突然現れたその気配は、当時のウィズをかなり驚かせた。敵が追撃して来
たのか、それとも同じ標的を目指した別口のスナイパーだったのか、それは分から
ない。その時は、お互いに撃つことは無かった。数キロ離れたまま、お互いが撃て
る位置に移動しようと数日静かな闘いを繰り広げたが、結局ウィズが先にじれて逃
走を果たし、それ以降は遭遇することは無かった。ウィズが左目を失うことになる
のは、その一ヶ月後の出来事だった様に思う。
ようやく今、それと今の状況が少し繋がった様な気がした。当時の『ファントム』
らしきモヤモヤが、あの時のアイツの真の姿であったなら。今この先にいるのもー
ー。
ウィズは油断無く辺りの気配を窺いつつ、そっとプランジたちに目をやった。
自分一人なら最悪死ぬだけだが、彼らはどうするか。
…守らなきゃ、な……。
リジーは、食料を含めた荷物の整理に余念が無かった。
自分は特に遠くの敵の気配を感じることなど出来ない。唯一の武器であったリボ
ルバーも弾が尽きた。後は自分はーーせめて足手まといにならない様にしなくちゃ。
そう思っていた。
ふと、それでも身につけているリボルバーを手に取ってみる。子供がいなくなっ
てから、強くなろうと思って習い始めた銃。というより、何かにすがっていないと
どうしようも無かったあの頃の象徴の様なものだった。そこまで本格的な訓練では
無かったが、一番手にしっくり来たのがこの旧式のリボルバーだった。それ以来、
ずっとこいつと過ごして来た気がする。やがて全てが無になって、あのフネに乗っ
た時でさえ。
「………?」
リジーはふと考えた。
そう言えば、何故二発だけ弾を残しておいたのだろうか。一つは自分用だったの
だろう。もう一つはーー?よく思い出せなかった。勿論、このホシに来ていつの間
にかそういう感情は無くなってはいたものの。
「………」
リジーは少し眺めてから、また気を取り直して作業に戻った。
プランジは、もう一度木に登って辺りを確認していた。
ウィズに言われていたのでそう開けた場所には出ずに、木の枝越しに辺りを窺う。
先はずっとジャングルが続いていた。
ーー何だろう。ハッキリとしたあのモヤモヤ『ファントム』の気配ではない。う
っすらとした、それでも気持ち違う、何か。それは昨晩リジーが何かを打ち破った
時にも感じた。いつもの絶対的な悪意、というとは少し違う。もっと人間ぽいって
いうか。
プランジは、今までの『ファントム』との邂逅を思い出していた。ウィズやリジ
ーと出会ったあのフネで。老人の森や、雨のミチや、病院風に姿を変えたイエで。
他にも何回かは遭遇しているそれは、いつもあのゾワッとした感覚を伴ってやって
来た。では今はーー?それとは少し違うのに、今は何故こんなに命の危険を感じる
のだろうか。ウィズも、同じ様に感じているのだろうか。いや、ウィズならもっと
対処の仕方を知っているのかな。
「………」
プランジは少し離れた地上でセンサー類を確認しているウィズの背中を見下ろし
た。
ふとウィズも見上げ、こちらを視認して顔を戻したその時だった。
パスッ。
プランジの側の葉っぱが砕けた。
「えっ!」
プランジはバランスを崩しかけたが、咄嗟に木を蹴って下方の枝へと身を翻した。
* *
「!!」
スナイパーはザッと岩陰に身を隠した。
直ぐに相手が撃って来た弾が先程いた場所で弾けた。
「避けた……?」
しかも、これだけ早く正確に撃ち返して来た。かつてこれほどの敵に出会ったこ
とはないーーいや、一度だけあった。それはこんなジャングルでの出来事だった。
謎の敵に相対し、数日ポジションを取ろうとして常に先手を取られ、それでも何故
か消えたヤツがいたっけ。そう言えばあれは初めて自分がロストしかけた時のこと
だった。
スナイパーは即座に移動した。その辺は心得ていた。次のチャンスが、もしある
のなら、あの時のリベンジをしたいものだーーそう思いながら、シルエットを出さ
ない様に彼は距離を取った。
スコープの向こうにいた恐ろしいアイツは、一体どんなやつだったのか。
* *
「プランジ!」
撃ち返したウィズは身を低くしたまま移動し、プランジの方へ背中越しに声をか
けた。
「だ…大丈夫」
