第七話 チュートリアル 了
走る速度も現実以下だが問題ない。口元から涎を垂らし、その闇色の瞳を不気味に輝かせた三頭の狼が哀れな獲物に向かって瞬く間に距離を詰めていく。
思考なんてあるのならば、きっと飛んで火に居るなんとやらとでも思っているのだろう。
お生憎様だ。三頭も居るのにバラけて動かない事から、オープンベータ時と基本的な動きは変わっていないと確信する。
数秒もしない内に拳の射程距離に狼が踏み込んだ。それは同時に相手の牙と爪が届く距離をも意味する。
「しゃらくさいッ!!」
唾液を撒き散らし、その薄汚れた牙で飛び掛ってきた一頭の一撃を上半身を捻って回避。同じ行動に出た二頭、三頭と全員の攻撃を避ける。
「今度はこちらの番だッ!」
三頭目がこちらを振り向くより早く。一歩を深く踏み出す。砂埃すら巻き上げる勢いそのままで全身を捻り、バネの反動のように肉体を振り回す。
遠心力の加わった強力な回し蹴り。更に初期スキル“強撃”を重ねる事で威力を底上げ。丁度反転したばかりの三頭目の狼。その顎に見事に強烈な蹴りが食い込んだ。
「ッ!」
味方が本来の一撃ならありえない吹き飛ぶと言う状態を受けたにも関わらず、我武者羅に爪と牙を振り回してきた一頭の一撃をバックステップで回避するが、二頭目の爪が脇腹を掠めていく。
ジクリと、鈍い痛みが全身を駆け抜けた。浅い一撃だったが、感覚的に一割程のライフが削られたと理解する。
痛みと言っても指を軽くぶつけた程度のもの。怯まず再度地面を蹴り、飛び掛ってきた一頭の攻撃をカウタンーで迎え撃つ。
「ハッ! これでも食いなっ!!」
強烈な横殴りの拳。クールタイム――スキルを使用すると、そのスキルは決められた時間際再使用出来ない。それをクールタイム。冷却時間と呼ぶ――を回復させた“強撃”を乗せた一撃。
相手の飛び掛る勢いをも巻き込んでその横っ面に拳が突き刺さった。ガッ! と、鈍い音と拳に走る僅かな衝撃が手応えを物語る。
『ギャッ、ギャインッ!?』
物理攻撃時のダメージ。それに更に二十六パーセントのダメージを上乗せするスキル強撃。チュートリアルで出現する相手くらいなら、一撃死も十分あり得る。
「っと、危ない」
上手く一撃が決まり、思わず余韻に浸りかけた瞬間片方が飛び掛ってきた。横に身を移動し回避し、更に戻ってきた一頭目の鋭い爪を避け、その腹に蹴りを叩き込む。
現実を模した世界であるここでは、身長すらもリーチ差を生み出す武器となりえる。少なくとも肉体戦を用いることにした俺には重要な要素だ。
強撃のクールタイムは五秒。既に回復している。蹴りに乗せて発動した強撃はその性能を余さず発揮。宙に一瞬浮かび、そのまま地面に熱いベーゼをかました一頭がピクリとも動かなくなった。
それを確認するのと同時。こちらにむかって牙を向けて踊りかかってきた一頭。その一撃に合わせるように拳を振り下ろす。
『キャインッ!?』
苦痛の声を上げ頭部に叩き込んだ拳の一撃により崩れ落ちる一頭。そのまま動かなくなった瞬間、右足に鈍痛が走りぬけた。
痛みは軽度。それでもミシリと嫌な音が脳裏に響く。
「ツッ――」
慌てて見れば太ももに最初に吹き飛ばした一頭が食らい付いていた。先程より幾分増した痛み。最大でも打撲程度の痛みだが、それでも中々に痛い。
だが相手から動きを放棄したのならばそれはチャンス。クールタイムが回復した強撃を乗せた踵落としをその背に振り下ろす。
高校生程度とは言え、スキルで強化され、なおかつ本気の一撃は容易くその脊髄に致命的なダメージを与える。
