10「Whale」
今回、ホシは全て海です。海中でのお話です。
そこにやってくるのは少女とクジラ。結構好きな話です。
その日、ホシは海だった。
何故そうなったのかは分からない。
理由や理屈を探しても、この小さなホシでは見つかりようが無かった。
ココは、そういうホシだった。
水はプランジ・ウィズ・リジー・ネコが暮らす塔、通称イエの3階辺りまで来て
いて、それ以外は見渡す限り海面が広がっていた。
ウィズは浸水を心配したが、調べて見ると各箇所にシャッターが降りていて見事
にシールされていた。イエは、こういうコトも想定して作られているらしい。2階
にあるそれぞれの部屋も、浸水をまぬがれていた。
リジーはいつものことに呆れたが、取り合えず1階にあるリビングの外はもう海
中なので、皿などを例の3階にある見晴らしのいい部屋に移動させていた。
その部屋の外はゴツゴツとしたバルコニーになっていてアチコチにプランジが作
った彫刻が立っていたが、その先には波打ち際が広がっていた。
「………」
リジーは外を眺める。素晴らしく晴れた青空で、下が砂浜でないことを除けば何
処かのリゾート地でもあるかの様だった。
ネコは日当たりのいい窓際のベンチに陣取って寝そべっていた。
リジーはふと、彫刻が僅かに動いた様な気がして目を凝らした。
「………?」
それは逆光の中、海から上がって来たプランジだった。
上半身裸で、這った筋肉の上の水シブキがキレイに光を反射させていた。
リジーは側のパネルを操作して窓を開けた。
「プランジ!何してんの?!」
「……あぁ」
プランジは肩で息をしながら笑って手を上げた。
「ちょっと潜ってみたんだけど」
既にシャワーを浴びてきたプランジはブランチの席で言った。
「イエの根元の岩盤だけど、イエが立ってるトコ以外は切り立った崖になってて、
ずっと深いみたいなんだ」
「どの位潜ったの」
「50メートル位かな……まだまだあるみたいだった」
「ソレちょっとじゃないし」
「そんだけ潜れれば大したモンだな」
相変わらずの体力にウィズは舌を巻きながらその日のブランチのインドカレーを
ホウばった。
「……何処まで行っても底は無くて、反対側に出たりして」
リジーがイタズラっぽく笑った。
この間の赤ん坊騒動からしばらく経ったが、その後リジーに沈んだ様子は無かっ
た。
「…あるかも!」
「理屈的には無いけど、な」
「このホシじゃあね~」
話は何となくソコで終わったが、一同はそれぞれ無い話ではないな、などと思っ
ていた。
その日の午後、ウィズは永遠の部屋に、リジーは洗濯に、そしてプランジはーー
また泳いでいた。
今までイエが水に浸かったコトは何度かあったが、実は海は初めてだったと思う。
その独特の塩加減、水の中で目を開いた時のピリピリさ、そして水の濃さ、重さ
ーー全てがプランジには新鮮だった。
しばらくして、泳ぎ疲れたプランジはゆっくりと仰向けになり水の上に浮かんで
いた。
「………」
そう、この浮遊感も、淡水の時とは違う感じだった。
プランジは、久しぶりにゆったりと、何かが解放されて行く様な気がしていた。
手に、何かが当たった様な気がした。
「……?」
少し振り向いたが、何も見えなかった。
プランジは少し目をパチクリさせてから、また上空に目線を戻した。
パチャッと水音がした。
ーー魚?
いや、今まで図鑑や映像以外で見たことは無かったーーハズ。
プランジは立ち泳ぎになり、辺りを見回した。
ーー空と海面以外、何も見えなかった。
アレ、イエは?
と思った時だった。
プランジの側から大きなヒレが上がり、プランジの頭上を越えた。
「!!」
プランジが水中を見下ろすとーー側には、数メートルの小さめのクジラがいた。
プランジはゾワッとした。
図鑑や映像で、そんなにキケンは無いらしいというコトは頭にあったが、いざ自
分よりこんなに大きな生物がこんなに間近に現れると、ヤハリ本能的な恐怖が勝っ
た。
ーーとはいえ、その小クジラは何をするでも無く、プランジの周りをゆったりと
泳いでいた。
「…やあ」
やがてプランジは落ち着いて、小クジラに話しかけた。
それはキラキラした太陽が空に漂う、午後の話だった。
気がつくと、プランジは3階の窓際のベンチに寝かされていた。
「……あ?」
プランジはユックリと起き上がって辺りを見回した。
既に日は落ちかけている。
「あ、起きた。ウィズ~」
ウィズは永遠の部屋から持って来た荷物をサバいていたが、首だけでプランジを
見やった。
「ドザエモンかと思ったぞ」
「何ソレ」
「溺死体ーーのスラングだ」
プランジはまだボウッとしていた。
足元では丸くなっていたネコが眠そうに少し顔を上げて見た。
「……クジラ」
「あん?」
プランジはハッとして二人を向いた。
「クジラだよ!今回来たのは!」
ウィズとリジーは顔を見合わせる。
「って言うかーー」
「その子じゃなくて?」
「”え」
リジーが指し示す方を見るとーー小さなサモア系の10歳位の女の子が、プラン
ジの背中側に少し離れて座っていた。
「うわぁ」
プランジは驚いて後ずさった。
「?」
女の子は民族衣装っぽいワンピースで、食事を終えたのであろう皿とスプーンを
