15 少しなら
雪緒さんが水の溜め息を吐く。
「志摩、説得してやってや」
雪緒さんが部屋の隅を見やると、襖の下の隙間から黒い気配が這い上がってきた。三つ目君が息を呑む音がする。もしかすると私も一瞬息が止まっていたのかもしれない。
「言われずとも」
襖がすたん、と開き、黒色の霧を醸し出しながらそこに立っていたのは志摩さんだった。少し疲れた顔をしている、そう見えたのは気のせいなのだろうか。彼に会ったのは昨晩だったと言うのに。
そうだ。今は彼が見せた『ご褒美』からどれほどの時間も経っていない。せいぜい4時間くらいだろう。それなのに随分と前の出来事の様な感覚が広がる。
志摩さんを睨んでる三つ目君には目もくれず、つかつかと私の前まで歩いて来て、その少し離れた所で跪いた。
「志乃様、そのご要望はお受け出来ません。言った筈です、貴女はただ見ているだけで良いと」
「おい、だからそれじゃあまりにも理不尽だっつの。こいつだって知るべきだろ」
「お前は口出しするな、三ツ目」
志摩さんを取り巻く黒い霧が瞬時に濃くなり、一瞥した切れ長の目は矢の如く三つ目君を射抜いた。
相変わらず無表情だけど、その奥にはとてつもなく暗い何かが潜んでいる様に思えた。
三つ目君は不服そうに志摩さんを睨み返す。私は二人を見て四天王、赤鬼青鬼、狛犬、雪緒さん、他の妖怪達をぐるりと見渡してから、志摩さんに向き直った。
「三つ目君を責めるのはやめて下さい。私が頼んだんです。あの人が何故私を欲するのか、知らないままじゃ何の対策も取れないじゃないですか?」
「対策はこちらで致します。貴女は黙って見ていれば良い」
「さっき水蜥蜴さんが仰ってました。『私に助けられた』と。これはどういう意味ですか。あの人間が私を寄越せと言う事に何か関係があるんじゃないですか?」
水蜥蜴さんは腕を組んで瞑目している。その横で狐火さんがさも興味がなさそうに溜息を吐いた。
「…そうですね、四天王の内二名がこの有様。残りの二名も『貴女に助けられて』生き延びたと。頼りにならぬ四幹部にこの事実は裏返せません。…ではこれだけはお教えしましょう」
「待って下さい」
「どうしました、気が変わりましたか」
「撤回して下さい。四天王の皆さんを悪く言うのはやめて。皆私達を守ってくれたんです」
火車さん、狐火さん、水蜥蜴さん、猫又さん。私の事を恨んでいるだろうに、その身を呈して守ってくれた。
その四人を『頼りにならない』なんて言うのは許せない。
無表情の中に黒い渦を纏わせた先程までの志摩さんの顔は、ほんの一瞬停止したかの様な間を空けた。
その後、昨夜彼が見せた苦しいような悲しいような複雑な表情をまた一瞬浮かべ、元に戻った。
「…つくづく、貴女には呆れます。まあこうして生き延びただけでも善しとしましょうか」
『勘違いも甚だしい。貴女を守った訳ではなく我が一族を守ったのです』
『まあ狐火、そう言うな。ここは素直に受け取れ』
わかっている。彼等は私を助けたんじゃなくて、皆を助けたのだ。
彼等の守りたいもの、それは一族と言う括りを越えた家族なのだ。
今人間に理不尽に囚われ故郷から引き離されている事態に狂いそうな程激怒するのは至極当然。
それに敵と同じ人間である私を恨まずにはいられないだろう。私だって逆ならきっとそうしていたと思う。
だからこそ、私に出来る事、何か彼等に恩返し出来る事はないのだろうかと思うのだ。
それが今、紐解かれている…。
「教えて、下さい」
深々と頭を下げてお願いする。
すると微かに溜息を吐いて、志摩さんは言った。
「貴女も予想し、三ツ目が明かした様ですがこの城の結界は貴女には効果がありません。そして敵の狙いの一つは貴女です。先程の戦いで水蜥蜴と狐火があの男を撃破した時、あの二人はどうしていましたか」
「確か、水蜥蜴さんが私を抱かかえてくれていて、狐火さんが私の手首を握っていました」
「要は触れていたのです。貴女に」
「あ、はい。そういえば…」
そうか。
先程水蜥蜴さんが私に『助けられた』と言っていた意味は。
「貴女に触れたままで二人が術を施すとあの男の纏う結界は解かれ焼き消えた、という始終でした。もうお分かりでしょう、敵が貴女を奪おうとする意味が」
志摩さん若干怒ってる…?
そのホントの理由はミニ番外編みたいなものにて書こうかなと目論み中です♪
なんと長い4時間でしょう(笑) 更新が遅いせいで何ヵ月にも感じられる4時間ですね。