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「婚約破棄ですか? では、王子殿下には金貨三百万枚をお返しいただきます」

掲載日:2026/10/14

王都の夜を彩る豪奢な卒業記念夜会。

百を超える水晶のシャンデリアが放つ光の下、クラウディオ第一王子は、勝ち誇った笑みを浮かべて壇上から声を張り上げた。


「シェリア・フォン・グランヴェル! 貴様との婚約をこれより破棄する!」


音楽が不協和音を残して止まり、広間の視線が一斉に一点へと集まった。

大理石の床の中央、淡い藤色の夜会服を纏った公爵令嬢シェリアは、扇を閉じることもなく、ただ静かに佇んでいた。群青の瞳は夜の湖のように凪いでおり、動揺の欠片も見当たらない。


クラウディオの傍らには、桃色のフリルに身を包んだ男爵令嬢ミリアが寄り添っていた。小鹿のように怯えた仕草を作りながら、その瞳の奥には隠しきれない優越感が揺らめいている。


「理由をお聞かせ願えますか、殿下」

鈴を転がすような、凛とした声が響いた。


「白々しい真似を! 貴様が裏でミリアを虐げ、教科書を破り、階段から突き落とそうとしたことは全て調べがついているのだ!」

クラウディオは懐から数枚の羊皮紙を掲げた。

「ここに証言者たちの署名がある! 貴様のような嫉妬深く醜悪な性根の女を、我が国の国母として迎えるわけにはいかぬ。よって婚約は破棄、貴様はグランヴェル公爵家の爵位継承権を剥奪され、北方の修道院へ永久追放とする!」


広間に集まった貴族たちの間に、ざわめきが広がった。

だが、そのざわめきはシェリアへの非難ではなく、どこか奇妙な困惑を孕んでいた。


「……目には目を、歯には歯を、とお考えでございますか」

シェリアは小さく首を傾げた。


「当然だ! 罪を犯した者がそれ相応の報いを受けるのは道理であろう!」


「ええ、全くその通りでございます。では殿下、わたくしも同じ法理に従い、お返し申し上げます」


シェリアがすっと右手を掲げると、広間の扉が重々しい音を立てて開いた。

現れたのは近衛兵ではなく、王立会計監査院の法衣を纏った役人たちと、グランヴェル公爵家の影として知られる黒衣の執事たちだった。先頭に立つのは、現国王の実弟であり監査院長を務めるアルベルト公爵である。


クラウディオの顔がわずかに引きつった。

「叔父上……? なぜこのような場に」


「クラウディオ殿下、そしてミリア・ロベール男爵令嬢」

シェリアは冷ややかな微笑を浮かべ、自らの手袋を整えた。

「まず、第一のお返しでございます。あなたが掲げたその『証言書』——筆跡および魔法的署名鑑定により、ミリア嬢の自作自演と偽証であることが先刻、法務院にて正式に認定されました」


「な……!?」

ミリアが息を呑み、一歩後退った。


「さらに、学園の階段での一件。あの日、わたくしはアルベルト公爵立ち会いのもと、王宮の財政諮問会議に出席しておりました。完璧なアリバイがございます。無実の者を陥れ、王族の名を用いて偽証を強要した罪——これは国家反逆罪に準ずる重罪でございます」


「な、何を馬鹿な! そんな言いがかりが通ると——」


「言いがかりではありません」

アルベルト公爵が低く厳格な声で告げた。

「クラウディオ。お前がミリア嬢に買い与えていた数々の装飾品、豪奢なドレス、連夜の遊興費……その出所がどこか、まさか忘れたわけではあるまいな?」


クラウディオの肌から血の気が引いていく。


「殿下、わたくしとの婚約に基づき、グランヴェル公爵家から王室へ無利子で融資されていた『王太子活動準備金』および『治水事業支援金』——総額にして金貨三百万枚。これは婚約破棄が成立した瞬間、即時全額返還される条項となっております」