持ってキョトンとしていた。
「いつも通り隕石が落ちた後その辺にいたけど?」
「お前もツナミにあったろ」
「え、えっとーー?」
プランジは本当に覚えていなかった。
小クジラに触れたトコロまでは覚えてるんだけど。
ツナミとか『ヒュー』の隕石とかはーー全く覚えが無い。
今までそんなことは無かったーーハズ。
……やっぱり、このホシの、何かが変わろうとしているのだろうか。
プランジは、少女を見た。
「 」
「ん?」
少女は何かの言語を口にした。
どうやら言葉は通じない様だった。
ウィズも知らない言語だったらしく、リジーもボグィーランゲージでスープを与
えたらしい。
だが人見しりしない子の様で、プランジが見ているとフッと笑いかけた。
「………」
プランジも力が抜けた様に、少し笑った。
その日、眠りについた少女はリジーの部屋で一緒に寝ることになった。
次の日、叫び声でリジーは飛び起きた。
「な、何?!」
側に寝ていた女の子は窓の方を見て絶叫していた。
「どしたの?大丈夫だよ!」
リジーは優しく抱きかかえつつ窓の外を見たが、何も無かった。
朝の光が差し込んだ、数メートルの深さの海中の景色が見えているだけだった。
「どうした」
起き出して来たウィズとプランジが戸口で顔を出した。
何事かと起き出したネコも遠巻きに見ていた。
「いやーー恐い夢でも見たのかな」
ようやく絶叫が止まった少女は、ハアハア肩で息をしていた。
ウィズは広い赤い部屋を見回しながらベッドまで歩いて来た。
「やっぱこの色が寝覚め悪いんじゃないか」
「…アタシは毎日ココで起きてますが?」
プランジは窓に寄ってガラス越しに辺りを見回していた。
「何かいたのかな」
「あん?」
「昨日のクジラとかさ」
「まだ言ってんの」
「ホントに居たと思うんだよな~」
プランジは言いながら少女を見た。
本当に、何かを恐れている様だった。
その日は、みんな静かに過ごした。
少女は怖がって波打ち際には近づかなかったが、その割りに外に出たがったので、
プランジは3階のバルコニー……今は海に面した岩場の様なトコロで、彫刻とか絵
を一緒にやったりしていた。
一度リジーが少女のワンピースを洗おうとしたが、イヤがったのでそのままにし
てあった。
「プラジ!」
「プ・ラ・ン・ジ。で、君は?」
「ーーー?」
少女はプランジの名前は大体理解した様だが、相変わらず自分のコトは思い出せ
ないらしかった。
「……どう思う?」
室内からその様子を見ていたリジーはそっとウィズに尋ねる。
「どうとは」
「あの子とプランジが言うクジラ、同時に二人来たんだと思う?」
「さぁ……本当なら確かに今までとは違うが、ホシだし、な」
「ねぇ」
二人は顔を見合わせたが、どっちにしろ結論は出なさそうだった。
静かな波が、いつまでも繰り返しイエの3階のバルコニー部を洗っていた。
その日の晩、少女はプランジの部屋で一緒に寝ることになった。
そして次の日起きると、そこは砂浜だった。
「”あぁ?」
リジーは流石に呆れた。
目覚めると、そこはイエではなく砂浜から少し上がった所のヤシの木の根元だっ
た。
何故か側にいたネコも眠そうに目をシバシバさせていた。
「……マジかよ」
ウィズも少し離れた根元から起き上がって来た。いつも枕元に置いてあるライフ
ルは無事だったらしく肩にかけていた。
「どうするの、コレ」
「さぁな……」
「うわ~」
プランジも少女の手を引いてやって来た。
少女もフシギそうに辺りを見回している。だがその表情はどこか明るかった。
イエはどこにも無く、イエのサイズの珊瑚礁的な島があるだけだった。
「こう来るか」
「全くねーーあ!」
リジーは思いついた様に辺りを見回した。
「あぁ、良かった。缶詰とかは残ってた」
前日3階に移した食料他の荷物は一応残っていた。
リジーは取り合えず朝食の用意を始めた。
「さてーーどうするか?」
残された3人はスッカリ変わった景色を眺めた。
相変わらずの良い天気だった。
昨日までと違って、ちゃんとしたリゾートーーと言うか無人島?と言った体だっ
た。
「ちょっと海を見てくるよ」
プランジは歩き出したが、その手を少女が掴んだ。
「?!」
少女は何やら心配そうな顔で知らない言語を話していた。
「 プラジ! !」
「え、えっとーー?」
プランジはイマイチ少女の言っていることは分からなかったが、少女が余りに心
配そうなので止めておくことにした。
島の周りは一応ウィズがスキャンして見たが、島の数十メートル先まではサンゴ
礁が取り囲んでいて、ソコまでは浅い綺麗な海が広がっていた。島の周辺部分だけ
海底が隆起している様で、その先は結構深い海っぽかった。
朝食を済ませた一同は、軽くリゾートを楽しむコトにした。
とは言ってもプランジは水際に近づかない少女の相手をしていたし、ウィズはリ
ゾートと言うよりは食事用に魚等を探していたし、リジーが水着にパレオに麦わら
帽で現れた程度だった。
「ーーほぉ」
「……!」
「………何?」
初めてリジーの水着姿を目にしたウィズは軽く眉を上げた程度だったが、プラン
ジは分かりやすく見とれていた。
「ちょっと」
「え?」
「見ー過ーぎー」
