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僕の世界はどこにある?

作者: 夜空アクエ
掲載日:2026/07/30

 幼少期は、絵本が好きだった。絵本をたくさん読んでいた。

 小学生になって、小説を読むようになった。と言っても児童向けに書かれた簡単なものだ。

 小説を読んでいる時、僕は、物語の世界に没入して、周りのことなんてなにも見えなくなっていた。休み時間に小説を読んでいたら、没入しすぎて始業のチャイムがまったく聞こえていなかったことがある。

 授業中でも、物語のことばかり考えていた。物語の世界に自分が入って、自分が物語の世界を冒険する空想に浸っていた。授業中に空想に浸りすぎて、授業をまったく聞いていなかったことも、一度や二度ではない。

 空想の世界では、様々な体験をした。異国の王子様と恋に落ちたし、空を飛ぶこともできたし、できないことなんてなかった。と言っても、なにもかも一から自分の頭の中で作り上げた世界ではなくて、だいたいは、読んだ小説の世界の中に自分が入ったら、という空想の世界だった。

 空想の世界の中の僕自身は、現実の僕自身とは似ても似つかない美人だったり、お姫様だったりする。その世界の中に入るのに相応しいキャラクターになっていた。

 いつからかマンガもけっこう読むようになった。マンガの中のキャラクターに恋をした。僕の頭の中の世界では、僕はマンガのキャラクターになり、マンガのキャラクターと恋人同士になっていた。

 小学校の高学年になった頃、インターネットで「夢小説」という存在を知った。初めて読んだ夢小説は、好きなマンガのキャラクターと、恋をするお話だった。

 物語の中に入って、好きなキャラクターと恋をする。僕は常日頃からそういう空想の世界で生きていた。それはちょっと一般的には異常なことなのかもしれないと思い始めていた時期だった。

 「ガチ恋」なんて言葉はその頃には存在していなかったと思うが、僕は恐らくマンガのキャラクターにガチ恋をしていたのだと思う。ガチ恋をして、空想の世界で、恋人同士になって、幸せに浸っていた。

 夢小説というモノを知って、そういう空想をするのは異常なことではないんだと思った。そういう空想を、二次創作という形で文章にしていいんだと知った。でも、どうやらその世界を知っていく内に、僕と同じような人ばかりではないとも知った。

 僕はマンガのキャラクターにガチ恋をして、「自分自身が」マンガのキャラクターと恋人同士になれるモノとして夢小説を楽しんでいた。でも、夢小説を嗜む人の中では、夢小説の主人公は自分自身ではなく自分のオリジナルキャラクターで、自分のオリジナルキャラクターとマンガのキャラクターが恋人同士になるのを楽しんでいるという層がいることが、少しずつわかってきた。

 それは自分とは相容れない思想だなとは思ったけど、自分は自分のやり方で夢小説を楽しめばいい。そう思った。

 僕はけっこう色々なマンガを読んだし、アニメもけっこう色々と見た。その中で、様々なキャラクターに恋をして、様々なキャラクターとの夢小説を楽しんだ。ある時は軍人になったり、科学者になったり、スポーツの天才選手になったりした。

 でも、自分でも少し不思議なのが、どの世界でも、「自分自身」の外見はだいたいピンク髪ツインテールの美少女だった。もちろん現実の自分は黒髪で、そんなにかわいくないし、地味な見た目をしている。我ながら不思議なことに、そんなピンク髪の自分とはかけ離れた外見のキャラクターを、でも確実にこのキャラクターは「自分自身」なんだと認識していた。

 現実の自分とはかけ離れた外見のそのキャラクターは、何をしても超天才で、学校は飛び級で卒業するし、スポーツは万能で、無人島でのサバイバル生活だってなんのそのだった。

  そんな自分自身と、マンガやアニメのキャラクターとの恋人同士としての生活を、常日頃、頭の中の世界で味わっていた。そしてそれを小説にして公開していた。

 でも、いつしかそれができなくなった。そもそも小説をそんなにたくさん書く時間も体力も作れなくなったというのも、一つの原因としてある。けど、それだけではない。

 頭の中の、空想の世界の「自分自身」を、自分自身だと認識できなくなったような気がする。自分の分身としてのリンクが切れた、とでも言おうか。とにかく、頭の中にいた彼女は、自分自身ではなくなっていた。