その身に走っただろう衝撃に口が開き、牙が太ももから抜け落ちる。そこに駄目押しにと、落とした足とは逆の足で回し蹴りを放つ。本来なら練習が必要な動作も、長年のVRMMORPGの経験が補ってくれる。
その頭に吸い込まれるかのように蹴りが食い込み、一瞬で数メートルの距離を吹き飛ばす。確実に倒したと言う感覚を感じたが、その通りに最後の一頭も地面に倒れ動かなくなった。
「ふぅ……」
残心と言う訳ではないが。念のために油断なく周囲を警戒し、連戦はないようだと安堵する。メニューからステータスを開き、そこに記されたHPバーが三割程減少しているのを確認。
POT――ポーション――を一本惜しみなく使うことにする。インベントリから目的のアイテムを選ぶと手元で光子を無数に煌かせ、一瞬で試験管のようなものが手の平に具現化された。
コルクのようなもので口が締められたそれを抜き、中の赤い液体を一気に飲み下す。
「テストから思ってたが、この味はどうにかならないのか……」
ハッキリ言って不味い。ケミカルな味だ。訳が分からないかもしれないが、そうとしか言えない。幸い量は一口程度なのが救いだろう。それでも好んで飲みたいとは思わない。
良薬は口に苦しを体言したようなアイテムだが、これのせいでPOTを積極的に使おうと言う者は確実に減っている。テスト時にはその煽りでヒーラー――回復能力の高いプレイヤー――の価値が相対的に上がっていたと思い出す。
まぁ、そもそもPOT自体にもクールタイムが一分程設定されているが……どうも味の修正はされなかったようだ。まったく持って無駄な拘りとしか言えない。
〔クエストを達成しました。該当クエストを確認して下さい〕
POTに関してのちょっとした内容を思い出していると、クエスト達成のアナウンスが直接脳に響く。
早速メニューを呼び出しクエスト欄からリビングデットを選び完了させる。淡い青や赤などの光の乱舞がエフェクトとして肉体を包み。
更に――――
〔レベルが上昇しました。ステータスより各ポイントを割り振って下さい〕
と合成音が鳴り響きレベルアップを告げる。ポイントって言うのはステータスに割り振るポイントと、スキルに割り振るスキルポイント――SP――の二つの事だ。
他にも隠し要素として“熟練度”が存在するが。こっちは基本的にプレイヤー側から確認する事は出来ない。
熟練度の限度はお陰で判明していないが、少なくとも上昇量に見合った恩恵はあるとテストで確認されている。
とりあえず先にクエストの確認をしてしまおう。クエストの完了と同時に次のメインクエストが発生している。
〔メインクエスト:動く死体三〕
内容:襲い掛かる狼達。それを必死で迎え撃つ君は、不思議と肉体が知らないはずの動きをなぞるのを感じる。それは過去。記憶を失う前の君が得意としていた戦闘方法だ。
そして全ての狼を無事に撃退した君は、同時に僅かな記憶の欠片を取り戻す。
――――それは雨が降る夜。屋敷では主人の生誕日を祝っていた。シャンデリアが煌き、給仕が慌しくも活気的に走り回る。招かれた婦人が扇で口元を隠しながら優雅に笑う。
瀟洒な衣装に身を包んだ紳士が商談に花を咲かせる。君は無論そんな中心で多くの祝辞を貰っていた。
美味い料理。楽団の荘厳な音楽。最近その美声で有名となった女性の歌。幸せをより大きく積み上げたかのように充実した光景。
素晴らしきかな。全ては君の努力が成した結果。胸を張って誇れる事だ。そう、その日までは……