「あっと……ゴメンゴメン」
プランジはハッとしてソソクサと少女を連れてヤシの方へ向かった。可愛いモノ
だ。
「………」
手を引かれていく少女の特に興味なさそうな感じが、少しリジーは少し気になっ
ていた。
あの頃の女の子なら、母親か父親の姿を追いかけそうなモノだがーーあの妙な落
ち着き方は何だろうか。
服装とあの態度からして、あの子の故郷はこういう場所だったのかも知れない。
リジーは少しそう思った。
ネコはいつの間にかヤシの木陰で気持ち良さそうにしていた。
お昼時、やはり魚等は居ない様でウィズは手ブラで帰って来た。
ちなみに珊瑚礁の向こうの外海も少し潜っては見たが、やはり珊瑚礁の先はすぐ
に落ち込んだ深海になっていた。
先日プランジが見たという景色から、イエだけ無くなって島に置き換わった感じ
だった。
その水の底知れぬ深さに、ウィズは少しゾッとした。ホシは本当に砂浜以外、水
で満たされている反応だったからだ。
浜に上がると、ビーチマットとパラソル(ドコから持って来た?)の下に、リジー
とプランジと少女が集まっていた。
「どうした」
「あ、お帰り~」
ウィズは身体を拭きながら近づいていった。
「この子が描いた絵なんだけどさ」
とプランジが画用紙を差し出した。
そこにはーー拙い絵だが、海辺の民族がクジラ漁をしている気な様子が見て取れ
た。
「コレはーー?」
民族の長は、女性らしかった。
そして、その側には後継者なのか、小さな女の子らしき人間もいる。
ウィズはプランジたちと顔を見合わせた。
「この子ーー?」
目線で少女の方を示すウィズ。
「ーーー」
リジーは肩をすくめてみせる。
「?」
少女は目をパチクリとさせた。
誰もがソレは考えたがーー、少女は全く覚えていない様だ。
「まぁ……もう少し様子見るよ」
プランジが助け舟を出した。
「コレからも絵は描くだろうし」
「まぁ……そうだな」
一同はとりあえず自分を納得させるしかない感じだった。
その日の午後は、嵐になった。
突然沸き上がった黒雲は、風と雨を運んで来た。
ウィズは数本並んで生えたヤシの間にポンチョやシートを渡して、簡易テントを
作った。雨風が強くなって行く中、プランジと少女とリジーはその中で手話的なモ
ノを交えて話をしていた。
ネコも濡れるのがイヤらしく、いつの間にか隅っこに潜り込んでいた。
「ウィドゥ」
「ウィ・ズ」
「イジ」
「リジー」
残りの二人の名前も、少女は少しずつ言える様になってきていた。
「結構強くなってきたな」
ザッと風が吹き込んで、外の様子を見ていたウィズが入ってきた。
「お疲れ」
「コレ島ごと吹っ飛んだりしないよね」
「わぁエンギデモナイ」
「一応このままなら大丈夫そうだが」
「一応、ね……」
4人入ると結構キツキツだったが、一同は川の字っぽく横になった。
少女はそんな状況だったが、楽しそうにしていた。
「朝には晴れるだろ」
「また様子が変わってたりして」
「今回は変化がハゲし目だよね」
「何だかね……」
気がつくと、少女とネコは寄り添うようにして寝ていた。
「………」
プランジは、そんな様子を眺めながらフシギな気分でいた。
ここまで無防備で、でも時々警戒心が強くて、それでも何処か自分に懐いている。
そう言う存在は、今まではそうそういなかったハズ。
ネコはどっちかって言うと同志だったし、そうーーいたとすれば、一度来たあの
女の子だ。
初めて『ヒュー』の隕石に連れられてこのホシに来た女の子。
格好はダイブ違うが、あの子もそんな感じだったっけ。
あの子は、どうして帰ったんだろうーーあの時はちょっと、というかかなり、寂
しかったな。
プランジはそんなコトを考えながら、やがて眠りについた。
ーーやけに周りが静かだった。
少し息苦しい。
空気がまとわりつく様だ。
少しモガくが、軽い金縛りだろうか、動きが重かった。
ーー何かがおかしい。
夢の中で首を振ってみるが、空気がネットリとまとわり付いて抵抗になっている
感じだった。
これはーー何処かで感じたようなーー?
プランジは目を覚ました。
「……?」
ソコは昨夜と同じ様な砂浜だったがーー何かが違っていた。
空が、いや目の前全体が青っぽく見えた。そして空は晴れている様な色味だが遠
くに行くほどニジんで見えなくなっていた。
そして気がつけばーー波打ち際が無かった。地面は先の方まで砂浜のままで、そ
の先は同じ様にニジんでいた。
「これはーー?」
とツブやこうとして、プランジは自分の声が変にクグもっているのを感じた。
「!?」
プランジはノドに手をやった。特に変化は無い。だが声を出すとまるでヘリウム
系の何かを吸った様に違って聞こえる。
気がつけば、髪や着ていたTシャツが、フワリと舞っている。
ーー何だ?
その時、プランジは直上の光に気がついた。
「あれはーー?」
直上に、太陽らしきモノがあった。
だがそれはーー何やらうごめくセリー状?のモノの向こう側にあった。
何だーー?
「!!」
プランジは気がついた。
あれは海面だ!
というコトはーーー?
海底だ!海の底にいる!
「!!!!!!!!!!!」
驚いてプランジは叫んだ。
その声も、当然クグもっていた。
ーーどうして?