「かすっただけみたい」
リジーは既に合流し介抱している様だ。
「………」
しばらく気配を探ってから、ウィズはプランジたちの元へ戻った。自分があの立
場でもそう深追いはしないだろう。だが、これでハッキリとした。僅かだが銃声が
した。相手は、スナイパーなのだ。
「どうだ」
「少しズレてたら、ヤバかったかもね」
「痛い」
既にリジーが救急パッドを貼っていたが、スキャンして見るとプランジの左脇腹
を銃弾が掠めていた。いや、本当に銃弾だったのかすら定かではないがーー高速の
物体が側を突き抜けた感じの傷があった。アバラにも数本ヒビが入っていた。
「………」
どうやら命に別状は無さそうだった。ーーしかし。
「これ…避けたのか?」
ウィズは呟く様に言った。
「え」
「そうなの?」
「いや、何となくだが」
「さぁ…よく覚えてない」
プランジなら、それもあるかもしれないーーウィズはそう思っていた。それがな
ければ、恐らく死んでいたのではないだろうか。あれほどのスナイパーが、わざわ
ざ外して撃つとは考えにくかった。
「で、どうする?」
リジーはプランジに包帯を巻きながら言った。
「偵察は続けるが、此処は動かさない方がいい」
近くにこれ以上に迎撃に適した場所も見つかるとは限らなかった。
次は、先に見つけないとーーウィズは神経を尖らせた。
* *
夜になった。冷たい雨が降っていた。
スナイパーは、ギリースーツで隠れたまま浅い眠りについていた。
スコープ越しのあの光景が、脳裏に焼き付いていた。確かに、デジタルスコープ
で寄れるギリギリの映像だった。確かにいつかの標的の一人だった筈。だがその最
後の時、スナイパーは奇妙な違和感を覚えた。これはーー現実なのか?また、自分
は何処かへ飛んだのか?既に何週間も過ごしたこのジャングルは、また姿を変えた
のではないか?スナイパーは少し焦った。指をトリガーから離そうとした時、視界
がぐらりと揺れた様な気がした。ハッとしたその時、スナイパーは思わず発砲して
しまっていた。
「!!」
撃つと同時かそれよりも一瞬前に、目の前の映像は姿を変えた。標的だと見えて
いた男は全く違う若造に、場所も岩陰から木の上へと変わっていた。
「?!何だ?」
しかもその若造は弾が当たった様にも見えたが、直ぐに体勢を立て直して木の下
へと消え、その瞬間発砲があった。あれはーーまさか避けたのだろうか。そしてあ
んな体勢ですぐさま正確に撃ち返して来た。そんな神業が出来る人間が、この世に
いるのだろうか。
そして、いくら動揺したとは言え不用意に発砲するなど、あってはならないこと
だった。
「………」
スナイパーは、ゆっくりと目を開けた。しばらくは寝付けそうになかった。
自分は、スナイパーとしても何処かおかしくなりつつあるーーそれは恐怖だった。
だが彼はそのままじっと動かずにいた。いつの頃からか感じていた、いつかは軍人
としては役に立たなくなる時が来るということ。それがようやく近づいて来ただけ
なのだ、と漠然と思っていた。
その奇妙な冷静さこそが、彼の常だった。
スナイパーは、雨の中でそっと目を閉じた。
* *
プランジは、テント内で少しうなされていた。
ウィズはテント外で少し離れて警戒していた。その場所は木の陰で雨は凌げてい
た。
「少し雑菌が入ったんだろう」
テントの入り口越しにプランジを介抱しているリジーは答える。
「大丈夫なの?」
「抗生物質は打った。後はプランジの体力なら」
ウィズは警戒を解かずに言った。
これだけ長時間、警戒しながら時を過ごすのはそれこそあの時のスナイパー戦以
来だなーーと思っていた。もっとも、今相対しているのがアイツとは限らない。だ
が、同程度の相手であることに変わりはない。
同時に、実際の戦場であれば足手まといの筈の二人がいることが逆に只の神経戦
にならずに済んでいる、時々いい気分転換になるし使命感もあるーーと言うことに
ウィズは今更ながら少々驚きを覚えていた。父親になれば、こういう感じなのだろ
うか。自分には既に無理な話ではあるのだがーーウィズは油断なく気配に気を探り
つつそんなことを考えていた。
リジーは、シェラフにくるまったプランジを介抱しながらも、この緊迫した状況