シェリアは懐から、金糸で縁取られた契約書を掲げた。


「そ、そんな莫大な額、すぐに払えるわけが……!」


「払えぬのならば、差し押さえでございます」

シェリアの言葉に合わせ、監査役人たちがずらりと書類を広げた。


「目には目を。殿下はわたくしの名誉と公爵家の尊厳を奪おうとされました。ならば、わたくしは殿下の財産と、その身分を保証する基盤を奪い返します。殿下に下賜されていた離宮、領地、競走馬、そしてミリア嬢に贈られた装飾品の全ては、これより公爵家の管理下に入ります。もちろん、身につけていらっしゃるその首飾りも」


ミリアが青ざめ、胸元のルビーのペンダントを手で覆った。

「いや……! これは殿下からいただいたものです! 返せません!」


「殿下の私財ではなく、公爵家の融資金から出たものです。横領品の所持は犯罪ですよ、男爵令嬢」

シェリアは冷然と見下ろした。

「ロベール男爵家には、すでに娘の共謀罪と不正蓄財の調査が入っております。ご実家の領地もまた、負債の担保として差し押さえの手続きが進んでおりますわ」


「嘘……お父様、お母様……! 殿下、助けてくださいませ!」

ミリアがクラウディオの腕に縋りついた。

しかし、クラウディオは震える腕で彼女を突き飛ばした。


「離れろ! お前が……お前が『公爵令嬢を排除すれば全て手に入る』と唆したのではないか!」


「殿下、見苦しゅうございますよ」

シェリアの声は、冷たい刃のように二人を切り裂いた。


「愛を語り、正義を騙り、己の非を他人に擦り付けた結果がこれです。殿下、先ほど『北方の修道院へ永久追放』と仰いましたね?」


クラウディオが恐怖に目を見開く。


「北方の岩山にある聖セルヴァン修道院——冬は零下三十度に達し、暖房もなく、一日十四時間の石切り労働を課される場所です。我がグランヴェル家が代々寄進しているその修道院へ、国王陛下の命により、廃嫡となった元・第一王子と、その共犯者たる罪人が送られることとなりました」


「待て……父上がそんなことを許すはずがない! 私は王太子だぞ!」


「兄上はすでに決断された」若しくは「陛下はすでに決断された」

アルベルト公爵が一通の親書を叩きつけるように見せた。そこには国王の玉璽が押されていた。

「お前の愚行によりグランヴェル家との盟約が破綻し、国庫が傾きかけたのだ。王位継承権は本日付で剥奪。お前はただの罪人だ」


「ああ……あああ……っ!」

クラウディオはその場に崩れ落ち、頭を抱えて呻いた。

ミリアはドレスの裾を泥濘のように汚しながら、床にへたり込み、声もなく涙を流していた。


シャンデリアの眩い光は、もはや二人を照らす栄光の光ではなく、その罪と愚かさを白日の下に晒す断罪の光だった。夜会の出席者たちは一様に冷ややかな視線を向け、誰一人として手を差し伸べる者はいなかった。


シェリアは一度だけ、床に這いつくばる二人を見下ろした。

怒りも、恨みも、同情すらもない。ただ、ゴミを掃き出すときのような無機質な眼差しだった。


「身の程を知らぬ欲に溺れ、他者を踏みにじった代償です。どうぞ、極寒の地で永遠に愛を確かめ合ってくださいませ」


扇を静かに開き、口元を隠して優雅に一礼すると、シェリアは背を向けた。

鳴り響く靴音はどこまでも軽やかで、彼女の歩む先には、開け放たれた扉から澄み渡る夜空と、輝かしい未来だけが広がっていた。



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― 新着の感想 ―
翡翠 様 私も、同じく感じましたので、誤字報告しています。
「父上はすでに決断された」という台詞はアルベルト公爵(現国王の実弟)が放つ言葉としてはおかしいのでは? 言うとしたら「兄上はすでに決断された」か「陛下はすでに決断された」のどちらかが正しいのではないで…
ザマーミロ、ですね。 婚約破棄の舞台は既に結末は決まっていたと。 スッキリ楽しめるお話しをありがとうございました。
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