「!!」
プランジは口元に手をやった。
驚いたことに、肺の奥まで水で満たされているモノの、何故か呼吸は出来ていた。
その時、プランジの肩に手が置かれた。
「#$%&*+!」
プランジが驚いて振り向きつつ叫ぶと、相手も同じ様に驚いて叫んだ。
「◎△ロ×▲◯▽▼!!!」
リジーだった。
「ナニ?ナンデ?ドーナッテンノ!?」
「ワカンナイ!ワカンナイヨーー!」
ひとしきり二人は叫んでーーやがてヒザに手をついてハアハア言った。と言って
も吸ったり吐いたりしているのは海水だったが。
そしてウィズも起きて来た。
ウィズも最初は軽くパニックになったが、全身の機器をフル稼動させて事態を把
握しようとしていた。
ついでにウィズはネコも連れて来ていた。ネコは誰よりもパニックになっていた
らしく、シッポが逆立ったままグッタリしていてウィズに小脇に抱えられて浮いて
いた。
「どうやら液体呼吸システムだな」
「何ソレ」
ようやく落ち着いて、水中の声にも慣れて来たリジーは言った。
「深海作業とかで水圧に耐える為のヤツだ。本来は宇宙服的なヤツを特殊な水で満
たすんだが、そういう機器無しでしかもコレだけの規模となるとーー」
「サスガホシってこと?」
「まぁな」
「そういえば、そういうの映像で観たかも」
「とにかく身体全体が水中仕様になってる。目も水中なのにピントが合うだろ」
「そう言えば……」
呆れる一同。
「次はどうなる訳?半魚人にでもなる?」
「うわぁ」
「それは避けたいな」
「”ウニャ~」
ネコもグッタリしたママ不機嫌そうに唸った。
ソコに少女が起き出して来た。
「プラジーー」
「プ・ラ・ン・ジ」
眠そうに目を擦りながら歩いて来た少女は、ハッとして辺りを見回した。
「あ、気付いた?」
「いやーー?」
少女はソワソワと辺りを見回していた。
「あんなに怖がってたモンなぁ」
「大丈夫?」
プランジが近づいていくと、少女はガシと抱きついた。
「 !」
何か言っているが、プランジには分からなかった。
大事な何か、ではあるみたいなのだが。
「………」
とりあえずプランジは少女を抱き上げて優しく頭を撫でた。
少女は少し落ち着いた様だ。
「とりあえずーーゴハンどうする?」
「火は使えそうにないな」
結局、残っていた缶詰を水中で開けて水中で食べると言う微妙な感じにならざる
を得なかった。
食事の後、プランジとウィズは水面に上がってみた。
水面までは数十メートルの高さだった。
先ほどは気付かなかったが、普段は普通に浮くハズの身体が重くなっているのか、
少々体力を要した。その代わり、海底で歩くのは割と不自由しない感じなのだった。
最も水の抵抗だけはどうしようも無かったが。
水面から顔を出した二人は、辺りを見た。
勿論イエは無く、水面と空が広がっているだけだった。
いつもと変わりない空だったが、鼻から下は水面下にしていないとかなり息苦し
い・・というか呼吸にならなかった。
魚が空気中に出ると、こんな感じなのだろうか。
ただ、この風景はーーこの間見なかったか?
「ウォ」
「?」
プランジが見ると、ウィズが水を吐いていた。
「どうしたの?」
ウィズは立ち泳ぎをしながら片手でプランジを制し、肺の中の水を最後まで吐い
た。
そしてしこたま咳き込んだ後、胸いっぱいに空気を吸い込んでから力を抜いて仰
向けで浮かんだ。
「はぁ~」
「ウィズ?」
プランジは口まで水中のまま聞いた。
「あぁ、大丈夫だ。水を吐き出せば空気呼吸出来そうだ」
プランジも少々辛い思いをして水を吐いてから、同じ様に仰向けで浮かんだ。
いつの間にかキレイに海は凪いでいて、鏡の様な水面に二人の男の姿だけが浮い
ていた。
「この風景さ……」
「ん?」
「こないだ、クジラを観た時と同じなんだ」
「ほぉ?」
ウィズは上を向いたまま聞いた。
プランジは少ししてから、口を開いた。
「……あの女の子さ……どうしてあげれば、帰れるのかな」
「さぁなーー妙に、お前にナツいてるよな」
「うん……どうしてだろ」
「何とか、してはやりたいがーー」
「ね……」
二人は、しばらくユッタリと漂っていた。
また水を飲み込むのに少し苦労してから、ウィズとプランジは少女とリジーの元
へ戻った。
かなり流されていたが、何故か二人のいる方向はスキャンするまでもなく分かっ
た。
有視界では全く見えなかったがーーこれは水中に生きるモノの能力か何かなのだ
ろうか。
「……で?」
帰ってみると、リジーは砂浜での軽装に着替えていた。普段の服では水の抵抗が
多くて大変だったからだ。
「ほぉ」
「わぁ」
「じゃなくてさ」
「わ~、絶対イヤそれ」
戻って来た二人から水を吐き出してまた肺に入れる作業のことを聞いたリジーは
顔をしかめた。
耳が慣れたのか、いつの間にかクグモッた声はちゃんと聴こえる様になっていた。
「ところであの子、どうだった?」
尋ねるプランジに、リジーは向こうを見やった。
「まぁ大人しくしてる。実は泳ぎもウマイみたい」
少女はユックリと水中で身を翻していた。
側ではネコがもはや諦めたのか、力を抜いて浮かんでいた。
「そっか……」
その後プランジとウィズは辺りを捜索して見たが、辺りは砂浜の時と同じく、砂
浜スペースプラス遠浅のサンゴ礁部だけが大陸棚っぽくなっていて、後は深く海溝
の様に周囲が落ち込んでいた。
その日の夕食も缶詰だった。
一同は火の通ったモノを食べたい気もしたが、仕方なかった。
ネコは不安定に浮く身体を何とかして缶詰の煮コゴリを口に入れようとモガいて
いた。
「明日はイエを探そっか」
「確かに、無限の部屋が無いとなるといずれ缶詰も無くなるな」
「そうだねーー」
プランジはそれよりも、少女のことが気になっていた。
海底の夜は、やけに暗かった。
サンゴ礁の一部がボウッと光っている位だった。
「落ち着いた?」
プランジは海底近くにゆったりと浮いている少女に近づいて話しかけた。
「 」
少女はやはり知らない言語で答えた。
プランジもやっぱり分からなかったがーー何故か、分かった様な気がした。
それは「運命」「儀式」と言った感じだった。
そう言えば、今はただ怖がっているだけではなく、何処か覚悟している、受け入
れている雰囲気もあるようだ。
「……何か、エライね」
水中でたなびく髪を、プランジはそっと撫でた。
少女が描いた絵のことを、プランジは思い出していた。
あの絵の通りだとすると、部族の跡を継ぐ儀式でもあるのだろうか。
自分は、そういうのは無かったかな。
ただただ、このホシで生きて来ただけだった。
それも運命と言えば運命なのだろうが。
でも、今のこの子は自分よりも強いーー何故かそう思った。
「………」
気がつくと、側にネコが来ていた。
というよりも、サスガに浮く体では丸くなれないので伸びて寝ていたら流れて来
た、と言った感じだった。
「………」
プランジは微笑んで、ネコを捕まえて流れない様側に置いてやった。恐らくネコ
史上初めて水中で寝た個体であったろう。
ーー少女は一人、目を覚ました。
「………」
辺りはようやく明るくなって来た程度だった。
少女は、改めて水中にいる自分を眺めた。
ーー何故、あれほど水を怖がったのだろうか。
今はそうでもない。
広く深い海がどこか恐ろしくもあるが、それはそれで受け入れている気がする。
何故ーー?