と一見団欒の様な雰囲気との落差に奇妙な感じを抱いていた。やはりこのホシの為
せる技というか、この組み合わせだからこそ出来ることなのだな、と何処か暖かい
ものを感じながら過ごしていた。
そっと腰のリボルバーに手を添えてみる。もはや実弾は無いが、それでも何処か
自分を守ってくれている様な気がした。この時の為に、自分はこれを購入したのだ
とさえ思えた。
「う…」
プランジが少し呻いた。
「!」
リジーはそっとプランジを覗き込む。乗せていた濡れタオルを外して再び水を含
ませ、少し振って冷やしてからまたプランジの額に乗せる。こんなことも、昔子供
相手によくやったっけ。
「……」
リジーは少し微笑んだ。苦い記憶は不思議と上がって来ず、胸の辺りが少し暖か
い感じだった。ふと目を上げると大木を背にしたウィズと一瞬目があった。ウィズ
は直ぐに外に目を逸らせたが、口元は笑んでいる様に見えた。
プランジは、走っている夢を見ていた。
それはずっと前に一人でネコと暮らしていた頃から観ていた、霧の中の道を走っ
ている夢。今思うと、あれはミチーーイエからホシをぐるりと一周している道だっ
たのだろうか。それともまた別の場所なのだろうか?
ウィズやリジーがこのホシに来た日、一緒に走っていたのはウィズとリジーだっ
たという夢を見た。同時にウィズやリジーも、似た様な夢を見ていたらしい。結局
その後それについて話をすることはあまり無かったがーーこうして年月を重ねてみ
ると、それからホシで観たものーーカメラとか車の残骸とかも、いくつか夢の中の
ミチに転がっていた様だ。いや、夢だからその辺りはどうにでも理屈はつけられる
かーー。
そう言えば、ネコはどうしただろうか。側で走っていた筈だがーーそうか、今は
イエにいる筈だった。カリカリと水はまだ残っているだろうか。
ーー結局、自分たちは何処へ向けて走っているのだろうか。行く先は霧の中でよ
くは見えない。ただその向こうに、明るく光る何かがあるような気がする。
みんなで、走っていくその景色。
そこにファイも、いたらいいのに。
* *
夜が明けた。ジャングルは、霧に包まれていた。
「………!」
プランジは、一人目を覚ました。一瞬目の前の霧が夢の中の霧とごっちゃになっ
て混乱したが、ウィズの小声で我に帰った。
「大丈夫か」
「あ、あぁうん」
額に乗せられていたタオルが落ちた。いつの間にか熱は引いていた。側ではリジ
ーがリボルバーを握ったまま横になって微かに寝息を立てていた。
「ずっと起きてたからな。寝かせとけ」
「ん…」
ありがとう、と口パクだけで言ってプランジはシェラフを出た。姿勢を低くしな
がらそっと近づいていってウィズの隣の木を背にした。
「いるね…」
「あぁ…絶好の霧だ」
自分も何度かこういった自然現象を利用して敵に肉薄したことがある。向こうも
当然動いているだろう。霧のせいか方向ははっきりしないが、昨日よりも強い『フ
ァントム』の様なそうでないような不思議な感覚は遠くにあった。ウィズの身体の
センサーは特に反応はしていなかったが、今はこの肌の感覚の方が正しいだろう。
それよりもーー霧のジャングルは、あの『ファントム』らしき人型のモヤモヤと
出会った時を思い出させる。左目辺りが少しむず痒かった。
「………」
さて、どうするかーー。ウィズは下手に動くことは無い、と思った。そして出来
れば、リジーが起き出す前にケリをつけられれば良いのだろうがーーそうもいかな
いだろう。
プランジは、その隣でそっとストレッチなどしていた。一応木からシルエットが
出ない様気をつけてはいる様だ。そしてそれは次第にウォームアップの様に形を変
えていった。
* *
スナイパーは、霧の中をやはりゆっくりと移動していた。相手に見えないからと
言って油断は禁物だ、ということは長年の軍生活で学んでいた。
それにしても、とスナイパーは思う。このジャングルは、不思議な場所だった。
サーモも生物反応も機器は揃っているのに反応は微弱ではっきりとせず、あまり役
には立たなかった。結局、自分の感覚以外に頼るものは無いのだーーこの数週間で、
スナイパーはそれを学んでいた。ただーー此処数日は、動物も鳥の声もしなくなっ