誰かが悲鳴を上げた。屋敷のホールの硝子が砕け散り、外から雨風が屋内に吹き付ける。
誰もが恐慌に陥る中で、更に多くの者が生唾を飲み込み背筋に冷や汗を浮かべた。
――――侵入者。
誰かが呟いた。砕け散った窓硝子に映る人影。まるで重力を無視するかのように、二階程の高さのある窓から床に降り立つ。
外は激しい雨だと言うのに、その場の誰よりも優美なドレスには一切の雫すら付着していない。
ゴロゴロと雷が鳴り響き、カッ! と青白い光が屋敷を包み込んだ。瞬間、全員が目視する。同時に忍び寄るは絶対的な恐怖。死をも招きかねない圧倒的恐怖だ。
――――吸血鬼。
誰かが再び囁いた。高位の化け物。人ならざる者としてはあまりに有名で、そして絶望的な存在。一瞬映った、その少女と称して良い顔は狂気の色すら隠さず笑みを浮かべていた。
人ならありえない真紅に輝く瞳。それは魔の者だけが持ちえる色だ。笑みから覗くは鋭い犬歯。薄紅色の唇は紅を差したようにも、血を塗りたくったかのようにも見える。
気づけば誰もが血溜まりの中。息せぬ骸と成り果てていた。護衛として場に居た多くの傭兵も、羽虫を叩き落すかのように呆気なく命を散らす。
君はあまりの恐怖に逃げ出し、そして自室に辿り着いた所で背後に気配を感じ振り返った瞬間、口元と言わず、全身を血で染め上げた少女の顔が目に映る。
何かを口にするより早く、そのぬらぬらと、赤とピンクに蠢く淫靡な口内が限界まで広げられ、君の首筋に噛み付く。振り払おうとするも、抱きしめられるように腕を回され、圧倒的膂力で背骨が砕かれた。
吸血に伴う圧倒的快楽を感じながら君の意識は暗闇へと転がり込んでいく……
君は思い出した記憶の欠片に脳が沸騰したかのような怒りを覚える。皆、皆あの吸血鬼に殺されてしまったのだ。友人も、妻も、息子も。全て奪われてしまった。
何と言う理不尽。何と言う無情。決意する。あの吸血鬼を追い詰め、無残な方法で殺してやるのだと!
だがそれには君はあまりに無力だった。力を蓄えないといけない。何より吸血鬼の行方を追わねばならないだろう。
さぁ、ここから一番近い街。世に旅立つ為の“始まりの街”へと向かえ!!
クリア条件:始まりの街に到着する
報酬:経験値五十 SP上昇薬
読了を押すのと同時。目の前に青く渦巻くゲートが出現する。見た目は小型のブラックホール見たいだが、長距離移動の為の転送ポータルだ。
黄金時代の超科学の遺産らしいこれは、世界各地に存在している。と言う設定だ。このアウターワールドオンラインはアクセスコード購入のとき、“全年齢”“十五歳以上”“十八歳以上”“二十歳以上”の四つからコード区分を選ぶ。
言わばどれだけ暴力的なグラフィックが適用されるか、あるいは卑猥な表現が適用されるかの目安だ。この際に擬似神経子を通し、年齢情報が自動でやり取りされるので年齢詐称は出来ない。
俺が選んだのは二十歳以上。暴力表現も、エロイ方もバッチリグラフィックに適用されている。お陰でこのようなバックストーリーが出来上がったのだろう。
「よしっ。先ずは街で一息つくとするか。一体どれだけのプレイヤーが既に集まってるか楽しみだ」
始まりの街。実際には幾つか同じ存在があり、人数の状況で自動でゲート使用時に割り振られるが、それでもメニューから何番の街か確認は出来るから、どれだけプレイヤーがその街に居るかは目安として分かる。
迷う事無く足をゲートに向けて進めていくと、周囲が捻じ曲がっていく。ゲートの作用で景色が歪んでいるのだろう。同時に一瞬の暗転と、浮遊感が身を包んだ………