辺りを見ると、側にプランジとネコが寝ていた。
ーーフシギな青年だ。
言葉は通じないが、どこか自分を分かってくれている気がする。
自分とは違う世界に生きているのだろうが、それでも自分を守ってくれている。
何だか、懐かしい感じがした。
ーー少女は、ホシに来る前のコトはよく覚えていなかった。
こういった広い空間にいた気がする。
それは、微かなイメージ。
自分は今みたいに守られていてーーでもそれが、突然無くなったんじゃなかった
っけ?
それが、とても恐ろしかった気がする。
「……!」
手に何かが触れた。
少女はハッとして振り向くと、ネコがやはり寝ながら浮いて来て手にぶつかって
いた。ネコはムニャムニャ言いながら水中で手足を突っ張ってノビをするとまた寝
に入った。
「………」
少女は微笑んで、ネコを抱いた。
そういえばこの毛に覆われた生物も、少女にはあまり見慣れないものだった。
少女がネコをプランジの腕と身体の間に戻そうとした時、少女の腕をプランジの
手が掴んだ。
「?」
「……やあ」
プランジはまだ起き抜けで眠そうな顔をしていたが、その顔は優しかった。
「 」
少女はオハヨウとオヤスミの中間の意味のコトを言ってから、ネコとは反対側の
脇に潜り込んだ。
たった数日だが、少女は他人の体温に触れると気持ちいいというコトを覚えてい
た。
起き出した一同は、少し肌寒いことに気付いた。
「ねぇ……あれ」
リジーが空ーー海面を指差した。
「ん…?何アレ」
「氷ーーだな」
そして、太陽は見えていたが、何故か空が青ではなく黒かった。
「なんで?」
ウィズとプランジは顔を見合わせた。
「さぁ……ホシだし」
「そりゃそうだ」
ウィズとプランジは、水面まで行って見ることにした。
四十メートル位の高さを、二人はグイグイ登って行った。
冷たい海水が、昨日よりも少し重く感じた。
水面には氷が張っていた。
「結構厚いね」
プランジが蹴ったりしてみたが、ビクともしなかった。
「どいてろ」
ウィズが左手の振動波で穴を開けた。
「サスガ」
二人が顔を出すとーー外は暗かった。
と言うか、星が見えていた。
「え、どういうコト?」
口だけ水中で言いながら、プランジはカオがヒリヒリして来るのを感じた。
「これはー!」
ウィズがプランジの肩をつかんで水中に引き戻した。
プランジは、外の絶望的な何かに触れた様な気がした。
「何か、……ヤバイね」
「あぁ、ドンドン真空に近づいてる」
見る間に、開けた穴は凍り付いて塞がりつつあった。
二人は氷の薄くなっている所から空を見上げた。
氷越しの空間は、キレイに澄んでいた。地上のどの場所で見たよりもホシが輝い
ていた。
ソレと共に太陽がある、フシギな風景だった。
「エウロパの海だな」
「これがーー」
プランジも、永遠の部屋で見つけた図鑑で眺めたコトがあった。
氷の惑星。その下に広大な水だけの世界があると言う辺境のホシのコトだった。
「明日には、結構な厚さの氷になるかもな」
「ウィズでも割れない位?」
「あるいは」
「そっか……」
プランジはタメ息をついた。
と言っても吐いたのは水だったが。
一同は荷物がある辺りに集まった。
「閉じ込められたな」
「……まぁ、イエが無いだけで前とそんなに変わらないけど」
「それ大問題でしょ」
「まぁね……」
側にネコも浮いていた。
「でもまぁ」
少女も綺麗に身を翻しながらユッタリと辺りを回遊していた。
それを眺めながらウィズは続ける。
「外は死の世界だし、考えようによっては守られてるとも言える」
「それはそうだけどさ~」
「問題は食料だね」
「あと、気持ちトイレもね」
一応離れたトコロで用は足していたが、同じ水の中って言う微妙な気持ち悪さは、
何処か残っていた。
「気分的なコトはともかくーーイエの捜索かな」
「うん」
腹ごしらえをしてから、ウィズとプランジはガケ沿いに海溝を潜ることにした。
水中呼吸システムの利点は体内を水で覆うことによってある程度の水圧に耐えう
るコト、らしかった。生身では100メートルソコソコだが、今なら理論上は10
00メートル近くまで行けるハズだ。
「がんばってね~」
とりあえずリジーと少女とネコはお留守番だった。
いつの間にかネコは少女と仲良くなったらしく、少女の腕に抱かれてフワフワし
ていた。
リジーは笑顔を装っていたが、実際はその黒々とした深淵が何処か恐かった。
自分がいつも触れている目眩ーーともすれば引き込まれてしまう、恐怖の象徴の
様にも見えていた。
そして、上は氷で閉じ込められている閉塞感ーー。
リジーは、ザワザワする自分を何とか保とうとしていた。
100メートル近くになると、辺りはもう深海の暗さだった。
ウィズは胸ポケットに入れていたケミカルライトを折って片方をプランジに渡し