た。あまりに静かで、これは現実なのかも分からなくなっていた。いよいよ、自分
の最期が近づいて来ているのだろうか。それとも自分はとっくに死んで、魂だけが
此処で彷徨ってでもいるのだろうか。
そしてこの霧のジャングルは、まるであの時ーー謎の相手と神経戦を繰り広げた
時に戻った様だーー。
「……!」
スナイパーはある木の前で止まった。ゆっくりと音も立てずにライフルを取った。
何かが、いるーー。
スナイパーはそっと木陰から目だけで辺りを窺った。
そこには、人型のモヤモヤした物体があった。
* *
「!!」
微かに銃声がした。プランジが飛び出した。
「行って来る」
「プランジ!」
ウィズは小声で叫んだが遅かった。チッ、と思いながら走っていった方のセンサ
ーをオフにした。周りのセンサーって、一カ所だけ切れたりする?と聞かれた直後
だった。
意図は分かる。相手が何を撃っていたにせよ、何かが起きている。チャンスは今。
自分は囮となって走り回り、最後に撃つのはウィズ。いつかの老女の時もそうだっ
たが、プランジは迷いも無くそれを選択する。だが、一応かすり傷とは言え撃たれ
ているのにーーいや、あの老女の時もそうだったか?
ウィズは考えつつも油断はせず銃声の方を含め辺り中に気を配っていた。
プランジは銃声のした辺りへと回り込んでいる筈だ。痛みはあるだろうに、感じ
る足音は力強く、普段と変わりない様に見えた。
「ウィズ……?」
リジーが起きてしまった様だった。
「しっ、そのまま」
ウィズは霧の方から目を離さずに片手で制した。
「……了解」
リジーは姿勢を低くしたまま腹這いになって弾の無いリボルバーを握りしめた。
* *
プランジは走っていた。
霧の中を走っていると、あの夢の中の様な感じがした。命が危ないというのに、
この高揚感は何だろうか。ただ、いつかその霧の先を知りたいとはずっと考えてい
た。
そして一つ、思ったことがある。さっき撃たれた時。無意識に身体が動いた。そ
れはーーそこにいると危ないと、誰かが教えてくれたからじゃないか?もしそうだ
とするとそれは、やはり『ヒュー』…このホシに時々現れるあの緑色の光なんじゃ
ないのか?それは確信に近い感覚だった。
「!!」
プランジは側の木を蹴り急速に向きを変えた。直後にその木に着弾があった。
「…やっぱり…!」
今も、無意識に身体が動いた。勿論、その動きは長年やってきたパルクールのも
のではあったが。
「フッ!」
また弾が来たのを、今度は微妙にコースを変えただけで躱した。何かが、頭の脇
を通過した。
「……」
今のは少しヤバかったーーだが!確実に気配は感じ取れている様だ。
あぁ、これを全て自分の意志で行えたらいいのにーーと思いつつプランジは走っ
た。同時に、撃って来た先の『ファントム』らしき気配はどんどん強くなってくる。
そして位置はじっとしてはいなくて、向こうも時々動きながら撃って来ている様に
見えた。
「……!」
脇腹の痛みはもう感じなかった。
プランジは、霧の中を走り続けた。
* *
スナイパーは、自分が一体どうなっているのか把握出来ないでいた。
スナイパーはもはや移動せず、バイポッドを立てて腹這いになりライフルを構え
ていた。ギリースーツに身を包んだ彼を見分けるのは、熟練の兵士でも困難だった。
だが今、彼の視界からは周りのジャングルは消え、まるで足の長い草原の中にポ
ツリとギリーのまま取り残されている様な感覚に襲われていた。そう、それはーー
幼い頃、かくれんぼで取り残されたままの自分の様だった。そしてその先には、ぼ
んやりとした向かってくる人影が見えている。
「……!」
マキシマムの時にはスナイパーはよくこういった感覚に陥ることはあったが、今
日のそれはいつもとは違っていた。普段ならその状態でも冷静に自分と相手の距離
を測りスナイピング出来るのだが、今は視界が何処かぼやけている。誰かが走って
きているのは分かったが、その姿はボンヤリとしたモヤモヤに包まれている様だっ
た。
「…!!」
スナイパーは目を見張った。
あれは、自分が先程最後に見た、人型のモヤモヤじゃないか?あれはーーそう、
自分を取り込んで、ゾワッとする感覚を自分に与えてーーそれからどうした?