 いつからだろう、彼女とのリンクが切れて、空想の世界で自分を認識できなくなった。そして、現実の世界での自分自身のこともわからなくなっていった。

 現実の世界の自分は、あまりにも平凡……とも言えない、中の下、学校の成績が特別にいいわけでもなく、スポーツは苦手で、得意なことなんてなくて、人に誇れることなんてない人間だった。空想の世界との彼女とのリンクが切れたことで、僕は現実の自分の人生に向き合わなくちゃいけないんだと思った。

 でも、現実では、やれることが限られすぎていて、なのに、大人たちはなんにでもなれると言う。なにを選んでもいいし、自由にやりたいことをやれと言われた。

 僕のやりたいことなんて、空想の世界の中にしかないのに?

 いや、現実でやりたいことがまったくないわけではない。でも、空想の世界の中で生きていた自分には、現実の世界が見えていなかった。現実の世界なんて、学校のテストで平均点以上を取れていればいい程度にしか思っていなかった。

 授業をまったく聞いていなくてわからないことがあっても、後からちゃんと復習をすればまあ問題はなかった。現実の世界に、あまりにも興味がなさすぎて、でも、空想の世界に浸ることもできなくなって、僕は居場所を失ったように感じた。

 それから僕は、小説を読んだ。中学生でも読める程度だけどある程度は大人向けの、いわゆるライトノベルと呼ばれる類の。夢小説ではない小説を読みたかった。小説の世界に、空想の物語に没頭していれば、また自分の空想の世界に入れる気がした。

 それは少しうまくいって、自分は今度はラノベのキャラクターにガチ恋をして、ラノベのキャラクター相手の夢小説を見るようになった。しばらくはそれが続いた。

 でも、なんだかやっぱり自分自身とのリンクがうまく繋がらない時があった。ピンク髪の天才美少女は、現実の僕とはかけ離れすぎている。でも、確実にそれが僕自身のその世界での姿なんだと認識していた。はずだった。

  いつしか、ピンク髪の天才美少女は、僕自身ではなくなった気がした。でも、確実に、あの子は、僕の分身ではある。そう思いたかった。現実の僕とは似ても似つかないその姿でも、確実にあの子は僕の分身ではあるのだ。僕はそんな天才じゃなくても、僕にはできないことがなんなくできても、あの子は僕の分身なんだ。

 高校生になった頃、また小説を読まなくなった。アニメの比重が重くなった。マンガも読んだけど、マンガを読む頻度は減っていた。アニメのキャラクター相手にも、僕はもちろん恋をした。でも、空想の世界に浸ることは少なくなっていった。なんだか、空想の世界に没入することが難しくなっていた。

 ピンク髪のあの子は、僕の分身だけど、なんだか少し、遠い存在になっている気がした。

 ゲームのキャラクターにも、僕は恋をした。でも、ゲームのストーリーに即した夢小説を書くのはすごく大変だったから、夢小説という形にはしなかった。けど、空想の世界で浸って、夢を見た。幸せな夢を見た。

 空想の世界では、ゲームのキャラクターと両想いで、でも恋人として幸せに過ごすには様々な困難があって、でも幸せになれた。そんなストーリーを夢に見ていた。空想の世界では、僕はたくさんの恋を経験した。

 ピンク髪の分身ちゃんは、僕の空想の世界で、幸せそうに笑っていた。時には泣いたり怒ったりもした。命懸けで好きなキャラクターの命を救ったこともある。どんなに血を流しても、好きなキャラクターと一緒に幸せになるためなら、なんだってできた。

 高校を卒業して、大人になるにつれて、夢を見られなくなっていった。どうしようもなく現実の自分に向き合わなくちゃいけないんだと思った。でも、僕の頭の中では、ピンク髪の分身ちゃんが笑っている。

 大人になっても、マンガも読んだし、アニメも見たし、小説は少し読まなくなっていったけど、相変わらずキャラクターに恋心のような感情を抱くことはあった。でも、それは、「恋心のような感情」だった。恋ではなかった。

 僕はいつしか、キャラクターに「ガチ恋」をしなくなっていった。現実の僕と、空想の世界の僕の分身ちゃんは、リンクが切れていた。ピンク髪の分身ちゃんは、もう、僕自身ではなかった。