た。
イエの根元の岩盤は、ずっと切り立った崖が続いていた。
ウィズとプランジはその巨大な岩の柱の側を、螺旋状に降りて行った。ウィズは
スキャンを続けているが、相変わらず生命反応は知っている個体以外のモノは無か
った。
「まだ行けそう?」
「あぁ」
もうかなりの水圧だが、二人は大丈夫だった。また身体が深海用に変化していた
のかも知れない。締め付けられる感じはあるモノの、普通に話せるのもフシギな感
覚だった。
少女は、妙な胸騒ぎを覚えていた。
抱かれていたネコは、少女の心拍が上がるのを感じて見上げた。
「……どうした?」
リジーが声をかける。
「………」
少女は、自分が何かをしなければならない様な気がしていた。
だがそれが何なのかは、分からなかった。
少女とネコは海底の平地のフチに立ち、眼下に広がる黒々とした海溝を見つめて
いた。
リジーも同じく、闇の前で立ち尽くしていた。
「ウィズ!これ」
プランジが声を上げてウィズは振り返った。
「何だ……!?」
ウィズは目を見張った。ウィズよりも崖沿いにいたプランジの奥に、壁面と海と
の境目が見えた。
「ん?」
二人は弱くなったケミカルライトを捨て、ウィズが点けたフラッシュライトの先
に目を凝らした。
どうやら巨大な柱は、そこで切れている様だった。
「あ~?」
「マジかよ」
深さは1000メートル強だった。
二人はしばらくその切り口の周りをグルリと回ってみたが、本当に柱はそこで切
れていた。
イエのスペース、あの砂浜、海底の平原ーーは、海中に浮かんでいたのだった。
「……ドユコト?」
「俺に聞くなよ」
「じゃあこの下はーー?」
二人はそっと下を見下ろした。
と言ってもライトが届く数メートル先までしか見えなかったが。
「……行ってみる?」
「身体はまだ大丈夫か?」
正直、お互い辛くなって来ているのは確かだった。
行けても後数百メートルだろう。
「……行こう!」
「あぁ」
二人は、より深みへと身体を踊らせた。
「!!」
少女は立ち上がった。
更なる胸騒ぎが、少女を振るわせていた。
「……大丈夫?」
リジーは声をかけた。
少女は振り向いて、リジーを見つめた。
「リジ……」
その表情はとても真剣で、ーー何かを訴えかけようとしていた。
「ーー行くのね?」
少女は頷いて、ネコをリジーに預けた。
「一緒にーー行こうか?」
少女は黙って首を振った。
「 」
少女は何かを口にした。
それはアリガトウ、と言う意味なのだーーリジーは何故かそう理解した。
少女は、崖の縁から身を投げた。
「!!」
一瞬目の前がブレた様な気がした。
リジーは見た。
勢いよく泳ぐ少女の身体は、やがて大きな影に包まれてーーそのシルエットは、
別の何かに見えはじめた。
ーーあれから随分来た。
ウィズとプランジは、2000メートル近くの深さまで来ていた。
それでもホシ全体が水だとすると、ホンの一部に過ぎない。
二人とも、身体は既にかなりキツくなっていた。
「プランジ……大丈夫か」
「うん、結構キツいけど」
それは酸素ボンベ無しで8000メートル級の山を登る様なモノだったろうか。
いや、逆にかなりの水圧がかかり、二人はかなりの圧迫感で身体が思う様には動か
せなかった。
フラッシュライトは既に水圧で壊れていた。
ケミカルライトが残り数本。
ーーこの先、何かがあるのか?
それを見つけて、何になるのか?
もはやよく分からなかった。
ウィズの全身のセンサーも、反応が鈍くなっていた。
だがその時ーーそのセンサーに、何かが反応した。
「ーー何だ?おい、プランジーー」
後ろを振り返ったが、付いて来ている筈のプランジの姿は無かった。
「?!」
ケミカルライトを節約する為、プランジにはもう持たせていなかった。
「プランジ!」
プランジの姿は、どこにも見えなかった。センサーにも何の反応も無かった。
いつの間にか、少し周りの水に流れが出て来ていた。
プランジのコトは気になったがーーそれ以上に、ウィズはセンサーの反応先が気
になっていた。
この先に何か構造物がーーそれはまるで、ちょうどプランジから聞いていたイエ
の頂上程度のサイズの巨大な円柱の先が、存在している様だった。
これはーー?
だが少し遠かった。
ソコまでは、たどり着けそうに無かった。
「………」
届きはしない。
だがもしソコまで行けたらーー何かがーー
突然、強烈な流れがウィズを襲った。
「うあっ!」
それはかなり早い海流で、ウィズもなす術が無かった。
その構造物の反応はーー瞬く間に見えなくなった。
ウィズの身体は波に揉まれ、激しく回転した。
「!!」
ウィズは器用に身体を操って、ムリに流れに逆らおうとせず、ソレに乗って流れ
て行った。
プランジはーー大丈夫だろうか?