「 !」
スナイパーは何かを叫んで何発か発砲した。それはおよそスナイピングとは言え
ない、とりあえずモヤモヤの方へ、と言った射撃だった。それでも彼の弾道は正確
にそのモヤモヤの方へと向かってはいるものの、弾は全て突き抜けているように見
えた。そしてそのモヤモヤはユラユラとしながら次々に位置を変え、彼を恐怖させ
た。彼はもうその場所から動けなかった。スコープの中に現れる標的を撃つだけの、
指先しか動かない物体の様な気がした。あぁ、こうして自分は植物になっていくの
だーー何故かスナイパーはそう感じた。
* *
「プランジ…」
ウィズは霧の中、全身の神経を研ぎすませて気配を感じ取ろうとしていたが、も
はや霧の中で何が起きているのかは全く分からなかった。微かに銃声の様な音はす
る。走っているプランジの足音や息づかいも。だがその位置はある時は消え、また
別の場所で現れと、刻々と変化していった。
リジーは同じく木を背にしてリボルバーを握りしめていた。
どちらから聴こえてくるのか分からない銃声に、もはやいちいち反応出来ないで
いた。
「………」
リジーはそっとウィズの方を観た。こんな時でも、この男は自分を守ろうとして
いるのだろう。ーーだが。
「ウィズ…」
「何だ」
ウィズは視線を向けずに答えた。
「行って」
チラリと目を動かしたウィズ。
「あたしは、大丈夫」
ウィズはちゃんとリジーの方を見つめた。リジーはリボルバーを握りしめたまま、
真剣な顔で見つめ返した。
「ちゃんと、仕留めて来て」
「………了解」
また、自分はリジーの本当の強さを忘れていたーーウィズはそう思った。もう余
計なことは言わなかった。
「行って来る」
「うん」
ウィズはザッと立ち上がり、霧の中へと走り出した。
リジーは座り込んで、リボルバーを抱きしめた。
ーー大丈夫。今はこれが最善の筈。そう自分に言い聞かせた。
プランジは、走っていた。
あれから何度か弾丸を躱したが、やはりそれは自分のものではない。『ヒュー』
が教えてくれているーーその感覚はやはりある。そして目の前にいる敵はーーやは
り『ファントム』なのだろう。少なくとも『ファントム』が取り付いた何か、には
違いない。
時々、このホシに現れる『悪意』の様なもの。
だがそれは、自分たちが招いたことでもあるのではないか?
プランジはいつの間にか直感でそう思い始めていた。
* *
スナイパーは撃ち続けた。
相変わらずその走っているモヤモヤは手応えが無かった。突き抜けたのか躱した
のかは分からないが、とにかく当たらなかった。そして、それはまっすぐこちらに
向かって来ている!
死の匂い。誰かが言っていた、あの言葉の感じがようやく自分のものとなってヒ
リヒリと感じられていた。だが同時に何処か冷静な自分もいる。それは、もう自分
が植物になり始めているからなのかーー。
残弾はもう残り二発になっていた。スナイパーは目を閉じた。もはや視覚は当て
にならない。これまで通り、感覚で撃つべきだ。そう身体が言っていた。目を閉じ
ると、霧の中で奇妙にグルグルとした周りの状況が流れ込んで来た。自分だけでは
なく、この場所自体が混乱しているーー?その中で、スナイパーは標的を探した。
足音がする。力強く、だが時にビュワッと位置が変わる。これでは当たらない筈だ
ーー出来るだけ、引きつけてーー今度は外さない!