 大人になったからと言って、現実を見なくちゃいけないと思ったからと言って、僕自身にできることなんて限られていて、ピンク髪の分身ちゃんみたいにはなんでもはできなかった。僕は僕自身にならなくちゃいけないんだと思った。

 でも、それはとても恐ろしいことに思えた。僕が僕自身としてできることなんて限られていて、僕はきっと何者にもなれずに生きていくしかない、中の下の人生なんだと思った。そんな人生を送ることに、なんの意味があるんだろうと思ってしまった。

 でも、僕は生きている。今までの僕の人生、空想の中の世迷言だったとしても、空想の中で生きていた僕自身も、やっぱり僕自身なんだ。僕はそうやって生きてきた。

 でも、現実で、恋をして、結婚をしたいという願望はある。というか、大人になったら現実の人間と恋をして、結婚するのが当然なんだと思っていた。そういう想像をしていた。

 現実で恋をして、結婚するなんて、それこそ夢のまた夢なんじゃないかと思った。とても実現できる気がしない。

 僕はいつまで、空想の世界で生きていたんだろう? 僕はいつから、現実の世界を捨てていたんだろう?

 捨てていた、という言い方はよくないかもしれない。でも、現実の世界に今更きちんと意識を戻して、空想の世界をなかったことにはできなかった。できないけど、空想の世界と繋がることも難しくなっていってるのを感じた。

 ピンク髪の分身ちゃんは、僕自身ではない。でも、僕の分身で、空想の世界で生きる君は、じゃあ、誰?

 僕にとっての現実は、僕が生きるべき現実の世界はどこにある? 僕には、現実の人間とのコミュニケーションなんてわからないのに。

 一人で空想の世界で生きるのは、楽しくて、幸せで、そこには人生のすべてがあった。そう思っていた。

 でも、現実の世界の僕は、なにも持っていない。なにも持っていない僕が、これからどうやって生きていけばいい。

「篠原さん、なんか顔色が悪いけど、大丈夫?」

 会社の同僚が、声をかけてきた。篠原、その苗字が自分の苗字であることを認識するのに、少し時間がかかった。空想の世界での僕の名前は篠原なんて名前ではなかったから。現実の自分の名前を呼ばれることに、違和感を抱いた。

「……大丈夫です、なにも問題ありません」

「そう? ならいいけど、なにかあったら言ってね」

「ありがとうございます」

 自分がなにを言っているのか、よくわからなかった。なんで自分はこんな生活をしているんだろう。僕は天才科学者で、世界を支配できる存在なのに。

 いや、それは空想の中でのピンク髪の分身ちゃんだ。僕ではない。現実の僕は、会社勤めのしがない人間だ。

 ピンク髪の分身ちゃんは、いつも自信に満ち溢れていて、できないことなんてないって顔をして、笑顔が明るくて、くしゃみはかわいくて、誰もに愛される美少女だった。そんな彼女が、僕の分身だなんて……。僕自身とは、かけ離れすぎている。

 いつからだろう、いつからだろう、ピンク髪の分身ちゃんは、遠くで僕を見守っているような気がした。見えなくても、見守られている気がした。

 僕がピンク髪の分身ちゃんのように生きることは、きっと不可能だけど、ピンク髪の分身ちゃんに少しでも近づけるようになりたかった。でも、それは髪色をピンクにすればいいわけではなくて。もっと根本的に、人間性を変えていかなくちゃいけないと思った。

 ありのままの自分を受け入れて、素の自分で生きていけるように。

 ピンク髪の分身ちゃんは、今日も遠いところで微笑んでくれている。あの子に見合うように、僕は僕自身をアップデートしていく必要がある。できるだろうか、と挫けそうになる。

 でも、僕にとっては、きっと必要なことなんだ。

 いつの日か、またきっと、ピンク髪の分身ちゃんの姿を借りて、アニメやマンガやゲームや小説のキャラクターと恋人同士になることもあるかもしれない。いや、そのいつかの日には、僕は僕自身として、分身ちゃんの姿を借りずに恋をしているかもしれない。

 でも、いつかまた、夢小説の世界に浸れたらいいなぁと思った。


〈了〉

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