再生手術を受け戦闘用の身体を手に入れた自分よりも、幾分か向こうの方が辛い
だろう。たとえあの化け物じみた体力を持ってしてもーーー
激しい流れの中で、その時ウィズはハッキリと音を聴いた。
「これは……」
それは遠くで聴こえる管楽器の様なーーー
「クジラだ……」
ウィズは呟いた。
だが辺りにソレらしい反応は無かった。
ーーかつて聞いたことがあった。
大洋には、クジラが数千キロを越えて会話の出来る、特定の音域帯が存在すると。
そこでクジラが鳴けば、ソコにいるホシ中のクジラが、その声を聴くと。
「!!!!!!!!!!!!」
ウィズは叫んだ。
聴こえるかどうかは分からない。
また聴こえたとして、どうなるのだ?
だがーープランジが見たというのが、そのクジラであるなら。
何かが、あるかもしれないーーー
ウィズは何故かそう思った。
プランジも、同じく流されていた。
いつウィズとはぐれたのかは分からない。
気付いたら、闇の中に取り残されていた。
それはプランジにとって恐怖でーーしばらくの間闇の中でモガいた。
そうして精魂尽き果てて、プランジは真っ暗な中に浮かんだ。
ーー普通なら、トックに溺れているハズなのに。
生きている。
水圧は凄くて、今にも潰れそうだが。
ーー何で、来たんだろう。
見たかったから?
何を?
ーー今までもそうやって来た。
何度も死にかけたっけ。
今度は、死ぬかなーー
…ウィズは、どうしただろうか。
付き合わせて、悪かったな。
モウロウとする意識の中で、プランジは音ーー声を聞いた。
「!!」
それは辺り中ーー水中全てを振るわせる様な、身体中に響くクジラの鳴き声だっ
た。
「……?」
プランジはゆっくりと目を開けた。
辺りを見回すが、相変わらず暗闇の中だった。
いつの間にか、流れが出来ていた。
プランジはユックリと流されつつ、振り返った遠く先に微かな光を見た。
それは『ヒュー』の光にも見えたがーー近づくにつれ、それは自身が淡く発光し
ている、小さなーーと言っても数メートルクラスのクジラであるコトが分った。
「あぁ……」
そしてドンドン流れが早くなって行く中ーープランジは気を失った。
水中の崖のフチで、ネコとリジーは深淵を見つめていた。
少し、水に流れが出てきている様な気がしていた。
「………」
バクゼンとした不安が、二人を包んでいた。
ーーその時、ネコは気づいて上方を仰いだ。
一筋の光がーー白っぽい様な黄色の様な、明るい光が、海底に向けて降り立った。
隕石ではない。
緑色の『ヒュー』の光でもない。
ネコは思った。
ーーコレは、あの時ーープランジと見たコトがある、あの光の柱?
「……行こうか」
リジーが呟いた。
ネコは、目をパチクリとさせてリジーの方を窺った。
……ヤレヤレ。
ネコはタメ息を吐いて離れ、海溝の淵にうずくまった。
「お留守番してな」
リジーは優しく微笑んで、ネコをヒトナデすると、光に沿って降りて行った。
何の確信も無かったが、リジーは何故か、恐怖は感じていなかった。
何処か大丈夫な気がしていた。
今は、アタシも行かなきゃーー。
ウィズは、闇の中ズイブン流されていた。
ケミカルライトは既に底をついていた。
こいつはーーちと、マズイかもな。
だが、ある程度流れが収まって浅瀬に出られれば、何とかーーそう思った時、ウ
ィズは流れの先の反応にゾワッとした。
その流れはドンドン大きくなってーーその先に、巨大な渦巻きの様なモノが感じ
取れたからだった。
「オイオイ」
だが、今更流れに逆らうのは難しそうだった。
アレだけの大きさの渦の先は、一体どうなっているのだろうかーーー
深淵の、そのまた先ーー。
逆に見てみたい気もするが。
いや、その前に死にそうだな。
ーーどうするか。
ーーどうしようも無いかな。
「ウィズ!」
プランジの声がした。
ウィズがハッとして流れの中で仰向けになるとーー数メートルの小さなクジラと、
それに掴まっているプランジが少し上方に居た。
そのクジラはボウッと発光していて、ウィズはしばらくぶりの光に目を細めた。
「ったく、相変わらずお前はーー」
「ね、コイツいたでしょ」
「確かにな」
「上がろう!」
ウィズはプランジの手を取り、プランジと反対側に捕まった。
クジラは身を翻して、流れに逆らわないよう、しかし上方へと斜めに力強く進み
始めた。
「……コイツにはキツイかもだな」
流れはドンドン早くなってきていた。
「ガンバって!」
「………」
ウィズはそっとクジラを眺めた。
まだ子クジラだろう。
はぐれてこのホシに来たのか?
ーーならば母親が探しているハズ。
って言うか、プランジはどうやってコイツと仲良くなったんだ?
そしてあの少女は?