短い間に、無限のやりとりがあった。何かがカチリと音を立てて嵌った様な気が
した。あのモヤモヤの姿が、ハッキリと体感出来た。
「そこだ」
トリガーに力を込めようとしたその時、小さな、しかし猛速の光弾が向かって来
た。
「!!」
そしてトリガーは引かれた。
* *
「リジー?!」
ウィズは横を通り過ぎる光弾に驚いた。方向はおかしかったが、何故かそれはリ
ジーが発したのだと感じていた。それは二度程方向を変え、ある一点に向かって伸
びていた。
「!!」
その先にはプランジがいた。そしてその向こうにいるのはーー!
その少し前、リジーは何故かリボルバーを構えていた。
不思議な感覚だった。弾がーー現れた?それは霧の中で『ヒュー』の気配を感じ
た時だった。握りしめていたリボルバーがボウッと光った様な気がした。
「……?」
リジーがシリンダーを開けると、そこには二発の弾丸がーー既に撃った跡の後部
の傷が、無くなっていた。
「これはーー?」
リジーは霧の中を観た。そして感じた。今、この時の為に、あたしはこの弾を手
に入れたのだと。リジーはシリンダーを閉じた。さっきから気になっているあの一
点。今はそこがハッキリと感じ取れた。あそこに、この一撃をーー。
そして、リジーは撃った。
「!!」
プランジは走りつつ迫り来る弾丸に反応していたが、今回の弾丸は避けられそう
になかった。プランジの全身が逆立っていた。
それは一瞬の出来事だった。いつの間にか手にしていたノミでせめて弾こうとプ
ランジは手を振るった。だがライフル弾は恐らくそれをも撃ち抜くだろう。その弾
は自分をーー少しでもコースさえ変えられたならーーと思ったその瞬間、目の前で
弾丸は後ろから来た黄色い光の弾とぶつかって火花を上げた。プランジはその光弾
が、自分を突き抜けて迫り来る弾丸に当たった様に思った。
「!!」
そのまばゆい光は一瞬緑色に変わり、辺りを照らし出した。
そしてプランジは、その先に『ファントム』の姿を見た。
「!?!」
スナイパーはそれを目撃した。その光は一瞬スナイパーのスコープ内を覆い、次
に見えた時には向かって来ている筈のモヤモヤは消え、代わりに走っている青年が
ハッキリと見えていた。あの時自分の弾を避けた青年に間違い無い。彼は、明らか
にこちらを視認している。
「あれは!?」
標的ではない?スナイパーは一瞬混乱したが、ラストの弾丸を撃ち込むことにし
ていた。
だがスナイパーは別の気配を感じた。それは走っている青年の向こう、狙撃手だ
!
やられた、と感じる間もなくスナイパーは全身に衝撃を感じた。あぁーーこれこ
そ間違い無く、死の匂いだーー皆が言っていたのは本当はこれかーースナイパーは
そう思った。だがそれは絶望ではなかった。そうだ、ようやくかくれんぼで見つけ
てもらえたのだーースナイパーはゆっくりと目を閉じた。
* *
霧は晴れた。
プランジとウィズはスナイパーのいたであろう地点を見つけたが、そこには木の
根に絡み付いた古ぼけたライフルがあるだけだった。ただ、ごく最近に何発も発砲
した形跡はあった。残弾が一つだけあった。
「ここにいたーーんだよね」
「あぁ」
「またこのホシで、人が死んだのかな」
「さぁな…」
手応えはあった。だがーー。ウィズは木の根の太い部分に着弾があるのに気付い
ていた。恐らくプランジも気付いているだろう。これは、あのスナイパーがーーと
は思ったが、それを口にはしなかった。
スナイパーに打ち込んだ時ーー離れてはいたが、その瞬間だけ、ハッキリとその
顔が見えた様な気がした。大柄で無骨な歴戦の兵士の、そして長年孤独と付き合っ
た男の顔だった。ウィズは直感した。あのジャングルで見えない神経戦を行ったの
はコイツだ。あれからお互い色々あってーー出会う場所が違えば、酒を酌み交わす
ことも出来ただろうに。自分たちだけしか出来ない話が山ほどあっただろうにーー。
プランジは、最後の瞬間を思い出していた。
あの光に照らし出された人型のモヤモヤ、『ファントム』。アイツはまっすぐこ
ちらを観ていた。そして、あのスナイパーの姿を残して消えた。果たしてアイツに
は、意思があるのだろうかーー。そしてアイツがいなければ、自分たちは撃ち合わ
ずにすんだのではないか?
辺りにはもう人の気配も『ファントム』の気配も無い。いつの間にか遠くにはイ
エの先が見えていた。
二人はリジーの元に戻った。
リジーはリボルバーを握ったまま気絶していた。撃った跡から観て、相当の反動
があって後ろに飛ばされ木の根で頭を打ったのだろう、とウィズは判断した。
「リジー大丈夫?」
「あぁ、コブが出来てるだけだ」
「ならいいけど……」
二人は幸せそうに寝ているリジーを見下ろした。
「あの時…助かったよね」
「あぁ」
ウィズはリジーのリボルバーのシリンダーを開けて見た。
昨晩と同じ状態、二発の撃ち終わった弾丸があった。
「…やっぱりな」
「分からないんだ」
「いつものことだ」
「また、現れるのかな」
苦笑する二人。
「ん、んー」
リジーがようやく起き出した。
「リジー?」
「調子は」
「んー、頭痛い」
「だろうね」
「とにかく、助かった」
「あ?あぁ…なら良かった」
微笑むリジー。
思い出して、シリンダーを開けてみる。
「あれ……」
「元に戻ってるだろ」
「新しい弾、二発あって一発撃ったんだけど」
「二発?」
「そう。一発残って無いんだ…」
「…?」
顔を見合わせるウィズとプランジ。
やがてリジーに笑顔が浮かんだ。
「そっか……」
リジーは悟った。意味なんて無い。残った一発になんて。何となく、残った二発
だったのだ。それにいつまでも囚われていても、仕方が無い。そういうことだった
のだ。
そしてまたいつか、新しい弾が現れることもあるだろう。
「………」
深い笑顔を浮かべたリジーを、男二人はしばし眺めた。そして、
「さて、帰るか」
「イエも現れたしね」
ウィズが立ち上がった。
リジーはプランジが支えて立たせた。
「………」
ウィズはリジーの顔をジッと見つめた。
「……何?」
「いや、…ありがとう」
「……?」
ウィズは少し笑って、ザックを持ち上げたところで気がついた。
「そういやセンサー、片付けないと」
「あ、そうだね」
「リジーは少し休んでろ」
「じゃあ立たせないでよ」
「ゴメンゴメン」
プランジは再びリジーを座らせる。
出て行こうとする二人にリジーは声をかけた。
「ちゃんと帰って来てよ」
「……」
イタズラっぽく笑うリジーに、男二人は微笑み返した。
「あぁ」
* *
今回もネコは、バルコニーでずっとホシの様子を観ていた。
ネコが名付けた『ヒュー』ーープランジが名付けた緑の光ではなく、ネコにしか
見えない小さな光の幼いプランジの姿をした何かーーが現れたのは、あの隕石が落
ちた時だった。既にジャングルで覆われていたホシはその時ビュワッと揺れた気が
したが、ネコ以外の人間たちは気付かなかった様だった。プランジたちが落下地点
へ捜索に出かけた後、ネコはいつもの様に小さなプランジ『ヒュー』と一緒にホシ
を眺めた。『ヒュー』と一緒にいると、肉眼では見えないホシの裏側やプランジた
ちの様子が手に取るように感じ取ることが出来る。今回このホシにやって来たのは、
一人のスナイパーだった。やってきたと言うよりも、スナイパーが彷徨っていたジ
ャングルがこのホシと繋がった、と言った感じだった。スナイパーは憔悴し、少し
現実感が無くなっている様だった。だがその行動はしっかりとしていて、まだ自分
を律してもいる。やがて訪れるであろう死をも受け入れる覚悟がある様だった。
その様子がある時、少し変化した。それはあの小さなモヤモヤーープランジたち
が『ファントム』と呼んでいるあの悪意の様なものがホシに現れた影響だったのだ
ろうか。それは何処からともなく現れ、スナイパーやプランジたちの周りを周回し
ていた。スナイパーやウィズたちはお互いの気配に気付き、警戒し始める。だがそ
れは本来の気配ではなく、お互いの周りにいる『ファントム』の影響を受けたそれ
だった。一度リジーがその存在を視覚で認識し、リボルバーで撃ったがそれは消え
た訳では無かった。それよりも、弾を撃ち尽くしたリジーの不安や他の二人の心の
中の後悔や恐怖といった負の感情が、より『ファントム』に力を与えている様だっ