ウィズはいろいろ考えていたがーーとりあえず今は上がることだけに集中するこ
とにした。
流れは、中々緩くはならなかった。
子クジラも頑張ってはいたが、キツそうだった。
「………」
ウィズとプランジはクジラの身体越しに顔を見合わせた。
そして、プランジは優しくクジラを見つめる。
子クジラの大きな目は、とても澄んでいて、何かを訴えかけている様でーー。
「ありがとうーーもう大丈夫だよ」
とプランジが、そっと呟いた時だった。
前方に、黄色い光の柱が降り立った。
「!!」
ウィズは見た。
その光の行く先は渦の中心でーーそのせいなのか、渦は急速にしぼんでーー爆発
的に今度は広がり始めた。
「うあっ!」
子クジラは二人を抱えたまま吹っ飛ばされた。
「ーーー!」
流されながら、プランジはその光を振り返った。
あの光はーー前に見たことがあるーー。
そしてその光が瞬きつつ消える前、その光の向こうに、あるシルエットが見えた。
「!!」
それはーー子クジラよりももっと巨大なクジラが、ユックリと水中で反転する姿
だった。
「あれはーーー」
だがその姿は一瞬で見えなくなり、流れに揺さぶられて一同は遠く流されて行っ
た。
「プランジ!ウィズ!」
声に、うっすらと目を開く二人。
いつの間にか辺りはもう浅海で、明るい日差しが溢れていた。
「あぁ……」
プランジは、そっと海面を見つめた。
まだ氷が張っているが、外は青かった。
「………」
ウィズも、辺りを見回した。
海底部分も巨大な柱も見えない。
見渡す限り、水のホシだった。
だがソコは、冷たい死の海ではなく、どことなく暖かい、やがて生命でも生まれ
てきそうな感じのキレイな空間だった。
ネコも側で気持ち良さそうに浮いていた。
「……クジラは?」
思い出した様にプランジは尋ねた。
リジーは優しく微笑む。
「行っちゃったよ」
「……そっか……」
「で、あの子はどうした?」
ウィズが尋ねる。
「………」
リジーは微妙な顔をした。
「何だよ」
やがてリジーは笑みを浮かべた。
「ーーあの子が、クジラだった」
「…あぁ?」
ウィズはアッケに取られた。
やがて隣のプランジの様子に気付く。
「お前ーー知ってたのか?」
「いや、…さっき多分、そうかなって」
子クジラが懸命に泳いでいる時、視線を合わせたプランジは何となく感じ取って
いたのだった。
「へぇ……」
ウィズは、その不思議さにしばし佇んだ。
そして、あの深海で見たイエの頂上らしき構造物は、何だったのだろうと思った。
「………」
プランジは思った。
あの時、光の中で見た大きなクジラはーーあの子を待っている、母クジラの姿だ
ったのでは無いだろうか。
…ちゃんと帰れたのかな。
胸がチクリと痛んだ。
それは、プランジが初めて味わった、保護者ーーみたいな感情だったのかも知れ
ない。
…それにしても。
あの時の光は?
『ヒュー』の光では無かった様な気がする。
何度か見た黄色い光の柱。
それはまた別の何かなのかーー?
その時、遠くから音がした。
「クジラ?」
「いやーー」
それは鳴き声と言うよりは、何かがブツかった様な、クグもった反響音だった。
「氷が割れてるーー?」
「あの空の様子じゃ、また外は空気があるかな」
「砂浜もーーイエも、復活してたりして?」
「じゃあ上がって水吐かなきゃ」
「うわぁ、ヤだなぁ」
「大丈夫、手伝うよ」
そして一同は、海面を目指して泳ぎ始めた。
プランジもネコを抱いて上がって行った。
「……」
ネコは、そっとプランジを見上げた。
プランジに抱かれながら、ネコは今回のことを思い出していた。
今回も、ホシの変化はかなり激しかった。まずは浮かんでいたプランジが子クジ
ラに遭遇した時。またもホシは微妙に揺れ、違う世界と繋がった様だった。ネコは
あの小さな光のプランジ、『ヒュー』と一緒にそれを感じていた。そのとき落ちて
来た緑の光(プランジの言う『ヒュー』)を伴った隕石の落下に伴って、それはす
ぐに元に戻った。そして、謎の女の子がやってきた。
女の子とは言葉が通じない様だったが、プランジとはすぐに仲良くなっていった。
ネコも『ヒュー』も、興味深げにそれを見つめていた。女の子は海の何かに怯えて
いた様だが、それが何なのかは分からなかった。
そしてホシは、砂浜になり、更に海の底へと姿を変えた。突然水呼吸になってネ
コはかなりパニックになったが、それはプランジたちも同様だった。それでも女の
子はプランジたち程は驚かず、なるがままに過ごしていた。女の子の海への恐怖は
やがて覚悟に変わり、確信へと変わっていく様だった。ネコはその変化を、『ヒュ
ー』と一緒に見守っていた。ホシは更に氷に覆われ、外が真空になった。プランジ
たちはイエを探して深海へと進み、ネコは女の子とリジーと取り残された。そして
ネコはプランジたちが危機に陥ったことを感じた。そのホシのドラスティックな変
化に『ヒュー』も厳しい表情を見せたのだがーーその時女の子は深海へと身を投げ、
子クジラへと変貌を遂げた。ネコは驚いたが、何故かそれをずっと前から知ってい
た様な気がした。
深海の底でプランジとウィズが子クジラとようやく邂逅出来たものの再び危機に
陥った時、そこに例の黄色い光の柱が差し込んだ。それは『ヒュー』とは違った外
からの何かであった様だがーーそれによって3人は危機を脱し、また再会出来たの
だった。それと共に、子クジラは母クジラと再会出来て、何処かへと帰っていった。
ネコはジッとプランジを見つめていた。守ろうとしていた存在が消え、また少し
寂しさを味わったであろうプランジ。だが、今はまた希望に満ちあふれた表情をし
ていた。それはこれまで何度もネコが見てきた表情だった。ネコは側にいる『ヒュ
ー』に目をやった。『ヒュー』はそんなプランジを見て、頷きながら消えていった。
…今回も、危機を救ったのはあの黄色い光だった。『ヒュー』は、何を目指して
いるのだろう?例えばあの深海からプランジたちを『飛ばす』ことも出来た筈なの
に?あの小さな光のプランジ『ヒュー』、そしてあの黄色い光との関係は何なのだ
ろうか。
ネコはしばし考え込みつつ、眩しい光に気持ち良さそうに目を細めた。
氷の向こうの太陽は、氷に乱反射してキラキラと光を投げかけている。
降り注ぐ光の中、3人と1匹は空に向かって泳いでいった。