た。スナイパーの方も同様で、自分以外の人間に遭遇したにも拘らず、何故か救助
を求めるのではなくプランジたちを敵と認識している様だった。『ファントム』の
せいなのか三人いるプランジたちを一人と認識している様で、そのスコープごしの
姿も違ったものに見えている様だった。
ネコは、それを伝えたいと思ったが術が無い。横にいる『ヒュー』を観ても、そ
の幼い表情は興味深そうにホシの様子を観ているだけだった。やがてスナイパーと
プランジたちは相対し、プランジが一度撃たれた。ネコはハッとしたが、プランジ
はギリギリで避けている様だった。スナイパーはそれを恐怖に感じ、更に『ファン
トム』の勢いが増した様に見えた。一方ウィズたちは、体勢を整えつつ撃たれたプ
ランジの介抱をしていた。だがそこは、『ファントム』に影響を受けた不安に駆ら
れてばかりというよりは何処か温かさが支配していた。ネコはそれをいつものイエ
の感じだと思った。あぁ、この三人はいつの間にかそういう雰囲気になっていたの
だっけ、とネコは目を細めた。隣の『ヒュー』も笑顔を見せていた。
次の日、霧の中で再び彼らは遭敵した。ジリジリと距離を縮めていく一同。その
最中、スナイパーは人型のモヤモヤ『ファントム』に出くわしていた。ネコも人型
のそれを観るのは初めてだった。それに意思があるのかどうかは分からない。だが
それはスナイパーを取り込み、プランジたちに相対しようとしていた。距離を取っ
た銃撃戦になり、プランジはいつもの様に飛び出していた。スナイパーは歪む視界
の中でプランジを撃ち、プランジはそれを何度か避けていた。そのうちネコは気付
いた。あのプランジとて高速で飛んで来る弾丸を見切って避けたりは出来ない筈。
避ける時のあの煌めきは、プランジが名付けたあの緑色の光ーー『ヒュー』のもの
なのではないか?これは『ファントム』と『ヒュー』の代理戦争なのではないか?
そしてその『ヒュー』と自分の隣にいるこの幼児のプランジの形をした『ヒュー』
との関係はーー?それこそ、ずっとネコが知りたかったことでーーネコは横にいる
『ヒュー』を観た。『ヒュー』は目を丸くして乗り出して観ていた。そして口をす
ぼめてヒュッとやった瞬間、ホシはまたビュワッと揺れた。ネコは目を見張った。
その時、リジーのリボルバーに新しい弾が現れた。リジーはそれを撃ち、直撃コー
スだったスナイパーの弾丸はプランジの直前でリジーの光弾に弾かれ、その煌めく
光はウィズにスナイパーへの道筋を作った。その時、『ファントム』は叫びを上げ
る様な顔をして消え、スナイパーはウィズとプランジの姿を見た。その満たされた
様な表情は、ネコの脳裏に焼き付いた。
撃たれたスナイパーは、古い木になった。それは昔から本人が何処かで望んでい
たことだった。やがてその辺りの木々自体も、いつの間にか何処かへ消えて元のジ
ャングルの姿に戻った。
ネコは思った。あの『ファントム』という存在は何なのだろう。それはやはり、
このホシにいる誰かの、不安や恐怖といった負の感情に巣食った何か、それが形に
なったもの…ではあるのだろう。このホシだからこそ現れる、確かな脅威。今回も、
『ヒュー』…あの緑色の光の何かが力を貸さなければ、一同は死んでいたかも知れ
ない。でも結局、プランジたちそれぞれが何処かで負の感情をお互いで補完して飲
み込まれなかったからこそ、切り抜けられたということだったのではないだろうか。
それこそが、あの『ファントム』に対抗する術なのではないだろうか。そう思いな
がらネコが隣を向くと、『ヒュー』はちょうど無邪気に笑いながら消えていくとこ
ろだった。
ネコはそれを名残惜しそうに見送ってから霧の晴れたジャングルを観た。
ジャングルの緑は、空の蒼とクッキリとしたコントラストを作り出していた。
ネコは、大きく口を開けてクアアと欠伸をした。
プランジたちが帰って来る。そうそう、カリカリももう少なくなっていたっけ。
思い出してネコは、ベランダ脇の手すりから皿の方へタタッと降りて行った。




